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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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今年の連休

 今年の連休は、いつになく長く、しかも天気も良さそうなので、多くの人出が予想されます。しかし、一方では、100年に1度という経済的不況に加えて、豚インフルエンザの流行が心配されるなど、暗いニュースが多く、つかの間の休息ということになりそうです。
 私自身は、本来は連休などと無縁な生活を送ってきており、昨年や一昨年のブログを見ても、連休に関するテーマは見られず、関心の外にあったように思われます。むしろ休日は外出を避けて、自宅での研究活動に集中できる絶好の機会として利用してきたといってよいでしょう。今年もその例にもれませんが、少し状況が違うようです。
 4月15日から3泊4日の予定で、大腸のポリーブの内視鏡による摘出手術のため入院し、術中と術後は大変だったものの、経過は順調で、18日に退院したことはすでに報告しました。4月28日までは安静にして外出もせず、研究会も休んでいましたが、28日に外来診療のため病院まで出かけました。例によって2時間近くも待たされた後、ようやく順番がきましたが、手術は成功し、ポリーブにはがん性のものはないので、平常通りの生活に戻ってよろしいとの医師の説明はわずか3分で終わりました。
  29日の休日は、午後から近くのびわ湖大津館に隣接しているイングリッシュガーデンに入館し、緑の芝生の上に腰を下ろして、色とりどりの花をゆっくりと観賞しました。季節ごとに違う花が見られるのも魅力の一つで、写生でもできたらと思いました。
  あと、5月2日に、比叡山の山頂までのドライブに誘われているのも楽しみです。
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by nakayama_kenichi | 2009-04-29 21:05

虚偽の自白とDNA

 最近の新聞報道によりますと、足利女子殺害事件(1990年)で無期懲役が確定した受刑者に対する再審請求の即時抗告審で、東京高裁が依頼した鑑定の結果、女児の着衣に付着していた体液と、受刑者から採取された血液などのDNA型が一致しない可能性が高いことが分り、再審の開始の可能性が出てきたと報じられています(朝日2009年4月21日夕刊)。これは、DNAの一致が逮捕の決め手になっただけに、深刻な問題をはらんでいます。
 ところが、アメリカでは、事態はさらに進んでいて、自白して有罪となった事例のうち、1990年代以降、DNA鑑定によって虚偽の自白であったことが判明したケースが、実に125例にも上ることが明らかにされています(スティーブン・A・ドリズィン=リチャード・A・レオ『なぜ無実の人が自白するのか―DNA鑑定は告発する』伊藤和子訳、日本評論社2008年)。
 本書によりますと、「ミランダ・ルール」(被疑者に対して、黙秘権、弁護人立会権などを告知すること)が確立しているはずのアメリカでも、捜査官に誘導されてこれらの権利を放棄し虚偽の自白をするケースが多く、そのことが客観的な証拠であるDNAによって明らかになったという実例がなまなましく紹介されていて、驚かされます。
 「ミランダ・ルール」さえない日本では、状況はより深刻で、強制よりもむしろ心理的に誘導された自白が有罪判決に導くという可能性がさらに高いと考えられます。裁判員も自白があれば有罪にしやすいので、自白を得るための取調べが熱心に続くでしょう。
 日本でも、DNA鑑定による誤判の防止という課題を追及する必要があります。
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by nakayama_kenichi | 2009-04-27 16:38

検察審査会と裁判員制度

 「検察審査会」とは、検察官による起訴・不起訴の判断に民意を反映させるための制度で、とくに検察官による不起訴処分に対して、不服のある被害者や告発者が起訴するよう訴えることができるものです。アメリカの「大陪審」に示唆を受けたものといわれていますので、「陪審制度」と関係があるのです。つまり、裁判員が裁判への国民参加なら、この審査員は裁判に先立つ起訴段階への国民参加だということになります。
 検察審査会は、衆議院の有権者名簿の中から、くじで選任された11名の審査員から構成されます。ここで重要なことは、審査会が、11名の素人だけから構成され、法律専門家は1人も入っていないという点です。よく素人だけで判断できるのかなといわれるのですが、これまでの検察審査会の実績は高く評価され定着したものとなっています。私自身も助言者の形で参加した経験がありますが、審査員の皆さんの熱心な議論に感心しました。そして、これまでは結論に拘束力がなかったのですが、最近の法改正で、「起訴すべきだ」という結論が2回出れば、検察官は必ず起訴しなければならなくなりました。
 一方、裁判員制度は、6名の素人裁判員のほかに3名の職業裁判官が入りますので、裁判官主導となりやすく、公判準備手続で枠決めされてしまいますと、裁判員の参加が「形骸化」(飾り物化)するおそれがあります。素人が主人公の「陪審制」のモデルに近づける必要性があるというべきでしょう。そしてそのためには、捜査手続の可視化のほか公判準備手続の公開も必要になってくると思われます。
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by nakayama_kenichi | 2009-04-25 17:58

命ありてこそ

 4月22日は第4水曜日で、雲井昭善先生の第4回目の講演会の日に当たります。今回もまた、マンションのホビールームは満員の盛況で、みんな熱心に先生の講演を聴き、メモをとっている人もかなりありました。
 今回のテーマは「命ありてこそ」というもので、最初からインパクトが感じられました。先生はまず、人間の命が大切なものであることを、この世に生を受けたことの不思議さから説き始め、皆が誰一人として同じではない固有の「人格」を具えている貴重な存在であることを強調されました。そして、黒板には、「天上天下 唯我独尊」というお釈迦さんの言葉を書かれ、それは自分だけがただ独り尊いというのではなく、万人がそれぞれ独立して尊いという意味であるといわれ、「山川草木 一切衆生 悉有仏理」と書かれて、生きとし生けるものはみな、ことごとく仏となり得ると説明されました。
 しかし、他方で、人間には「むさぼる」「怒る」などの煩悩が必ずあるので、これを自制し、コントロールしなければならず、これを「修行」として継続的に行うことが必要になるといわれました。生きることの目的は、結局は「道を求める」という点にあり、茶道も華道も「道」であるように、「仏の道」を求めるのが理想であるとされ、かけがえのない命をもらったのだから、各自が自分の生き方を自分で考えるべきであるといわれました。
 そして、最後に、「命ありてこそ」に続く後の文句として、先生は「尊かりけれ」といわれましたが、各自が後半の言葉を考えるよう促されて話は終わりました。
 私自身は、「命ありてこそ」、「このブログが書ける」と記しておきたいと思います。
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by nakayama_kenichi | 2009-04-22 20:55

臓器移植法案への疑問

 臓器移植法の改正問題が浮上してきたことについては、最近も触れましたが、新聞報道では、臓器移植法改正案を審査する衆院厚生労働委員会の小委員会が4月21日午前に開かれ、臓器移植に推進の立場と慎重な立場の6人の参考人が意見を述べたが、子どもの臓器提供などについて、参考人の意見が分かれたとのことです。
 そして、自民党の国会対策委員長は、21日の党の会合で、「5月11日から始まる週に、本会議で各議員の意見をお伺いする機会を持つようにしたい」と述べ、大型連休明けにも衆院本会議で党議拘束をかけずに採決する意向を明らかにしたといわれています(朝日4月21日夕刊)。
 従来のA案(脳死を人の死とし、家族の同意で足りる)、B案(適用年齢を15歳から12歳に下げる)、C案(脳死の判定条件を厳格化する)以外に、超党派の新案として、「家族の同意があれば「人の死」として提供できる」というD案が検討中とのことです。
  このうち、A案がもっともすっきりしたものですが、「脳死」を一律に「人の死」とすることへの社会的合意がないという問題をかかえているので、新案が急遽作られたものと見られます。しかし、本人のドナーカードによる意思表示がなくても、家族の同意があれば、なぜ本人の「脳死」が「人の死」となるのかという点が今よりもさらに説明困難になるという本質的な難点をかかえています。「脳死は人の死か」という根本問題を回避したままの政策的な法案をともかくも急いで通してしまおうというのでは、これまでの論議とも整合せず、その場逃れの無責任な立法態度として将来に禍根を残すことになるおそれがあります。
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by nakayama_kenichi | 2009-04-21 21:24

3泊4日の入院

 4月15日から、3泊4日の予定で、大津日赤病院に入院しました。病院に入院するといいう経験は、約10年前に、脳下垂体腺腫の手術のため京都医療センターに入院して以来のことです。個室に空室がないため「特別室」を与えられたのは幸運でしたが、とくに手術が始まるまでの待機時間は、緊張と不安が交錯した落ち着かない気分で過ごしました。
 15日は一般的な検査だけで済み、夜の自由時間は、新潮文庫の堀和久著『死にとうない―仙崖和尚伝』を読みました。これは、前にも一度読んだものですが、「若狭の賢者」乾長昭のあずまやが「仙崖荘」と名付けられていたこととの関係で、仙崖和尚の生涯に興味を感じたものです。悟りを開いたはずの和尚の「死にとうない」という最後の言葉に「人間」の本性が現れているのでしょうか・・・・・。
 16日は、朝から一日絶食で、点滴の管につながり、午後2時半ころから内視鏡センターに入って、いよいよ内視鏡による大腸のポリーブの摘出手術が始まりました。一時間あまりの間、狭いベッドの上で悪戦苦闘、医師のなすままに身を委ね、ただ夢中で時間の経過を待つのみでした。終わってからの痛みはなく、しかし動けないまま長い夜を過ごしましたが、空腹感よりも安堵感の方が高く、夢うつつに仙崖和尚の本のことを考えていました。
 17日は、回復期ですが、朝の「おもゆ」、昼の「3分かゆ」、夜の「5分かゆ」と進む中で、点滴も取れ、食事の有り難さを実感しました。こうして、懸案の手術も何とか無事に終わり、18日の昼前に退院しました。しかし、28日に外来診療で詳しい検査の結果が出るまでは、安静にして遠出をしないよう釘を刺されました。今は、留守中の残務の整理に追われています。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-04-18 18:07

刑法学会の記念大会

 日本刑法学会第87回大会(学会創設60周年記念大会)は、5月30日と31日に、東京の明治大学で行われます。60年前といいますと、1949年(昭和24年)、敗戦後4年を経過した時期で、私はまだ京大法学部1年生でした。創立初期からの会員はもうほとんどいなくなっており、1955年(昭和30年)頃から参加している私どもも、もう古い世代に属するようになりました。
 会員数も、最初は数十名の規模だったと思いますが、今では数百人の規模となり、大きな会場を用意するなど、準備も大変になってきたと聞いています。とくに最近は、若い会員が増えつつあり、一面では喜ばしいことですが、他面では大學院生の終了後の就職に困難が出てくるといった問題も抱えています。
 今回は、ドイツから3名もの著明な教授が来日して、記念講演をされる予定になっています。テーマは、ドイツにおける「理論刑法学の状況」のほかに「実体刑法の学説と実務」、「刑事手続の過去、現在、未来」となっており、それぞれ興味のある問題提起から、多くの示唆を得ることができることが期待されます。
 ただし、私としては、第1に、「手続法」を含めて、なぜドイツだけなのかという疑問を感じます。ドイツから学ぶだけでなく、ドイツを通じて国際的動向を探るという方向に関心を広げてほしいものです。第2は、新しい裁判員法が施行されるこの5月という時期に、なぜ刑法学会が正面からこれを取り上げないのかという疑問です。有志の間からでも声をあげてほしいものです。
 なお、私は、明15日から3泊4日の予定で、大津日赤病院で大腸のポリーブ切除の手術をしますので、その間、ブログを休みます。
 
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by nakayama_kenichi | 2009-04-14 10:59

パイロット・スキーム

 これは「先行試行」という意味で、最近の村井敏邦教授の論文「刑事法における法社会学と法解釈学」(渡辺洋三先生追悼論集、所収)の中で、裁判員制度の導入に関して、以下の趣旨の指摘があることに注目しました。
 「模擬裁判員裁判はあくまでも模擬であるので、試験的実施とは異なる。英米では、新しい制度を実施する場合には、いわゆるパイロット・スキームを行い、その結果を見て本格的実施に踏み切るかどうかを判断する。経験主義の国らしいやりかたである。日本では、このような試験的実施という方策はとられず、いっせいに新制度に切り替えるということが多い」。
 日本の裁判員制度には、3年後の見直しが予定されていますが、それは正式な実施を前提としたもので、パイロット・スキームとは違い、メリットとデメリットの客観的な判断を保障するものとはいえず、現状追認的な方向に流れる限界があります。
 村井教授の提案の背景には、韓国における暫定的な立法形式がありますが、具体的には5年間位の試行期間を置き、試行的に実施する場合には、被告人の選択権を認めることも可能であり、市民の参加意欲についての改善も可能だろうとされています。
 私も、裁判員法の施行延期ができないならば、このようなパイロット・スキームの方式も十分考慮に値するものと考えます。
 なお、村井教授は、このパイロット・スキームが、法科大学院の設置についても考慮すべきであったし、死刑の一定期間の停止にも応用できるといわれている点にも注目すべきでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2009-04-12 21:14

文楽鑑賞漬けの一日

 去る4月7日は、大阪の国立文楽劇場で、午前11時から3時までの昼の部と、午後4時から9時までの夜の部と、連続して人形浄瑠璃を鑑賞するという1日でした。夜の部は8時で中座しましたが、大津からの往復を含めて、いささか疲れを覚えました。
 いつものように、今回も勧誘して下さった大阪の石川弁護士は、古くからの大の文楽ファンで、出し物の内容も語り手などのスタフの経歴などにも詳しい常連なのですが、私などは全くの素人で、何も詳しいことが判らないままに、ただ繊細な人形のしぐさに惹かれて、話の成り行きを追い、義理人情の世界に引き込まれるといった程度のものです。それでも、日本の古典的な芸能の魅力が少しづつわかるようになってきたようです。
  今回のテーマは、通し狂言「義経千本桜」という有名な出し物で、平家追討の大功を立てながら、兄頼朝に追われる源義経の流転の過程に、源平の合戦で討ち死にしたはずの平家の武将たち(平知盛、維盛、教経)の後日譚が絡むという物語になっています。
  源氏物語も平家物語も、もうほとんど忘れていますので、なかなか話の筋がわかり難いのですが、「討っては討たれ討たれて討つ源平の習い」という連鎖と宿命の中で、主君と家臣、夫と妻子との間の悲劇的な人間関係が見事に演じられて行きます。
 魅力は何といっても美しい人形がまるで生きているように操られていること、その動作に合わせる語り手の名調子によって、とくに人間国宝の人形使いと語り手の息の合った正確で微妙な動きが、観客の心を捉えて離さないというところにあります。
 今回はとくに、静御前の人形のあでやかな姿としなやかな動きが印象的でした。
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by nakayama_kenichi | 2009-04-10 10:15

臓器移植法の改正問題

 臓器移植法が成立したのは1997年、今から12年前になります。当時の激しい論議の末に、脳死状態(脳の機能は停止したが心臓が動いている状態)からの心臓や肺臓の移植は、本人が臓器提供の意思を書面で表示し、家族も反対しない場合に限るという原則が法定されました。3年後の見直しの時期に臓器提供要件の見直し問題が、主として患者団体や移植医から出ましたが、この原則は維持されてきました。
ところが、2004年になって、自民党の臓器移植調査会が改正案として、「本人が書面で拒否しない限り、年齢を問わず家族の同意だけで臓器の提供ができ、さらに親族への優先適用を認める」という趣旨の改正案(河野案)を提案してから、臓器提供要件の改正をめぐる論議が再燃し、法改正に向けた具体的な動きが現実化するようになりました。その頃の状況については、このブログでも取り上げたことがあります(2005年4月8日)。
その後、この問題は沈静化していましたが、最近また再燃し、2009年4月に衆議院の小委員会で取り上げられ、立法論議が本格化するのではないかという見方が出てきています(朝日新聞4月8日)。この時期に改正案が再燃した背景には、WHOが海外での渡航移植を規制するという動きがあり、心臓移植が国内(58人)よりも海外(78人)の方が多いという現状への危機感があるようです。
しかし、この問題には歴史的な論議の蓄積があり、理論的にも実務的にも深刻な問題が含まれていることを再確認する必要があります。私としては、肝心の「ドナーカード」の普及運動が忘れられていることを指摘しておきたいと思います。 
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by nakayama_kenichi | 2009-04-09 10:05