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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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中学のクラス会

 旧制虎姫中学の20回卒業生のクラス会が、11月26日(木)に、私の郷里の余呉町の余呉湖荘で開催されました。前回は平成12年(2000年)でしたので、約10年振りのことになります。最寄のJR余呉駅に集合しましたが、最初は顔を見てもすぐには名前が出てこず、しばらくしてどこか昔の面影を思い出して笑顔がこぼれるという場面があちこちで見られました。まことに嬉しいクラスメイトの再会の瞬間です。
 私たちのクラスは、昭和19年(敗戦の前年)3月に卒業しましたので、中学時代の5年間は戦前の軍国主義化の時代でしたが、それでもまだ青春時代の素朴でささやかな自由を享受していました。卒業後は、それぞれが何らかの形で太平洋戦争とかかわり、大部分の者は内地勤務で済みましたが、満州からソ連に抑留されるという苦しい体験をした人もいます(その人のロシア語の労働手帳も拝見しました)。
 私たち卒業生は107名を数えましたが、すでに80歳を過ぎて、半数の約50名が亡くなっており、とりあえず連絡のつく約30人に案内しましたが、結局当日の出席者は17名でした。大部分は滋賀県および近畿地方に在住の者ですが、石川県の小松市や福井県の敦賀市からの参加者もありました。因みに、当時は、滋賀県下には旧制中学が、膳所(大津)中学と彦根中学と虎姫中学の3校しかなかったため、長浜のほか敦賀からの通学者が多く、雪の中を黒い煙を出しながら走る蒸気列車に乗って通学した頃の思い出が残っています。
 当日は快晴の暖かい日和に恵まれ、静かなたたずまいの余呉湖畔をバスで一周して、別れを惜しみながら、再会を約して散会しましたが、できれば来年も開催してほしいという希望に沿って、世話役を引き受けることにしました。
 その日は3名が余呉湖荘に1泊しましたが、翌朝は余呉小学校の旧校舎に残っている「講堂」(昭和2年建立)の建築様式をあらためて確認し、かつての小学校校舎の跡地にあった大きな楠木をなつかしく眺めながら、余呉の地を後にしました。
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by nakayama_kenichi | 2009-11-29 20:05

Penal Populism

「ポピュリズム」とは、本来は、庶民大衆の実感を重視して政治を動かして行こうとする手法をいい、かつては民衆主義、人民主義といわれて、エリート主義の批判という側面もありましたが、今日では転じて「大衆迎合主義」の意味にも使われています。
 最近では、犯罪に対する「厳罰化とポピュリズム」の関係が問題とされ、現に国際的規模における本格的な比較研究の業績が注目されています(『グローバル化する厳罰化とポピュリズム』日本犯罪社会学会編、2009年)。その中心的な指摘を引用しておきます。
 「Penal Populismとは、『法と秩序』の強化を求める市民グループ、犯罪被害者の権利を主張する活動家やメディアが、一般市民の代弁者となり、政府の刑事政策に強い影響力を持つようになる一方で、司法官僚や刑事司法研究者の意見が尊重されなくなる現象である」。「犯罪や刑罰の議論において、社会科学における研究成果よりも、むしろ個人的な体験、常識や逸話(体験談)といったものが重視されるようになり、人々は、複雑な問題に対して、分りやすく常識的な言葉で解決策を語る者に対する信頼感を高めていく」。
 以上は、世界の主要先進国に共通に進行しているように見える厳罰化とポピュリズムの関係を示唆しているものですが、とくに日本における厳罰化の傾向について、実際には犯罪が低い水準にあり、増加していないにもかかわらず、死刑や無期刑が増加し、刑期が長期化している国として国際的にも注目されているという状態にあります。
 たとえば、殺人の被害者数が減少しているにもかかわらず、死刑判決の数は目立って増加する傾向が見られます。ヨーロッパでは死刑制度が廃止され、韓国でも死刑は執行停止の状態が続行中で、アメリカでさえ減少傾向にあるにもかかわらず、日本の世論調査では80%以上の国民が廃止に反対であることが死刑存続の大きな理由とされています。
 このような状況の中で、「死刑事件」にかかわる裁判員が「死刑」にどう対応するのかという点が試金石として注目されるところです。
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by nakayama_kenichi | 2009-11-25 15:11

裁判員裁判の評価

 新しい裁判員法による裁判が開始されて、まだ間がないのですが、大騒ぎしたマスコミの報道も落ち着いて、その運用上の問題が少しづつ出てくるようになりました。ここでは、実務家と研究者による座談形式の論稿に注目してみました(坂根=村木=加藤=後藤「裁判員裁判の経過と課題」法学セミナー660号、2009年12月、10頁以下)。挙げられている論点のいくつかを紹介し、コメントを加えておきたいと思います。
 1.裁判員制度の滑り出しは、まずは順調といってよいが、まだ量刑が争点となる事件なので、本格的な重大否認事件がどうなるかによって真価が問われることになる。
 2.公判準備手続の運用も、全体的には適切といってよいが、公判で裁判員にあまり負担をかけたくないという意識から、やや絞りすぎが生じているのではないか。
 3.公判では、検察官が「見て分かる」方向を目指しているが、争いのないところは調書による扱いもまだ珍しくない。裁判員に十分な情報の提供が重要だが、刑事裁判の基本原則の説示を含めて、裁判官の評議室での説明は現状ではブラックボックスになっている。
 4.被害者参加制度が導入されたので、被害者や遺族の証人尋問や意見陳述が裁判員に及ぼす影響は、これまで以上に問題になる。それは量刑論に現れるので、罪責と量刑とを区別する手続二分論的な運用が必要ではないか。
 5.裁判員裁判の報道は過剰だという印象を受けるが、裁判員の「守秘義務」との関係で評議・評決の事後検証が行えないという問題がある。
 6.被告人に選択権がないので、裁判員裁判が強制され、公判整理手続後の空白期間中も身柄拘束(未決勾留)が続くという問題がある。
 以上ですが、今後の大型否認事件(死刑事件を含む)では、より深刻な問題が出てくることが予想されますので、今から、公判二分論や守秘義務の問題を含めて、もっと大胆な「見直し」の立法提案が期待されているというべきでしょう。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-11-23 20:15

秋田雨雀と植木枝盛

 日本法制史の熊谷開作先生の弟子にあたる和歌山大学の後藤正人氏が来訪され、いくつかの最近の業績を頂きました。その中ではとくに、「秋田雨雀の啄木研究の意義」と「植木枝盛の平和と民権の思想」という論稿に興味を惹かれました。
 まず、前者では、秋田雨雀(1883-1962)が、芸術家・文学者であっただけでなく、非戦思想の持ち主で、社会主義の思想に接近し、1927年にはロシア革命10周年記念に招待されて、エスペラント語の講演をするなどの特異な経歴をもっていたことを初めて知りました。
 その雨雀が、すでに戦前の大正期から石川啄木(1886-1912)の研究を手がけ、とくに、いわゆる「大逆事件」に係わる啄木の社会評論を研究し、その識見を評価していたこと、そして戦後も最後まで啄木の研究と顕彰に努力を惜しまなかったといわれています。
 一方、後者は、植木枝盛(1857-1892)という人がとくにその自由民権思想によって戦争絶滅・軍備撤廃という思想と世界平和構想を日本で初めて論文に書いたほか、とくにこれを憲法草案(日本国国権案、1881年)という形で具体的に提言したことが特筆されていますが、その中の多様な人権規定のうちのいくつかが紹介されています。
 第44条「日本の人民は生命を全うし四肢を全うし形体を全うし健康を保ち地上の物を使用する権を有す」。第45条「日本の人民は何等の罪ありと雖も生命を奪われざるべし」。第48条「日本人民は拷問を加えらるることなし」。第59条「日本人民は何等の教授をなし何等の学をなすも自由とす」。第63条「日本人民は日本を辞すること自由とす」。その他、陪審裁判を受ける権利のほか、抵抗権や革命権に至るような権利まで含まれているところに、驚くべき先見性と創造性を見ることができます。
 実際には大日本帝国憲法(1889年)は、これらの思想を否定して制定されたものですが、戦後の日本国憲法の源泉はむしろ植木草案につながっているというのが著者の結論です。
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by nakayama_kenichi | 2009-11-20 16:33

高等商船学校2期生会

 戦前の清水高等商船学校2期生(昭和19年入学)の同窓会全国大会が、入校65周年を記念して、2009年10月8日に行われました。私自身は所用で欠席しましたが、最近、その報告書が送られてきましたので、遠くなった青春時代の記憶をまた新しくしています。
 同級生の数が多すぎて(入校時1851名)、生存確認も把握困難なため、全国大会は今回が最後ということですが、関西や九州など、各地にはまだ地域別の同級会が開かれており、交流のきずなはなお維持されてきています。
 当時の校歌『海の若人』(梅木三郎作詞、佐々木俊一作曲)の一節です。
     1.碧 碧の水や空  咲くは真白き純情の
        海の生徒の三つボタン 今朝も仰いだ
         富士ヶ峯に   色は七つの虹が立つ
     2.鉄の心に胴の肌 肩も巌の若人が
        望む万里の太平洋   海は招くよ
         波は呼ぶ  燃える血潮の君を呼ぶ
     3.空に鋭く三日の月  潮湧き立つ海原を
        進む勝利の大船団   命捧げた
         海の子に   銀の飛沫が花と散る
     4.祖国はるかに幾千里  八重の八潮路ふみ行けば
        風に鳴る鳴る日章旗   金の徽章も
         陽に映えて    男七つの海を行く
 この歌は、昭和19年に「清水高等商船学校生徒隊に捧げる歌」として、毎日新聞社とビクターの協賛によって作られたもので、当時のプリマドンナ・斉田愛子と横須賀海軍軍楽隊の指導で紹介されたということです。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-11-17 08:52

中国訪問余滴(2)

 引き続き、いくつかの点を備忘録として記しておきます。
 7.南京の大虐殺記念館の見学は、日本人としては、やはり特別の思いがあり、私自身にも短期間の兵役経験がありましたので、凄惨な現場や写真などの迫力を実感することができました。しかし深刻な慙愧の念は、被害者の家族である李秀英という人の次の言葉で少し救われたようです。「歴史をしっかりと覚えよう。しかし恨みを覚えてはならない」〈what we must remember is history, not hatred〉。
 8.南京大学よりも、むしろ武漢大学のキャンパスの広大さに驚きました。面積が約400万平方メートルで、学生数は約4万8千人、教員数は約3500人という大規模なものですが、そのキャンパスがほとんど緑の森と林に覆われているのですから壮観です。自動者や自転車やバイクのほか、学生送迎用のオープンカーも走っていました。そして、大学構内にホテルやレストラン、教職員宿舎のほか、全員収容の学生寮や日用品店などもあって、ひとつの独立した世界を形成しているようでした。
 9.お土産として、私は自分の著書を数冊持参しましたが、これが好評で、とくに武漢大学法学院には、宮沢浩一教授が寄贈された「宮沢文庫」のほか、日本語の法律専門書が多く蒐集され、そして現によく読まれているとのこと、そして私が頂いた馬先生の著書には、日本語の文献が最近の著書も含めて数多く引用されているのを見て、驚きました。
 10.南京では、2人の女子院生、そして武漢でも1人の女子院生が私の滞在中付き添って面倒をみてくれましたが、これらの院生は、日本語を読みかつ少し話せる能力があり、いずれも来年あたりに日本の大学(京大、早稲田、北大)に留学の予定があるとのことでした。これからも、教員だけでなく学生も日本への留学が増えるものと期待されます。
 11.南京を去る前夜に、市内のマッサージ専門店で、足のマッサージ(正味1時間)を受けましたが、これは本格的なもので、もう一度現地で経験してみたいと思いました。ただし、同様の店は日本にもあるようです。
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by nakayama_kenichi | 2009-11-14 09:41

中国訪問余滴(1)

 今回、久しぶりに中国を訪問する機会がありましたので、そこで見聞したことや印象に残ったことのいくつかを未整理のまま記しておきます。
 1.中国人女性のチャイナドレスが姿を消しましたので、もう日本人との外見上の区別がつかなくなりました。外国に来たという印象が薄らいだようです。漢字にも親近感があります。ただ、車内での携帯電話の声が大き過ぎて、隣の席で長時間迷惑しました。中国人は一般に大声の雄弁家で、レストランの話し声の騒音も気になりました。
 2.ホテルは洋式で清潔でしたが、なぜか「靴べら」がどこにもなく、不自由しました。欧米にもないのかなと思案しました。また、中国人はほとんどがシャワーですますのが習慣のようで、武漢大学の外国人用ホテルにも浴槽の栓はありませんでした。
 3.中国に滞在中は、ほとんど雨が降らず、市内はほこりっぽく、とくに南京は空気がよどんで、遠くがかすんで見えるという状態の中で、自動車が急速に増加しつつあり、運転マナーの問題とともに、とくに環境の悪化が心配されます。
 4.私は中華料理が苦手で、心配でしたが、炒飯にもラーメンにも挑戦し、少し慣れました。南京は甘い味が、武漢は辛い味が特色ということでしたが、いずれも敬遠しつつ試食しました。日本料理店はまだわずかしかありませんでした。
 5.教え子の解さんが新婚なので、その結婚式の写真を見せてもらいましたが、パソコンに入力してある10数枚の写真は、実は専門の業者が事前にスタジオで撮ったもので、タレントを思わせるほどの豪華さに驚きました。披露宴でアップして見せるのだそうです。
 6.今回の「講義」のテーマのうち、「客観的帰属論」と「共謀共同正犯」は、中国の大学院生が事前に希望してきていたもので、刑法学の専門的な研究のレベルが確実に上がっていることに驚きました。今後もこのような傾向が続くものと思われます。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-11-12 09:17

武漢の5日間

 10月30日〈金〉の午後、南京から武漢まで、新装の新幹線で3時間の旅でしたが、漢口駅のホームには陳副教授(早稲田大学に留学経験あり)と若い女子院生が出迎えてくれました。車で武漢大学のキャンパス内の「珈珞山荘」に到着。夕食は、刑法関係の教授達と会食懇談しましたが、83歳でなお現役(終身教授)の馬克昌先生と固い握手をしました。
 10月31日(土)は、午前中、陳さんと院生の案内で湖北省博物館を見学しましたが、中国古来の多くの美術品を鑑賞し、古代楽器の演奏会にも出席できました。午後は3時から、私に「客員教授」(3年間)の資格を授与する儀式があった後、法学院刑法研究室で講義(「客観的帰属論」)をしました。質問の後、馬先生から詳しい解説とコメントがありました。
 11月1日(日)は、午前中に、2回目の講義(「共謀共同正犯」)をしましたが、ここでも馬先生のユーモアのある雄弁な中国語のコメントが印象的でした。午後は、陳さんと院生の案内で、「黄鶴楼」を見学しましたが、これは湖北省武昌の西南にあり長江(揚子江)を見下ろす高台にある古来中国風の高い楼閣で、晴天下の眺望を満喫しました。
 11月2日(月)は、午前中に、3回目の講義(「終末期医療と法」)をしましたが、中国でも関心の高いテーマで多くの質問が出ました。午後は休養しましたが、その夜から木枯らしが吹き荒れ、気温が急激に下がって、縮みあがりました。
 11月3日(火)は、急遽コートとマフラーをまとい、武漢市の別の大学(「中南財経政法大学」)に出かけ、講義(「終末期医療と法」)をしましたが、教員も学生も熱烈に歓迎してくれました。夕食は、刑法関係のスタフとの宴会で、交流を暖めました。
 11月4日(水)は、午前8時に、馬先生などの見送りを受けて宿舎を出発し、漢口駅から南京駅に向かい、午後1時ころ南京駅着。もとのジングルホテルに帰りました。
 そして、11月5日〈木)は、早朝にホテルを出て、南京空港から成田空港まで飛び、東京から新幹線で京都に向かい、夕方無事に帰宅しました。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-11-10 09:12

南京の5日間

 今回の中国訪問は、十数年ぶりのことでしたので、いささかの躊躇と不安がありましたが、結果的には、無事に予定の日程をこなすことができました。
 10月25日(日)の午後、「南京」までは、成田から飛行機で3時間、機内はほとんど中国人で満席、午後4時頃、南京空港につきました(時差1時間)。郊外の空港から市内のホテルまでは車で40分ほど、霧と靄に包まれた平原は広く、空気は乾燥していました。南京大学に近い「Jingle Hotel」に到着、清潔な部屋でした。休憩後、解さんの案内で、大学のレストランまで歩き、法学部長の李教授(42歳の若さ)と会食しました。
 10月26日(月)は、午前中、2人の女子院生(少し日本語ができる)と大学の構内を見学した後、市内の日本料理店(那古野・なごや)で昼食。午後2時から、ロースクールの院生に講義しましたが(テーマは「客観的帰属論」)、難しい問題にもかかわらず、いくつかの質問が出ました。日本語を話せる学生もいました。
 10月27日(火)は、午前中、前日の2人の院生の案内で、「明孝陵」まで観光に出かけました。中国では最も古い明の皇帝の墓地で、広大な山地の中に、巨大な動物(象や駱駝)の石像があるのが印象的でした。夕食後は、法学部学生向けに講義をしましたが(「終末期医療と法・安楽死・尊厳死」)、ここでも多くの質問が出ました。
 10月28日(水)は、午前中、2人の院生の案内で、「南京大虐殺記念館」を見学しましたが、その中では、救援活動をした英人ジョン・ローベさんの「許すことはできても、忘れてはいけない」(Forgivable, but unforgettable)という文章が印象的でした。午後は、大學院生向けに講義をしました(「共謀共同正犯」論)。ここでは「共犯と身分」に関する質問も出ました。
 10月29日(木)は、休養日で、市内を見学しましたが、近くの「鼓桜公園」では、早朝からお年寄りが太極拳などの運動をしているのを見かけました。
 10月30日〈金〉は、武漢への移動日で、午後から南京駅まで地下鉄で向いました。
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by nakayama_kenichi | 2009-11-09 10:40

論文集13巻発刊

 中国行きの間の残務整理にまだ追われながら、パソコンを開けましたら、やなりspamが300件以上も氾濫しており、これをようやく消却して、元に復しました。
 昨日、出版社から、私の新しい論文集『21世紀の刑事立法と刑事裁判』(2009年、成文堂)が送られてきました。これで今年の懸案だった目標が無事に達成でき、私の著書〈単行本〉も40冊を数えることになりました。自分の著書が出来ることは嬉しいことですが、一般のきびしい批判にさらされることを覚悟しなければならない緊張感に身が引き締まる思いがあります。
 私の最初の著書は、1958年(昭和33年)に出版されていますので、すでに50年前にさかのぼりますが、その後ほとんど中断することがなく、とくに1980年以降は、「成文堂」という出版社からの刊行物が圧倒的に多いという特色があります。どの世界にも、何らかの出会いやきっかけがいつの間にか太いパイプになって行くという現象があり、私自身もその幸運に恵まれたことを感謝したい気持です。
 参考までに、本書の「はしがき」から、内容の一部を紹介しておきます。
 第1章は、とくに21世紀(2000年)頃から顕著になった刑事立法の活性化と重罰化傾向を顕在化させた「法定刑の大幅引き上げ」の刑法一部改正を中心に、そして第2章は、いまだ未決の「共謀罪」法案について批判的な検討をしています。次に、第3章は、最近の刑事裁判で違憲性が争われた2つのケースを取り上げ、裁判所の合憲判断の奥にある政治的配慮の存在を示唆したものです。最後に、第4章は、重大な刑事事件を対象とした「裁判員法」の施行を前にして、その成立の経緯と背景を批判的に問うものとなっています。
 そして、結論的には、将来の見通しは決して予断を許さず、むしろ暗い予感がただよっているが、いかなる場合にも、リベラルでヒューマンな立場からの真剣な検討と問題提起を怠ってはならないことを自戒しつつ、本書を世に送りたいと述べています。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-11-08 10:12