最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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堀越事件2審無罪判決

 旧社会保険庁職員であった堀越さんが休日に政党機関誌を配布した事件で、3月29日、東京高裁(中山隆夫裁判長)が、1審の有罪判決を破棄し、無罪を言い渡しました。休日に職務と関係なく党機関誌を配った行為に国家公務員法(政治行為の制限)を適用して刑罰を科すのは違憲だと判断したのです(2010年3月29日朝日夕刊)。
   この種の事件については、1審で無罪判決が出ても、2審(控訴審)で有罪とされるのがこれまでの例でしたが、今回はその逆であり、しかもこのような行為にまで罰則を適用するのは「違憲」であると明確に判示した点に、画期的な意義があります。
   私自身も、この事件の裁判には個人的に関係があり、1審の段階で、弁護団に依頼されて、「意見書」と「補充意見書」を裁判所に提出したほか、実際に東京地裁の法廷に出て、学者「証人」として意見を陳述する機会がありました(2006年1月20日)。この事件では、私を含めて7人の学者証言があり、15件の「意見書」が提出されましたが、すべてが処罰に批判的な趣旨のもので、賛成する「意見書」は一つもなかったのに、1審は有罪判決を下したのです。
   私自身は、その後これらの意見書の趣旨を論文として公表するとともに、1審の有罪判決に対する批判も展開していましたので、今回の2審判決がこれらの批判の趣旨を受けとめて、用意周到で説得的な論理で無罪判決を下した勇気ある対応に満腔の賛意と敬意を表したいと思います。マスコミも「時代に沿う当然の判断」だとしています(2010年3月30日朝日)。
   ただ、検察官は上告するでしょうから、今後は最高裁判所の対応が注目されることになります。最高裁判所も、最近は「司法消極主義」を次第に脱却しつつあると評価されていますので、「表現の自由」をめぐる問題においても、「違憲審査の活性化」を期待したいものです。なお、堀越事件に関する私のブログの日付を記しておきます(2006年1月21日、同7月30日)。
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by nakayama_kenichi | 2010-03-30 09:57

人間の尊厳

 最近発行されました『生命倫理研究資料集IV』(平22、富山大学大學院薬学研究部医療基礎学域哲学研究室発行、非売品)の中には、興味のある論文が掲載されています。ここでは、そのうち、「人間の尊厳」に関わる問題として、ドイツ人のラルフ・シュテッカ―氏(ポツダム大学教授)による2つの講演記録の趣旨を紹介しておきます。
 第1は、「死刑と人間の尊厳」と題するもので、その結論は、死刑が「人間の尊厳」に反するものであるという点に求められています。死刑は「応報刑論」によっては正当化されず、「一般予防」(犯罪予防)の効果もないもので、死刑はその執行に伴う屈辱と誤判の危険によって「人間の尊厳」に反するが故に廃止されなければならないといわれるのです。
 そして、ドイツではナチス後の1949年の憲法で死刑を廃止したのに、信頼に足る日本国家で未だに死刑が存在しているのは時代錯誤であるとさえいわれています。応報(復讐)の感情は調整する必要があり、それが死刑を正当化するものではないことは、このブログ(2008年2月)でも紹介しましたホセ・ヨンパルト博士の主張ともつながっています。
 第2は、「脳死と人間の尊厳」と題するもので、その結論は、「脳死は人の死か」という道徳哲学的な論争問題はさしおいて、問題はむしろ「脳死者」をいかに人間の尊厳にふさわしい仕方で取り扱うべきかにかかっているというものです。脳死者にも道徳的義務の客体ではなく主体としての地位を認めた上で、本人の自己決定に基づく脳死移植を許容するというのが著者の基本的な立場だというのです。
 そして、そのような立場から、日本の最近の臓器移植法の改正が、臓器の提供の決定を家族の意思に任せるというのは間違っており、少なくとも本人の意思または推定的意思の尊重が必要であるといわれています。ただし、小児移植の問題は残ります。
 上記の2つの講演には、質疑応答もついており、真剣に検討すべき課題を提起するものとして、参照されるべきでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2010-03-28 10:03

神様に与えられた休養日

 少し前から、とくに左目のまぶたが脹れて赤くなり、気分もすぐれず、近くの眼科医からは「アレルギー性結膜炎」といわれました。目薬を差して辛抱していましたが、今朝は目やにで左目がなかなか開かず、これは放置できないと思い、朝食後、思い切って雨の中を大津日赤病院の眼科まで出かけました。
 医師の話では、アレルギー性の体質の人は、この季節、花粉症にならなければ眼が結膜炎になりやすいとのことで、そういわれれば、この季節には毎年、眼の具合が良くなかったことを思い出します。アレルギー性の体質自体は不変なので、症状を抑えるしかなく、それにも限度があるというのが医療の現状のようです。
 今朝の朝食時に、食堂で長老のご婦人から声をかけられ、眼の具合が悪いのでこれから病院に行く予定ですといいましたら、それは神様がしばらく勉強を休むようにいわれているのですよといわれました。この年になって、いつまでも勉強に忙しいなどといっていないで、京都の伝統的な宮川町の春の京おどりや、舞妓はんとのお茶屋あそびでにでも行かれたらといって、パンフレットまで下さったのですが、そんな風流な趣味はなく、またあっても、残念ながら一緒に付いていって下さるご婦人が見つかりませんといって逃げています。しかし、4月には、大阪の弁護士さんのお世話で、国立文楽劇場の人形浄瑠璃を鑑賞することになっています。
 病院の医師には、こんな症状でも、読書やパソコンで文章を書くことには差しつかえがないのかと確かめましたところ、それは大丈夫という返事をもらいましたので、勉強は中断しなくて済みそうです。しかし、せっかく親切な老婦人が神様のお告げだといわれましたので、今日だけは、1日、休養日とすることにしました。この年になって、まだ仕事ができる大切な「眼」に感謝し、無理をせず、長持ちするようにしたいと思います。
 今日は、ブログだけ書いて、終りとします。
 
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by nakayama_kenichi | 2010-03-25 18:09

米軍志願兵の増加

 3月21日のテレビ「報道ステーション」の中に、アメリカ軍の志願兵の数が最近増加しつつあり、その原因として、経済不況下のアメリカで若年の貧困者や失業者が経済的理由から軍隊を志願する例が多いという指摘に注目しました。新兵に対する猛烈な身体的・精神的な訓練の極限状況や、家族との涙の別れの場面などがなまなましく映像化され、踏み込んだ取材の趣旨も明確で、心を動かされました。
 自衛隊志願という状況は日本でも同様で、構造的な経済的不況の下では、自衛隊は今や最も安定した職業の一つになりつつあるといえそうです。しかも、米兵と違って、戦争のために戦地に派遣されるというおそれがないという点にも決定的な違いがあります。「憲法」があるおかげで、日本の自衛隊は、国際的にも「災害救助隊」としての性格と役割に限界づけられる可能性を残しているのです。
   それに反して、イラクやアフガンに派遣される米兵は、現代的な大量殺戮戦争の現場に追いやられるという悲劇的運命にあるにもかかわらず、これを救う手段がないことを思うと、暗然たる気持になります。イラクやアフガンの市民を救うためにも、アメリカは直ちに戦争の泥沼から脱却して、和平への道を探るという選択肢を選ぶべきで、それがオバマ大統領の決断に期待されたのですが、現状ではまだ「増派」を決定するという悪循環に陥っています。
   現在の世界は、今や世界最強の米軍をもってしても、軍事的な解決の見通しがないという現実にあることを人類に教えているといってよいでしょう。核戦争にまで及ぶ軍事的手段では地球が破壊されてしまうことが明らかな状況下では、軍縮と非軍事的方法による紛争解決への方向転換しか残された生きる道はないことを自覚して行動を起こさなければなりません。日本がかかえている米軍基地の問題も、「日本国憲法」の精神によってアメリカを説得するという姿勢を持たなければ、根本的な打開策は得られないように思われるのです。
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by nakayama_kenichi | 2010-03-24 09:49

またまた「匿名」議事録

 平成16年(2004年)に新設された「危険運転致死傷罪」(刑法208条の2)の適用について、不当と思われる判決がでましたので、もう一度、立法時に立ち返って、改正案の「要綱(骨子)」が法務省内で準備され、法務大臣からこの要綱案に基づく法制審議会への諮問があり、刑事法特別部会での審議を経て、法制審議会から法務大臣に答申されるまでの一連の立法作業の流れをフォローする作業に着手しています。
 結果的には、法務省が用意した「要綱(骨子)」が部分的な修正を経た上で、議会に上程されて成立したのですが、内容的には多くの問題点を含んだ法改正だったのです。そのことは、法制審の刑事法部会での審議内容にも現れており、そこでは新設の危険運転致死傷罪の性格や罪質、刑法上の傷害罪や傷害致死罪、業務上過失致死傷罪、さらには道路交通法上の罪との関係など、原則的で理論的な問題のみならず、実務上の本罪の成立範囲とその限界など、実に多くの問題が、かなり詳しく議論されていることが分かります。
 しかし、ここでも残念なことに、議事録には、発言者の氏名が全部秘匿されていて、●になっていますので、「○○委員のさきほどの意見について」といった発言を見ても、○○委員の名がわかりませんので、そのつながりを辿って行くことができず、結局この議事録を何回読んでも論議の筋道を正確に理解することは不可能というほかありません。
 これでは、議事録は何のために、誰のために作成し保存されているのかという疑問が出てくるのは当然です。発言者を顕名化すると、プライバシーの問題があり、自由な発言が萎縮し妨げられるといわれるのですが、氏名が公表されれば困るような状況があるとは到底考えられず、むしろ発言者が明示され、議論が正確にフォローされることこそ、国民の知る権利に資するものというべきでしょう。
 法制審議会の委員の人選(官僚の排除)を含めて、この点も民主党政権下の「政治主導」による「民主的改革」に期待したいものです。
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by nakayama_kenichi | 2010-03-20 20:02

千葉法務大臣に問う

 千葉景子氏は、民主党政権下での初の女性法務大臣であり、弁護士でもある点で、その力量が大いに期待されたところでした。しかし、最初の仕事が「公訴時効」の問題について、殺人罪等の時効を廃止するという法制審議会案を了承して立法化を進めるというのでは、何とも理解し難い危惧を感じないわけにはいきません。この問題では、「死刑を含む重大事案について検察官の請求により裁判所が時効の中断を認める」というのが民主党案であり、これが無視されても平気というのでは、「政治主導」の名が泣くというべきでしょう。
 法制審議会案は、もとは法務省の官僚が作ったもので、これをほとんどそのまま通してしまう「法制審議会」も、かつての自民党政権下のものと全く変わっていないのが現状です。千葉法務大臣としては、何よりもこのような官僚主導の立案体制(官僚が支配する審議会)にこそメスを入れることが期待されているはずです。
 なお、最近の法律雑誌(法学セミナー2010年4月号)には、「千葉景子法務大臣に聞く」というインタビュー記事が掲載されていますが、ここでも法相の発言にいくつかの疑問を感じました。
 1.法務行政においても国際的潮流は十分意識されているといいながら、日本が国際機関から受けているさまざまな指摘について(代用監獄における取調べなど)、具体的な改善提案は何一つ示さず、今後の努力が問われているところでしょうというのみ。
 2.「取調べの可視化」は、韓国で凄いスピードで実現しているとしつつ、だからといって負けてなるものかと日本が躍起になるのは望ましくないという「慎重」な姿勢。
 3.法科大学院制度について、由々しき事態だといいながらも、法務省内で文科省と研究して行く段階というのみで、改革の方向性すら示そうとしないこと。
 なお、阿部教授の質問項目には、時効問題も入っていませんでした。
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by nakayama_kenichi | 2010-03-17 20:30

上告棄却の決定

 平成14年(2003年)に発生した危険運転致傷罪等に関わる刑事裁判に、私自身も弁護人の1人として関与してきました。事案は、被告人が友人2人を後部座席に同乗させて高速道路を走行中に、先行する2人乗りのバイクを追い越す過程で、並走状態になった後、バイクが歩道に乗り上げて2人が重傷を負ったというものです。
 被告人は、追い越したのちに後方で音がしたとして関与を否認したのですが、検察官は後続車両の運転者の目撃証言を唯一の証拠として、業務上過失致傷罪ではなく、危険運転致傷罪で起訴しました。弁護人は、事故発生時の捜査がきわめてずさんで、警察が証拠となるバイクも処分してしまい、写真判定による鑑定意見にも対立があるほか、目撃証言に基づいてさえ、「著しい接近」も「通行を妨害する目的」も立証されていないとして全面的に争いました。
   しかし、第1審判決も控訴審判決も有罪判決を下し、弁護人が提出した詳細な上告趣意書に対して、最高裁判所は、以下のような形式的な決定で、上告を棄却したのです。
 「弁護人の上告趣意書は、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。よって、同法414条、386条1項3号により、裁判官全員一致の意見で、主文の通り決定する。平成22年3月10日最高裁第1小法廷」
 これは、最高裁が上告棄却決定をする際に用いる常套的な文言で、きわめて多くの被告・弁護人側からの上告が、このような形式で「門前払い」になっているのです。たしかに最高裁への上告は、憲法の違反、憲法の解釈、最高裁または高裁の判例違反に限られていますが、本件には憲法にかかわる論点(「構成要件の不明確性」)も含まれていますので、最高裁が今回、危険運転致死傷罪の成否と限界という重要な論点を全く回避してしまったのは、冷たい対応で、きわめて遺憾であるといわざるを得ません。
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  (びわ湖大津館のEnglish Gardenで、3月14日に撮った写真です)
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by nakayama_kenichi | 2010-03-15 16:25

法科大学院の見直し

 また「法科大学院」問題が浮上し、法務省と文部科学省の副大臣をトップにした見直しチーム(「法曹養成制度に関する検討ワーキングチーム」)が発足したと報じられています(3月8日朝日)。2004年に開校した法科大学院(ロースクール)の修了者の司法試験合格率が年々下がって、09年には3割を切り、10年頃3千人といった政府目標の達成は絶望的な状況にあります。
 新制度がうまく機能していないことは当局者も認めているのですが、その原因については法務省と文部科学省の間で認識が食い違い、期待された「法科大学院」も乱立したため「淘汰」の動きが顕在化し、「試験偏重からの脱却」という司法制度改革の理念どころか、司法試験合格者数でランキングを競い合わされるという惨めな状態に呻吟しているのが現状です。ロースクールを74校も認可したら、司法試験の合格率が下がり、競争と淘汰という悪循環が生じることは最初から判っていたはずではないかとさえ思われます。
 ところで、上記の検討ワーキングチームも、「政治主導」といいながら、あくまで「論点整理」にとどまり、実際の見直しは夏の参院選後に新たな枠組みで進める意向だといわれています。会合では、関係者のヒアリングをする予定とのことですが、新しく決まった日弁連の新会長は、司法試験合格者数をむしろ「1500人に減らす」という意見なので、今や法曹養成問題は根本的な再検討を迫られているといえるでしょう。
 私見では、この問題も含めて、本当に「政治主導」をいうのなら、これまで制度を設計し運用してきた「官僚」(法務省、文部科学省)の手を離れた「独立の委員会」を立ち上げ、そこがこれまでの関係者から説明と意見を聴取するという方式によって、政策の柱を再構築すべきではないかと思うのです。まずは「法科大学院」が自律性を発揮して、自らの改革構想を大胆に提案すべきであって、文部科学省はこれをまとめる調整役にとどまるべきではないでしょうか。

 
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by nakayama_kenichi | 2010-03-13 20:01

検察の証拠隠し

 最近また、再審で冤罪事件であったことが発覚するケースが相次いでいます。「足利事件」については、すでにたびたびマスコミにも報道されましたが、それは有罪の決め手になったはずのDNA鑑定の精度が低く、新しいDNA鑑定でくつがえってしまうという歴然としたもので、検察官も誤りを認めざるを得ず、ではなぜ被告人が「嘘の自白」をしたのかという形で「捜査への疑問」が集中することになりました。裁判所と検察庁は謝罪しましたが、違法な取調べをし、誤った有罪判決をした者の責任と、その原因解明にはまだメスが入っていない状況です。
 一方、「布川事件」は、2度目の再審請求によって、ようやく最高裁もかつての有罪判決(無期懲役)の誤りを認めて再審公判が開始されることになったのですが、ここでは検察官は、DNA鑑定のような、これのみで被告人の有罪認定をくつがえす決定的な新証拠はないとして、再審公判でも争う姿勢を崩していません。
 しかし、再審開始決定をした東京高裁は、被告人の「代用監獄」における取調べが「並々ならぬ働きかけ(誘導)」によって虚偽の自白を強いたものであり、自白の内容も客観的事実と異なる点が多く信用できないとしていたことに注意しなければなりません。
  その上に重要なことは、検察官が被告人に有利な「証拠隠し」をしていたことが明らかになったという点です。「死体検案書」や「被害者の下着」、「近所の女性の供述調書」など、被告人を無罪に導く重要な新証拠の多くが、長年、検察官が「存在しない」として隠していたもので、これらが最初の裁判の際に開示されていたら、そもそも有罪判決を受けることなどなかったといえるでしょう。
裁判員裁判になって、検察官の「証拠開示」が進んだといわれていますが、検察官手持ちの証拠の「全面開示」こそが必要であることを、冤罪事件は示しているのです。
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by nakayama_kenichi | 2010-03-11 21:33

日野原提案に賛成

 3月6日の朝日新聞の土曜特集の中の連載(98歳・私の証 あるがまま行く)には、「10年後の日本に向けて」と題する日野原重明氏の提案が掲載されています。いつも将来に夢を託すような前向きの論調に同感することが多かったのですが、今回はこれまで一般に回避されてきた日本の安全保障の問題に勇敢に切り込まれたことに特別の感銘を受けました。
 今問題になっている米軍基地の問題についての日野原氏の提案は、以下のようなものです。「10年後に国内の米軍基地をなくす条約を日米間で結び、それを機に日本は『平和の国』として世界に宣言しょうというものです。・・・もちろん今すぐに国内の基地をすべてなくすことはできません。そこで、10年後に基地をよそへ移す約束をする代わりに、移設費用についてはこれまでの米国への感謝も込めて、日本側が負担するという約束をする。・・・そして10年後以降は、在日米軍の駐留経費のうち日本が負担してきた「思いやり予算」を、先般のハイチ地震のような天災などの際、自衛隊を国内外問わず迅速に派遣する予算へ回し、自衛隊は国際社会の平和を守る存在として位置づけるのです」。
 「国内には憲法改正をして自衛隊を正式な軍隊にすべきだという意見もあります。しかし、資源のない日本を他国が爆撃する必然性は本当にあるのでしょうか。むしろ日本は武力を誇示して国を守るのではなく、『平和の国』として世界に宣言し、世界平和の礎としての立場を明確にすることで、国際社会で確固たる地位を築くべきだと思うのです」。
 「普天間の跡地には、これまで多大な負担を強いられてきた地域住民に最高の楽園を作ることを約束し、あと10年の猶予をもらう。この10年は、日本がどんな国家として国際社会で歩むかを改めて国民全体で問い直す時間でもあります」。
 以上の提案が「絵空ごと」にすぎないものか、おそらく国論は分かれるでしょうが、マスコミもまた、このような根本問題についてこそ、「世論調査」を含む情報の公開と論議の場を確保すべきではないかと痛感し切望するものです。
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(長崎ランタン祭りの写真をおくってもらいましたので、2枚転写します)
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by nakayama_kenichi | 2010-03-08 11:49