最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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2010年の大晦日

今年も、いつの間にか、最終日を迎えました。この年末・年始は天気が荒れ模様で、1年を通じての異常気象を象徴しているようです。政治も経済も荒れ模様で、来年の明るい展望も語り得ないような閉塞感が支配しています。
 昨年の大晦日には、政権交代による改革への期待感を表明していましたが、1年経過した今年の大晦日には、その限界が明らかになったばかりか、政権交代そのものの基盤も危うくなるという事態の変遷が見られます。前進どころか、停滞と混乱が続いて、よりどころを失い、解決の兆しも方向性も見えないという最悪の状態に陥っています。
 国政は、出直して、再出発するしかないというのが、今の率直な感想です。
 一方、司法界では、裁判員裁判でも死刑判決や無罪判決が出るなかで、「市民感覚」とは何かが問われるようになり、その功罪が見直される可能性がありますが、今年の秋以降に大きく表面化したのは、何といっても、大阪地検特捜部の「検察犯罪」の疑惑が発覚したことです。人事の刷新で終わることなく、どこまで「検察の民主化」が進むのかが、来年の課題となります。この点では、「証拠のかいざん」にとどまらず、「供述の誘導」を含む取調べの実態解明にまで改革が進むことを期待したいものです。
 そのためには、検察のみならず、第1次的な捜査の担当者である「警察」の取調べ方法の抜本的な改革(全面的可視化)が必要であり、さらに捜査段階の供述調書に長らく依存してきた「裁判官」の意識改革も必要なことを強調しておきたいと思います。
 私自身は、来年も健康に留意しつつ、研究生活を少しでも充実させるとともに、この「ブログ」も何とか継続して行けるように、努力したいと思います。この1年間付き合って頂いた読者の皆さんに感謝しつつ、2010年の終りとします。
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                雪の大晦日(かすむ比叡山)
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by nakayama_kenichi | 2010-12-31 09:52

恒例の年末研究会

 今年の年末も、12月25日(金)と26日(日)の両日、立命館大学(二条キャンパス)で、刑法読書会の年末集中研究会が開催されました。両日ともに、この冬一番の寒さだったにもかかわらず、今年も延べ約30名の会員が集まりました。私自身は、昨年と同様に、今年も二日目の1日だけしか参加できずに終わりましたが、それでも、若い研究者の方々と一緒に年末を締めくくる研究会に出られたのは幸いでした。
  「刑法読書会」のことは、このブログでもたびたび触れていますが、この機会に、かつて約30年前の書物(『梁山泊の人々』泉ハウス・刑法読書会20周年記念文集、1978年)の中から、創始者の佐伯千仭先生の文章(「刑法読書会ことはじめなど」)の中の一節を引用しておきたいと思います(前にも一度引用したことがあるような気もしますが、ご容赦を)。
  第1は、ものごとは、20年続いたら、一応「本物」だと考えてよく、それは、日本の軍国主義やヒットラーなどのファシズムが、一時は跳梁跋扈したものの20年以上は続かなかったという歴史的経過からもわかるといわれていたことです。そして、「願わくは、刑法読書会が、未来に対する適確な予測のもとに、会員ひとりひとりの研究心を刺激発揚させる共同研究の組織であり続けるように、そして、そのためには、会員のひとりひとりが、会を自分のために大いに利用するとともに、また他の会員の研究にも関心を持ち協力的であり―――それは必ず自分の研究を広げ深めることになる―――さらに会そのものの維持発展のために応分の犠牲を惜しまれないようにと、願っている」と結ばれています。
  第2は、その佐伯先生も、立命館を定年退職後は、弁護士に専念され、ことに70歳に達してから後は、老害を及ぼさぬよう、時おり、研究会をのぞかせてもらう程度であるといわれていた点です。そして、この点では、私の方が80歳を越えても、なお参加して老害を及ぼしているのが、気恥ずかしい次第です。
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by nakayama_kenichi | 2010-12-27 18:09

日野原さんの提案に賛成

 日野原重明さんが、毎週土曜日の朝日新聞に、「99歳・私の証 あるがまま行く」を連載されているのを欠かさず拝見していますが、まさに驚嘆すべき執筆活動として、その継続を祈念しているところです。
 ところで、先週の「2010年を振り返る」という文章(2010年12月18日)にも、注目すべき2つの提案が含まれていましたので、その趣旨を広めるために、このブログでも取り上げて、賛意を表したいと思います。
 1、「まず浮かぶのは、米軍の普天間基地移設問題です。多くの沖縄県民が、米軍の諸要求に反対しています。日本政府は10年先、すなわち日米安保条約改定60年の時には、基地を全面的に日本に返還させることをアメリカに再確認し、沖縄県民には、今の状況は向こう10年だけだと確約するべきです。そうすれば、県民の理解を得られるはずだと私は信じます。また将来、沖縄が日本の楽園になるよう、経済も教育も、また老人保健や介護の面でも最高の待遇を提供することを、政府が全国民と約束するべきです」。
 2.「外国との関係で言えば、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件も大きな問題になりました。この件については、日本は穏やかに見守るにとどめるのが賢明だと私は思います。このあたりの漁場は、日本の漁船の就業には余り利益にならないものかもしれません。先週のこの欄でも書きましたが、過去の戦争を踏まえて日本がするべきことは、植民地政策など領土拡張戦略への反省なのです。ロシアの北方領土をめぐる問題についても、同じことが言えるのではないでしょうか」。
 とくに、前者の点について、日本政府はアメリカの意向を沖縄に「甘受」させる方法にのみ腐心するのをやめて、むしろアメリカと折衝するという「対等の立場」を自覚し実践すべきでしょう。 
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by nakayama_kenichi | 2010-12-24 20:51

中国人留学生の来訪

 12月19日(日)に、中国から日本の京都大学に留学中の2人の女子学生が来訪し、半日を過ごす機会がありました。天気も良く、マンションで昼食後、近くのびわ湖大津館まで海岸を散歩し、日本語で歓談しました。2人とも9月に日本に来たばかりです。
 ひとりは、昨年10月に私が中国の南京大学を訪問した際に、明山陵などの名所を通訳として案内してくれた南京大学の卒業生で、これまでにも一度、京大のキャンパス内で会ったことがあります。江蘇省の蘇州市の出身で大都市に近い都会風の生粋の漢民族に属します。法学部の出身で、国際取引法に関心があるとのことです。
 もうひとりは、彼女の友人で、同じく南京大學の卒業生ですが、北方の吉林省の「琿春」(こんしゅん)という町の出身で、漢民族ではなく、朝鮮族に近い少数民族に属します。日本語が堪能で、国際経済方面で働きたいということです。
 ところで、この「琿春」という場所を図で描いてもらいましたら、実は中国と北朝鮮とロシアを結ぶ三角地帯に位置し、言葉も朝鮮語に近い方言で、街にはロシア人も多いと聞いて、驚きました。かつては、北朝鮮に入ることも自由で、貧しい状態がわかったとも話していました。
 後で、パソコンで検索してみましたら、「琿春」は、日本海から入港可能なロシアの港町に近く、地図には北朝鮮やロシアとの国境が至近距離として示されているほか、広い中国の最も東の端に位置し、日の出が一番早く、日の入りも一番早いところであるなど、興味ある情報が得られました。
 なお、彼女たち留学生にとって、最大の悩みは、日本人の友だちを作ることが難しい点にあるとのことですので、どうか外国からの留学生と付き合ってやってほしいと日本の大学生に要望したいものです。それが国際交流の具体的な第一歩だと思います。
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                  はじめて見るびわ湖畔で
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by nakayama_kenichi | 2010-12-21 14:25

検事総長の辞職

 大阪地検特捜部による郵便不正事件と、その後に発覚した証拠改ざん・犯人隠避事件を受けて、大林検事総長が年内に引責辞職する意向を固めたと報じられています(朝日新聞12月17日)。早くから辞職を求める声が政界などから出ていたようですが、事件の検証と再発防止策がほぼまとまったのを機に、検察の信頼を回復し、人心を一新する必要があると判断したものといわれています。
 私も、引責辞職は当然であり、むしろ遅すぎたと感じるものですが、しかし、今回の引責辞職の経過と理由には、納得し難いものがあります。
 第1は、検察の信頼を回復し、人心を一新するためという理由づけが、検察とその威信のことしか頭にないことをあらわしているという点です。検察の精鋭とその幹部が「犯罪」まで犯したという異常な事態は、関係者を処分しただけで回復できるものではなく、自らの監督責任を含む深刻な反省がまず必要なはずですが、この点が明言されていません。さらに重要なのは、検察の犯罪行為の被害者である事件の「冤罪者」に対しては一言の謝罪の言もないという点です。
 第2は、検察庁の内部検証は身内のものであり、これを受けた外部の有識者による「検察の在り方会議」の結論も方向づけも、いまだ明確なものとはいえない状態にあることです。それが真に「再発防止策」になるかどうかという点こそ、もっとも重要な問題であり、この点について、検事総長としての「改革の提言」が求められています。
 とくに重要なのは、捜査方法としての「取調べの可視化」の問題ですが、現場の取調官の本音は、全面的な可視化が「真実追求の執念に水をさす」ものだという確信(妄信)にあります(久保正行氏・元警視庁捜査1課長談話・朝日新聞12月8日)。この克服こそが真の課題です。
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by nakayama_kenichi | 2010-12-18 21:03

2010年の研究業績

 12月になりましたので、今年も私自身の研究業績を記録しておきます。年々、年をとって、まとまった研究論文を法律雑誌等に公表する機会が少なくなってきていますが、それでも今年は、以下のような研究業績を残すことができました。
 1.小野博士『日本法理の自覚的展開』の再検討(上)(中)(下)
                        判例時報2068号、2070号、2071号 4.5月
 2.飯田亘之「『安楽死の意図は患者の死亡、鎮静の意図は苦痛緩和』という
      二極分化的思考の問題点」(刑事法学の動き) 法律時報82巻7号 6月
 3.刑法と少年法の改正の流れ
                                 法学セミナー667号 7月
 4.(紹介)ペーター・タック(甲斐克則編訳)『オランダ医事刑法の展開』
                                 年報医事法学25号 7月
 5.新版『医療事故の刑事判例』(中山=甲斐編著)
                                  成文堂      8月
 6.医療事故刑事判例の動向
                        新版『医療事故の刑事判例』所収 8月
 7.(書評)今井輝幸著『韓国の国民参与裁判制度』
        ――裁判員裁判に与える示唆――    法律時報82巻11号 10月
 8.『刑法入門』第3版
                                 成文堂      10月
 以上のほか、この「ブログ」も、年末まで何とか1年間続けることができそうです。
   
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by nakayama_kenichi | 2010-12-16 19:52
 栃木県の「下野新聞」(12月9日)には、裁判員制度開始から1年間に県内で裁判員を経験した人に対するアンケートに答えた32名の中で、死刑に「賛成」が53・1%、「反対」が18・7%、「どちらともいえない」が28・1%という結果が出たと報じられています。
 これは、共同通信社が8月に実施した全国の有権者対象の世論調査で、「賛成」「どちらかといえば賛成」が75・9%だったのと比べると、2割以上の差があり、死刑に慎重な傾向が見られるとのコメントがついています。
 たしかに、死刑判決の言い渡しに直面する可能性のある人の方が、慎重な対応を示すことは十分に考えられますが、しかしそれでも約3割の人が「どちらともいえない」としており、今後もまだ判断が揺れる可能性が残されています。そして、最近の死刑事件に対する無罪判決(鹿児島地裁)は、死刑への慎重さをさらに進める方向に作用するでしょう。
 しかし、その前に、この種の世論調査の仕方に問題があります。実は、上述の二つの調査方法には違いがあり、共同通信社のように、「賛成」に「どちらかといえば賛成」を加えて『賛成』としてしまうのは、賛成の方向を先取りするおそれがある質問方法であり、むしろ下野新聞社のように、「賛成」か「反対」を聞いた上で、「どちらともいえない」慎重派の中から、さらに「どちらかといえば賛成か反対か」を「賛成」「反対」「保留」という選択肢で聞くというのが、もっとも公正な質問方法ではないかと思われます。
 そして、むしろ逆に、国連の死刑廃止条約を含む世界の動向を示したうえで、日本だけはどうしても廃止できないと思うかという形式で世論調査が行われてもよいのではないでしょうか。
 因みに、2009年末現在の世界の動向は、死刑廃止国が139(事実上の廃止を含む)、存置国が58で、2008年に実際に死刑を執行した僅か18カ国の中に日本が入っています。
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by nakayama_kenichi | 2010-12-14 08:58

瀧川ゼミ生の会

 毎年12月の第1日曜日と決めていました瀧川ゼミ生の会は、今年も2010年12月5日(日)に開催されましたが、昨年の約束通りに、今年は旧瀧川先生宅(山科日ノ岡ホッパラ町)を会場として行うという夢が実現しました。この旧瀧川邸は、築後すでに80年を越えてもなお昔の面影を残す由緒ある建物です(『京が残す 先賢の住まい』京都新聞社、1989年、所収)。
 今年は、11名から返信がありましたが、結局、当日の出席者は4名にとどまりました。しかし、当日は旧瀧川邸に直接関係のあるお孫さんご姉妹2人も参加され、接待もして下さいましたので、瀧川先生の写真の額も置かれている古い応接間は、なごやかな雰囲気に包まれました。当時からでも、もう60年近くなるのが不思議なくらいです。
  当日も、昔話に花が咲きましたが、今回は、富山から毎回参加の福島重雄氏が、あらかじめ以下のような「研究テーマ」を出してくれていたことを紹介しておきます。
  「責任能力者を無罪にし、責任能力者を死刑にしたのでは、人類は将来、責任無能力者だけの世界になりませんか」。(択一解答)1.現在の刑法理論上は、やむを得ない。2.責任能力者は遺伝的に優性であるから、その心配はない。3.その危険が近づけば、死刑を廃止すればよい」。
  欠席者の解答は、1.が多かったようですが、当日の議論では、2.の意味がはっきりしないことから質問の意味を問う意見もあり、結論がはっきりしないままに終わった感があります。私自身も、死刑の数が人口的に問題になるほど多くないので、質問の発想としては面白いけれども、選択肢としては必ずしも適当でなく、むしろ率直に死刑の存廃を問う方がよかったのではないかという感想を持ちました。
  あつかましいお願いとして、来年もまた、この旧瀧川先生宅でゼミ生の会を開かせて頂くことをお願いし、互いの健康を祈りつつ、再会を約して別れました。
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                    ホッパラ町の旧瀧川邸前で
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by nakayama_kenichi | 2010-12-11 08:55

旧制静岡高校のクラス会

 私は、1945年8月15日の終戦を清水高等商船学校(海軍予備役)在学中に迎え、戦後いったん復学したものの、1946年4月から旧制静岡高校に入学し、1949年3月まで3年間、文科1類に所属していました。卒業後すでに60年を越えましたが、2人の幹事の方のご努力で、その時の同窓生のクラス会が現在もまだ続いています。
 この前のブログでは、欠席の返事を出したと書きましたが、12月3日(金)の日弁連の会議に出ましたので、一泊して、12月4日(土)のクラス会に急遽出席することにしました。神田錦町の「学士会館」(東京大学跡地)に集まったのは11名でしたが、久しぶりなのと、お互いに年をとったこともあって、昔の面影はあっても名前がなかなか思い出せず、苦笑する場面もありました。
 幹事の方の現状報告では、昭和24年文1の卒業生は、総員46名でしたが、そのうち18名がすでに他界し、欠席者の多くは病気療養中で、結局は東京に比較的近いところに住む元気な者がほぼ毎年集まるという状態が続いているようです。名簿を見ますと、静岡が関東圏に入ることからも、卒業後は、東大に進学した者が一番多く、その他は京大を含めて少ないことが分かります。
 当日の感想としては、クラスメイトの多くがすでに仕事をやめて、ほとんど何もしなくなっていることを聞き、高齢化社会の中での生き方としては、いささか淋しい感じを受けました。私としては、何らかの形で仕事を続けて行くことの意義を訴えたのですが・・・。
 ただ、私の知らない小さな発見もありました。「ten to one」の意味はと聞かれて、10分の1かと思いましたが、これは、9分9厘、10中8,9、ほぼ間違いなしという意味だとのことで、帰宅後、字引で確かめました。なお、K君の夫人が描かれた「マーレライ」の実に美しい画集を全員が頂き、再会を約して別れました。
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             クラス会出席者11名(東京学士会館) 
 
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             加藤幸子のマーレライ作品集所収         
 
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by nakayama_kenichi | 2010-12-08 11:16

学会回顧

 毎年12月になりますと、法律学界でも1年間の研究業績の回顧が行われるのが恒例になっていますが、今年も、法律時報(1929年創刊の法律雑誌)の12月号が「2010年学会回顧」の特集号として出版されました。
 まず、400頁を越えるずっしりと重い分厚さに圧倒される思いがしますが、これはもう最近の傾向なので、特別に驚きません。しかし、それにしても、かつて私どもの現役時代(20-30年前)と比較しますと、年々分厚くなって行く外形的な変化には改めて目を見張るものがあります。
 その最大の原因は、大學や学部が増えて、教員も増加し、とくに若い研究者の手になる研究業績(論文、翻訳、紹介等)の数が増加しつつあるという点にあるといえるでしょう。応用や比較を含めた研究分野の広がりも相乗作用となっているものと思われます。
 たしかに、そのような量的な増加現象は歓迎すべきものといえるでしょうが、問題がないわけではありません。そのいくつの点を指摘しておきたいと思います。
 第1は、量の増加が質の低下をもたらしているのではないかという危惧です。これには、学部やロースクールでの教育と管理運営の比重が研究時間を圧迫するという最近の状況の中で、文科省が研究業績の「数」を評価の対象にしている点も影響を及ぼしていると推測されます。
 第2は、その結果として、比較法を含む基礎的な研究よりも、判例解説的な論文が多くなり、学界や実務界にインパクトを与えるような大胆な問題提起や問題意識そのものが育成されにくい環境が定着しつつあるように思われます。
 第3は、ロースクールと裁判員法が真の「司法改革」の展望を持ち得ないことが、法学研究の在り方にも影を落としているのではないかという点です。文科省と法務省に物申すというくらいの気概を大學と学界に期待したいものです。
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by nakayama_kenichi | 2010-12-05 08:42