最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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2009年の大晦日

 今年も年末は足早に過ぎて、最終日の大晦日になりました。雲はありますが、朝日がさしこんで、琵琶湖の湖面は静かなたたずまいを見せています。このマンションでの2年目の年の瀬です。やり残した仕事にけじめをつけるため、朝から机に向かい、係属中の事件の上告趣意書の補充書の担当分を書き上げました。
 今年の1年を回顧しますと、何といっても衆議院選挙によって「政権交代」が現実のものとなった点が特筆されるべきことでしょう。なお流動的な部分を残してはいますが、それが長年の自民党政権のもとでの積年の悪弊に少しでも深くメスを入れてほしいことを期待したいものです。この政権交代が今後、各分野に影響を及ぼしていくことでしょうが、その限界を含めて、なお慎重な対応が必要なことはいうまでもありません。
 来年も決して明るい見通しがあるとは思われませんが、世界的な規模では、何よりもアメリカが戦争を早くやめることを求め、そして日本的な規模では、自らの戦争責任の償いを忘れず、日本国憲法の平和と民主主義の精神に立ち返ることが真剣に求められていると思います。
 刑事司法の分野でも、厳罰主義による権威的な治安維持思想の限界を反省し、自由と人権の保障こそが司法権の信頼を得る道であることを示すために、過去の「冤罪事件」を生み出した原因を冷静に分析し、最高裁判所こそが「人権の砦」といわれる方向での「司法改革」の見直しが期待されているというべきでしょう。裁判員法の帰趨にも予断を許さないものがあり、とくに死刑事件において、その真価が問われるものと思われます。
 私自身の研究活動も「ブログ」も年を越すことになりますが、何か意味のある仕事を残したいという念願とともに、年を考えて健康にも留意することを自覚しつつ、2009年の終わりとします。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-12-31 16:24

年末研究会

 今年も、刑法読書会の恒例の年末研究会が、12月26日と27日の2日間、立命館大学二条キャンパス(ロースクールの建物)で開催されました。設営と準備を担当された事務局の方々のご苦労に謝意を表します。私も、かつてはかなり長く世話役を引き受けてきた経過があり、とくに年末研究会はもっとも身近な共同研究の締め括りの場として今日まで続いてきています。
 しかし、私自身は、最近次第に出席率が下がってきて、昨年と同様、今年も2日目のl日しか出られないという状況が続いています。かつては打ち上げの懇親会にも顔を出していたことがありますが、最近はほとんど出席しなくなってしまいました。残念というほかありません。
 ただし、今後も年末研究会には、一回は必ず顔を出して、自分自身のその年の研究の締め括りをするとともに、何とか刑法読書会への若い方々の結集を促進する役割ができればと念願しています。研究会での報告と討論によって、出席者の各人が学問的な刺激を受け、一層のレベルアップを目指すことが真剣に求められ、実現の可能性が与えられているという初期からの理念は変わっていないと考えられるからです。
 今年の研究会で聞いた報告の中で印象に残った点を二つ挙げておきます。一つは刑事手続における被疑者・被告人の取調べ過程の「可視化」(録音・録画)に関してで、それは単に導入すればよいといった単純な問題ではなく、無批判に導入すると、かえって録画部分が有罪証拠に使われるというジレンマがあるという指摘です。今一つは、少年法における「要保護性」と「責任」との関係について、とくに重大な事件を起こした「触法少年」の「要保護性」が再非行の危険性に対応するといわれるとき、それが「触法精神障害者」の「再犯のおそれ」とどのように関係するのかという問題との比較検討が示唆されていた点です。
 この年末もまた、啓発されながら研究を続けるという意欲と刺激を受けて終りました。
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by nakayama_kenichi | 2009-12-30 09:56

『今』を生きる

 94歳の雲井昭善先生の第6回目の講演会が、12月24日〈木〉の午後2時からマンション内のホビールームで開催されました。5回目が5月27日に行われた直後に、雲井先生の奥様が脳梗塞で入院されるというハプニングがあり、先生が3ヶ月間も自家製弁当持参で病院に通われるという超人的な介護の後、ようやく退院され療養中という状況下での第6回目(最終回)です。
 先生は、まず奥様の病気と介護の様子を話されましたが、その一部始終が全部記帳されているといわれ、その現物を示されたのには、みんな驚嘆しました。入院患者に対する病院の対応についての辛辣なコメントも笑顔で話されました。
 そして、本論では、「今」を生きるとは、今ある自分を直視することであって、すでに過ぎ去った過去を美化したり、これからの未来に望みを託することでは決定的に不十分であるとした上で、人間には自己中心的で好き勝手に振舞う「欲望」が存在し、それがはびこると、「正法」から「末法」へと転落して、人々は自己を忘れ、「心」を忘れ「道」を忘れることになるというのが、佛法の教えであるといわれました。
 そして、黒板に、過去の円と未来の円とが交錯する図を描かれ、その両者が重なる瞬間こそが「現在」であって、それが「永遠の今」であり、今を生かす「道」をしっかり歩めといわれるのです。ただし、その歩み方についても、意識的にあせったりしてはだめで、とらわれない流れるような自然体を継続するためには、とくに「余白」の美と「間(ま)」のとり方が重要であり、それは富士山に雲のかかった絵のようなもので、東洋文化に通じるものがあると説かれました。
 なお、当日は、外部からも若狭地方から4名の傍聴者があったほか、12月24日は、雲井先生の94歳目の誕生日に当たりましたので、参会者からささやかな誕生祝いのケーキが贈呈され、大きな感謝の拍手のうちに講演会は無事に終わりました。
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by nakayama_kenichi | 2009-12-25 10:18

来年の研究予定

 急に寒波が押し寄せて、今年の年末は寒さがきびしく、まだ年内にいくつか予定を残していますが、気分的にもいささか淋しく終わりそうです。年のせいも争えません。
 今年の「学界回顧」(法律時報臨時増刊)を見ますと、専門分野での研究者の業績が年々増大する傾向があり、とても個別にフォローしてはいけないという感想をもつようになりました。問題領域が拡大し、内容的にも細かい分析が進んでいることは歓迎すべきことですが、反面、全体像とその方向性が見え難くなってきていることは否めません。「政権交代」に対する学会の対応も問われることになるでしょう。
 ところで、私自身も、まだ余力が残っているうちに、これまでの研究業績を踏まえて、来年の予定と抱負を考えておかなければなりません。幸いにして、出版社の成文堂の信頼と受け入れ態勢が与えられていますので、相談の上、2冊の本の出版を計画することにしました。1つは、既発表の「佐伯博士の刑法思想と『日本法理』」に、現在執筆中の「小野博士の『日本法理』の再検討」を加えて、1冊の論文集にまとめるという構想です。これは、何とか実現可能かと思います。
 もう1つは、私のかつての刑法の教科書のうち、フォローしないままになっています『概説刑法 1』(初版1989年、補訂版1995年、第2版1999年)をこの際全面的に改訂し、今なお期待されている読者の声に答えたいという念願に一歩踏み出すことです。しかし、これは現在の私にとっては困難な仕事で、どこまで進むか自信がありませんが、心意気だけは失わないつもりです。
 そのほかには、学会や研究会になるべく出席して、最近の情報に接し、問題によっては論文を書き、または少なくとも「ブログ」で取り上げるなど、もうしばらくは前向きの姿勢を維持できるよう努力したいと考えています。
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by nakayama_kenichi | 2009-12-23 10:37
 小野清一郎博士の『日本法理の自覚的展開』〈昭和17年、1942年〉の再読を始めたのは今年の夏頃であったと思いますが、中断しながらも、ようやく12月20日に完読し、7回分に及ぶ比較的詳しい内容の要約とコメント〈注記〉を何とか書き終わることができました。
 これは、さきに公表しました「佐伯博士の刑法思想と『日本法理』」(上・中・下、判例時報2013,2015,2017号、2008年)との関連で、小野博士による「本命」の「日本法理」の真意とその意義を再度確認するのが目的でした。原本が手元になく、絶版になっていますので、立命館大学の上田さんに依頼して図書館から借り出してもらいましたので、早く返却しなければと思いながらの仕事でした。
 最初は比較的早く進んだのですが、後半に入り、終りが近づくにつれて、次第に筆が重くなり、中断を重ねながらようやく何とか年内に終わったというのが率直な思いです。予定より遅くなった主たる理由は、西洋法理と東洋法理の比較検討という問題には興味を惹かれたのですが、この「日本法理」が昭和10年以降の日本帝国主義の政治的・軍事的な対外膨張と侵略政策を正当化し、美化するための思想的な根拠として援用されるようになり、それが「大東亜法秩序の日本法理的構想」として見事に完結して行く姿を見て、学問が時々の時代思潮の流れにいかに無力であるかを繰り返し思い知らされたからだといってよいでしょう。
 この仕事は、まだ完結しておらず、小野博士が「日本法理」に傾かれるようになった本書以前の業績、および戦後「日本法理」がどのように克服ないし清算されていったのかという本書以後の業績を検討し、「日本法理」思想の全体像を確認したいと考えています。
 佐伯博士の「日本法理」思想との比較も予定していますので、自分が書いた原稿も再読するという、行きつ戻りつの作業になりそうで、これらは来年の課題になります。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-12-20 08:49

中国からの贈り物

 今年の10月に約10日間、中国の南京大学と武漢大学を訪問しましたが、帰国の際に、多くの贈り物を頂きました。これが中国の慣習かもしれませんが、手荷物として持ちきれないものは、後で郵送してもらうよう依頼しておいた荷物が昨日無事に到着しました。
 すでに、贈答品のうち、茶器のセットや花瓶などの数点を持ち帰っていましたが、今回船便で着いたものには、2冊の浩瀚な書物(武漢大学の馬教授と陳助教授の著書)のほかに、武漢の中南財経政法大学(1948年創設)から贈られたの銀色の皿と、南京大学法学院の寄贈にかかる中国の伝統的な「王室錦織」(China Royal Brocade)の机上衝立が含まれていました。
 この「中国雲錦」に関する英文の説明書の内容を要約して紹介しておきます。
 「中国の錦織は、宋王朝の色鮮やかな絹の織物に由来する。元王朝のとき、蒙古人が中国を征服した際、支配者は彼らの公式のガウンを金で飾り、それが金銀織りを主要な特色とした錦織の発展を可能にした。それは中世の王と貴族にもてはやされた。錦織は、元、明および清王朝の王侯家族への貢物としてデザインされた。これらの王朝の支配者達は、とくに南京に、錦織の生産と売買専門の公式の織物部局を設置した。錦織には、主として4つの種類のものがあり、それらが国王のガウン、王妃のドレスとショール、そして官吏の正装服の素材として用いられてきた。古代中国人によって『1インチの絹の織物は1インチの金と等しい』と表現された錦織は、長さ5.6m、高さ4m、幅1.4mの大型の木製のローンを、上と下から2人の職人が操作して織られたものである。現在まで、この技術はその他の装置によって変えられたことがない。今日、中国も錦織は世界文化遺産としての登録を申請中である」。
 なお、かつて1992年と1995年に2度中国(北京、上海)を訪問した際には、中国の水墨画や大きな掛け軸類を贈り物に頂いた経験がありますので、この点でもここ十数年の変化には顕著なものがあると思いました。

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by nakayama_kenichi | 2009-12-17 09:26

虎中時代の恩師

 過日、旧制虎姫中学の同級会が開催されましたが、その席で、当時、英語、数学、国語、漢文をはじめ、日本史、世界史、さらに柔道、剣道から教練にいたるまでの各科目を担当して頂いた先生方の話題が出て、多くのエピソードが紹介されました。とくに「教練」の科目担当だった軍服の特務曹長(とくさん)の厳しい指導が印象として残っていますが、当時の教員名簿としては、虎中50年史(昭和45年、1970年)の記載が、今となっては貴重な記録となっています。
 その折に、ある級友から、英語担当の小谷照雄先生の話題が紹介され、偶然にも小谷先生の長女に当たる方から送られてきた資料を入手したとして、小谷先生の晩年の生活のご様子を書かれた私信とともに、小谷先生が亡くなられたとき(昭和46年、享年60歳)の美作女子大学長の弔辞のコピーもみんなに配布され、詳しい内容を知ることができました。
 小谷先生は、小さな体で、僧侶、高校教師、英語教室もして365日休む暇がなく、おまけに趣味も多く、ゴルフ、8mm映画撮り、読書、音楽鑑賞などをしておられた還暦の時に、すい臓がんで急逝されたとのことですが、私どものクラス会で思い出話しがのぼることを、教師冥加につきるとして、天国で喜んでいるでしょうというのが、長女の方からのメッセージでした。
 私自身の印象としては、小柄で謹厳実直な英語の先生という程度のもので、僧籍におられたことは伺っていましたが、それ以上に多彩なご趣味をお持ちであったことは初耳で驚きました。小谷先生が5年1組のご担当の時に、伊勢神宮への代表参拝の行事があり、私は5年生の代表として、先生と伊勢までご同道した体験がありますが、その模様は、写真入りで、私の『定刻主義者の歩み』(2007年、成文堂、10頁以下)に記録してあります。そして、最近、小谷先生の長女の方から、私にも私信が届きました。60年以上も前の中学時代の先生との出会いを感謝をこめて実感している次第です。
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by nakayama_kenichi | 2009-12-15 09:35
 交通事故によって被害者に死傷の結果が発生しますと、従来は「業務上過失致死傷罪」(刑法211条)が適用されていましたが、平成13年(2001年)に「危険運転致死傷罪」(208条の2)が新設されましたので、悪質で危険な運転行為から死傷の結果が発生したときは、一挙に重く罰せられることになりました。
 その中には、「アルコール・薬物運転型」と「信号無視型」と「通行妨害型」の3つがありますが、とくに最近、「妨害型」の危険運転致死傷罪に関する同様な2つの事件が現在最高裁に係属中であることが分り、その帰趨に注目すべきことを指摘しておきます。
 大阪のケースでは、自動車がバイクと並進中に幅寄せをしたこと、そして東京のケースでは自動車がバイクの直前に進入後に狭い間隔で並進したことを危険な妨害行為とした上で、いずれも妨害行為の故意と妨害目的が「推認」されると、1.2審では認めました。
 しかしそこには、大きな落とし穴があるように思われてなりません。それは、いずれのケースも「妨害行為」の態様と車両の位置関係が不明確で、目撃者の後方からの目撃供述の信用性にも問題があるだけでなく、妨害行為の「故意」と「妨害の目的」が積極的に立証されず、結果と行為態様から「推認」されるという認定にとどまっているからです。
 もしこれが、「業務上過失致死傷罪」ならば、過失行為の存在と業務上過失の存否が、より具体的な状況証拠によって慎重に立証されるべきことは当然であり、判例の蓄積も多いのですが、これがいったん「危険運転致死傷罪」で起訴されると、法が定めた危険行為の「類型」に当てはまれば結果との「因果関係」があるとされ、さらに「故意」と「目的」もほとんど「推認」されてしまうというパターンに至るおそれが現に出てきているのです。
  これでは、悪質な「危険運転行為」の類型を個別的に定め、「故意犯」として「積極的な目的」がある場合に限定した「立法趣旨」に反し、かえって処罰範囲が拡大する危惧があるといわざるを得ません。詳しくは、「論文」を書いて論証することにします。
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by nakayama_kenichi | 2009-12-13 09:21

2009年の研究業績

 毎年12月には、その年に公刊され、または公表された著書や論文などの研究業績をまとめて確認しておくことにしていますので、2009年のものを以下に書き留めておくことにします。昨年も書きましたが、加齢につれて公表した業績の数も少なくなっていくのは淋しいことですが、まだいくつか存在することで満足しなければなりません。

 1.「裁判員制度導入までに確めておきたいこと」
                             世界789号 09年4月
 2.「医療観察法の制定過程とその性格論争」
                       臨床精神医学38巻5号  09年5月
 3.『レヴィジオン刑法③』 構成要件・違法性・責任
                 中山=浅田=松宮 共著  成文堂  09年6月
 4.「『妨害型』危険運転致死傷罪の判例の検討」
                          判例時報2041号  09年7月
 5.『21世紀の刑事立法と刑事裁判』(論文集13巻)
                                 成文堂  09年11月
 6.「医療観察法の施行4年間の総括とその評価」
       ―専門家の意見の集約とコメント―   判例時報2052号 09年11月

 以上のわずか6点にとどまりましたが、『レヴィジオン刑法③』(共著)が完成したことと、私自身の論文集13巻を公刊することが出来たのが、今年の収穫でした。
 そのほか、研究業績とは言えませんが、「中山研一の刑法学ブログ」が今年も休むことなく、毎月10件を越えるペースで続けられたことも、記録しておきたいと思います。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-12-10 09:02
 毎年12月の日曜日に開催してきました瀧川ゼミ生の会は、今年は第1日曜の12月6日に、昨年と同様、私の入居しています高齢者用マンションで開催しました。11月下旬には中学のクラス会を開いたばかりで、昔懐かしい同級生との再会の機会が続いています。
 京大法学部の瀧川ゼミ生の会は、私どのもクラスを除いて行われたことを聞いたことがありませんので、今となっては貴重な存在として残っているといってよいでしょう。瀧川幸辰先生の下で刑法の研究者となられた方々も、今ではほとんど亡くなられ、先生と直接に面識のあった人も数少なくなっていますので、直接に先生の刑法の講義を聞き、試験を受けて採点してもらい、最終学年に刑法の瀧川ゼミ生として1年間、毎週一回、先生のご指導を受けたという体験は、貴重なものだったと思わずにはいられません。
 15名のゼミ生のうち、2名を除いては連絡がついていたのですが、今年は10名しか返信がなく、そのうち出席者は結局5名にとどまりました。元気な姿を確認したうえで、若かりし頃の苦労話も出て、とくに食べ物がなく栄養失調で結核になった者が多かったこと、就職難で進路の選択が大変だったことなどの回顧談もありましたが、80歳前後になっても元気な外面の影にいくつかの病気をかかえている体調の老化現象も共通の話題になりました。
  しかし、今年もわれわれ5名(うち女性1名)のゼミ生のほかに、滝川先生のお孫さんに当たる2人のご姉妹が参加して下さり、総勢7名となって、なごやかで華やかな雰囲気を楽しむことができました。関西在住のゼミ生が多い中で、富山の地から毎年欠かさず参加して下さる同期生(福島重雄元裁判官)に感謝しています。
  なお、来年は、瀧川先生が住んでおられた山科のお宅(参加されたご姉妹のお姉さんが現在居住中)に、できればみんなが集まって、先生を偲ぶことができればと期待しています。
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by nakayama_kenichi | 2009-12-07 11:28