昭和25年の地公法制定時の国会の良識
2005年 03月 14日
このような国会の「良識」が何に由来するのかという興味ある課題を是非とも解明して見たいものである。というのも、 昭和25年というのは、まだ占領期間中であり、同年には「占領目的阻害行為処罰令」(ポツダム勅令)が全くの「白地刑罰法規」として発せられていたという事実も忘れられてはならないからである。下山、三鷹事件なども発生する不穏な状況の中で、いかにして国会の「良識」が存在する余地があったのであろうか。
しかも、「占領目的阻害行為処罰令」などは、ポツダム勅令として、講和後は効力を停止し、「刑事特別法」(昭27)へと形式的に「法律化」されたのであるが、国公法上の人事院規則による処罰規定は、「法律化」されるこおなく、そのまま存続したのである。
おそらく、国公法上の規則による処罰の例外は、古めかしい「爆発物取締罰則」(明治17年太政官布告)と並ぶ古い時代の遺物ともいうべきものであろう。
なお、第2次対戦後のアメリカ軍の占領期における治安法の形成過程とその問題点については、拙著「現代社会と治安法」岩波新書766、1970年、84頁以下を参照されたい。

