最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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10月末の脱稿

 もう10月も終わろうとしています。早いものです。
 昨年の今頃は、中国の南京と武漢に10日間も出かけて、元気だったのですが、今年はあまり元気がなく、1年の差が次第に開いていくような感じがします。
 まず、体調の方ですが、これまでほとんど意識していなかった「血圧」が9月中頃から高いことが判明し、血圧降下剤で一応の安定状態にあるものの、これから寒い冬に向かってどうなるのかという不安感が残っています。そのほか、これまではほとんど引いたことがなかった風邪が長引いたり、歯が浮いて噛めなくなるなど、あちこちに不調が現れるのも、避けられない高齢化に伴う自然現象だと思われます。
 その結果、9月と10月は、これまでほとんど休むことがなかった研究会を欠席することが多くなったのは、一番淋しいことで、もうしばらくは出来るだけ出席しなければと反省しています。
 しかし、その反面、自宅で仕事をする時間が増えたため、集中力は落ちているものの、原稿を書く機会と分量はこれまでと余り変わらずに維持できているようです。そして、今年の懸案であった『概説刑法I』の書き直しの「新版」の原稿が、当初の予定よりも早く出来て、10月末に完成するという予想外の成果が得られました。いま、原稿を最初から読み直していますが、まとめて出版社に送付すれば、印刷の作業が始まり、来春には出版されることになるでしょう。
 この作業は、最初は少し手を入れるだけと思っていましたが、最終的には、かなり手を入れることになり、思い悩んだこともあって、良い勉強になりました。しかし、引き続き『概説刑法II』が待っていますので、来年も休むわけにはいかないようです。ブログも休めませんので、当分はまだ忙しく、お誘いにお付き合いするほかは、自分から「余生を楽しむ」暇はなさそうです。
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         秋雨に濡れたばらの花(びわ湖大津館の庭園)   
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by nakayama_kenichi | 2010-10-30 08:59

検察改革の真の焦点

 郵便不正事件にからむ大阪地検特捜部の不祥事を機に、柳田法相が設置した「検察の在り方検討会議」の座長に、千葉前法相が就任することが決まりました。この検討会議は「第三者」による法相の私的諮問機関ですが、第三者性が確保されるかどうか、人選を含めてまだ定かではないといわれています(朝日新聞10月23日)。
 しかし、たとえその検討結果が特捜部を含む検察組織の改変を決めたとしても、それで今回のような検察の不祥事の再発が防げるという保障は、残念ながらありません。問題は、組織いじりのレベルを超えたもので、むしろ「手づかずの別個の問題」があるからです。
 それは、検察(警察)による「捜査手法」の問題です。今回の事件でも、「誘導」などの理由で裁判で不採用になった34通もの「虚偽の供述調書」を作成した検察官の責任は問われないままになっています。また、取調べメモも破棄されていますが、何とこれは最高検の指示にしたがったものであることが判明してきています(朝日新聞10月26日)。それは、最高検を頂点とした組織的な証拠の偽造と隠匿が支配していることを意味します。この点にこそメスを入れなければ、検察改革はまた名のみとなるでしょう。
 今こそ、捜査過程の全面的な「可視化」と証拠の全面開示に向けた一歩を踏み出す最大のチャンスであり、それが数々の「誤判・冤罪事件」から学ぶべき教訓として、国民の信頼を回復する道であることを自覚すべきときだと思います。
 ところが実際には、大阪地検の検事正の後任に就いた北村氏は、今回の不祥事について、「最高検の検証結果を待ちたい」と述べるにとどまり、「基本に忠実な捜査で信頼を回復したい」と語ったといわれるその記事のすぐ隣に、「取調べ 薄れぬ恐怖」と題して、大阪府警が椅子を蹴って威嚇し、録音を知って態度が一変したという体験記事が掲載されているのは、何とも皮肉というほかありません(朝日新聞10月27日)。「基本に忠実な捜査」とは何なのでしょうか。
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by nakayama_kenichi | 2010-10-27 09:00
 ところが、最高裁第3小法廷の多数意見は、そのような間接事実による有罪の認定には、審理不尽の違法と事実誤認の疑いがあるとしましたが、その理由は以下の2点に要約されます。
 第1に、原審が、本件灰皿内に遺留されていたたばこの吸殻に付着していた唾液中の細胞のDNAが被告人のそれと一致したという点から、被告人が本件事件当日に同マンションに赴いた事実を強く推認できるとした点については、被告人が1審段階から、自分が息子夫婦に自分が使用していた携帯灰皿を渡したことがあり、息子の妻がそれを本件灰皿に捨てた可能性があると具体的に反論をしているのに、この点に関する審理が尽くされていない。
 第2に、仮に被告人が事件当日に本件マンションに赴いた事実が認められたとしても、その他の間接事実を加えることによって、「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在する」とまでいえるかには疑問がある。被告人の動機などを含めて、その他の指摘されている間接事実ではその論証ができていない。
 この判決には、3名の補足意見と1名の反対意見がついており、多数意見形成の過程が極めて詳細に論述されていますので、別途のくわしい検討を要しますが、ここでは最高裁が、間接事実による「合理的な疑いのない証明」の内容と程度に関して、「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在する」ことを要するとした点に注目する必要があります。それは、「被告人が犯人であるとしたならば全てが矛盾なく説明できる」という「総合評価論」を完全に否定しただけではなく、むしろ犯人であることを積極的に推認させる事実を要求した点で、「画期的な判決」として、内外に広めて行く必要があることを痛感しました。この事件の今後の審理の帰趨が注目されます。
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by nakayama_kenichi | 2010-10-24 09:31
 10月16日(土)の午後、大阪で月例の「刑事訴訟法研究会」が開かれ、大阪の石川弁護士が、「最高裁平成22年4月27日判決について」報告されました。この事件は、大阪の母子殺人事件(平成14年発生)として著名なもので、当時44歳の被告人が、息子(養子)の妻(当時28歳)およびその長男(当時1歳10月)を、息子宅であるマンションの室内で殺害し、その後、同室内で放火したとして起訴された事案です。
 第1審の大阪地裁は、被告人の犯人性を推認させる間接事実が相互に関連し合ってその信用性を補強し合い推認力を高めているとして、有罪とし、無期懲役に処しましたが(平成17年8月3日)、控訴審である大阪高裁は、検察官の控訴に理由があるとして、死刑判決を言い渡しました(平成18年12月15日)。
 しかし、上告審である最高裁は、事実誤認の主張にまで踏み込んだ職権による調査を行い、第3小法廷は、結論として、死刑決を破棄し、審理不尽の違法と事実誤認の疑いがあるとして、大阪地裁に差し戻すという逆転の判断を下したのです(4:1)。
 本件では、被告人と犯行を結びつける直接証拠がなく、被告人も捜査段階から一貫して、そもそも息子宅の所在も知らず現場に行ったこともないと否認していたため、「情況証拠」(間接事実)から被告人を犯人と認定できるかが最大の焦点になっていました。
  第1審判決は、いくつかの間接事実のうち、被告人のDNA型と一致する型をもつ細胞の付着したたばこの吸殻が現場マンションの階段にある灰皿内から発見されたという事実が、本件当日に被告人が同マンションに赴いた事実を推認させる中心的な根拠になるとしていました。そしてこの灰皿には、被害者が吸っていたのと同一の銘柄のものがあったことも、間接事実に加えられていました。控訴審判決は、1審が認めた被告人の自白調書の任意性を否定したものの、1審の事実認定はそのまま認め上で、刑を加重して死刑にしたのです(続)。
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by nakayama_kenichi | 2010-10-23 11:34
 今年5月17日のブログで、近くの山手にある桐畑古墳群を見学しました際に、大きな岩の洞窟の中に、志賀岩屋不動明王が安置されていたことを紹介したことがあります。
 10月17日(日)は、そこで年中行事の護摩焚き供養の催しがあるとのことで、また入居者のK氏に案内してもらって見学に行きました。これは、志賀山不動会が主催して、毎年10月に営まれる伝統的な行事で、正式には「志賀岩屋不動尊の採燈大護摩供奉修」と名づけられています。当日は天気もよく、近在からも、あるいは遠方からも多くの参詣者、見学者が集まり、行事の開始を待ちました。
 会場となる小さな広場には、祭壇が設けられて、お神酒や供え物が飾られていましたが、中央にあって緑の葉に覆われた大きな四角の設備が目を惹きました。これが護摩焚きの場所だったのです。近くの三井寺から執事も参加する風格ある行事と聞きました。
 やがて、山伏姿の伝統的な服装をした一団があらわれ、法螺貝の音が開会を告げ、一連の伝統的な儀式が始まりました。入場しようとする山伏が、会場への入口の辺りで、門衛の山伏と問答を繰り返す様子も、なかなかのものでした。質問者は扇子に書かれた質問を読み上げるので、これは簡単ですが、答える入場者の方は、空暗記した台詞をかなり長く語らねばなりません。これが終わると、山伏全員による般若心経の読経が始まり、その間に、上述の四角の設備に対して、多くの儀礼が奉納された後、最後に火が放たれます。
 これからが護摩焚きの行事で、火がくすぶり始めて煙を出し始めて、これが次第に大きくなり、重い緑の葉を焼いて、炎が出始めると、奉納されたゴマ木が全部投げ入れられて、全部が焼け落ちるまで作業が続いたのです。見学者にまでお供え物が振舞われるという丁寧さに恐縮し、来年もまた見にきたいなと思いつつ下山しました。
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by nakayama_kenichi | 2010-10-19 10:40

著書の誤字・脱字

 最近、文芸春秋社から刊行された法律関係以外の珍しい書物を、面識のない著者から送って頂いたのですが、1ヶ月も経たないうちに、引き続いて、本書の「正誤表」が送られてきました。その中には、たとえば「○○ページ下段○○行目」について、「(誤)○○→(正)○○」といった具合に、全部で10箇所くらいの訂正を記した文書が入っていました。これらの箇所を、手持ちの本と照合して訂正して下さいというわけです。
 これは、丁寧で良心的な方法ですが、どんなに慎重に目配りをしても、誤字や脱字がどうしても避けられないのが現実であることは、私自身も本の著者の1人として認めざるをえません。
  最近は、パソコンで執筆するものが多く、同じ発音の別の漢字を入れてしまい、意味不明というようなケースがあるのは論外ですが、細かい誤字や脱字については、よく似た文字があり、句読点の打ち方を含めて、著者自身が読み直しており、編集部の校正係りの点検をパスしたにもかかわらず、仔細に見れば間違っている場合も稀ではないというのも不思議な現象です。
  今回、その著しい例を、私自身の著書について、再確認する機会がありました。それは、毎年度、私の『口述刑法各論』を教材として講義して下さっている東京のある大学の刑法の先生ご自身が、その著著の誤字・脱字を含む不正確な記述の部分を徹底的にマークして、ほとんど全頁にわたって、疑問箇所に「付箋」を付ける作業をなさっていることが判明したからです。
  過日、上京した折に、出版社(成文堂)の人とともに、この方に面会して事情をお聞きする機会がありました。こんな面倒な仕事を、特にご依頼したわけでもないのに、むしろ進んでやって下さったご厚意とご苦労には、ただ感謝のほかはありません。本は読者のためにあるものですが、多くの人々の協力によって、できるだけ正確なものを提供したいという気持を新たにしました。同時に、誤字・脱字を指摘してくれる読者にも感謝します。
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by nakayama_kenichi | 2010-10-17 09:37

90歳老夫婦との奇縁

 このマンションに引っ越してから、もう2年以上を経過し、正月も2度、暑い夏も2度経験しました。15階から見えるびわ湖の眺望は抜群で、それが最大の魅力になっています。2LDKの個室は、狭い空間ですが、1人住まいには十分で、窓を閉めれば、波や風の音さえ聞えず、これ以上書物が増えなければ、研究や生活にとって十分なスペースとなっています。
 150室の居住者とは、ホールの談話室や食堂や浴場やホビールームなどで交流ができるのですが、不思議なことに、入居して間もなくの頃から、90歳の老夫婦と親しくなり、朝晩の食事の際には、必ずといってよいほど、同じテーブルで食事をし、その後、歩行器を押す老婦人に付き添って一緒にマンションの廊下を散歩するというのが、いつの間にか日課として確立し、もう1年半くらい続いています。このブログでも「一日一善」と書きましたが、「毎日毎善」としてほとんど休みなく続いています。散歩の間は、ご主人は先に部屋に帰って、2人が帰るときに出迎えられるという奇妙な関係が、もう定着してしまいました。
 ご主人の方がお元気ですが、心臓と膀胱に病気を持ちながらも、90歳でまだ自家用車を運転して、買い物のほか、京都や野洲のお宅にも出かけられるというのも、驚きです(ただし、私としては心配していますが)。奥様の方が、少し体力が弱く、とくに足がご不自由なので、歩行器によるリハビリが欠かせない状況にあります。しかし、ご両人とも食欲は十分にあり、食堂での会食の前後に、多くの方々に笑顔を振りまいて、人気の的となっておられるのも、嬉しい限りです。とくに奥様の方は、若い頃から化粧をいっさいしたことがないといわれ、ピンクの頬にはシミも見られないという天然美人の姿が残っています。
 この老夫婦との日常的な奇縁が一日も長く続くことを期待し、いつもまた食堂で会いましょうという約束を今後も続けたいものです。
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by nakayama_kenichi | 2010-10-13 21:26

最高検の捜査の可視化

 最高検察庁は、大阪地検特捜部の主任検事による証拠改ざんのほか、その2人の上司による犯人隠避容疑についても、いち早く逮捕に踏み切りましたが、いまだ捜査は継続中で、その帰趨ははっきりしない状態が続いています。
 証拠を改ざんした前田容疑者については、容疑を認めているので、11日に起訴する方針が決まったとのことですが、しかし2人の上司は、いずれも、前田容疑者から過失による改ざんの報告を受けたと主張して、犯人隠避の容疑を全面的に否認していると報じられています。最高検の捜査が「筋書き」通りに進むのかどうかが問題ですが、最高検の責任も含めて、その捜査方法じたいの全容解明と説明責任こそが求められているというべきでしょう。
 もしもこのままで、最高検が前田容疑者のほか2人の上司も起訴するとしますと、裁判所は、容疑を否認している特捜部の前部長と副部長の供述を信用するか、それとも捜査機関である最高検察庁の主張から彼らの供述を信用できないとするか、きわめて微妙な判断を迫られることになります。否認が続けば、審理は最高裁までもつれる可能性もあります。
 また、前田容疑者だけを起訴し、他の2人を起訴しないとすれば、前田容疑者の供述と一致しないという矛盾が生じ、最高検の「勇み足」が非難されることにもなるでしょう。
 このジレンマを断ち切るためには、最高検は、責任をとって、この事件の捜査から手を引くか、あるいはこの際一挙にこの捜査から「取調べの可視化」に踏み切るべきだと思うのですが、最高検は弁護人による可視化の申し入れに応じないとしていますので(10月7日朝日夕刊)、この事件の処理は泥沼化することになりかねません。
 なお、柳田法相が、この機に及んでもなお、最高検の捜査を見守るといい、捜査の「可視化」にも明確な立場を示していないというのも、消極的に過ぎると思われるのです。
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by nakayama_kenichi | 2010-10-10 20:23

金沢時代の回想

 私は、1992年から1998年までの6年間、金沢にある北陸大学法学部に在籍したことがあります。毎週木曜日の早朝、サンダーバードで金沢に出かけ、1泊して金曜の夜にはサンダーバードで京都に帰るという変則的な形態でしたが、1998年に70歳で定年退職するまで、毎週の講義も自由で楽しく、学生や教職員を含む多くの人々と交流しました。
 その中でも、当時法学部の学生であったH君とは、いまでも親交が続いており、去る9月26日の午後、当時の若手教員で現在は関西の大學に奉職しているB氏とともに、拙宅を訪れてくれ、懇談する機会がありました。北陸大學の現状やかつてのスタフの消息などを尋ねているうちに、金沢で過ごした当時が懐かしくなり、その後長らくご無沙汰している金沢に一度行ってみたいと思うようになりました。諸般の事情から、法学部の多くの若手教員が他の大学に再就職しましたので、できれば、OB会を来春にでも開くことができればという話にまでなりました。
 私は、北陸大學に在籍中も研究生活を続行しており、何冊かの著書を出版していますが、その中でも、北陸大學の学生を念頭において、刑法のやさしい入門書を書くことを計画し、それが『刑法入門』(初版1994年、成文堂)として出版されています。その初版の「あとがき」に以下の記述があります。「なお、本書の初稿段階で、北陸大学法学部の1・2年生の数名の学生諸君に通読してもらい、感想と質問を聞き、理解困難な点についての指摘などを参考にして、必要な補正を加えた。これらの学生諸君の協力に感謝する」。
  そして、上記のH君はその学生諸君の中の世話役であったわけです。間もなく、『刑法入門』の「第3版」が刊行される予定になっていることも、金沢の北陸大學在籍時代を偲ぶ一つの契機として、H君達とともにその喜びを分かち合いたいと思っています。(「第3版」は10月20日付けとなっており、私は10月8日に現物を入手しました)。
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by nakayama_kenichi | 2010-10-07 20:47

時期遅れの彼岸花

 長い夏の猛暑のため、あまり外出できませんでしたが、さすがに涼しくなって、近くを散歩することが出来るようになりました。びわ湖大津館の庭園を見に行きましたが、まだ綺麗な花がなく、あきらめて引き返した帰り道のマンションの近くを流れる小川のほとりで、ひそかに咲いている赤い「彼岸花」を見つけました。小川の畦道を辿って行くと、あちこちに咲いていましたので、何枚かの写真を撮って、帰宅しました。もう10月に入り、今年はとっくに9月のお彼岸の日が過ぎているので、時期遅れの彼岸花ということになります。
 「彼岸花」とは、ヒガンバナ科の多年草で、中国から稲作用の土とともに運ばれてきたもので、毒性を含んでいるため、野ねずみや虫よけのために、田んぼや畦道に植えられたという由来が記録されています。そういわれれば、子供のとき、田舎の田んぼやあぜ道によく見かけたことを思い出します。
 一見、可憐な花に見えるのですが、墓地などの薄暗い湿地にもよく見かけるところからも、むしろ冷たく不吉な印象をあらわす「しにびとばな」「じごくばな」「ゆうれいばな」「きつねばな」「かみそりばな」などといった別名がつけられているのは、彼岸花にとって気の毒な感じがします。
 一方、彼岸花は、「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)とも呼ばれますが、これは仏典に由来するもので、白く柔らかな花が吉兆を予言するかのように地上に舞い降りて来る「天上の花」を意味します。これは彼岸花の華美でロマンチックな側面あらわしています。そして、現に白い彼岸花も存在し、全国的に、彼岸花の群生地として知られる有名な観光スポットが多く紹介されています。滋賀県にも高島市の周辺に群生地があるとのことです。
 この「妖しい花」といわれる「彼岸花」に、新しい興味を持ちました。また来年も再会したいと思います。
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             小川のほとりの「彼岸花」 
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by nakayama_kenichi | 2010-10-04 10:49