「ほっ」と。キャンペーン

最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

<   2010年 06月 ( 11 )   > この月の画像一覧

ラザロ徴候

   「ラザロ」とは、「新訳聖書」の「ヨハネによる福音書」に登場する、イエスによって死後4日目に蘇らされたという人物の名ですが、ここで「ラザロ徴候」とは、脊髄反射とも脳幹反射ともいわれる、すぐれて人間的でなめらかな動きのことを意味します。
  それは、具体的には、脳死判定の最中や前後に、ベッドに横たわった脳死者の両手が、直接触れるなどの刺激を与えていないのに突然持ち上がり、胸の前で合わさってまるで祈るようなしぐさをするというものです。つまり、それは、いわゆる「長期脳死」の典型的な一例をあらわすものとして、注目されているのです。
  ご承知のように、2009年7月の国会で、1997年の「臓器移植法」の根本原則を変えてしまうような改正案があわただしく通過し、2010年7月から施行されることになっています。
このブログでも取り上げましたが、本人の同意がなくても遺族の同意があれば「脳死体」からの臓器移植を可能にするという改正案には、理論的にも実務的も多くの疑問が提起されたままでの施行となります。
 遺族の代諾や親族優先規定にも原則的な問題がありますが、とくに子供の脳死判定の困難さが賛成論者からも指摘されていました。そして、それが子供の「長期脳死」の問題として浮かび上がってきたのです。脳死になっても、30日以上も心臓が止まらず、ときには1年以上も鼓動が続き、子供の場合は身長も伸びるという事例が世界各地で報告されるようになり、テレビ放映もなされたようです。「ラザロ徴候」もその一つです。
 このような状況の中で、脳死を人の死として臓器移植をしてよいのかという疑問が出てくるのは当然でしょう。脳死体に麻酔剤や筋肉弛緩剤を投与してからメスを入れるという現実にも違和感があります。改正法が慢性的な臓器不足を解消するという保障もありません。むしろ脳死者からの臓器移植の是非を根本的に再検討すべき時に来ているというべきでしょう。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-30 17:22

伊達判決の先見性

 参議院選挙を前にして、消費税の問題などに論点が移ってしまい、沖縄の普天間基地の問題がもう落着したかのような状況が見られます。マスコミにも、沖縄の基地問題を取り上げる記事はほとんど見当たらず、「沖縄の人の声」はかき消されています。
   その沖縄の人の声の中に「基地は要らない、戦争に巻き込まれる」という発言があったことを思い出しましたが、この「戦争に巻き込まれる」という言葉は、かつて1959年(昭和34年)に米軍基地の存在を違憲と断じた「砂川事件」に関する伊達秋雄裁判官(ほか2名)の判決(東京地裁昭34・3・30)の中にすでに存在していました。
   「わが国に駐留する合衆国軍隊はただ単にわが国に加えられる武力攻撃に対する防御若しくは内乱等の鎮圧の援助にのみ使用されるものではなく、合衆国が極東における国際平和と安全の維持のために事態が武力攻撃に発展する場合であるとして、戦略上必要と判断した際にも当然日本区域外にその軍隊を出動し得るのであって、その際にはわが国が提供した国内の施設、区域は勿論この合衆国軍隊の軍事行動のために使用されるわけであり、わが国が自国と直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及ぶ虞は必ずしも絶無ではなく、従って日米安全保障条約によってかかる危険をもたらす可能性を包蔵する合衆国軍隊の駐留を許容したわが国政府の行為は、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないようにすることを決意』した日本国憲法の精神に悖るのではないかとする疑念も生ずるのである」。
  この危惧は、その後、米軍のベトナム、イラク、アフガニスタンへの派兵と自衛隊の協力によって、より深まっています。米軍基地の「抑止力」の裏側にある問題の深刻さを決して無視してはならないと思うのです。なお、基地貸与協定である安保条約の規定にもない「日米同盟」という言葉がしばしば安易に用いられていることにも警戒的でなければなりません。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-28 18:04

余呉小劇場弥吉

 過日、郷里の余呉町の出身で、定年後の今は、「社会福祉法人おおつ福祉会」の理事長をされている東野更正氏が来訪され、歓談する機会がありました。東野さんは、余呉町坂口の出身で、実は、私が余呉小学校の3年と4年に担任の先生だった東野こづえ先生の実の息子さんに当たります。
 少年の頃の思い出として残っていますのは、東野こづえ先生が私を可愛がって下さるので、クラスメートが「ひいきする」といってひがんだため困って先生になかなか近寄れなかったという、たわいもない悩みを経験したことです。
 長い間のご無沙汰の後、先生が亡くなられる少し前に、京都から坂口のお宅にお伺いしたことがありますが、その時は、大変喜んで頂きました(享年97歳)。
 その東野こづえ先生が住んでおられた江戸時代中期の古い民家を、ご子息の夫婦が一大決断をして改修し、築250年の「余呉小劇場弥吉」として2005年にオープンされたことを最近知りました。約80平方メートルの母屋と蔵があり、演劇公演やコンサート、ギャラリー、会議などに利用でき、収容人員は最大100人とのこと。最近の情報では、宮沢賢治の小説を題材にした創作切り絵展が開かれたとのことです(京都新聞2010年5月21日)。
 また、東野さんによれば、今後の催しとしては、余呉小劇場開設5周年の企画として、来る7月4日(日)午後1時半から、ニューヨーク在住35年のジャズピアニスト「三上クニ」のジャパンツアーとて、演奏会が開催されるとのことです。
 社会福祉施設の設立や運営などのお仕事に、忙しく走り回りながらも、郷土の文化の再生と発展のために献身される東野さんご夫妻に心から敬意を表し、応援したいと思います。
 なお、「余呉小劇場弥吉」の家主は東野昌子さんで、連絡先は、0749-86-3249。ホームページも開かれています。
   -------------------------------------
             余呉小劇場弥吉(2010年5月21日京都新聞)
c0067324_11332669.jpg

[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-25 11:22
 2010年6月21日の朝日新聞夕刊の記事よりますと、ウガンダで開かれていた国際刑事裁判所(ICC)主催の会議で、「侵略の罪」についての話し合いがまとまり、国境を越えて他国を脅かす侵略を国際法上の犯罪とし、計画、実行した指導者ら個人の責任をICCの法廷で追及する道が開け、7年後にも法としての適用が始まるとのことです。
 これは、第2次大戦後、国連を主舞台に議論が続いてきた難問に結論を出した歴史的合意といってよく、国連安全保障理事会が侵略かどうか判断するほか、ICCの検察官が独自捜査に乗り出せる例も認められたと評価されています。
 それは「戦争犯罪」を裁くもので、大変喜ばしいものですが、しかし、よく読みますと、この「侵略の罪」の適用は原則上、締約国に限られ、ICCに加盟していない国については、安保理が決議した場合を除けば適用されないとのことです。
 そこで、問題はこの国際刑事裁判所(ICC)の締約国ですが、世界で111ヶ国に及び、日本や韓国のほか欧州、アフリカの多くの国が加盟しているが、アメリカ、中国、ロシア、イスラエル、北朝鮮などがまだ加盟していないというのです。
 そこには、アメリカ、中国、ロシアの3大国がなぜ加盟しないのか、大国の横暴ではないのかという点とともに、国際的にも孤立しているとして非難の的となっているイスラエルや北朝鮮とここでは奇妙にも同列に並んでいるという「隠れた同質性」が潜んでいます。
 とくに、日本の「同盟国」として、沖縄の基地の「抑止力」を担うとされているアメリカが、ここでは北朝鮮と同列に並んでいること、ブッシュ政権下のアメリカが安保理の決議のないままイラク戦争を始めたこと、オバマ政権になってもアフガ二スタンから撤退しようとしないことなど、日本人はもっと冷静に考えるべきときに来ていると思うのです。
------------------------------------------------------------------------------------------------
            びわ湖大津館庭の蓮池
c0067324_20575563.jpg

[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-22 14:17

沖縄密約文書の開示

 1972年の沖縄返還をめぐって日米両国が交わしたとされる「密約」については、これを裏付ける公文書の内容を漏らしたとして、毎日新聞の西山記者が起訴され、有罪が確定していました。しかし、実はその「密約」が現に存在したことがアメリカの公文書館で開示された文書や返還交渉を担当した吉野文六・元外務省アメリカ局長の証言などから明らかになりました。
 しかし、それでも、西山記者による国家賠償訴訟は、「除斥期間」(20年)が過ぎているとして、敗訴となり、政府当局(外務・財務省)も、「文書を保有していなので開示できない」という頑なな態度をとってきたのです。
 ところが、西山氏ほかの原告団が、国による文書の不開示を不当として開示を要求した「密約訴訟」では、東京地裁がこれらの文書の全面開示を命じるという新たな展開が生まれました(東京地裁2010年4月9日判決)。この判決は、「文書は極めて重要性が高く、国が保有していると認定できる」とし、「国民の知る権利をないがしろにした対応は不誠実といわざるを得ない」として、国家賠償を命じたのです。ただし、国は控訴中です。
 それにしても、原告らが指摘した「密約」の内容は、以下の3点で、それがいかにもひどいものであるかを、主権者である日本国民は、肝に銘じておかなければなりません。
   ① 米国の軍用基地回復費用400万ドルを日本が肩代わりすること。
   ② 米国短波放送の国外移転費1600万ドルを日本が肩代わりすること。
   ③ 日本側による米国での無利子預金など沖縄返還協定の日本側負担(3億2000万ドル)
     を超える負担を日本側が負うこと。
 アメリカが沖縄に金を出すのかと思ったら、むしろ基地提供代を日本側が負担するという構図が浮かび上ってきます。それに、基地の米兵の犯罪も凶悪ですが、米兵もいつアフガンに行かされるかもしれない被害者だともいえる悪循環が見られるのです。 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-19 20:31

弁護士「布施辰治」

 大阪の石川弁護士からの案内で、6月14日の午後、大阪梅田付近の会場で、「弁護士布施辰治」と題するドキュメンタリー映画の試写会があるとのことでたので、思い切って出かけました。初めての会場もうまく見つかり、雨にも遇わずに幸いでした。
 「布施辰治」については、私自身もあまり知らなかったのですが、この映画は「日韓併合」100年に当たる今年、治安維持法の下でも官憲の権力に屈することなく、虐げられた弱者の農民や労働者の人権擁護の活動を貫き、とくに在日朝鮮人の生命と人権を守る運動に献身した弁護士「布施辰治」が歩んだ道を描いたドキュメンタリー映画です。
 布施辰治は、1889年(明治22年)に、宮城県石巻市蛇田村の農家に生まれ、明治法律学校(現明治大学)を卒業後、判検事登用試験に合格し、最初は検事、しかしすぐに弁護士となり、その後は、米騒動、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件、大逆事件、3・15事件など数々の弁護をして、自らも治安維持法違反で服役し、3男は獄死しました。そして戦後は、メーデー事件、三鷹事件、松川事件などの弁護人となり、1953年(昭和28年)に死去しました(73歳)。
 映画は、これらの事件を通じて、弁護士「布施辰治」が常に弱者の側に立って敢然と権力に立ち向かい、法廷の内外で精力的な活動を展開して屈することのない「人間」としての布施辰治の生き方を追って行き、その合間には、布施辰治の親族や後輩の専門家による解説が付いています。石川弁護士も裁判官として登場した場面も見ました。
 布施辰治は、インテリではなく、農民出身の実践家であり、社会主義思想よりも、トルストイ、ユーゴーなどの「人道主義」の影響のもとで、民族を超えた「人類愛」を目指していたこと、弁護士としての法廷技術にも秀れていたこと、そして、戦後いち早く「憲法改正私案」とともに「朝鮮建国憲法草案私稿」まで公表していたこと、しかも前者が、「非武装平和主義」とともに、「象徴天皇制」にも言及していたことなど、まだまだ学ぶべきところが多いと感じました。
c0067324_1084414.jpg

[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-16 09:58

オヤジ狩り事件国賠訴訟

 「オヤジ狩り事件」とは、2004年に大阪地裁所長が数人の若者に襲撃されて金を奪われ傷害を負ったという「強盗致傷」事件ですが、3人の少年が2人の大人から「オヤジ狩り」を頼まれてやったという筋書きに由来しています。
 この事件では、3人の少年が犯行を自供し、2人の成人男性も巻き込まれたのですが、審判や裁判の結果は、家裁でも「不処分」、地裁でも高裁でも「無罪」となって、5人とも完全な「冤罪」であることが確定したものです。
 ところが、無罪判決後、警察からも検察からも一言の謝罪もないので、不当な逮捕・勾留、苛酷な取調べを受けた5人の少年・青年たちが、警察・検察に、まずは謝罪を求め、警察・検察などの国家権力による暴力的な取調べの実態を明らかにすることを求めて、「国家賠償」を請求する裁判を起こしたのです。
 現在、裁判は進行中ですが、この過程で明らかになったのは、まず、2人の少年が、「怒鳴られたりしなかったら否認を貫けた」「刑事さんに胸倉をつかまれて首を絞められた」と訴えているのに、担当の刑事は、「暴行はしていません」「今でも自白は正直に話していると思う」と証言していること、また、2人の青年が、「取調べ室で壁に押さえつけられた」「2人の刑事から、人殺しと大声で責められ立てた」と訴えているのに、担当の刑事は、「逮捕状が出ているから犯人だ」「今でも私は有罪だと思っている」と証言していることです。
 これでは、全くの水掛け論ですが、本件では「無罪」が確定しているのに、なお取調官が「白を切る」のは、むしろ「熱心な取調べ」として当局が許しているとしか思えません。
  もし取調べ過程が「可視化」(全面的な録音・録画)されてさえいれば、最初から白黒ははっきりするはずです。これがない限り、隠れた冤罪が日々作られて行きますので、まずは一日も早く民主党自身が「可視化」法案を提出することを強く期待したいところです。 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-14 10:33
 私の著書の『刑法入門』は、初版が1994年に出版されていますので、もう16年も前のことになります。どの本も、その後の時代状況の変化を考慮した「改訂」が必要なのですが、第2版を2000年に出しただけで止まっていました。むしろ、その前に、『概説刑法』(1989年初版2000年第2版)の新版作りを始めていたのです。
  ところが、カンボジアの法学教育支援事業の一環として実現していた『刑法入門』のクメール語訳本の改訂作業の要請の方が強くなり、急いでその改訂作業の方に精力を集中し、一応の結論を得る段階まで漕ぎつけました。今は、その原稿をクメール語に翻訳する方々の作業を待って、できるだけ早くカンボジアの学生の需要に答えることが課題になっています。
  クメール語訳本のための台本として、今回とくに配慮しましたのは、内容的には、日本の刑法の歴史の部分にある「平安時代」とか「鎌倉時代」とかの名称が理解できないと思われるので、大幅に省略したこと、そして、明治、大正、昭和、平成といった年号も特殊日本的なので、すべて西暦の年号に統一した点です。
  その上で、今回の改訂作業の中でもっとも苦労しましたのは、平成10年(1998年)から平成21年(2009年)まで約10年間の警察・検察・裁判・行刑に関する統計数字を差し替え、その動向をフォローするために、最新の『犯罪白書』(平成21年版)と取り組んで、悪戦苦闘する破目になった点です。その間の社会状況の変化に伴う「犯罪化」「重罰化」の流れとその終焉とも見られる犯罪現象の変化は、単なる統計数字の差し替えをはるかに越える実質的な分析と評価を必要とするものであることを思い知らされました。
  それにしましても、『犯罪白書』の記述が詳しくなるのは結構なことですが、かつてのデータとの対応関係が切れてしまってフォローできなくなった部分がいくつかあり、大変苦労したことを記しておきたいと思います。
     -----------------------------------
                    唐埼神社の松の風景
c0067324_20262367.jpg

[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-11 20:03

韓国の国民参与裁判制度

 大阪地裁判事の今井輝幸氏の新著『韓国の国民参与裁判制度―裁判員裁判に与える示唆』(2010年6月、イウス出版)が出版されました。本書の刊行を支援してきた1人として、待望の著書の出版に心からのエールを送りたいと思います。2009年から2010年にかけて、集中的に書かれた論稿を集めたもので、まさに最新の情報を提供するものです。
 詳しい書評などは、また後に執筆したいと考えていますが、ここでは、とりあえず一読した際の印象のいくつかをあげて、一般の関心を喚起しておきたいと思います。
 1.韓国の「国民参与裁判」は、わが国の「裁判員裁判」に対応するもので、一般市民が裁判に参加する制度として、多くの類似性をもつだけでなく、韓国の制度が2008年1月1日から、日本の制度が2009年5月21日から施行されるなど、ほとんど同時期に発足している点でも、互いの影響が予測されることが著者の問題意識の念頭におかれています。
 2.韓国の「国民参与裁判制度」の内容が、その成立の経緯からはじまって、制度の構成と手続の進め方に及び、さらに2009年6月までの全事件(66件)の裁判結果の内容の一覧表や付属資料等も付して、実に丹念にフォローされています。新しい制度に対する識者の意見のほか、市民のアンケート調査の結果にも興味深いものがあります。
 3.韓国の「国民参与裁判制度」が、わが国の「裁判員制度」と異なる重要な点として、韓国の制度が、裁判員だけの「陪審制」であって、裁判所には法的な拘束力を持たないこと、この制度が被告人の「選択制」となっているので、まだ参与裁判の実施例が少ないこと、参与裁判では通常の裁判と比べて「無罪率」が高いこと、などがあげられています。
 4.著者は、日韓の制度ともに一長一短があって、互いに示唆に富むと評されていますが、私見としては、その前提として、韓国では「死刑」が凍結状態にあること、警察・検察による事件の取調べが全面的に「可視化」(録音・録画)され、公判準備手続も「公開」されているといった点を、まず日本側が学んでほしいと思いました。                  
[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-07 21:02

桐畑古墳再訪

 過日、近くの「桐畑古墳」を見学に行った際、古墳の洞窟内の不動明王の写真がうまく撮れなかったことと、何よりも古墳の管理責任者である桐畑弘嗣氏にお会いできなかったことから、再度行きたいと思っていたところ、幸い、またK氏のご好意により、6月3日の午後に、念願を果たすことができました。午後から雷雲が発生し、山際ではにわか雨も降りましたが、幸い今回は桐畑氏と面会して、貴重なお話を直接聞くことができ、その中で、いくつかの注目すべき事実を知ることができました。
 第1は、桐畑氏の先祖は予想通り、湖北の余呉町川並の出身であり、何代か前の古い明治の時代に大津に出て来て、湖岸で米屋の商いに成功し、13人の子供の中の1人が三井寺に入り、本山から分かれてこの地に移り住んだとのことです。分厚い「過去帳」も見せて頂きましたが、滋賀県伊香郡川並村の西本願寿の名が筆頭に刻まれていました。
 第2は、この桐畑古墳を含む広い境内と建物じだいが独立したお寺(「単立寺」という)であり、建物内には立派な阿弥陀如来とお坊さんの坐像が安置されていました。近所の人々が檀家として支える宗教法人だということです。
 第3は、余呉湖の羽衣伝説にも触れて、桐畑長雄氏の本のほか、羽衣伝説の紙芝居の演者の名まで挙げ、さらに大津に在住する湖北余呉出身の方々の名を挙げられましたが、その中には私も知っている共通の知人が含まれていました。
  第4は、全く個人的なことですが、桐畑氏が私の名刺の「中山」姓を見て、中山恭三氏を知らないかと聞かれたのですが、これが私の実兄であると分かって、不思議なご縁に驚きました。兄は滋賀銀行で一緒に仕事をした先輩だということでした。
  秋のお祭りに再会することを約して別れましたが、その後は、近くの盛安寺の「十一面観音像」(重要文化財・平安時代)を見学し、満足して帰途につきました。
    -----------------------------------
   (桐畑古墳の不動明王の写真は古いものと入れ替え、十一面観音像を紹介します)
c0067324_19405747.jpg

[PR]
by nakayama_kenichi | 2010-06-04 19:37