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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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日本人の国民性

 まだ、死刑論議にこだわっているのですが、さきの著書のなかで、デイビット・ジョンソン(ハワイ大學教授)が、日本に死刑が存置されている内在的な要因として、「贖罪と人権に関する日本文化の特質」を挙げ、日本人の国民性として以下のような指摘があるとしていました。
 日本人は、死刑は極悪非道な罪を贖うにふさわしい(時として)唯一の方法であり、死刑の廃止は治安上も人権尊重の思想上も絶対に許されないと考え、この確信は「切腹」の感性に歴史的な根拠を有しており、他文明の普遍的主張には無関心である上に、最近では犯罪被害者による償いの要求としても現れているというものです。
 しかし、このような考え方を「日本人の国民性」として、一般化することには問題があるように思われます。現に、その一例として、古く戦前の、しかも戦時の非常事態のなかで、著名な佐伯千仭博士が日本人の伝統的な国民性を以下のように特色付けられていたことを指摘しておきたいと思います。
 「①極めて進取的・開放的で外国文化を取り入れるが、他面著しく保守的で自己固有のものを失わない。②一面極めて武断的でありながら、しかも刑罰は一般に頗る寛大である。③潔癖でしばしば激情的な面があるが、しかもそれは執拗、固執、執着的でなく、結局極めて淡白である。④実際的・現実的であって理屈にこだわらないが、しかも他面で常道理の一貫性を求めてやまない。⑤上下の関係が信頼の深い感情によって結ばれ、わが刑事裁判の伝統的慎重性がそれに由来する」(「刑事法より見たる日本的伝統」法学論叢50巻5=6号、昭和19年)。
 ここでは、「寛大性」と「淡白性」が注目すべき点であり、平安期の350年にわたる死刑の執行停止(モラトリアム)の歴史的事実も想起されているのです。
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by nakayama_kenichi | 2011-04-28 20:05

体感治安と重罰思想

 『死刑と向き合う裁判員のために』の著書の中でも、日本がなお死刑制度を存置している「内在的な要因」として、死刑に対する大衆の支持が償いを求める贖罪思想に根ざしているという仮説が紹介されていました。
 これが素朴な応報感情にとどまるのであれば、理性的な状況判断によって縮小論ないし廃止論に変化する可能性もあるということになりますが、その方向に転換するための何らかの契機(「外圧」)がなければ、現状維持にとどまる公算の方が大きいように思われます。
 しかも、現代社会は、社会不安を体感治安として受け止めて、むしろ犯罪に対する重罰化を求めるように個人に働く要因を含んでいます。この点について、岩間一雄氏(岡山大学名誉教授)は、現実の犯罪件数が必ずしも増大していないのに、社会の体感治安が悪化して行く根底には、社会が流動化し、社会的不平等が個人化し、犯罪を個人の異常心理に置き換えて、この不安に対処するために、危険を抑圧し厳罰化して行こうとする体制側の政策を後押しするという方向に流れる心理があると分析されています。
 本来、犯罪は劣悪な環境の産物であり、これを社会として受け止める共同性、連帯性、統合性が受け皿となるべきなのに、これが不安感として流動化し、「社会の個人化」が進んで、孤立した個人がリスクを処理するというシステムの中に置かれているところに、問題の本質があるといわれるのです。したがって、現状を転換するためには、「私」を「私たち」に飛躍させ、ばらばらな個人社会を連帯的な「市民社会」へと結合し直すことが求められているといわれています(「日本の思想と死刑制度」、「人権21・調査と研究」209号、2010/12、50頁以下)。
 そして、現に、今度の大震災援助のボランティア活動などは、そのような社会連帯活動の例として挙げられるでしょう。それは、人権と寛容の精神を生み出すものと期待されるのです。
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                  琵琶湖大津館の庭のチューリップ
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by nakayama_kenichi | 2011-04-26 09:39
 6.日本が死刑を存置する理由 これは、ハワイ大學教授の論稿ですが、死刑が世界的にも、またアジア地域でも縮小・廃止される状況の中で、なぜ日本がなお死刑を存続し続けているのかという謎を、9つの仮説として描き出したものです。「歴史的解釈」としては、第2次大戦後の占領政策の中に死刑廃止が含まれず、保守的な自民党の長期支配が死刑存続を恒常化させたこと、また「外在的圧力」としては、アメリカの死刑存置論に従属し、アジアの地域連合がなお弱いこと、一方「内在的な力」としては、死刑に対する大衆的支持が贖罪と厳罰化を日本文化の特質として象徴していることを挙げ、結論として、これらの謎に迫る理論的・実践的な研究の必要性が示唆されています。
 7.韓国の国民参与裁判と死刑 これは、韓国清州大学教授の論稿ですが、韓国では死刑制度は存置されているものの、1997年に、存置論と廃止論の妥協の産物として、死刑の執行が停止され(死刑モラトリアム)、その状態がすでに10年以上も定着し、現政府が保守政権にもかかわらず、その政策は今後もほとんど変わらないであろうといわれています。2008年から国民参与裁判制度が導入されましたが、選択制の陪審制度の下で、陪審裁判の無罪率が高いほか(8.8%)、取調べの全面的な録音・録画が行われていることも参照に値するところです。
 8.国際連合と死刑廃止 これは、アイルランド大学教授の論稿ですが、国際連合が内部の様々な機関や委員会を通じて、一貫して死刑の縮小と執行停止(モラトリアム)から廃止に向けて、さまざまな活動を続けてきた経緯を、実に丹念にフォローしたものです。日本政府がその国際的な活動に全く背を向けているのは淋しいことです。
 以上のほかにも、有益な指摘が多く含まれていますが、私としては、本書の叙述じたいが一般市民にはなお難しく、もっとやさしくできないかという感想を持ちました。
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by nakayama_kenichi | 2011-04-23 09:14
 4.裁判員の心理と死刑 2009年の内閣府による世論調査では、存置論(85.6%)の論拠として、「遺族の気持がおさまらない」「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」「死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える」が多く、一方、廃止論(5.7%)の論拠としては、「生かしておいて償いをさせる」「誤判の場合に取り返しがつかない」「国家であっても人を殺すことはゆるされない」が多かったとし、また市民の死刑支持に影響する要因としては、繰り返される犯罪報道と死刑に対する知識不足が重要であると指摘されています。そして実際に、某私立大學法学部1年生約500人に対して、ある程度の予備知識を与えた上で行った調査では、死刑賛成者の比率がかなり低くなっているほか(60%)、「誤判の場合に取り返しがつかない」という項目が死刑反対群だけでなく賛成群にも共通に支持されていることが分かったといわれています。これは、冤罪問題の重要性を示唆しているように思われます。
 5.誤判と死刑 刑法の専門家の中にも、「誤判の場合に取り返しがつかない」という死刑反対の論拠は疑問であるとし、誤判の可能性が全くないような場合、たとえば無差別大量殺人が多衆が目撃する中で行われ、犯人が現行犯逮捕されたような場合には、死刑を認めざるを得ないのではないかという存置論が紹介されています。しかし、これに対しては、たとえそのような一見明白な殺人行為の場合であっても、誤判のおそれが全くないとはいえず、たとえば裁判の中で、犯人が精神異常によって責任能力が疑われる可能性も否定できない以上、最初から誤判の可能性が全くない事例があるという問題の立て方が間違っていると答えられています。
 たしかに、誤判と冤罪の数は実際には少ないのですが、これを「やむを得ない例外」として認めのではなく、むしろ逆に、未来永劫にわたって誤判が絶対に存在しないという証明ができない以上、死刑を制度として存置することは正しくないといわれるのです。(続)
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by nakayama_kenichi | 2011-04-21 13:20
 最近、福井厚編著『死刑と向き合う裁判員のために』(現代人文社、2010年4月)が出版され、早速、興味深く一読しました。以下では、その内容のうち、注目すべきところを3回に分けて、感想を含めた紹介を試みたいと思います。
 1.本書の問題意識 本書は、新しい裁判員裁判で死刑事件が扱われた場合に、裁判員となり得る誰もが当面すべき死刑の問題について、少なくともこれだけは知っておいてほしいことをまとめたもので、その立場は、死刑はできるだけ避け、できれば廃止したいという方向で一貫しています。したがって、多くの死刑存置論者にとっては、反論もあり得ることが十分に予定されています。むしろ日本では、今こそ死刑の論議を起すことが求められているのです。
 2.国民の健全な社会常識 裁判員裁判は、これまでの職業裁判官による専門的な法律的判断の中に一般市民にも理解可能な「市民感覚」を反映させようとするものですが、事実の認定はともかく、法定の刑罰のうち「死刑」を適用すべきかという問題に当面した場合には、世論調査における圧倒的な死刑存置論が背景となって、むしろ死刑判決が出やすいのではないかと指摘されています。現に、最近、少年にも死刑判決が下されました。しかし、少なくとも、死刑には全員一致の評決を必要とすべきではないでしょうか(アメリカの陪審のように)。
 3.死刑に関する世論 死刑に関する世論調査では、圧倒的に存置論が多いのですが、質問の方法に問題があるほか、賛否の判断に必要な知識が不足しているのに無自覚であることにも問題があるので、まずは死刑をめぐる問題(制度とその運用の実態)についての情報公開とその知識の普及が必要であるといわれています。そして、正確な知識を前提とすれば、賛否の結論も変わり得ることが示されています。当局による死刑に関する情報の秘匿が市民の関心の低さにも影響しているように思われるのです。(続)
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by nakayama_kenichi | 2011-04-19 09:32

89歳の健康の秘訣

 このブログでも、何回か取り上げました89歳の老婦人画家から過日お誘いの電話があり、12日の昼前に、自転車で15分ほどの距離にあるご自宅を訪問しました。
 昨年の秋にお会いしてから、久しぶりになりますが、昼食のお弁当をご馳走になりながら、楽しく有意義なコミュニケーションの機会を得ました。お部屋には、阿弥陀如来の3体の磨崖仏の大きな絵をはじめ、甲冑文字で書かれた詩文など、多くの貴重な作品の数々が飾られており、さりげない世間話のなかにも、女流画家としての天真爛漫な風格と謙虚で個性的な人間像を感じ取ることができました。また、今回の東日本大震災については、かつての自分の苦難な体験を想起しつつ、とくに政治家の無策ぶりに対する強い批判が繰り返されていました。
 今回は、この89歳の老画家が、今でもなお心身ともに健康であることの秘密ないし秘訣として実感した3つの点を挙げておきたいと思います。
 第1は、精神的な側面ですが、話が専門の絵や書のことに及んだ途端に、目が輝き、情熱が湧いてくるように思われたことです。絵を描くことは、その中に魂を入れることであるといわれたことが印象に残っています。私も、この1点に共鳴しました。
 第2は、肉体的な側面ですが、まず平凡なこととして、食欲の旺盛なことに、あらためて感心しました。それは、ゆっくりと時間をかけて、楽しみながら全部を残さず食べるという習慣です。
 第3は、今回発見した重要な点ですが、この老婦人は一軒家の2階部分に住み、少し曲がった急な階段を日に何回となく上り下りする必要があるので、実はそれこそが健康の最大の秘訣になっているということです。足腰がこれによって毎日鍛えられて、今でも戸外を平気で歩けるというわけです。老人にとって、階段は危ないとばかり思っていましたが、そのプラスの効用をあらためて確認した次第です。
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                     三井寺の疎水の桜
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by nakayama_kenichi | 2011-04-16 20:14
 今回の福島原発事故の規模について、経済産業省原子力安全・保安院と原子力安全委員会は、4月12日午前、これまでに放出された放射性物質が大量かつ広範にわたるとして、国際的な事故評価尺度(INES)で「深刻な事故」とされる「レベル7」に引上げたと発表しました(朝日新聞4月12日夕刊)。しかし、その経過と内容には、疑問と不明な点が残されています。
 原子力安全・保安院は、3月11日の事故直後には暫定評価で「レベル4」の程度にあるとし、福島原発事故はチェルノブイリ原発事故とスリーマイル島原発事故の中間にあるとしていたのですが、18日にはスリーマイル島に匹敵する「レベル5」に引上げたのです。しかし、その段階で、「レベル5」に引上げた理由が明らかとはいえません。
 それが今度は、4月12日になって、「レベル7」に引上げられ、福島原発事故がチェルノブイリ原発事故と同じ最悪の「レベル7」と暫定評価されることになったというのです。新聞の解説では、「レベル7」の判定基準が数万テラベクレル以上の放射能の外部放出であるのに、福島第1の放出量は37万~63万テラベクレルに達していると推定されたからであるといわれ、これでもチェルノブイリの1割程度であるといわれるのです。
 私の素朴な疑問は、福島原発の放射能排出量がチェルノブイリの1割と言われながら、それが「レベル7」の判定基準の10倍近くの量にも達していることが全く言及されていないという点です。その上に、福島原発の放射能漏れはまだ続いていて、どこまで広がるのか予測もつかないという点にこそ重大な問題があります。
 原子力安全・保安院は、現状の調査の正確なフォローとともに、今後の見通し(最大限と最小限の幅を含む)についても、速やかに情報を開示すべき責任があります。
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by nakayama_kenichi | 2011-04-13 14:04

中国の死刑の制限

 中国は、アメリカと並ぶ死刑大国であり、死刑判決数も死刑執行数も突出して多いことは、すでに周知の事実になっています。アムネスティ・インターナショナルの調査によりますと、2009年、アメリカの死刑執行数は52人で世界5位、日本は7人で10位であるのに対して、中国は1718人で、ダントツの1位です。
 しかも、在日の中国人専門家によりますと、本当の執行数ははるかに多く、2000人から1万5000人位もあるといわれ、中国政府はその数字を公表せず、むしろ最高の国家秘密になっているのが現状です。しかし、さすがに中国でも、国内外の批判に答えるために、最近の刑法改正で、死刑の罪名の削減が行われました(王雲海「中国の刑法改正と死刑制度の変更」法律時報83巻4号118頁、2011年4月)。その要点は以下の通りです。
 1.中国の1979年の刑法典では、死刑罪名は28個であったが、1997年の刑法典では68個に増加した。その特色は、殺人などの人身犯罪よりも、政治犯罪(国家安全危殆罪)や経済犯罪(経済秩序破壊罪)が多い点にあり、実際にも、殺人のほか、麻薬犯罪や横領収賄などの公務員犯罪に死刑が多く適用されている。
 2.2011年の刑法改正は、68個の死刑罪名を55個まで減少させたが、実際には死刑が外された罪はほとんど死刑の適用がなかったものであり、75歳以上の高齢者への死刑制限措置も含めて、形式的で名目的な改正にとどまる。
 3.それよりも、死刑の罪名の制限の反面として、非死刑犯罪の併合罪の刑が重くなり、2年の執行猶予つき死刑の猶予後の減軽が禁止されるなどの厳刑化傾向が見られる。
 以上の分析から、王教授は、本当に死刑制度を改善するためには、実質的な内容に踏み込むことが必要で、何よりも重要なのは、死刑判決数や執行数を隠すのをやめ、中国社会全体を死刑への固い迷信から解放することにあると結論されています。
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by nakayama_kenichi | 2011-04-10 09:09

都をどりの縁

 4月6日の午後、京都祇園甲部の歌舞練場で、京都伝統の「都をどり」を観劇する機会がありました。若い頃に見たことがあったのかもしれませんが、すでにその記憶はなく、この年になって初めての経験ということであれば、記念すべき日となったわけです。
 もちろん、「文楽」鑑賞の場合と同じように、自分の意思で選んだのではなく(そんな暇はまだないのが現状です)、幸いにも誘って下さる方が現れるという幸運にめぐまれましたので、そこにも、不思議なご縁があったということになります。
 それは、この「ブログ」にまつわるもので、いつか中国からの留学生について触れた際に、日本人の友人がいないという悩みがあると書きましたら、「ブログ」の読者の中からその友人になってもよいという日本人女性が現れ、その後、私を含めて親しく交流するようになりました。そして、その日本人女性がその親御さんのお付き合いの関係から、お茶屋さんを通じて「都をどり」の切符を入手して下さり、中国の留学生と私がその恩恵にあずかったというわけです。
 当日は天気もよく、会場の庭には桜の花も美しい色合いを添える中で、綺麗に着飾った可憐な舞妓さんからお茶とお菓子の接待を受けた後、会場に入って、本番の「都をどり」を鑑賞しました。観客は、遠来の観光客を含めて満員の盛況でした。
 当日の出し物は「春花京都名所尽(はるのはなみやこめいしょづくし)と題するもので、第1景の「置歌」(おきうた)から、第8景の「東山知恩院山桜」まで、背景が次々に素早く変化する中を、同じ衣装をまとった華やかで若い舞妓さん達が整然としたをどりを団体技として披露し、そして、少し年配の芸妓さん達が短い物語に沿って悠然としたをどりを個人技としてたっぷり披露するというバランスが、見事に展開されました。
 何よりも、近くで見る舞妓さんや芸妓さん達のあでやかな美しさは老人の目の良い保養になり、写真も撮りましたので披露します。
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                   お茶を入れる舞妓さん
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                    会場の庭の桜
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by nakayama_kenichi | 2011-04-07 10:30

異常気象と遅い桜

 3月11日の東日本大震災からもう3週間以上が過ぎましたが、その被害が途方もなく大きく広範囲に及んだために、いまだに行方不明者の確認すら終わる目処も立たず、被災者への支援にも多くの壁があり、まして災害の復興に着手することが困難な状態にあります。
 たしかに、地震だけの被害と比べますと、津波の被害は桁違いに大きく、その復興は容易なことではないことが予測されますが、その上に、福島原発の事故による放射能汚染の被害は、予想をはるかに越える規模と長期間に及ぶ影響が危惧されています。
 さらに、その上に、本来ならば、3月下旬ともなれば暖かい陽気にめぐまれるはずのものが、なぜか今年は4月になっても、まだ寒い日が多く、とくに朝晩の最低気温が著しく低いという状態が続いています。そして、このことがとくに東北地方の被災地の人々にとって、いっそうきびしい苦難を強いていることは明らかだと思われます。
 これは、明らかに異常気象といわざるを得ないのですが、それが当たり前のように報じられるだけで、とくにこの時期の日本付近の気象変化の歴年分析もあまり見当たらないように思われてなりません。気象予報のテレビ画面では、いつも決まったように、東北・北陸地方の部分に大きな「寒」気団が居座り、これがいつになったら消えるのかも不明です。
 因みに、昨年のブログを見ましたら、4月7日には近くの近江神宮の参道の桜並木の写真があり、4月10日には湖北の余呉湖の桜の開花まで記録されています。ところが、今年は、4月1日に見た琵琶湖大津館横の桜並木はまだ蕾が固く、4月2日に見た京都2条駅前の桜も開花したばかりという有様で、写真もとれない状態です。
 今年は春の到来が遅く、昨年と比べても異常なことは明らかです。まさか春が無くて夏になるとも思えませんが、少し長期の気象状況の見通しを出来るだけ早く示してもらいたいものです。
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by nakayama_kenichi | 2011-04-04 09:04