関西民科の60年
2009年 07月 07日
ただし、1946年には私自身はまだ旧制高校在学中で、1948年に京大法学部に入学した後、在学中に関西民科の活動にかかわっておられた先生方や先輩の大學院生の方々にお目にかかる機会を持つ程度の関わりがあったに過ぎません。本格的な関係が出来たのは、1953年に学部を卒業して大學院の研究奨学生に採用されてから以降のことですが、皮肉なことに、その頃にはすでに占領政策の転換によって、戦後の民主主義法学自体が変質と転換を迫られるという困難な時期に当たっていました。「民科の会員はアメリカに留学できない」といった「差別」が意識され始めていたようです。
この小冊子で関西民科創設の頃を回顧されていますのは、片岡昇(労働法)と甲斐道太郎(民法)の両先生ですが、そのご発言の中には、末川博(民法)、浅井清信(労働法)、加藤新平(法哲学)、磯村哲(民法)、杉村敏正(行政法)、天野和夫(法哲学)、宮内裕(刑法)、富山康吉(商法)、滝川春雄(刑法)などの懐かしい先生方の名前が出てきます。
何よりも、当時の最大のテーマは、マルクス主義の評価に関わる「法社会学論争」といわれるもので、私自身も、川島武宣著『所有権法の理論』などを読んだことを思い出します。「法の階級性」が声高に論じられましたが、その成果は必ずしも生産的なものとはいえず、次の世代に十分に継受されたとはいえない問題があったように思います。