最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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裁判員制度の「謎」

 裁判員制度に関する論文(『世界』掲載予定)を脱稿した後で、コリンP.A.ジョ―ンズ『アメリカ人弁護士から見た裁判員制度』(平凡社新書、2008年)を読む機会がありました。
 この本は、アメリカ人弁護士の目から見た日本の裁判制度に対する辛辣な「謎解き」の書であり、われわれの気づかない多くの注目すべき指摘が満載されていて、圧倒される思いがします。青と赤のペンで線を引きながら、つけた付箋が一杯になりました。
 前半は、アメリカの陪審制度の歴史と現状を述べた部分ですが、ここではとくに「陪審制度」に対するおきまりの批判に答えて、陪審制の本当の力が法律のプロを疑う「市民のパワー」にあり、少数者を公権力から守るという救済の精神にあるといわれている点にリベラルでヒューマンな伝統の力を感じました。
 後半は、日本の裁判員制度の「謎」のいくつかを指摘していますが、その前提として、日本では「お役所によるお役所のための法律」が支配していて、「市民のための市民のルール」というアメリカ的な発想とは質的に違うことが卑近な例をあげて指摘されています。そしてそれが、日本の刑事裁判の現状にも妥当し、今回の裁判員法が「市民の参加」を喧伝しても、お役所による「自白重視」と冤罪の構造は変らないといわれるのです。その例として、裁判員になれない人の「謎」(法律専門家を除く)、裁判員の「公平・誠実・品位の」の「謎」(「良心」は求められていない)、評議・評決の「謎」(密室の評議の守秘義務)などがあげられた後、結局、裁判員制度は実は「裁判官(上層部)」のためにあると結論づけられています。外国人による興味のある分析として、一読をお勧めしたい本です。
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by nakayama_kenichi | 2009-02-06 11:18

ブログの縁

 このブログを書き始めて、2009年の2月末には満4年になりますが、自分でもよく続いたものだと驚いています。同じようなことを繰り返し書いて、マンネリに陥っているという自省の念も一方にはあるのですが、他方では、かなり多くの方が恒常的に見て頂いていることを思うと、簡単にはやめられなくなっているというジレンマも感じています。
 最初は、同じ専門の若い研究者の方々、あるいはいくつかの大学で私の講義を聞いて下さった教え子の方々などが関心をもって見て下さるものと考えていたのですが、実際には「インターネット」の世界ですから、それ以外の一般の方々にも範囲が広がり、全く面識のない方から、コメントが来たり、メールをもらったりすることが多くなりました。
 たとえば、東京あるいは九州などの遠方の大學で刑法を勉強している学生や院生から、コメントや質問が来ることもありますが、質問にはなるべくお答えすることにしておりますので、さらに返信が来るという関係が生まれます。
 また、大學や専門とは全く関係のない或る「単語」が媒介項となって、私のブログに偶然につながったため、連絡が来るようになったというようなケースもあり、それこそ「ブログの縁」と呼ぶに相応しいケースもいくつか経験しました。ブログが取り持つ何かのご縁でその方のお役に立つことができれば、私の方も嬉しい気持ちになります。
 ということで、今年も、体調が許す限り、ブログを書き続けたいと考えていますので、どうかよろしくと申し上げておきます。このブログを書くことも私の大事な「仕事」の一つとして定着することになりました。
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by nakayama_kenichi | 2009-02-03 11:46

仕事を作る

 大學で講義をしなくなって、もう10年以上になりますが、研究の仕事の方には定年がなく、何とかまだ続けています。習い性になるというのでしょうか、何時までという終わりがなく、おそらく死ぬまでということになってしまうでしょう。
 ただし、自然と研究の範囲も内容も限定されたものとなり、無理をすれば恥をさらし、自分も傷つくことになりかねません。自然体の程よい自制心によって、興味と刺激を長持ちさせることができればと心がけています。
 研究のスタイルは人さまざまですが、私の場合は、テーマが決まれば、まずそのテーマに関連する文献や資料の収集に努力します。そして、これらを分類して、できるだけ丹念に読み、それを後で復元できるように準備します。文献は、赤線と付箋だらけとなります。それによって、現在の問題状況を把握することができれば、一応準備は完了です。
 次は、論文の執筆の開始ですが、無計画は禁物で、できるだけしっかりした構想を練ることが必要です。問題意識が明瞭であって、それが「はしがき」と「あとがき」に現れるようなものでなければ、読者を動かす力にはならないでしょう。
 執筆をはじめたら、自分で納得の行くまで考えながら推敲し、不正確で自信がなければまた文献を確かめるという慎重さが要求されます。全体のバランスも大切で、おおげさにいえば、ひとつの芸術作品を作るのと似ていると思います。
 ひとつの仕事が終わりますと、そこからまた次の問題が出てくるので、次の仕事を作ることになり、結局は終わりがないということになるわけです。
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by nakayama_kenichi | 2009-02-02 18:02