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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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合理的な疑いを越えて

 これは beyond a reasonable doubt の訳ですが、戦後に継受した英米の刑事訴訟法の大原則として、日本法にも導入され、合理的な疑いを越える証明がない限り、有罪とはできないこと、逆にいえば、合理的な疑いが残る限り、無罪とするということを意味します。「疑わしきは被告人の利益に」という原則も、同じ趣旨のものと解されています。
 裁判員制度になった場合、裁判官は裁判員に対して「説明」することになっていますが、それは法律用語などのやさしい解説とともに、上述したような「無罪推定の原則」の内容と、それがなぜ必要なのかという理由を含めて、明確に説示することが求められているというべきでしょう。  この原則が必要な理由とは、それが被告人に有利な特権を与えるものではなく、もしこれらの原則がしっかりと考慮されなければ、実際には無実の人が有罪とされてしまう「冤罪」のおそれがあるからです。そして、現に、わが国でも、死刑事件についてさえ「冤罪」であったことが後で判った事件が複数あったことを歴史が証明しているのです。
 では、「合理的な疑いを越えて」とはどういう意味かという点について、あるアメリカの弁護士による以下のような説明が判りやすいと思われますので、引用しておきます。
 「被告人は、法廷にあって最初は真っ白なカンバスに例えられます。検察官は、そのカンバスに証拠という墨を塗っていきます。そして、真っ白だったカンバスが、気になる余白がないほど黒くなったとき、陪審員ははじめて被告人を有罪にできる。『気になる余白がなくなった』状態を『合理的な疑いを越えた』と表現しています。『たぶん』有罪では足りないのです」(伊佐千尋・裁判員制度は刑事裁判を変えるか、2006年、125頁)。
 
by nakayama_kenichi | 2008-12-22 18:09