また淋しい訃報
2010年 02月 10日
上田さんは、ずっと同志社大学に所属されていましたので、私とは大学は違うのですが、恩師の秋山哲治先生以来の関係で親しくなり、古くから私どもの関西の「刑法読書会」のメンバーとして、長年一緒に刑法の研究を続けてきた有力な仲間の一人です。とくに私とは一家をあげて親しく交流していました。
ここ数年来、喉頭部分のガンに侵された後も、研究は休むことなく、とくにドイツのラートブルフやアルトゥール・カウフマンなどの「法哲学」文献の翻訳・紹介に、文字通り命をかけ、寸暇を惜しんで没頭されていました。そして、同志社法学掲載の「ラートブルフ法哲学綱要」(2・完)が絶筆となりました。
2月8日の午後、ご自宅を訪問して、お写真とお遺骨に対面しましたが、いまにも話しかけられそうな親近感を覚えました。いっぱいの花に包まれた祭壇の前で、奥さんのほか息子さん、娘さんともお話しましたが、上田さんは、いつも2階の書斎をこよなく愛し、雑事から離れて勉強することを当然の日課として、ずっと一生を通してこられたと聞いて、私自身も同様な体験をしていますので、そのお気持を全面的に理解することができました。死ぬまで研究を続けるという考え方を、実際にも実践されたことに、純粋な感慨を覚え、敬服しました。
上田さんの元気なときの証拠写真として、私の古稀記念祝賀会(13年前)のビデオがあることを思い出しましたので、それを持参しました。そのとき、上田さんは開会時の司会役をつとめ、独特の上田節を披露されていたのです。なお、いまこのビデオを見ますと、それ以後に亡くなっている人が、私の家内を含めて、意外に多いことに、改めて気がつきました。上田健二さん。長い間ご苦労さまでした。さようなら。