最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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時効廃止・延長法案成立

 もっともっと議論されるべき「公訴時効」制度の改正問題が、あっという間に国会を通過し、改正案は4月27日に可決され、即日施行となってしまいました。政治と金や普天間基地の問題などで他の法案審議が進んでいない国会で、ほとんど実質的な論議もないままに重要な法案が通ってしまうという「異常」さには、驚きをこえて怒りを覚えます。
 しかも、民主党の千葉景子法務大臣が記者会見で「犯罪被害者や国民の期待に答えるべくがんばった」と喜んだといわれるに至っては、開いた口が塞がらない思いがします。夏の参議院選挙を控えて、夫婦別姓や婚外子差別に対応する民法の改正案などについて国会審議の見通しが立たない中で、一つの「成果」を上げ、法務省内でも安堵の空気が広がったといわれているのです(2010年4月28日朝日夕刊)。
 今回の改正の立案と審議過程と結論には、明らかに特定の犯罪被害者団体の強力な要請活動と、「犯人の逃げ得は許さない」という被害者遺族の感情的なアピールへの対応という要因が存在したことは紛れもない事実であって、4月27日可決、即日施行というタイミングも、ある特定の事件の公訴時効の完成を阻止するためともいわれる「政治的判断」が含まれています。そこには、制度の私物化という危惧も伺われるのです。
 しかし、時効制度には歴史的な経緯と理論的な基盤が存在していますので、少なくともその整合性を保障しなければなりません。この点では、今回の改正は、内容的にも手続的にも、あまりも乱暴なもので、2004年の時効改正法の検証もなされず、また時効制度に関する専門家の意見の聴取もなされていないのです。
 しかも、今回の改正法の効果についてさえ、それが果たして被害者の遺族のためになるのか、犯罪の捜査と証拠の保管にどのような影響を及ぼすのかという点さえ不明というのでは、専門家さえも時流に流されてしまうような「感情立法」(ペナル・ポピュリズム)の典型として、警戒しなければなりません。
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by nakayama_kenichi | 2010-04-28 11:26
 九州弁の直言とユーモアで知られる旧知の高木弁護士から、過日の日弁連の刑事法制委員会の折に、『法光』(平成22年241号)という小冊子を頂きました。臨済宗関係の文献で、そのなかに、2009年7月に102歳で亡くなられた「龍源寺」先住職の松原泰道師への追悼の辞と、師自身の生前の記念講演の内容が紹介されています。
 松原泰道師は、普段から「臨終定年」が口癖で、本当にその通り、亡くなる3日前には近所で話をされていて、本当に病んだのは2日間という大往生であったとのことです。遺言には、「私の死んだその日は地獄での説法の初日です」というものでした。
  この名僧といわれた松原泰道師の生前の講演録のなかに、「雪を担って井を填む」という項目がありますので、その示唆に富む内容を紹介しておきましょう。
  まず、お釈迦様の説かれた「雑宝法蔵経」のたとえ話とは、ヒマラヤの山麓の森に山火事が発生し、森の中に住んでいる虎や獅子が懸命に火を消そうとするが、手がつけられず、彼らも危険を感じて岩陰に隠れていたところ、一羽の小鳥が自分の羽にわずかな水溜りをのせて、延々と燃え盛る火を消そうとしている。虎や獅子は無駄だといったが、小鳥は「私に出来ないことはよくわかっているが、私は水を運ばずにはおれないのです」と答えたというものです。これを受けて、松原泰道師は以下のように述べられています。
  「お釈迦様はこのたとえ話から「出来る、出来ない」を越えて「なさずにはおれない」というこの小鳥こそが仏教の精神なのだと弟子達に述べています。・・・般若心経の終りのところに白隠禅師の『雪を担って共に井を填む』という言葉があります。雪で井戸を埋めたって、少しも効果はありません。しかし私は不可能を不可能と割り切らずに、どこまでも努力していくところに意味を見つけていきたい。それが私の布教誓願です」。
  「出来ないからやめた」ではなく、自分のなすべきことならば、どこまでも努めていくというとことろに、本当の人間の叡智があるという言葉に心を動かされました。
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          『法光』241号の表紙 墨画家 小林東雲氏作
    
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by nakayama_kenichi | 2010-04-25 10:26

ハッセマー教授の見解

 前回の日本の状況と比較して、ドイツ刑法の過去・現在・未来を論じたハッセマー(前フランクフルト大学)教授の見解の要旨を紹介しておきたいと思います。これは、2009年5月の日本刑法学会で講演されたものです。
 第1.過去 戦後のドイツ刑法は「非ナチ化」を意識的に自覚することなく推移したので、1962年草案はすでに時代遅れであり、実際の出発点はリベラルな「対案グループ」の提案を入れた1969年刑法典であった。
 第2.現在 現在の刑法は応報と贖罪の観念から脱却し、「予防」「非犯罪化」「実践的理性」の3点に集約される(憲法と人間の尊厳、再社会化の思想)。しかし、すでに「治安刑法」への傾斜が見られ、テロ、組織犯罪、麻薬犯罪、情報犯罪などの領域では、治安のパラダイムが自由のパラダイムの犠牲の上に成り立っており、「敵味方刑法」という発想が「法治国家」の原則を危うくしているのが現状である。
 第3.将来 治安のパラダイムが示す「危険社会」では、市民の安全性の欲求が危険のコントロールを国家に求めるという方向が見られ、不安の増大はマスメディアによって増幅され、「感覚で捉えられた犯罪」が憲法と民主主義を掘り崩すおそれがある。
 第4.選択肢 今後の予想としては、刑法を通じて治安を確立しようとする強力な欲求が「刑法の拡張」を要求し、それが実際にも実現されるであろうが、私は「敵に対する刑法」という選択肢には積極的に反対する。なぜならそれは憲法上の保障から一部の者を見放すという犠牲を払うことになるからである。唯一の選択肢は、人格性、保護、寛容という視点に基づいた刑法の展開を慎重ながらも断固とした決意でもって刑法の現代的な動向に随伴させることである。
   日本の状況よりも、歴史的な分析に筋が通っており、教授の識見に同感を覚え、心強く感じました。
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by nakayama_kenichi | 2010-04-22 07:05

刑法の過去と未来

 最近、ある法律雑誌から依頼されて、最近の立法問題について、「刑法と少年法の改正の流れ」と題する原稿を書く機会があり、改めて考えさせられました。
 「刑法」は、1907年(明治42年)に制定された古い法律ですが、戦前の「不敬罪」や「姦通罪」が戦後廃止されたことや、文言が口語体になった点などを除きますと、それほど大きな改正はなく、ほぼ安定していたのです。ところが、とくに2000年以降の最近の10年間に、大きな改正が顕著に現れるようになりました(立法活性化の時代)。
 第1は、最近の電子情報社会化に対応するもので、コンピュータのパスワードの不正入力を等処罰する「不正アクセス禁止法」(1999年)のほか、不正なカードの所持やカード情報の提供等を処罰する「支払い用カード電磁的記録に関する罪」(2001年)などです。
 第2は、国民の安全と不安感の除去を目的とするもので、ドライバーの携帯等を処罰する「ピッキング防止法」(2003年)や「広島県暴走族追放条例」(2002年)のほか、とくに交通関係では「危険運転致死傷罪」の新設(2001年)や道路交通法上の「救護義務違反罪」の刑の加重(2008年)などです。
 第3は、とくに近年における凶悪・重大犯罪の実情に対処するために、刑法上の重要な多数の犯罪について、その「法定刑」を大幅に引き上げるという改正です(2004年)。
   以上の「改正」は、まさに「犯罪化」と「重罰化」の方向にあることは明白ですが、それが時代環境と社会意識の変化(被害者の保護と市民生活の安全)に対応するものといわれている点に注目する必要があります。
  しかし、とくに第2と第3のような「犯罪化」と「重罰化」は、刑務所の過剰収容をさらに悪化させるとともに、何よりも、刑法の伝統的な基本原理(自由と人権の保障、刑法の謙抑性と補充性、法益保護原則など)を掘り崩して行く危険があり、警戒が必要です。
   ドイツでも同様な状況が見られますので、次回はハッセマー教授の所説を紹介します。
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by nakayama_kenichi | 2010-04-21 13:20

ミニコンサート in 大津

 4月18日(日)の午後2時半から4時半過ぎまで、近くの琵琶湖大津館(旧大津ホテル)内のイングリッシュガーデン多目的ホールで、ミニコンサートがありました。晴天に恵まれた日曜日でもあり、このマンションの方からのご紹介もあって、マンションの入居者の参加者も多く、長い行列が出来て、満員の盛況でした。大津では、2回目の演奏会です。
 演者は、2006年に結成された「フォークデュオ WALTZ(ワルツ)」を構成する「サチコ」と「テツ」というコンビで、とくに60年代から70年代の懐かしのフォーク、ポップス、スタンダード、スクリーン・ミュージックから最新のアニメまで、子どもから大人までの広いジャンルを中心に、九州の熊本県内外で演奏活動中とのことです。
 「サチコ」は、長年勤めた保育士をやめ、2001年よりプロ歌手としてスタートし、ソロによるギターの弾き語りで、幅広くコンサートを続けているうちに、2006年に「テツ」と出会い、意気投合して、フォークデュオ「ワルツ」を結成したという経歴です。
 一方の「テツ」は、中学、高校時代はロックバンド、大学時代はフォークバンド「七福神」のメンバーに属し(同期に中島美由紀、八神純子、松崎しげる、岩崎宏美など)、バンド解散後は、スタジオミュージシャンとして活躍中という経歴の持ち主です。
 当日は、聴衆に高齢者が多いことも考慮して、おなじみの歌曲(ねむの木の子守唄、蘇州夜曲、夜来曲、アベマリアなど)が、1部、2部を含めて16曲も歌われましたが、いずれも最後はご当地の「琵琶湖哀歌」と「琵琶湖周遊の歌」に観客も唱和し、最後にアンコールに答えて「千の風に乗って」が歌われました。
 会場の設備が古く、音響効果がいまひとつで、マイクの声が行き届かないという問題はありましたが、「サチコ」が歌の合間ごとに笑顔で語りかけ、「テツ」を「モーツアルト」と呼んで紹介する場面が微笑ましく印象的でした。高齢者が「恋や愛」を語る世界に出会って若返る思いを抱きつつ、赤いバラの花一輪をもらって帰途につきました。
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by nakayama_kenichi | 2010-04-19 09:08

母の余呉小学校卒業写真

 4月10日、大阪の桐畑(芳則)弁護士の車に乗せてもらって、湖北の余呉町川並地区に在住の昔のクラスメートの桐畑(長雄)君のところに出かけ、3人で、余呉湖畔の余呉湖荘で昼食を一緒にして、楽しい懇談をする機会がありました。晴天下の桜満開の余呉湖には、子供の頃からの思い出の跡が残されており、深い郷愁を覚えました。
 桐畑長雄君は、余呉小学校、虎姫中学校の同級生ですが、滋賀師範学校卒業後、郷里の中学校で教鞭をとり、定年後は、余呉町の郷土史の調査・発掘に全力を尽くし、多くの資料を蒐集して、『江州余呉湖の羽衣伝説』(2003年)の著書もある郷土の篤志家です。
 一方、桐畑芳則君は、大阪市大法学部を出て、司法試験に挑戦して見事合格し、もう十数年の実務経験のある弁護士です。私のゼミ生の結婚式の披露宴の際に偶然にも同郷であることが分かり、以後お付き合いをしていますが、かつての司法試験受験期には関大の日曜答案練習会で私の講義を聴いたこともあると聞きました。
 今回の余呉訪問でも、桐畑長雄君から郷土史にかかわる多くの資料とその説明を聞くことに多くの時間を割くことになりましたが、その中でも、『卒業写真集よご』(平4)の中に、しかも第1期生の「明治42年度卒業者」の欄に、何と私の母親(中山美津江)の名と写真があることを発見して驚きました。100年以上も前の古い集合写真なので、なかなか特定は難しいのですが、おうよその予測はつきました。この同じ写真集に、私の亡兄も私自身も私の2人の弟も余呉小学校の卒業生として全部掲載されているという貴重な資料です。
 なお、私の実家は余呉湖畔から少し離れた「中之郷」という在所ですが、「川並」在住の桐畑長雄君の祖父の桐畑嘉伝治さん(嘉永元年生)の当時の「日記」(12冊)には、「明治22年8月12日に、中山吉兵衛実母病気につき兄桐畑善四郎とともに見舞いに参った」という記事があり、両家は親戚付き合いであったことが伺われます。郷土の親友は、今なお古文書の蒐集と解読に興味が尽きない様子でした。
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     母は前から2列目の右から2人目と思われます。
    
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by nakayama_kenichi | 2010-04-16 11:31

警察・検察の反省

 無期懲役の服役中に冤罪事件と判明した「足利事件」については、再審裁判の裁判長が異例の謝罪を表明しましたが、この問題については、警察庁も検察庁も再発防止のための検証作業をすることになり、検証報告や記者会見も行われたことが報じられています(2010年4月1日、2日朝日新聞)。そのこと自体は結構なことですが、しかし、その検証や反省の仕方や内容には問題があると思われますので、疑問点を指摘しておきたいと思います。
 まず、警察庁は、当時の捜査について、DNA型鑑定を過大評価し、犯人だろうという先入観で取り調べたこと、供述のあいまいさや不自然さについても、忘れたものと安易に判断し、犯人でなければ重要事件の自供をするはずがないと思い込んで虚偽の自白に追い込んだと総括した上で、再発防止策として、虚偽自白を生まないため、自白の信用性を吟味する専従の担当を設けること、相手の性格を把握するため心理学などの専門家の助言を生かすこと、DNA型鑑定の信頼性を高めるため、長期間保存できる冷凍庫を整備することなどをあげています。
 また、検察庁の記者会見でも、同様な趣旨の説明が行われていますが、ここで見逃せないのは、「足利事件を全面的に録音録画していれば(虚偽の)自白を見抜けたかは、ストレートには考えられない」という発言(最高検次長検事)です。これは、取り調べの全過程を録音録画しても、足利さんが自己の意思で虚偽の自白をした可能性もあるというもので、肝心の「密室」捜査の適正さを客観的に担保しようとする「反省」が全く見られないことを示しています。
 以上のことは、再発防止策が警察・検察の「内部的な」検証の繰り返しでは決定的に不十分なことを示すものであり、むしろ誤判の原因究明と再発防止のための方策を提言するための「第三者による独立した公的機関」の設置という日弁連の提案を法曹三者で検討し始めるべきであるとする論調に注目すべきでしょう(2010年3月27日朝日新聞社説)。
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4月10日に撮ったの余呉湖の桜です。
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by nakayama_kenichi | 2010-04-13 17:50

妹山背山の段

 今回も大阪の石川元也弁護士のお世話になり、大阪の国立文楽劇場で人形浄瑠璃を鑑賞する機会がありました。4月6日(火)の午前11時から午後3時半頃まで、30分の休憩(昼食)を挟んでの連続の公演で、すっかり文楽の世界を堪能しました。
 出し物は、「通し狂言 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」というもので、これは、中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足が、権勢を振るった蘇我入鹿を打倒した「大化の改新」を題材に、大和各地の伝説や風景を織り込んだ作品ですが、当日は第1部として、「小松原の段」「蝦夷子館の段」「猿沢の池の段」に続いて、最後の「妹山背山の段」が最大の見せ場として展開されました。
 舞台中央を流れる吉野川を挟んで、上手(右側)に背山大判事清澄の家、下手(左側)に妹山太宰少弐の家があります。恋に落ちた久我之助と雛鳥は、領地争いの遺恨を持つ親に当たる大判事清澄(父)と太宰家定高(母)の対立の中で、入鹿大臣の権勢という逃れがたい運命の前に、結局はそれぞれの親の説得に応じて死ぬことを選び、まずは定高が花嫁の雛鳥を刎ねた首を嫁入り道具とともに吉野川に投げ入れ、清澄がこれを受け取って白装束の久我之助に渡したうえで、花婿の首を刎ねるという悲劇的な場面が展開されます。
 清澄は「倅が首を切る刀とは五十年来しらざりし」といい、一方定高は「これ程に思う仲、一日半時添はしもせず、賽の河原へやるかいの」と断腸の思いを語ります。そして、若い男女の犠牲によって対立した両家が和解することになります。そして、最後は、「隔つる心、親々の積もる思ひの山々は、解けて流れて吉野川、いとど漲るばかりなり」と語られて幕を閉じました。
 なかでも、花嫁姿の雛鳥が恋焦がれた末に死を決意し、喘ぎながら満身を打ち振るわせる仕草を全身にわたって繊細に表現した人形遣い「吉田蓑助」氏(文化功労者)の奥義には、改めて感服しました。
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4月14日の朝日新聞夕刊に、記事と写真が載りましたので、写真を転載します。
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by nakayama_kenichi | 2010-04-10 22:38

日本人の死刑執行

 中国当局は、麻薬密輸罪で中国で死刑判決が確定した日本人の死刑を執行したと報じられています(2010年4月6日朝日)。日本政府は中国当局に対して、死刑執行が与える日本人の対中感情への影響などについて懸念を表明したのですが、結局執行されてしまいました。この方針が今後も続けば、新たな死刑執行者が出ることが懸念されています。
 一方、国際人権団体アムネスティ・インタナショナルは、2009年に世界で執行された死刑の報告書を発表し、計18カ国で少なくとも714人の死刑が執行されたことを明らかにしていますが、これとは別に、実数を公表しない中国の死刑執行数は、実に年間「数千人」と推計されているのです(3月31日朝日)。
 中国は、経済発展が著しい超大国になりましたが、しかし、「自由と人権」の問題ではいまだ極めて国際的評価の低い「後進国」とみなされているのです。公表されている国で死刑執行の多い国には、イラン、イラク、サウジアラビア等の中東諸国がありますが、注目すべきは、文明国といわれている米国が52人、そして日本も7人の死刑執行が記録されているという点です。
 しかも重要なのは、日本で昨年死刑が執行された者の中に中国人死刑囚が含まれていたという事実であり、たしかに死刑犯罪の種類と程度に違いはあるものの、この点が、今回日本側が中国での死刑執行に反対しづらい理由の一つとしてあげられています。
 例えば、ヨーロッパ人が日本で死刑犯罪に当たる重大事件について死刑判決を受け、執行されるとしますと、ヨーロッパでは死刑が廃止されていますので、本国では絶対に死刑にならない人が日本で死刑を執行されることになります。今回の事件は他人事ではないのです。したがって、人権団体「アムネスティ日本」が提唱するように、民主主義国の中で米国と並び「死刑大国」とならないために、「国際的な死刑廃止の流れの中で日本政府も死刑のない状況を作るべきだ」というべきでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2010-04-08 15:16

四月の入学式

 欧米と違って、日本では、学校は4月から始まって翌年3月に終わるという制度が定着しています。したがって、4月は「新」学年、「新」学期の始まりで、新鮮な気分に満ちており、4月には桜の開花もあって、華やかな雰囲気に包まれています。
  私自身は、小学校、中学校、高校、大学で学んだ後も、大学に奉職しましたので、定年で大学を去る70歳に至るまで、4月の新学年という学内の独特の雰囲気を長年にわたって味わってきました。そして、その気分は、定年後10年以上も経た現在に至ってもなお、4月がめぐってくる度に、懐かしく思い出されるのです。
  もっとも、私どもの世代の在学時代には、最近の学校の入学式のような華やかな風景は見られず、一般に簡素な式典が行われるのみで、小学校はともかく、中学校以上の入学式に父兄が参加するといった風景はほとんど見られませんでした。それに、戦前の旧制度下では、中学も高校も男女共学ではなく、大学も女子学生はわずかで、地味な制服姿でした。それに比して、最近の大学の入学式の豪華さには、多数の父兄の参加とともに、驚かされます。
  ただし、戦前と戦後の学校の入学式には、それ以上に大きな相違点があったことに注意しなければなりません。戦前は、国旗の掲揚と国歌の斉唱のほか、天皇のご真影を奉戴し、教育勅語の朗読まであったのですが、戦後は、しばらく見送られた後、国旗の掲揚と国歌の斉唱が次第に復活し強化されるという状況が生まれました。そして、最近では行政側(文科省、教育委員会)からの指導と統制がますます厳しくなり、国歌斉唱時に起立しない教員には懲戒処分が科されるという異常な事態が進行しています。
  「日の丸」は美しい旗ですが、戦争で血ぬられた傷跡を「日本国憲法」で洗い流さなければ「平和」のシンボルとはなり得ないでしょう。また「君が代」は戦前の大日本帝国の「国体」(天皇制)との連続性を断ち切ることがどうしてもできないように思われるのです。
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          4月7日、近くの近江神宮で撮った桜です。
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by nakayama_kenichi | 2010-04-06 19:59