ある裁判官の定年退職の弁
2008年 12月 07日
この裁判官とは、私が選挙犯罪を研究していた折に、公職選挙法違反事件(文書頒布罪)について違憲無罪の判決を書かれた点を取り上げて好意的に論評したことが契機となって、はじめて手紙をもらって以来、文通が続いているという関係にあります。数多い裁判官の中でも、憲法に忠実な良心的裁判官の1人として、立派に定年までその任務を果されたことに、心から敬意を表したいと思います。ご苦労さまでした。
裁判官には転勤がつきものといわれていますが、この裁判官も、初任地の沼津から始まって、大阪、大垣、徳山、福井を経て、名古屋、一宮と転勤を繰り返した後、最後は名古屋家裁で終わるという経過を辿っています。それぞれの任地の気風と特色が懐かしく追憶されていますが、少し多くの無罪判決を書いた裁判官の例にもれず、後年は家庭裁判所で家事と少年事件を担当されています。しかし、注目されるのは、この裁判官も死刑判決に関与されたことがあり、さすがに今でも心が痛む思いがすると述懐されている点です。
今後は、田舎の田園生活を楽しみながら、しばらくは、弁護士の見習いをした後、1人で
事務員兼弁護士の生活をしたいといわれています。できれば不遇で恵まれない少年達の理解ある伴走者になってやりたいという願いにも敬服する次第です。

