最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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つもりちがい人生訓

 7月の第1土曜日の4日は、午後から「刑法読書会」が、立命館の法科大学院(二条城前)でありましたが、その前に、午前中から、長岡京の家に出かけて、古い資料を探していましたら、誰からかもらったと思われる『つもりちがい人生訓』と題する文書が出てきました。すでに紹介したかもしれませんが、もう忘れていますので、気分の中休みのつもりで転記しておきます。これには、「四国八十番別格本山の国分寺」の署名があります。
      一 高いつもりで  低いのは     教養
         低いつもりで  高いのは      気位
      二 深いつもりで  浅いのは     知識
         浅いつもりで  深いのは     欲望
      三 厚いつもりで  薄いのは     人情
         薄いつもりで  厚いのは      面の皮
      四 強いつもりで  弱いのは     根性
         弱いつもりで  強いのは      自我
      五 多いつもりで  少ないのは    分別
         少ないつもりで 多いのは     無駄
      六 長いつもりで  短いのは      人生
         短いつもりで  長いのも       人生
 すべてもっともだと思いますので、つもりちがいにならないように、高い教養、深い知識、厚い人情、強い根性、多い分別を身につけたいと思うのですが、それもまた「つもりちがい」になるおそれがあります。ただし、「人生」だけは、実際に、もうだいぶ長くなりました。
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by nakayama_kenichi | 2009-07-05 11:02

介護予防の話

 6月29日(月)の午後2時から、大津市の健康長寿課に属する「中あんしん長寿相談所」(中地域包括支援センター)から、社会福祉士のF氏に来てもらい、この高齢者用マンションの居住者向けに、地域の介護と福祉のサービスに関して、支援センターの活動の現状の説明をして頂きました。すでに要介護・要支援の認定を受けておられる方を一応除いて、約20名の方が参加し、熱心に耳を傾けました。
 私自身は、まだこの種のサービスを受ける直接の対象ではありませんが、「明日はわが身」ということも自覚して、この説明会の斡旋役を引き受けました。この種のサービスの対象は、現在はまだ要介護・要支援の認定を受けてはいないけれども、要支援状態や要介護状態となるおそれのある高齢者ということですが、このような無資格の高齢者でも利用できる「特定高齢者施策」の種類とその利用方法を示して、センターの活動の内容を説明し、質問を受けるというのが今回の会合の趣旨でした。注目すべきは、以下の3点です。
 第1は、この種の地域の包括支援センターの活動が「介護予防」と呼ばれている点で、その趣旨は、要支援・要介護状態となるおそれのある高齢者が要支援・要介護にならないように事前に「予防」支援することにあり、その方が効果的であるといわれていることです。
 第2は、このマンションの入居者にとって、今すぐにでも可能な方法が、上記の支援センターに電話をすれば相談の応じてもらえる上に、ヘルパー派遣などの在宅サービスを低額で受けられるということです。これは、説明会の貴重な収穫でした。
 第3は、要支援・要介護の認定を受けるための申請の際の援助についても、このセンターの業務としてお願いできるということです。
 頼りになる支援センターの電話番号は、077‐528-2003、528-2006 です。
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by nakayama_kenichi | 2009-07-02 21:13

戦後の民主化の限界

 1945年の太平洋戦争の敗戦が、戦前から戦後への日本社会の「民主化」にとって、決定的な転換点であったことは、動かし難い歴史的事実です。当時は「民主革命」とさえ言われたのです。私自身は、清水高等商船学校(海軍の兵籍)の2年生で敗戦を迎え、戦後は旧制の静岡高校に在学し、文字通り、自由と平和の世界を満喫しました。
 日本国憲法が新しく制定され、刑事訴訟法が英米法の当事者主義と適正手続原則に沿って全面改正され、刑法も不敬罪やスパイ罪などを廃止するなどの改正があったほか、猛威をふるった治安維持法も特高警察も全面的に廃止されたのです。
 それは、国政の「民主化」の最大のチャンスだったのですが、アメリカ占領軍総司令部による上からの改革であったため、戦後の民主化の担い手が育たないまま、わずか3-4年で反動に転ずることになりました。代用監獄での密室取調べの廃止も、死刑の廃止も、陪審制の復活も、そのチャンスを失ってしまい、実際には、戦前の勢力が、政界も官界も、そして司法界も、単に衣替えをしただけで、支配し続けるという状態が維持されたのです。
 政界では、東条内閣の閣僚であった岸信介が戦後復活するというのが象徴的ですが、司法界でも、太平洋戦争の開戦時(1942年)の司法実務家に対する「思想実務家会同」の席で、「そもそも大東亜戦争は、究極するところ米英旧秩序の根幹をなす民主主義、個人主義・・・を覆滅し、皇国の道義を世界に宣布せんとする一大思想戦に外ならぬ」という「指示」を行っていた当時の池田克刑事局長が、戦後(1954年)最高裁判所の裁判官に任命されているという現実があります。
 今回の「裁判員法」が、本当に戦前以来の官僚司法の民主化につながるのかという観点からの歴史的な分析が欠けているように思われてなりません。
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by nakayama_kenichi | 2009-07-01 12:44