最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

<   2009年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧

日本政府の怠慢

 政府の行政機関は、省令の改正などを行う際に、最近では、事前に「パブリックコメント」を求めることがありますが、その締め切り期間が非常に短いために、提出される意見は極めて少なく、しかも反対意見がほとんどであっても、原案を修正することなく施行してしまうというのが現実です。形式的なアリバイ作りの感さえあります。
 ところが、文書等の提出期限を国民の側には厳格に遵守させているその政府が、正式の国際機関から要請された期限付きの報告書の提出については、大幅に期限を超過しても平気で居直っているという場面があるのです。これは、国連の自由権規約委員会からの勧告にからむもので、前回の1998年11月の規約委員会の審査と所見に対する5年後という報告書の提出期限を3年も超過して、政府の報告書が提出されたのは2006年12月でした。
 その上に、提出された日本政府の報告書は、その内容が前回とほとんど変らない官僚的な作文のままです。その証拠に、2008年10月に出された規約委員会の意見は非常に厳しいものであり、多くの問題で日本政府が勧告に従っていないことに懸念を表明しています。その中には、死刑判決と執行数の増加への懸念、長期身柄拘束への懸念と代用監獄の廃止、捜査・取調べに対する被疑者の権利(弁護人の立会権、録音・録画)、戸別訪問、文書配布の禁止に対する懸念など、重要な問題が含まれています。
 日本が人権の後進国から脱却する道を、国際的視野から真剣に考えるときがきています。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-27 17:55

共に生きる

 2月25日(水)の午後、「雲井昭善先生のお話を聞く会」の2回目が、このマンションの中で開催されました。前回ほどではありませんでしたが、大勢の入居者が一堂に会して、先生のお話を真剣な面持ちでお聞きし、大學での講義を聞くような何かアカデミックな雰囲気を感じました。
 テーマは「共に生きる」というもので、人類を世界的に捉えたとき、「共存」「共生」「環境」「平和」が問題となるが、今日は「共生」について語るといわれ、話は自然とご専門の「仏教」から始まりました。釈迦の教えから始まり、その弟子達が説いた教えの中でも重要なのは、①足ることを知る、②生きとし生きるものとして、自制する、③世の人々に対して貪り、怒り、害することをしない、④われがわれがという慢心を離れる、という点にあること、そして、「貪欲」「怒り」「愚痴」の3毒を消して行く努力が必要であることを諄々と説かれました。
 人々との共生のためには、「寛容の心」「感謝の心」「報恩の心」が必要であるとし、人々が互いに支え合うためには、人に接するときには春風のようにやさしく、自分に対しては秋霜のようにきびしくしなければならないといわれました。
        春風以接人  秋霜以持己
 私自身も、「継続は力なり」という言葉とともに、久しぶりに「共に生きる」の生き方の根本に思いを致す機会に恵まれ、さわやかな気持ちになりました。そして、94歳とはとても思えない先生のパワーと抜群の記憶力に改めて驚嘆しました。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-25 21:21

おもねること

 私は、朝日新聞を購読していますが、毎朝一番先に目を通すのは、「声」の欄です。そこには、庶民のささやかな、しかし率直な「世論」の一端が表れていると思えるからです。「朝日川柳」が事の本質をずばりと表現しているのも痛快です。
 2月22日(日)の朝刊には、偶然でしょうが、「おもねる」という言葉が2度も出てきたことに気づきました。1つは、「声」の欄にあった「権力との対峙 記者に求める」というもので、辞任した中川元財務・金融相に対しても、また森元首相にたいしても、記者たちはなぜもっと鋭く質問し、きちんと対応しないのかと問うた上で、「記者と記事が時の権力や支配層に『おもねる』ようなら、その新聞の存在理由はなくなる」と言われています。
 もう1つは、別の「イラク自衛隊派遣24日岡山地裁判決」に関する記事の中に、昨年4月の名古屋高裁がバグダッドを「戦闘地域」とし「多国籍軍の武装兵員を空輸するのは、他国による武力行使と一体化した行動」だと指摘し、この判決が確定した後、24日の岡山での一審判決を前に、全国弁護団の事務局長が、「政府はどんな戦争だったかを明らかにしていない。裁判所は政治に『おもねる』ことなく、見識を示してほしい」と述べた談話が紹介されています。これらは、権力や大勢に「迎合する」ことを戒める趣旨だと思います。
 因みに、広辞苑には、「おもねる」(阿る)とは、顔を左右にきょろきょろさせて相手の心に従おうとつとめるという意味から、人の意を迎えてへつらう、こびる(媚びる)ことだとされています。
c0067324_21123826.jpg

[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-22 17:41

死刑制度と向き合う

 日本では、死刑の判決も執行も拡大の一途を辿っています。そして、世論もおおむね、または致し方なく、この現状を追認する傾向が定着してしまって、死刑廃止論や執行停止論さえほとんど表面化しない状況が続いています。
 しかし、目を世界に向けますと、実は「国際連合」自体が「死刑廃止は世界の趨勢」といい、「死刑執行の停止こそ廃止への一歩」と公言しており、国連の調査でも、死刑を廃止もしくは事実上廃止している国・地域は141で、死刑を維持している56を大きく上回っています。
 先進主要国中、死刑維持国は米国と日本だけだといわれていますが、米国には日本と違う事情があります。米国で、現在死刑を維持しているのは36州ですが、実際に死刑を執行しているのは10州で、最も多い死刑囚をかかえるカリフォルニア州でも執行が停止されているといわれています。米国もこの問題では動いているのです。
  その上に、国連が日本の死刑に不信感を抱いているのは、その閉鎖性にあり、米国では執行日や方法、家族や遺族のほかジャーナリストにまで執行の立会いを許すケースが多いのに、日本では秘密裡に執行されている点も問題にされています。
  今年の5月から、裁判員制度が始まりますと、裁判員が死刑判決を科すかどうかという問題に当面しなければならないことになります。困難な問題ですが、今こそ、死刑制度の問題に真剣に向き合う時期にきていると思われるのです。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-18 18:02
 このブログでもすでに触れていることですが、5月から始まる日本の「裁判員法」の趣旨は、国民の参加によって司法に対する国民の理解を増進し信頼の向上を図る点にあるとされていて、そこには「司法の民主化」という現状改革の理念はうたわれていません。
 したがって、法律やその解説を見ても、どこにも「誤判」や「冤罪」の防止のための改革という視点を見出すことができません。日本では司法に対する信頼が高いといわれていますが、最近でも、2007年1月、強姦事件で有罪が確定していた富山の事件で、別の真犯人がいることが明らかになった「氷見事件」や、2007年2月、公選法で起訴されていた被告人らに強引な取調べによる虚偽自白の採取があったとして全員無罪になった「志布志事件」など、「誤判」による人権侵害事件が跡を絶ちません。
 ここからは外国の例ですが、北大の白取教授によりますと、フランスでは、無実を主張した13人の被告全員が無罪となった事件直後の2005年に、国民議会が調査委員会を設置し、その詳細な報告書に基づいて、未決勾留に対する厳格なチェック、未決勾留手続への弁護人の立会権、警察留置場での被疑者の取調べの録画などの改革が一挙に実現したといわれています(法学セミナー2009年、651号、巻頭言)。
 ところが、わが国では、司法への「国民参加」は何とか実現しても、その前提となる捜査過程の現状(代用監獄における密室での取調べ、弁護人の立会権も取調べの全過程の録画もない中での自白調書の偏重)の抜本的な改革は何一つ進んでいないのが現状です。「国民参加」の前に、「誤判から学ぶ司法改革」をこそ推進すべきときだと思います。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-16 14:33

マンションの中の出会い

 この高齢者用マンションに来てから、もう9か月を経過しました。部屋の内部や施設の利用、それに付近の外部環境にも、たいぶ慣れてきたようです。まだ、ときどき長岡京の空家にときどき帰り、特養ホームに101歳の養母の様子を見に行きますが、生活の本拠は大津のマンションに移ったようです。
 ここは、普通のマンションと違って、食堂や浴場やフィットネスルームなどの共用部分がかなりありますので、個室に引きこもらず、入居者の間での交流が自然にできる機会があり、現に、隣人や趣味の関係などを通じて、仲間ができつつあります。クリスマスコンサートや講演会なども開かれていますが、独身の高齢者が多い関係から、自主的な助け合いの会も作られ、買い物の手伝いなどの相互のささやかな援助活動も始まっています。
 この同じマンションに入居して、ともに余生を送るというのも、偶然な一つの「出会い」というべきものですが、何とか互いにいたわりあって仲良く楽しく生きていこうというのが、入居者の共通の願いだといってよいでしょう。
 私自身も、かなり多くの人と親しくなり、それぞれの人のあたたかい心情に接して、励まされることがあります。過日も、大正生まれで、まだアジアを中心に国際取引活動を継続されているH氏のご招待で、韓国(ソウル)や中国(上海)から来日された会社関係者の方々と一緒に食事をして歓談する機会がありました。そこでは、とくに、これらの若い外国人が英語のほか、日本語も十分に話す能力があることに感心しました。また、新しい友人が出来たことを嬉しく思い、再会を約して別れました。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-14 09:45

裁判員に対する「説明」

 日本の裁判員法39条と規則36条は、裁判長が裁判員に対して、その権限および義務のほか、事実の認定に必要な証明の程度について説明するとしていますが、最高裁の参考資料では、それは簡潔な説明をすることになろうとし、「なお、合理的な疑いを超えた証明という用語や意味の理解の説明は、裁判員の理解が得られにくく得策でない」とされています。
 ところが、この点、韓国の国民参与法では、裁判長が陪審員に行う「説明」は公判の開始時と終了時の2回にわたって公判廷で行なわれ、しかもその中に「無罪の推定」や「合理的な疑いを超えた証明」がはっきりうたわれています。これは重要な点なので、2回目の結審の際の「説明」のモデルを引用しておきます。
  「・・・わが国の憲法と刑事訴訟法によれば被告人は有罪判決の宣告を受けてその判決が確定するまでは無罪と推定されます。したがって、検察官が被告人の有罪を証明する責任があって、被告人は自分が無罪であることを証明する必要はありません。検察官は被告人が無罪かも知れないと疑うに値する合理的な疑いが残らないほどに被告人の有罪を証明しなければなりません。もし検察官が裁判過程を通じて被告人が有罪という点に関して合理的な疑いがないくらいに証明することができなければ、被告人は無罪と推定され、陪審員の皆さんは被告人を無罪とする評決をしなければなりません。反対に、検察官が、被告人は有罪ということを、合理的な疑いがないほどに証明したと判断されれば、被告人を有罪とする評決をして下さい」。
  このような説明は、裁判員の理解が得やすい内容なので、日本の裁判員法でも、是非とも採用してほしいものです。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-11 18:12
 かつて私が京大法学部在職中またはそれ以後にも、何人かの中国人留学生のお世話をしてあげたことがありますが、その中の1人で、現在は中国の南京大學で民法の教授をしているK氏から、7日の土曜日に外出中、突然携帯電話がかかり、今日本に来ているので面会したいという連絡がありました。幸い、8日の日曜日は特別の用事はなく好都合なので、ここの琵琶湖畔のマンションまで来てもらいました。これまでもメールでの連絡はありましたが、会うのは久しぶりで、なつかしく、時の経つのを忘れて、公私にわたる情報交換をしました。
 私は、1980年代に2度、中国を訪問していますが、1回目は上海と北京、そして2回目が北京と西安の大學で刑事法の研究者と親しく面談し、日本の刑法について講演をしたこともありました。K氏との関係は、すでにご父君が中国から名古屋の愛知大学に留学中に、息子さんを京大に留学させてほしいと依頼されたもので、それ以来の長い付き合いになります。
  K氏のご父君がすでに他界されているのが残念ですが、2回目の中国訪問の際には、現地で大変お世話になったことがあります。もう細かいことは忘れているのですが、今回K氏から聞いて、改めて昔の留学記録を再確認したいと思うようになりました。
 そのうえ、今回のK氏との再会を機会に、半ばあきらめかけていました中国の南京訪問を、今年の秋にでも思い切って実現しようかという気分が湧いてきました。もう最後の機会だという以上に、今関心をもっています韓国の「国民参与裁判」や日本の「裁判員裁判」との比較で、中国での動きを知りたいという研究目的もあるのです。
 K氏との再会で、今年の秋の課題がまたひとつ増えそうです。
c0067324_12464187.jpg

[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-09 10:23

韓国の国民参与法(2)

 次に、韓国ではすでに国民参与法は1年前から実施(試行)されていますので、2008年1年間の実施状況が興味を惹くところです。
 まず、2008年に実際に参与法裁判が行われたのは60件にとどまり、それは事前の予想(100ないし200件)をも下回り、とくに首都のソウル近辺が少ないとのことです。参与法の対象事件が約2000件といわれていますので、その比率はわずか3%ということになります。その理由は、被告人側が参与法裁判をなかなか選択しないほか、いったん選択しても、途中で撤回し、あるいは裁判所が排除決定をして従来の裁判をするケースが多いからだといわれおり、その中には、プライバシーを含む性犯罪や大型の否認事件などが含まれているとのことです。
 一方、参与法裁判は迅速に行われ、1ないし2日のうち、むしろ1日で終わるものが多く、陪審員が熱心に参加して、評議が深夜に及ぶこともあるという指摘も興味を惹くところです。それは、それ以上に負担の大きい事件は参与裁判から排除されているからだと思われます。
 次に、60件の参与裁判のうち、無罪ないし縮小認定されたものが27件もあり、その後の裁判所による修正はあるものの、無罪率が高いことは事実のようです。ただし、60件のうち52件が控訴されているという事実も注目に値するところですが、控訴審の状況の検討は今後の課題とされています。今後の成り行きのフォローが期待されるところです。
 なお、本稿にも触れてありますが、韓国では、取調べの過程が全面的に録音・録画され、弁護人の立会いまで認められていることが、わが国との最大の相違点であって、わが国は国際水準に達するために、まずはこの状態をこそ「改革」すべきであると感じました。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-07 20:58

韓国の国民参与法(1)

 近着の法律雑誌(刑事法ジャーナル15号、2009年)の中に、「韓国における国民参与裁判の現状」と題する論文が掲載されていました。これは、お隣の韓国の国民参与法について、制度の特色の紹介とともに、発足1年間の実施状況についても言及されており、それが現職の裁判官の手になるものである点でも注目を惹きました。ここではその内容を紹介しておきます。
 まず、制度的な面では、韓国の参与法には、わが国の裁判員法と違う点がいくつかあります。第1は、参与法が裁判の現状に対する不信感から国民が強く要望したこと、したがって陪審員への参加がより積極的であること、第2は、本法の趣旨が司法の民主的正当性と国民の信頼を高めることを目的とするとして、「司法の民主化」の理念がうたわれていること、第3は、国民参与裁判が「選択制」になっており、被告人は従来の裁判も選ぶことができること、第4は、事前に行われる「公判準備手続」も公開されていること、第5は、参与法裁判の効力が勧告的なもので裁判官を拘束しないことなどの点です。
 これをわが国の裁判員制度と比較しますと、裁判員法は国民運動からではなく裁判への国民の信頼を上から期待するという趣旨のもので、国民は受身で負担と感じていること、選択制ではなく、すべての重大事件に適用されるので負担が余計に増大すること、裁判員が入る前の「公判準備手続」が当事者だけの非公開でなされること、評決は拘束力を持つので、死刑判決を含めて責任がより重大なことなどの点をあげることができます。
 私見では、韓国の参与法の方が、理念的にも実際的にも、はるかにリベラルですぐれているように思います。もっと隣国の状況から学ぶべきだと思うのです。
 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-02-07 09:44