最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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GNPとGNH

 最近、雑誌を読んでいましたら、GNP(Gross National Product)のほかに、GNH(Gross National Happiness)という指標があるという紹介がありましたので、パソコンで少し調べて見ましたら、興味深い情報が得られました。
 GNPは「国民総生産」の略語ですが、最近ではむしろ、GDP(Gross Domestic Product「国内総生産」)の方が、経済指標としてはよく用いられます。そして、この点では、日本がアメリカに次いで世界2位であることも衆知のところです。
 ところが、GNHの方は、「国民総幸福量」と訳されるもので、「持続可能で公平な社会開発」「自然環境の保護」「有形、無形文化財の保護」「良い統治」という4つの主要な柱から成っており、国民総幸福量の増大が経済成長よりも重要であるとして、ブータンの国王が唱えたもので、すでに国連開発計画のアジア太平洋地域会議でも論議されている状況にあります。
 「幸福」という主観を指標とするのは難しいのではないかという疑問もありますが、現にイギリスの研究者が、イギリスのシンクタンクのデータをベースにして、各種国際機関の報告書や聞き取り調査を分析し、173カ国についてGNHのランキングを行った結果が公表されています。
 それによりますと、1位がデンマーク、2位がスイス、3位がオーストリア、4位がアイスランド、5位がバハマ、6位がフィンランド、7位がスウェーデン、8位がブータン、9位がブルネイ、10位がカナダ・・・ときて、日本は何と90位と低迷しています。
 アジアで1位のブータンの調査と研究が必要なことを感じました。
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by nakayama_kenichi | 2008-08-29 13:44

医事法学

 日本医事法学会編の年報『医事法学』23号(2008年)が送られてきました。本号では、とくに「医療事故と刑事責任」をテーマとした論文やシンポジウムの内容が掲載されていますので、この問題に関する最近の動向を知ることが出来て、大いに啓発されました。
 医療事故によって患者が死亡したといった場合、医療側に「過失」があれば、「医療過誤」として、民事上の損害賠償のほか、刑事上の処罰が科される場合もあります。しかし、専門的な医療行為の場面では、「過失」があるかどうか、あったとしても、民事上の過失を越えて刑事上の過失に当たるかどうかは、法律家(裁判官)として判断が困難な場合が少なくありません。
 たとえば、横浜市大病院患者取り違え事件のように、手術すべき患者を取り違えたといった単純で明白なミスの場合はまだ分かりやすいのですが(その場合でも責任を負うのは看護師か担当医師か、その両方かいった問題があります)、最近の福島県立大野病院の帝王切開事件のように、医師の手術時の判断に過失があるかどうかは、医療の専門分野にかかわる問題なので、判断が困難で結論が分かれる可能性があります(1審判決は無罪でした)。
 そこで、第3者の専門家からなる「医療安全調査委員会」でまず事実を調査した後、悪質で無謀なケースだけを刑事手続に乗せるという趣旨の提案が動き出しています。私見もその方向に賛成ですが、しかし、そのためには、医療集団の「自律」を保障し得るような組織改革(たとえば、医師会への強制加入制度や懲戒制度の整備)のほか、法律家の側にも検察官の起訴裁量権の限定や、民事・行政上の処理の選択肢の拡大などを、国民の合意に乗せるための周到な準備作業が必要だと思われます。
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by nakayama_kenichi | 2008-08-26 21:32

論語物語

 最近、下村湖人著『論語物語』(講談社文庫)を読む機会がありました。専門書以外はほとんど読まなくなっていましたので、新鮮な感覚を憶えました。
 「論語」は、戦前の旧制中学の時代に「漢文」という科目があり、そこで論語や孟子などを学んだという古い記憶がありますが、その後はすっかり遠ざかっていました。いま「論語」そのものを読むのは大変ですが、この『論語物語』は、作家で社会教育家でもある「下村湖人」氏が、戦前の昭和13年に出版した歴史的な名著であり、2千年以上も経た「論語」の章句を自由自在に使って、「論語」で養われた自分の思想を「物語」の形式で構成したもので、孔子とその弟子達が、古い衣を脱ぎ捨てて、現代に躍りだすという光景が、みずみずしい現代語で、たんねんに描きあげられていますので、現代語で楽に読むことができます。
 ただし、各章の前後には、「論語」の引用があり、注釈がついていますので、難解な古い文語体の名文やことわざを拾い読みすることもできます。たとえば、「子いわく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れずと」、「子いわく、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なりと」などなど。
 以下は、子が親を訴えた事例に関する箇所の引用です。「法律も法律なるがゆえに正しいのではなく、それが人間と人間との関係を、愛に満ちたものにすることができる限りにおいて、正しいのです。ことに親子の愛は愛の中の愛であり、人間界のいっさいのよきものを生み出す大本なのです。それを法律の名によって、平気で蹂躙することを許すような国に、正しい道が行われる道理はありません」。これは、孔子が親族相隠を例に、厳罰主義を戒めたものです。
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by nakayama_kenichi | 2008-08-23 16:37

インドの見識

 今は、テレビも新聞も、北京オリンピック一色で、連日の猛暑のような過熱状態にあります。私も、時々はテレビを見ますが、個人の技を競うというよりも、国別のスポーツナショナリズムの雰囲気が、戦前から変わっていないように思われてなりません。オリンピックには参加することに意義があり、スポーツによる国際的な友好を深めるという本来の趣旨よりも、記録とメダルの数を競い合う大国間の熾烈な競争の場に化しているのが現実の姿で、選手は、国威発揚のチャンピオンとしての役割を担わされているといってもよい状態にあります。
 その中にあって、インドがその流れに抗するかのような独自の道を歩んでいるという記事が注目を惹きました。新聞(朝日2008年8月13日)によりますと、中国の隣国である大国インドは、グローバル経済では主役級に躍り出たものの、オリンピックの舞台ではなんとも影がうすく、今回も、インドは金が一個のみにとどまっています。
 そして、この点について、在中国インド大使館の幹部は、「わが国には選手を商品に、スポーツをビジネスとする米国式資本主義もないし、他方では中国のように優秀選手を武器とし、国威発揚を目指す社会主義の発想もない」と語ったとのことです。
 しかし一方、中国側からみますと、「インドのスポーツ振興関係予算は中国の8分の1以下であり、プロ化が遅れて優秀な成績を上げても収入に結びつかないので、競技選手を目指す青少年はなかなか生れないだろう」ともいわれているのです。
 私自身は、インドの見識を評価したいところですが、オリンピックはどうあるべきなのか、果して日本はどうすべきなのか、考えさせられる問題です。
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by nakayama_kenichi | 2008-08-20 18:07

101歳の誕生日

 昨年のブログに家内の母の100歳の誕生日のことを書いてから、また1年が過ぎました。
今年の8月19日は、101歳の誕生日に当たります。無事に1年を経過して,またひとつ長寿の更新となったことを、まずは喜びたいと思います。
 実は、8月の始めころ、一時容態が悪化し、食べ物も水分も口を通らず、点滴の連続という緊急事態が発生し、この暑い夏を越すのは難しいのではないかという医師の判断もあって、心配していたのですが、結果的には、これまでにも見られたように、しばらくすると、また元の状態にまで挽回して安定するという経過が、今回も見られました。その「底力」には驚かされます。
 昨年以来、意識はかなり混濁して、人の見分けがつかなくなり、ものも言わなくなりましたが、しかし、不思議なことにスタフとは意思疎通ができるといわれ、意識的に目を開いたり、無理に食物や飲み物を口にもっていっても、嫌なときはかたく口を閉ざし、意思表示はできる状態です。ものは言わないが、意識は保たれているのはないかというのがスタフの方々の考え方で、そのコミュニケーションの努力には頭が下がるものがあります。
 また、半身不随になって車椅子でもなかなか体の安定は難しいのですが、右手はよく動き、またその力はまだしっかりしたもので、往年の体力の強さを感じ取ることができます。
 今日も、特養ホームでは、午後からささやかな誕生祝いの会を開いて下さることになっていますので、私もケーキを持って行くことにしていますが、おばあちゃんの好きな「たこ焼き」も準備して下さると聞きました。親切なスタフに囲まれて、娘(亡妻)の分も生きてほしいと念願するのみです。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-08-19 09:30

裁判員制度の危うさ

 いわゆる裁判員制度は、すでに5年前の国会で可決成立しており、2009年5月から施行されることになっています。そして、模擬裁判などが各地で行われ、最高裁判所も法務省も新しい制度の実施要領の作成に熱心で、国民に対する広報活動も積極的に行われています。そのために、かなり多くの国費(税金)が使われているのです。
 しかし、それにもかかわらず、弁護士会の内部には反対論や延期論が台頭しているほか、最近では、社民党が実施の延期を含む見直しを求め、共産党にも実施の延期に同調する動きがあり、とうとう民主党の小沢代表も政権をとったら裁判員制度を見直す意向を固めたといわれるなど、政界レベルでも、1年後の施行にとって雲行きが怪しくなってきた感があります。
 この制度の導入にとって最大の問題は、裁判員制度を担うべき国民の間に依然として賛成論が少ないことであり、国民はもっと卑近な国民生活の先行きに、より大きな関心を示しているという切実な状況があるからでしょう。
 この問題については、元検察官の河上和雄氏ですらも、「裁判員制度は今からでも廃止できる」と公言しています(雑誌WEDGE,2008年8月号104頁以下)。そこでは、「”天下の悪法“裁判員制度が来年5月21日に施行される。一般市民が裁判に参加することの違憲性や、殺人等の重大事件だけになぜ裁判員が参加するのかなど、多くの問題点が議論されないまま強行されようとしている。世論調査でもこの制度は支持されていないのは明らかだ。今、政治家・国民が声を上げればこの制度は廃止に追い込める」と明言されています。状況はなお予断を許しませんが、私自身もこの問題に関する限り、同じ意見です。
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by nakayama_kenichi | 2008-08-17 12:15

8月15日

 今年も、8月15日を迎えましたが、昨年も一昨年も書きましたように、炎天下で、年々暑さが厳しくなり、今年は猛暑と呼ばれています。異常気象も、今や異常ではなくなりつつあります。
 私自身は、戦争経験者の世代ですので、1945年(昭和20年)8月15日のことは、生涯忘れることはできないでしょう。毎年8月15日が来ると、あの日、長い戦争がようやく終わった日、海軍に編入された清水高等商船学校の三保の松原の校庭で「玉音放送」を聞いた瞬間とその後の数分間の凝縮した思いがよみがえってきます。それは、今から63年前の19歳当時の熱い晴天の日の出来事でした。
 今日は、当日ほとんど聞き取れなかった「終戦の詔勅(玉音放送)」の全文をコピーし、改めて読んでみました。しかし、そこに書かれていたのは、今次の戦争が自国の自存と東亜の安定を目的としたもので、他国の主権や領土を侵すような侵略戦争ではないこと、敵が残虐な爆弾を使用したので交戦を継続するとわが民族の滅亡を招来するおそれがあるので、共同宣言に応じるに至ったこと、日本帝国とともに東亜の解放に協力した諸盟邦に遺憾の意を表した上で、帝国臣民で戦陣に斃れた者とその遺族に思いを致し、今後帝国が受けるべき苦難は尋常なものではないけれども、堪へ難きを堪え忍び難きを忍んで、万世のために太平を開こうとすること、朕は国体を護持し得て、忠良なる臣民とともに総力をあげて将来の建設にあたり、誓って国体の精華を発揚すべきこと、などを趣旨としたものです。
 この機会に、一読をお勧めしますが、私としては、戦争に対する反省が見られず、かえってわが皇祖皇宗の「国体」の護持が繰り返し強調されているのが、気になるところでした。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-08-15 13:53

カロリー計算された食事

 6月から高齢者用マンションに入居しましたが、その最大の目的は、食事作りの難作業から解放されることでした。そして、現に、マンション内のレストランで提供される料理を食べるようになって2ヶ月半ほど経過しました。
 あらかじめ1週間の献立表が用意されて、予約することになっているのですが、そこには、各食ごとに、エ(エネルギー)、た(たんぱく質)、脂(脂質)、塩(塩分)などの量が記載されており、「カロリー計算された美味しくヘルシーな食事」と銘打たれています。朝食は、和と洋の選択となっているほか、夕食も、時にはAとBのコース(魚か肉か)の選択ができるようになっています。私どもの高齢者には、ちょうどよい位の質と量で、おおむね満足の行くものとなっています。
 ところで、最近、提携病院で、腕の小さな傷の治療を受けた際に、血液検査をしてもらいましたが、その結果を見て、驚きました。私はかつてからコレステロールと中性脂肪の値が高く、薬を毎日飲んでいるのですが、前回の5月29日に行った検査の数値が7月28日の今回の数値と比較して、明らかに有意差が見られたからです。
 たとえば、総コレステロール値は、前回が226(前々回は224)でしたが、今回は194まで下がり、中性脂肪の値も、前回が181(前々回は241)でしたが、今回は107まで下がり、いずれも正常値になっています。この間の生活習慣に特別の変化がないとしますと、どうもその原因は、食べ物にありそうな気がするのです。
 次回、2ヶ月後くらいの検査の結果を見ないとはっきりとはいえませんが、一時のぬか喜びになるかどうかは、その時までおあずけということになります。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-08-13 22:21

琵琶湖の花火大会

 8月8日には、毎年恒例の琵琶湖の花火大会が開かれることになっていますが、今年から湖畔のマンションに引越してきましたので、はじめてゆっくり鑑賞する機会がありました。
 琵琶湖の花火大会は、各地の花火大会の中でも有名なもので、今年で25回目に当たるという伝統的な行事です。当日は、とくに天候が最大の心配事でしたが、少し雷鳴と小雨があっただけで、幸い花火大会は無事に挙行されました。県内外から約35万人が訪れたといわれるほどの賑わいでしたが、このマンションはちょうど位置も距離も良く、とくに私の部屋は15階の最上階ですので、ベランダからは最高の眺めを楽しむことができました。
 大阪から来た2人の若いカップルと一緒に、食堂から運んできた特製の夕食弁当を部屋で食べた後、ベランダに出て、午後7時半から8時半まで、正味一時間、次々と夜空に打ち上げられる花火に目を奪われて、時の経つのを忘れました。いつもは人もまばらで静かな高齢者用マンションも、この日だけは多くの関係者が集まり、隣からも、屋上からも、人の話し声と歓声が聞こえました。
 ただし、冷房した室内と比べると、ベランダにはまだ日中の暑さが残っており、少し汗ばむ程度でしたが、終わりの頃には、わずかに涼しい海風を感じて終わりました。
 携帯カメラで写した写真は、やはり不出来でしたので、若い人がカメラで撮ってくれた写真をパソコンに入れてもらったものを、2,3枚披露しておきます。
 来年の8月8日に、また花火の咲く日まで、元気でいたいものです。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-08-09 20:58

パチスロ機のメダル

 私自身は、パチンコ店に入ってパチンコ遊技をした経験が全くないのですが、最近、名古屋の弁護士から、いわゆるパチスロ機(回胴式遊技機)での遊技に際して、「体感器」と称する電子機器を身体に装着して、大当たりを連続して発生させ、不正にメダルを取得したことが刑法の「窃盗罪」に当たるとする最高裁の判例の検討を依頼されました。
 パチンコの時代には、磁石を用いて不正にパチンコ玉を誘導して取得したという古典的な判例がありましたが、最近では、「体感器」と称する電子機器によってパチスロ機の抽選周期を検知してこれに同調させることによって、大当たりを発生させるという方法が開発され、その方法も直接パチスロ機に作用しない間接的なものも現われ、その限界が微妙になりつつあります。
 体感器の機能と作用が具体的に明らかにされれば、その作用によって獲得したメダルの枚数が窃盗の被害ということになるのですが、最初に購入したメダルや通常の方法で得られたメダルも混和しているときは、メダルの被害枚数を確定することは困難になります。
 そこで、最高裁は、パチスロ機の乱数周期と同期させる機能を有する「体感器」を身体に装着してパチスロ機で遊技する行為自体が窃盗罪に当たるとし、それがパチスロ機に直接影響を与えなくても、さらにメダルが体感器の操作の結果取得されたものでなくても、そのすべてについて窃盗罪が成立すると判示したのです(最決平19・4・13)。
 しかし、これでは、体感器を装着してパチスロ遊技を開始すれば直ちに窃盗となり、取得したメダルが全部損害となりますので、一見問題が解決したように見えますが、体感器の具体的な作用も効果も棚上げにして「窃盗罪」になるという論理には、原則的な疑問があります。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-08-06 21:24