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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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8月の終り

 8月も終り、明日から9月になりますが、残暑どころか、猛暑がまだ続いていて、秋の気配が全く感じられません。どこかおかしいなと思いつつ、しかし、いつものように、今年の8月を総括しておくことにします。
  8月末は「夏休み」の終りというのが昔からの慣わしですが、実は、かつて私どもがまだ現役であった頃の大学では、7月10日頃から9月10日頃まで、約2ヶ月間も「夏休み」だったのです。もっとも、その間は講義の義務がないだけで、「休暇」ではなく、研究活動の「かきいれどき」で、むしろ毎日忙しかったのですが・・・・。
 昨年の8月は、民主党が衆院選で大勝して念願の「政権交代」を果たした時期で、それなりの期待も大きかったのですが、民主党は今年7月の参院選で敗北し、ねじれ国会になったばかりか、9月の代表選で内部抗争が顕在化するおそれがあるなど、政局も経済も、異常気象を含めて、先の見えない不安定要因をかかえています。
 ところで、この8月の私自身の仕事(研究活動)としては、最も重点を置いてた『新版・概説刑法Ⅰ』の原稿をパソコンで書き直して行く作業が、かなり進捗して、「未遂犯論」の前まで進み、今年中に脱稿して来春刊行という可能性が出てきたことが最大の収穫でした。その他の論文の執筆はあまり進みませんでしたが、問題関心を失わないように、できるだけ専門よりも少し広い文献を読み、それを「ブログ」にも反映させるように心がけています。
 この「ブログ」も5年を越えましたが、何とか続いており、8月は平均よりも多くなりました。年は争えませんが、健康に留意しつつ、無理をせず、何とか継続して行きたいと念願しています。コメントして頂く方々に対してはもちろん、少しでも関心をもって読んで頂いている方々にも感謝しつつ、残暑(酷暑)見舞いを送ります。
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by nakayama_kenichi | 2010-08-31 13:55

第三者機関の重要性

  ここで「第三者機関」とは、たとえば制度や法案を作成し、それを実施して行く主体(国家機関)からは独立した「第三者」で構成される機関や委員会のことを指します。
  たとえば、再審まで行って、ようやく誤判・冤罪事件であることが判明した「足利事件」について、警察庁と検察庁が内部調査をし、とくに捜査活動について一定の反省と今後の再発防止策を含む報告書を出しましたが、これらは実施主体である警察庁や検察庁の内部で行われたもので、外部の批判にさらされていないという点に、本質的な限界があります。肝心の再発防止策についても、ポリグラフ検査の精度の向上や上級庁による指導の充実・強化を唱えるのみで、虚偽自白を誘発する危険のある「取調べの全面可視化」への提言は全く見られません。
  この点で、参考になるのが、最近の法律雑誌で紹介されている『イギリスの刑事事件再審委員会』の制度です(福島至「第三者機関の意義」法学セミナー2010年9月号所収)。この委員会は、1997年に「独立した公的機関」として設けられ、誤判救済のための業務として、誤判の被害を受けたと考える人の申立てを受けて、確定有罪判決を再審理のため控訴院に付託する権限を有し、現に毎年1000件弱の申立てがあり、その4%ほどが控訴院の審理に付され、約70%が有罪判決を破棄されたといわれています。
 福島教授は、イギリスの経験を学び、日本でも、再審請求援助のための公的な「第三者機関」を設ける必要があるといわれていますが、その真意が千葉法務大臣に伝わる保障は、残念ながら乏しいといわざるを得ません。日本ではまだ、制度や法案の作成過程やその事後評価を含めて、「官僚主導型」が定着し、外部からの批判的意見に極めて警戒的な体質が浸み込んでおり、これに風穴を開けることは容易ではなさそうです。千葉法相が構想する「死刑制度に関する勉強会」も、法務行政から独立した「第三者機関」とはとてもなり得ないように思われるのです。
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by nakayama_kenichi | 2010-08-29 14:15

小児渡航移植

 大人の脳死移植が改正法のもとで3例目に達したという状況のもとで、小児の臓器移植について考えさせられる文献が目につきましたので、その趣旨を紹介しておきます(今井竜也「小児脳死移植の実施と渡航移植」『医事法学』25号所収)。
  これまでのの臓器移植法では、15歳未満の小児については、本人の提供意思が要件となっていましたので、臓器の提供による移植は不可能だったのですが、2009年の改正臓器移植法では、家族の意思だけで可能になりましたので、国内における小児の臓器移植も法的には可能になりました。
 これまでは、とくに心臓や肺の移植を必要とする小児患者は、外国に渡航して移植の機会を求めるという方法が常態化し、そして現に多くの実例が報道されてきました。それは、一方では、子供の命を救う美談としても語られましたが、他方では、臓器売買につながる、渡航国内の移植の機会をうばう、渡航費用の点で富裕層に限られるといった批判も受けてきたのです。
 そして、現に、2008年には、国際移植学会が「臓器売買や移植ツーリズムの禁止」を打ち出しましたので、渡航移植は自粛を迫られる状況にあります。では、小児にも国内移植の可能性が早急に開ける可能性があるかというと、ドナーとなる児童の虐待を見抜けるか、同意する親は十分に納得できるか、1ヶ月以上の「長期脳死」の判定は可能かといった困難な問題があり、決して楽観できません。
 それでは、海外渡航という選択肢は今後も残ることになるというジレンマに立たされます。しかし、これを認めざるを得ないとしても、これまでのように、受け入れ国の裁量や善意に一方的に甘えることなく、渡航移植の弊害を克服するため、受け入れ国の国民の目に見える形で利益を還元する(相手国の移植費用に使うなど)システムのあり方を考えていくべきでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2010-08-26 11:27

医療事故の刑事判例

 これは、最近ようやく出版された、私も編者の1人である書物の名称で、正式には、中山研一=甲斐克則編著『新版 医療事故の刑事判例』(2010年8月、成文堂)という著書です。本来ならば、もっと早く出版される予定でしたが、諸般の事情でかなり遅れて、ようやく完成したというものです。
 この本の初版は、すでに18年も前に、泉正夫=中山研一編『医療事故の刑事判例』(1983年、成文堂)として出版され、10年後の1993年には第2版(改訂版)も出ていたのですが、そのままになっていたものを、今回掘り起こし、その内容を全面的に見直し、一新する目的で企画されたものです。
  私自身も、すでに定年後の後期高齢者ですが、今回は、編者として、亡くなられた泉正夫博士に代わって、この分野では今や文字通り第1線で活躍中の甲斐克則さん(早稲田大学法科大学院教授)の全面的な協力を得ることができました。各項目を分担して頂いた執筆者の皆さんに対して、そしてとくに、これらを全体的にまとめる役割を果たして下さった甲斐教授に対して、心から感謝の意を表します。
  本書は、すでに早い段階から、とくに泉正夫博士(1920年生まれ、阪大法医助手、京大大學院で刑事訴訟法を研究、内科医、1997年没)の強い信念と情熱に支えられて誕生したものであるという経緯からも、私にとって印象深いものがあります。そして、本書が埋もれることなく、新版としてよみがえったことは、何よりも泉博士の学恩に報いる道であり、同時に私自身の研究にも継続性をもたせることができた点でも、意義深いものがあると実感しています。
 本書が、医療事故にかかわる刑事判例の分析を通じて、医療事故に対する刑事責任のあり方と、とくにその限界を明らかにする視点を提供することができれば、幸いです。
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韓国の国花(ムクゲ) 韓国に行った人から受信しました
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by nakayama_kenichi | 2010-08-23 13:24

見えぬドナー意思

 改正臓器移植法のもとで、ドナー本人の提供意思が不明な場合でも、家族の意思だけで可能となった「脳死移植」が2例行われました(8月9日と19日)。1例目はまだ、生前に本人が提供意思を口頭で家族に伝えていたといわれていましたが、2例目は書面だけでなく口頭でも提供の意思を示していなかったドナーからの移植として、はじめてのケースです。
 この1例目と2例目には、「ドナーの提供意思」の取扱いについて、重要な相違があることに注意しなければなりません。最近の改正法によって、本人の意思が不明な場合でも家族が承諾すれば脳死移植が可能となりましたが、実際には「本人の意思の尊重」が前提となっていますので、今回の2例目でも、本人による拒否の意思がなかったこと確認したといわれており、将来は運転免許証などに「拒否の意思」の記載欄を設けることも考えられているとのことです。しかし、これは「提供意思カード」以上に実現困難でしょう。
 むしろ問題は、本人の意思という判断材料なしで、家族が決断を迫られるという場面が現実に生じたという事実です。2例目では、脳死判定の後、主治医が臓器移植の制度について説明し、家族は同居の両親を含む家族の総意で提供の決断をしたとのことです。
 しかし、そこには問題があり、臓器移植の「透明性」を確保するためには、「改正法の下では、脳死状態になったら、家族に対し、臓器提供の選択肢があることが、医師から示されることになっているが、どの時点でどんなふうに家族に告げられたのか」を明らにする必要があるからです(朝日新聞8月11日社説)。1例目でも、説明の時期や内容の詳細は家族の意向で公表されなかったのですが、2例目でもブラックボックスになるおそれがあります。ドナーの意思だけでなく、家族の意思も見えなくなっていくおそれを警戒しなければならないでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2010-08-21 08:44

山つつじ(2)

 赤崎翁の作詞にかかる「山つつじ」の漢詩について、著者自身が付けられた「口語訳」の部分も紹介しておきます。
    起句    青山    早春    紫白鮮
         せいざんの  そうしゅん  しはくあざやかなり
       我が故郷の早春山つつじが咲き始めると里人達は  
       今年は少し遅い春がやってきた感がいたします。
    承句    異変    天候    咲 悠然
         いへんの   てんこうに  ゆうぜんとさく
       今年は二十数年目の天候不順ですが、それには負
       けることなく、平然と咲く姿に驚いて居ります。
    転句    世々    人々    明鏡裏
         よよの   ひとびとに   めいきょうのうら
       現下の世の中は騒然として居ります。鏡は心の姿
       と申しますが、表面だけで成り立って居りません。
       裏方の支えが有って成り立つものです。皆々様、今
       一度再考して見て下さい。
    結句    無情    美観    向 誰 伝
         むじょうの  びかん  だれにむかってつたえん
       無情とは、自然界を指す。友情とは、人間界を指す。
       無情の世界は美しい姿で人間界を楽しませてくれます。
       未来に亘り、生かすも殺すも我々人間の使命では有りませんか。
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by nakayama_kenichi | 2010-08-19 10:24

山つつじ(1)

 過日、若狭でお会いした94歳の元気な老人から「山つつじ」と題する漢詩と、その山つつじの写真を頂きました。ご自身の紹介では、この「山つつじ」は「里小町」と命名されており、「表記の山つつじは、平成22年4月7日、竜前集落より少し離れた日当たりの良い処に、色彩の変わった感じの花が咲いており、さっそく若狭町のカメラマンの長谷さんに依頼して撮影してもらったものです」と書いて、その「山つつじ」の写真が、漢詩に添付されていました。
      題      山つつじ           七言絶句 韻 鮮、然、伝 下平声 一、先
                                      作詞    赤崎 固山
     起句       青山   早春   紫白鮮
            せいざんの そうしゅん しはくあざやかなり

     承句       異変   天候   咲二 悠然一
             いへんの てんこうに  ゆうぜんとさく

     転句       世々   人々    明鏡裏
              よよの   ひとびとに  めいきょうのうら

     結句       無情    美観    向> 誰二 伝
             むじょうの  びかん   だれにむかってつたえん

     平成二十二年 五月吉日
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        写真がうまく転写できませでした
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by nakayama_kenichi | 2010-08-18 13:31
 過日、墓参りで田舎に帰京しました折に、古文書を多く持っておられる方から、明治26年(1893年)に発行された、当時の尋常小学校の「日本修身書」のコピーを頂きました。この本は、明治26年9月18日文部省検定済、渡邊政吉著『実験・日本修身書、巻一、尋常小学生徒用』東京金港堂の出版物です。
 第1課(父母の恩)から始まって、第20課(忍耐)に至るまで、毛筆の大きなひらがな書きで、各課の最初には、繊細な挿絵が描かれています。内容的には、父母の恩と孝養から、兄弟、朋友と続き、あとは一般的な処世訓となっています。天皇の恩や臣民の義務という項目は見当たりません。以下、そのなかのいくつかをそのまま引用しておきます。
 「言(コトバ)をつつしまざれば、わざわいをひきおこすことあり。勇作が、きゃくの心をそこなひたるをみても、これをしるべし。わざわいは、口よりおこる」(第8課 言語)
 「あらそわざるは、人にまじわるのみちなり。徳太郎は、おこないただしくして、人とあらそひたることなかりければ、つひに人にうやまわれたり」(第11課 温和)
 「板倉重昌は、けらいのために、たいせつなゆみををられたれども、すこしもいからず、かえりてその人をなぐさめたり。かんにんの、なるかんにんは、たれもする、ならぬなんにん、するがかんにん」(第11課 弘量)
 「宇右衛門夫婦は、いふくたはたをうり、うえたる人をたすけ、またそのむすめも、いふくをぬぎて、こご江たる人にあたえたり。己あたたかなりとも、人のさむさをおもふべし」(第17課仁慈)。
 「むかし小野道風といへる人あり、かはづの、やなぎの江だにとびつきたるをみて、しんぼうのたいせつなることをさとり、てならいをはげみて、なだかきてかきとなりたり。おこたらざれば、なにごともなる」(第20課 忍耐)。以下、略。
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by nakayama_kenichi | 2010-08-16 13:02

宮沢浩一さんを偲ぶ

 古くからの友人である宮沢浩一さん(慶応大学名誉教授)が亡くなりました。7月23日に死去されていたのですが、公表されないままで、ようやく8月10日の新聞の死亡欄で発見しました。朝日新聞には、以下のように書かれていました。
 「宮沢浩一さん(みやざわ・こういち=慶応大学名誉教授) 7月23日に死去。80歳。葬儀は親族で営まれた。法制審議会委員や日本被害者学会理事長などを務め、犯罪被害者や刑事政策に関する著作が多い。ピアニストの宮沢明子さんは実妹」。
 宮沢さんと最初にお会いしたのは、昭和35年(1960年)頃だと思いますが、最初は学会で挨拶するくらいだったのが、昭和生まれの同世代ということで、藤木英雄(東大)、西原春夫(早大)、宮沢浩一(慶大)の3氏と一緒に、出版社の成文堂で落ち合って、学会のことや研究や出版のことなどを相談し議論しあったことを思い出します。年末の研究会の後などには、12月31日の夕方に仕事が終わってから、4人とも年賀状をかばんから取り出すといった懐かしい一幕もありました。
 4人のうち、一番若い藤木さんが45歳の若さで亡くなったのは、何としても残念ですが、今度は次に若かった宮沢さんが80歳で亡くなり、互いに切磋琢磨して、われわれの世代を切り開こうと努力してきた友人をまた1人失うことは、本当に淋しいことです。
  宮沢さんの印象は、体格のよい上品な紳士で、学問的な姿勢にはきびしいものがあり、とくにドイツ語がずば抜けて堪能な、犯罪学や刑事政策の分野での若いホープとして、活躍が期待されていたのです。一本筋の通った使命感のある学者として、常に一目おかれた存在だったと思います。宮沢明子さんのピアノは聴いたことがありませんが、そこに共通するスケールと風格を感じ取ることができるように思われます。宮沢さん、さようなら。
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by nakayama_kenichi | 2010-08-13 08:45

小浜の明通寺と神宮寺

 8月6日から8日にかけて、余呉の中山の実家と若狭の乾長昭一家の墓参りをしてきました。猛暑の季節でしたが、流石に田舎は少し凌ぎやすく、無事今年のつとめを終えました。余呉では、故郷の味を満喫しましたが、畑の野菜や果物を猿や猪が荒らしに来ると聞いて驚きました。坂口の「余呉小劇場弥吉」のほか、木之本地蔵尊を久しぶりに観ました。
 若狭では、乾長昭氏の写真を掲げて集まったかつての門人たちの子孫の方々十数人に面会して、「百勿訓」の話などをして懇談しましたが、いまだに強い結束力が続いているというのは不思議というほかありません。「仙崖荘」跡も墓所も丁寧に管理されていました。
 7日の夕方以降は、若狭の奇人といわれる94歳の元気な老人と一緒に、近くの小浜まで出かけて、ひなびた温泉旅館に1泊しました。この方の戦前の戦争期から戦後にかけての古い体験談は、つきることなく続きましたが、しかし、今でも「山つつじ」を見て「漢詩」を書くといった積極性と関心の広さに、改めて驚嘆しました。
 8日は、午前中に、小浜の2つの著名なお寺を見学しました。「明通寺」は三重の塔のある本堂(国宝)で知られていますが、当日は修理中で見られなかったのは残念でした。ただ、94才翁はここでも50段以上の石の階段を一気に登られたことを記しておきます。
 一方「神宮寺」の方は、稀少な神仏混合寺として知られるだけでなく、奈良東大寺二月堂の「お水取り」に対応する「お水送り」の行事が、毎年3月2日に、この神宮寺の境内から「松明(たいまつ)」の行列が出発し、様々な装束をまとった多くの人々によって受け継がれて、「鵜の瀬」という川の水場まで運ばれ、そこから奈良まで「お水送り」が行われるという慣習が長年定着しているというのです。これは、おそらく、かつての朝鮮(唐)から渡ってきた渡来人が、小浜と奈良を水によって結びつけたものと思われます。
 できれば、来年も小浜を訪れたいものです。
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by nakayama_kenichi | 2010-08-09 10:12