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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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昭和25年の地公法制定時の国会の良識

 すでに昭和23年の改正国家公務員法が、102条と人事院規則14-7によって公務員の政治的行為を禁止し罰則を定めていたにもかかわらず、昭和25年に制定された地方公務員法は、36条に禁止規定を置くのみで、規則への委任もなく、罰則の定めもないという点で、際立った相違を示していたのが注目される。しかも、政府原案にあった罰則が国会で削除されたといわれているのであるから、これはまことに驚きである。
 このような国会の「良識」が何に由来するのかという興味ある課題を是非とも解明して見たいものである。というのも、 昭和25年というのは、まだ占領期間中であり、同年には「占領目的阻害行為処罰令」(ポツダム勅令)が全くの「白地刑罰法規」として発せられていたという事実も忘れられてはならないからである。下山、三鷹事件なども発生する不穏な状況の中で、いかにして国会の「良識」が存在する余地があったのであろうか。
 しかも、「占領目的阻害行為処罰令」などは、ポツダム勅令として、講和後は効力を停止し、「刑事特別法」(昭27)へと形式的に「法律化」されたのであるが、国公法上の人事院規則による処罰規定は、「法律化」されるこおなく、そのまま存続したのである。
 おそらく、国公法上の規則による処罰の例外は、古めかしい「爆発物取締罰則」(明治17年太政官布告)と並ぶ古い時代の遺物ともいうべきものであろう。
 なお、第2次対戦後のアメリカ軍の占領期における治安法の形成過程とその問題点については、拙著「現代社会と治安法」岩波新書766、1970年、84頁以下を参照されたい。
 
by nakayama_kenichi | 2005-03-14 19:22