総司令部に押し付けられた国公法の改正と憲法
2005年 03月 11日
憲法学説には批判が強いが、これに対して、このような規制を擁護する側から、憲法も占領軍に押し付けられたものだから、憲法はよいが国公法はおかしいという議論には矛盾があるという主張がなされている。これは、猿払事件上告審の検察官の上告趣意に出ていたが、学者の見解にも現れているので(綿貫)、一言しておきたくなった。
たしかに、占領軍に押し付けられたというだけで、その復元を求めるというのは形式的な論理であって、その内容を判断する価値基準こそが問われているといわなければならない。そして、この観点からすれば、憲法とその精神で生まれたものが最初の国公法(昭和22年)であって、昭和23年の改正は、すでに憲法原理にもとる「改悪」の押し付けであったというべきであろう。
先にも述べたように、地公法(昭和25年)は国公法の最初の規定の趣旨に帰っているのであるから、国公法もそのように再改正するのが国会として当然にとるべき措置であったというべきである。このところ悪しき刑事立法化の時代を迎えているが、まずは積み残した課題を早急に解決する立法的努力を望みたいものである。

