先生のお墓(2)
2009年 08月 21日
大島先生のお墓には1年たっても2年たっても石碑は立ちませんでした。2坪ほどの大きさの墓地の真ん中に友だちの書いたそまつなぼうぐいが立って、その両側に2本のときわ木が植わっているきりでした。大島先生の友だちは、たいていびんぼうな人たちばかりでしたから、それをかなしんでもどうすることもできませんでした。
あるとき、わたしは大島先生のお墓へおまいりしたら、だれが持ってきたのか、ほとんどまんまるい形の自然石が1つお墓の真ん中にころがって、そのまわりにひらべったい石が3つ4つおいてありました。わたしはそのまんまるい形の石を見ているうちに、いつか大島先生が黒板へ書かれたまるい形のことを思い出しました。やがてまるい自然石とひらべったい自然石のあいだに雑草がおいしげって、ちょうど大島先生のからだをやわらかい毛皮でつつんででもやろうというように、墓地の上においはびこっていました。草萩の赤い花やすすきの白い穂が雑草のあいだから背のびをして、ここにわたしたちの大すきな大島先生のねむっていることをつげているように思われます。これがわたしの先生のお墓です」。
その大島先生は、3年で転校され、東京のさびしい下宿屋の一室で肺病でなくなられたのですが、先生の遺言によって、この町の墓地にほうむられることになったと記されています。そこには、古き良き時代の先生と生徒との間の、こころあたたまる師弟関係を垣間見ることができます。私自身も、小学校時代の先生のお墓におまいりしたくなりました。