最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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週末の仕事

 今年の1月も今日が末日で、明日からもう2月になります。早いものです。
 1月の反省としては、中旬ころに鼻かぜとわかりながら、いつものようにそのまま外出して仕事をしたため、症状が悪化して、第4週の週末に予定されていた月例研究会を急遽休むという破目に陥ったことです。しかし、病院には行かず、息子に送ってもらった薬を飲んで、しばらく休養ということになりました。やはり年かなと思ったりもしました。
しかし、長くは休めず、第5週目の28日には、古い机の引き出しに眠っていたマスクをつけて、大阪に出かけ、大阪地裁で係争中の刑事事件の弁護団に加わり、最終弁論に参加しました。この事件は、すでに4年を経過して、ようやく結審し、判決は3月9日の午前10時に下されることに決まりました。無罪判決を獲得するために4人の弁護士が最大の努力をしましたが、今年の5月から始まる裁判員制度の下では、丁寧な弁護活動がそぎ落とされて、簡単に有罪判決が出ることになりそうな感じがします。少なくとも被告人が否認して争う事件では、裁判員制度になっても、審理が3日くらいで終わるというのでは、当事者が納得の行く裁判とはいえないと思います。
1月は、第5週まであり、この週末は幸いにも、仕事に集中できそうです。そのうえ、論文のテーマが「裁判員制度の導入の前に確かめるべきこと」というもので、2月20日締め切りで、雑誌『世界』に寄稿することになっています。この週末に峠を越えれば、先が見えるでしょう。
 1月よ、さようなら。
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by nakayama_kenichi | 2009-01-31 21:59

人生と出会い

 1月29日(木)の午後2時から、このマンションのホビールームで、雲井昭善先生の講演会がありました。演題は「人生と出会い」ということでしたが、内容は、自分がこれまで歩んで来た道の中で、不思議な「出会い」が何回かあったというものでした。
 94歳とはとても思えぬしっかりとした姿勢とお声で、約一時間、ゆっくりとした口調で語られましたが、聴衆は約60名に達し、椅子が足りないほどの盛会でした。私が司会役を勤めましたが、われわれ高齢者用マンションの入居者にとっても、人生の大先輩であり、かつ日本でも数少ない印度の仏教哲学と古い梵語(サンスクリット)の専門家のお話を直接に聞けるのは、またとない機会でした。
 先生は、京都の大谷大学を卒業して、僧籍に入ろうとしたとき、研究室にとどまるよう指導教授に勧められたのが、印度哲学と梵語の研究へと進む最初の「出会い」であり、それから京大や東大などの研究者との他流試合を勧められて実力を磨き、さらにウイーンに2年間の留学を勧められ、その途中に立ち寄った印度で独特の言葉と文化に触れる機会を得たという数々の「出会い」のおかげで、今日の自分があるという話をされました。
 そして、最後に、古稀のときに、モットーとしてきた3つのC(Comunication Confidence,
Curiosity)をあげられ、そのひとつひとつの重要性を指摘されました。また質問に答えて、黒板に絵のような梵語のいくつかをすらすらと書かれました。「娑婆」は梵語に由来し、耐えるという意味であるとの説明もありました。大きな拍手とともに、次回の予定もお願いして、無事に終わりました。

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by nakayama_kenichi | 2009-01-29 17:04
 昨年1月のブログで、「ポーランドからの嬉しい便り」を書きましたが、今年の1月には一転して「悲しい便り」を書かざるを得なくなりました。
 年賀状が届かないので、いささか心配していたのですが、最近知らせがあって、30年以上も前に留学先のポーランドで知り合った大使館つとめのO氏の奥様(ポーランド人)がついこの間の12月に急逝されたことを知りました。にわかに信じがたいことなので、驚くとともに、深い悲しみにおそわれました。私どもより10歳以上もお若いはずなのに、まさか本当なのというのが率直な気持ちです。
 今から約30年前に、全く未知のワルシャワ空港に着いたとき、ワルシャワ大學の助手とともに、O氏ご夫婦も揃って出迎えて下さり、面倒な手続きの一切を引き受け、大使館に案内したうえ、下宿まで世話して下さったことを今でも思い出します。その後、私は2年間、亡妻は1年間、文字通り、最も頼りになる有り難い友人として、一家をあげてお付き合いをさせてもらいました。ご夫妻には、可愛い女の子があり、当時は小さかったのですが、今はもう36歳だそうです。
 「人の出会い」にも不思議なご縁があるものですが、いつかは別れの日がくることもまた冷厳な事実です。悲しいですが、それに耐えていかねばなりません。いつも笑顔を絶やさなかった素敵なクリスティーナさん。遠い地から静かに「さようなら」・・・・。
 私自身も、風邪をこじらせ、ここ数日間元気がなく、研究会も休んでしまいました。琵琶湖の湖面もいつもより冷たく感じられます。
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by nakayama_kenichi | 2009-01-27 14:52

梵語との出会い

 1月19日には、もう一つ収穫がありました。それは、古代インドの文語である「サンスクリット」との出会いです。19日の若狭での会合の際に、参会者の中から質問が2つ出ましたが、その一つが、梵語にかかわるのではないかというものでした。
 それは、若狭の山中の古い土葬場のコンクリートの端に、不思議な文字が書いてあるのが見えるので、これを日本語に直すと、「オンアメリタ アメリト アメリタ」と読めるというのです。その意味を専門家に聞いてほしいというわけです。
 私には判りませんが、幸い、このマンションの入居者の中に、高齢の方で印度哲学の専門家がおられるらしいと聞き、その方を訪問して、率直に質問してみました。この方は、94歳のご高齢の雲井昭善という著名な先生で、大谷大学名誉教授で文学博士、まさに仏教哲学の権威者です。先生は、さっそく梵語を書かれましたが、これをローマ字で書くとすれば「Om Amrta」(上下に濁点あり)ということで、強いていえば「オーム アムリタ」となり、その意味は「おー不死よ」ということであると説明されました。ひとつ新しい勉強をしました。
 もう一つは、京都の東本願寺前の看板に「いま、いのちがあなたを生きている」(Now, I am living you)と書いてあるが、その意味はどうかというものです。これも、雲井先生によりますと、文章としてはおかしいが、「いのち」とは仏さまのことで、仏によってあなたは生きているという意味であるとのことでした。
 この雲井先生にお願いして、1月29日に、このマンションで講演をして頂くことになっています。演題は「人生と出会い」というもので、今から楽しみです。
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by nakayama_kenichi | 2009-01-20 20:45

1月19日

 1月19日は、若狭の賢者といわれた乾長昭氏の命日に当たります(昭和13年1月19日没)。当時の弟子達の子孫に当たる関係者が十数名集まられるというので、私も参加しました。湖西線の比叡山や蓬莱山などの雪に覆われた山並みを車窓から眺めながら、午前10時ころ近江今津に着くと、迎えに来てくださった車で、小浜に抜ける鯖街道を30分ほど走って、若狭町の下タ中集落センターに着きました。
 乾長昭氏の遺影を背景に、弟子の子孫の皆さんと懇談しましたが、今回もいくつかの収穫がありました。一つは、乾長昭氏の尊父に当たる乾満昭氏(小浜の若狭彦神社の宮司)もまた、この地方で門人を集めて仏学を講じられたという記録がありますが、その満昭氏も現にこの下タ中の地に来られたことがあることがわかり、実に親子2代にわたる仏教哲学の講義という深いつながりが判明したことです。弟子達の名簿も部分的に残っています。
 もう一つは、乾満昭氏の死後に弟子達が遺徳を称えて贈った漢詩が、当日の参会者の長老によって明らかにされたことです。その方は、教育勅語を暗記するが如く、この詩の発音を辿ってカナにし、それを漢字に置き換えるという困難な作業をして、これを以下のように復元されたのです。カタカナは省略します。
            乾 満 昭 先 師
         盡 十 方 無 碍 光 如 来  無 明 盡 破
         大 学 伸 師           虚 空 放 界
         大 綱 師
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by nakayama_kenichi | 2009-01-20 13:48

ジュリストの座談会

 いま、裁判員制度の発足を前にして、論文を執筆するため、他の資料とともに、法律雑誌ジュリスト1370号(2009年1月15日)を探していましたが、ようやく入手できましたので、とりあえず「刑事訴訟法60年・裁判員法元年」を総括・展望する座談会を読みました。それは、裁判官(池田)、法務省審議官(三浦)、弁護士(岩村)のほか、3人の学者(井上、酒巻、大沢)による座談会です。ここでは、読後の印象を率直に表明しておきたいと思います。
 まず、この座談会では、法曹3者と学者の意見分布がはっきりしていました。検察を代表する三浦氏と弁護士の岩村氏は対立する関係にありますが、裁判官の池田氏と学者の井上、酒巻の両氏は、司法制度改革審議会や裁判員制度・刑事検討会の主要なメンバーとして裁判員制度推進の立場で基本的に一致しているという状況があり、その多数が三浦氏の検察の立場に理解を示すことで、弁護士の岩村氏は四面楚歌の立場におかれることが目に見えています。誰が見ても、明らかにバランスを欠いた人選といわざるをえないでしょう。
 そして、具体的にも、司会の井上氏や酒巻氏の方から、弁護活動も新しい制度に沿うよう弁護士も頭を切り変えて行くのが当然ではないかといった発言が飛び出す一方で、検察側には従来の捜査に反省を迫る発言は全くないというのも、片手落ちの感を免れません。この点は、今後の課題のところで顕在化しましたが、岩村氏が取調べの全過程の録音・録画や代用監獄の廃止などが国際水準であり、韓国や台湾でも行われていることがなぜわが国ではできないのかという質問をしたのに対して、三浦氏が従来の取調べの必要性をながながと弁解しただけで、井上氏も酒巻氏も、結局、自分の意見を黙して語らずという点に象徴的に現れていました。
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by nakayama_kenichi | 2009-01-17 13:36

1月9日

 今日は、2009年1月9日で、1927年1月9日に出生した私にとっては、満82歳の誕生日に当たります。いつの間にか年を重ねたものだなあという感慨があります。2006年4月に家内が死去してから、もう2年半以上も、1人で何とか生きていたことになります。
 昨年と同じように、早朝から、3通のグリーティングカードが送信されてきましたが、その中には、お祝いの言葉のほかに、美しい絵や音楽まで入っていて、あらためてよくできているものだと感心している次第です。
 私は、子どものころから、正月が来るとすぐに誕生日が来て、すぐに満年齢がひとつ増えますので、数え年と区別する必要がなかったというメリットとともに、正月気分の延長ということで、改めて誕生会など開いてもらったことがなかったというデメリットもありました。最近になって誕生日を祝って下さる人が増えたのは、もっぱら弟子や教え子たちのおかげで、改めて感謝の意を表する次第です。
 私自身は、このところ、体調には目立った変化はなく、少し耳が遠くなって聞きにくくなったり、夜何回か目を覚まして便所に行ったりする程度でしたが、昨8日に、大津日赤病院で初めての大腸がんの検査をしましたところ、がんではないものの、ポリーブが2個発見されました。担当医は、そのままにしてもよいが、3泊4日程度の入院で、内視鏡による手術をする方法もあるとの意見でしたので、改めて21日に相談することにしました。それにしても、検査は予想外にきつく、嫌な気分がかなり長く残ったことは事実です。 
 といった経過で、めでたさも半ば程度の今年の誕生日となりました。
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by nakayama_kenichi | 2009-01-09 16:42

最終弁論と文楽鑑賞

 1月7日(水)は、非常に忙しい日程をこなしました。
 ひとつは、弁護人として参加しています刑事事件の最終弁論に関するもので、前日の6日の打ち合わせの後、7日午前中から事務所に出向き、4人の弁護人が63ページに及ぶ「弁論要旨」をようやく仕上げて、午後1時半から大阪地方裁判所で最終弁論を行いました。
 これは危険運転致傷罪に関する事件で、私は第2番目に立って、主として法律適用の問題について弁論要旨にもとづく発言をしました。実は、このような経験は初めてのことで若干緊張しましたが、唯一の目撃証言を補強する客観的証拠がなく、「幅寄せ行為」も「他車の通行を妨害する目的」も立証できていないので、構成要件に当たらないという無罪の主張をし、何とか無事に終えることができました。しかし、ここで時間切れとなり、最終弁論の後半は、1月21日午後に続行ということになりました。
 もうひとつは、文楽の鑑賞で、この方は、いつものように大阪の石川弁護士に誘ってもらって、7日の午後4時からという予定でした。そこで、急いで日本橋の文楽劇場まで出かけ、ようやく開演に間に合いました。当日の出し物は、有名な「野崎村の段」で、「お染久松」の恋と義理人情の物語を人形浄瑠璃として始めて見ました。とくに、84歳になる人間国宝「竹本住大夫」の満身の熱演に感動しました。お染と久松が死ぬ覚悟と知って、おみつが結婚衣装の下に白装束を着て尼姿になるところを盲目の病苦の母が知るという場面は、観客の涙を繰り返し誘いました。自宅に帰ったのは午後10時、長い一日でした。
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by nakayama_kenichi | 2009-01-09 12:54

憲法を読み直そう

 2009年がすでにスタートしましたが、暗い予想が一般で、世界がどこに向かうのか、先の見えない状況が続いています。しかし、その中にあって、「世界を変える第一歩」として、日本国憲法を守る草の根運動を今年の目標にしっかりと掲げた方の訴えに出会い、感動し勇気を与えられました。それは、97歳の日野原重明さんです(朝日新聞日曜版1月2日)。
 その趣旨は、「世界を導く知恵者が現れるのを待つだけでは何も変りません。私たち一人ひとりが自分のできる小さなことを積み重ね、少しづつ平和な世の中に近づける努力を怠らないようにしたいものです」「00年に立ち上げた『新老人の会』の会員は、昨年秋に7600人を超えました。太平洋戦争を経験した会員も多く含まれています。平和の心と互いに愛し合う友情を、戦争を知らない子どもたちに伝える活動に、これまでにも会員たちに積極的に参加してもらっています」「憲法改悪への不穏な空気が流れる中で、これを阻止するためにも、これまで以上に新老人の会が積極的な反対運動を担うべきだと考えています」という言葉に表れています。
 私も年をとりましたが、今のうちに憲法9条を守る運動を、戦争を体験した老人はもとより、若い層に拡大することが急務であることを、日野原さんとともに訴えたいと思います。今こそ戦後民主主義の原点である「日本国憲法」に帰ることが求められています。そして、本来「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」ことになっているのです(憲法99条)。そのほか、憲法には素晴らしいことが書いてあります。是非、読み直したいものです。
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by nakayama_kenichi | 2009-01-05 18:03
 私がかつて京大に在職中に、外国からの留学生、とくに中国からの留学生の何人かの面倒をみていたことがあります。その人たちは、日本留学を終えて、本国に帰るか、あるいはその他の外国で、それぞれ活躍されており、年末年始になると、クリスマスカードや年賀状を送って下さるのが、その後もずっと続く嬉しい思い出になっています。
 今年も、台湾出身でアメリカに住み、国際的な貿易商の仕事をしている留学生から、クリスマスと新年を祝うメールが届き、中国の郷里の南京に帰った留学生からは、南京大學の法学部の教授になって、この2月に日本に来るという嬉しい知らせがありました。
 以上は男子学生でしたが、一番古く来日した女子学生で上海出身の留学生は特別に印象が深く、そのご父君が上海大學の教授で、私と妻とに上海を訪問する機会を与えて下さるなど、一家をあげて交流するという親しい関係にありました。その後しばらくの間、交流が途絶えていたのですが、今年はその女子留学生から久しぶりに年賀のメールが届きました。ご両親とも健在で、ご本人も欧米系の法律事務所に勤務し、主として日中間の法律事務を扱うという仕事をしています。そのメールに昔の写真が添付されていましたので、そのl枚を転写して披露することにします。1992年の写真で、今から17年前のことです。
 ところで、今日は1月2日で、東京から娘一家5人がマンションに来て、ここに一泊することになっています。天気は曇りで時々雨というあまり良くない条件ですが、孫たちも琵琶湖とマンションが気に入った様子で、お年玉も用意しました。ただし、ここの高齢者用の食事が若者の気に入るかどうかは別問題で、疑問といわざるを得ないでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2009-01-02 13:45