京都人文学園
2009年 07月 09日
その折に、話題になったのが「京都人文学園」で、奥様はここに勉強に来て、先生と出会われたという因縁があります。私はまだ知らない前のことですが、そのいきさつを聞いて、当時の自由で民主的な雰囲気を強く感じました。
「京都人文学園」は、戦後の新学制が整備をみるまでに、各地で起こった民間の教育運動のひとつで、戦争で軍隊や工場、農村などに動員され、学業を奪われた青年男女の再教育を意図して、京都御所脇の仏教会館を仮校舎として1946年(昭和21年)に開校しました。当時は「人文主義」といわれ、それは人間教育を軸とした思考と行動の一致する世界市民の育成を目標とする熱心な教育運動だったのです。
教員としては、住谷悦治、新村猛、久野収、青山秀夫、佐々木時雄などを中心として、主に京都大学と兼任の教師陣を配置し、一般教育(一般教養)を内容とする3年制の各種学校として出発しました。この運動に、刑法の宮内裕、瀧川春雄なども協力したというわけです。大幅な学生自治、男女共学、無試験、無規則、無処罰など、革新的な教育活動が展開されたのです。
京都人文学園は、1950年に閉校となりましたが、その理念は社団法人「勤労者学園」(夜間部)に受け継がれ、その後は、「関西文理学園」(予備校)として今も存続しています。