中国人強制連行
2010年 03月 05日
この訴訟は、1944年に中国河南省から突然さらわれて京都府下丹後の大江山の冶金工場で強制労働を強いられた中国人の被害者6人が、日本政府と加害企業である日本冶金工業を相手に、謝罪と損害賠償を求めて、1988年に京都地裁に提訴したものです。1審では国の加害責任と損害賠償責任を認めながら「時効」を理由に敗訴、2審では企業との和解が成立しましたが、国の責任は「国家無答責」を理由に認められず、最高裁も上告を棄却して、本件の裁判は終わりました(2007年)。しかし、この最高裁判決にも、加害企業に対して被害者への救済への努力が期待されるという付言があるほか、国の責任についても、国連のILO29条委員会が国に補償措置をとるよう勧告を続けていることを忘れてはなりません。
また、この種の戦後補償の裁判は、全国的な規模で今までに80件ほども行われ、なかでも日本の植民地であった韓国の人々と、日本の侵略戦争の最大の被害国であった中国の人々による訴訟が多く、その背後にはまだまだ多くの隠れた被害者がいるという状況です。戦後に日本外務省が作成した通称「外務省報告書」によっても、敗戦に至るまでに35の企業の135事業所へ38,935人が強制連行され、そのうち6,830人が死亡しているとの記録があり、その企業の中には、鹿島建設、大成建設、三井鉱山、三菱鉱業、宇部興産、播磨造船などの一流の大企業が並んでいます。いずれも軍需産業によってうるおったのです。
なお、「国家無答責」の原則については、すでに戦前に、小野清一郎博士がその不当性を
明確に指摘しておられたことを想起すべきでしょう。

