合理的な疑いを越えて
2008年 12月 22日
裁判員制度になった場合、裁判官は裁判員に対して「説明」することになっていますが、それは法律用語などのやさしい解説とともに、上述したような「無罪推定の原則」の内容と、それがなぜ必要なのかという理由を含めて、明確に説示することが求められているというべきでしょう。 この原則が必要な理由とは、それが被告人に有利な特権を与えるものではなく、もしこれらの原則がしっかりと考慮されなければ、実際には無実の人が有罪とされてしまう「冤罪」のおそれがあるからです。そして、現に、わが国でも、死刑事件についてさえ「冤罪」であったことが後で判った事件が複数あったことを歴史が証明しているのです。
では、「合理的な疑いを越えて」とはどういう意味かという点について、あるアメリカの弁護士による以下のような説明が判りやすいと思われますので、引用しておきます。
「被告人は、法廷にあって最初は真っ白なカンバスに例えられます。検察官は、そのカンバスに証拠という墨を塗っていきます。そして、真っ白だったカンバスが、気になる余白がないほど黒くなったとき、陪審員ははじめて被告人を有罪にできる。『気になる余白がなくなった』状態を『合理的な疑いを越えた』と表現しています。『たぶん』有罪では足りないのです」(伊佐千尋・裁判員制度は刑事裁判を変えるか、2006年、125頁)。