最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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長岡京から大津京へ

 私事にわたりますが、このたび長年住み慣れた長岡京の家から、大津京(西大津)にできた高齢者用マンションに、6月8日から移ることになりました。
 この家には、40年以上も住んでおり、死ぬまでと思っていたのですが、2年前に妻を亡くしてからは1人住まいとなってしまい、2年間は何とかやってきましたが、先行きを考えると、もう限界にきていることを自覚し、移ることを決意しました。
 行く先は、「エンジングコート琵琶湖プレミアビュー」という名の高齢者用マンションで、琵琶湖の湖岸に接しており、15階建てで、眺めは抜群です。ベランダは東向きで、対岸の方から朝日が差し込むという明るさです。2LDKも、1人には適当な広さといえるでしょう。館内にホテルなみの浴場のほか、食堂があるのも、私にとっては最大の魅力です。
 大津京という名には異論も出たようですが、結果的には、京都の長岡京から大津京への都落ちということになりました。ただし、私は、もともと滋賀県の北部で生まれ育ちましたので、また故郷の滋賀県に帰るという気持ちもあります。
 湖西線の大津京の辺りには、近江神宮などの古い社寺もいくつかありますので、自転車を買って、散歩に出かけたいと考えています。その上、幸いなことに、菩提寺と墓所も近くになりましたので、いつでも行けるようになります。
 ただし、今の長岡京の家は、当分の間、そのままとし、私自身も週一回くらい帰る予定ですが、空き家は、近所のお年寄りが集まって食事をし団欒する場所として提供することになりそうです。
  
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by nakayama_kenichi | 2008-05-30 20:12
 昨年12月のブログで「トンボ鉛筆のB」をめぐる昔話を書きましたが、その当事者の女子学生が、5月25日に、先輩と一緒に私の家を訪問してくれましたので、実に42年ぶりに、この件の当事者と再会を果すことができました。
 この件とは、彼女が昭和37年3月の京大法学部の入試の開始直前に筆箱を忘れたことに気づき、試験監督をしていた私が、トンボ鉛筆Bでなければという彼女のために、生協の店で買って来て与えたという物語で、その後すっかり忘れていたことが、最近になって詳しい事情を知らされたというものです。
 今回、40年ぶりの再会といっても、実質は初対面といってもよく、彼女はすでに60歳を越え、私自身も80歳を越えていますが、40年以上も前の法経第1番教室での出来事の模様を改めて確認しながら、何かそこに運命的な不思議な出会いを感じました。
 彼女は、私が予想したような、個性的で知的な雰囲気を持った女性で、卒業式のときの写真と比較しても、年齢を感じさせない魅力があり、今でも年賀状をはじめ手紙は毛筆で書くというのも、さすがトンボ鉛筆Bにこだわった理由が分かるような気がしました。
 そのとき、トンボ鉛筆Bを持っておられるか聞き忘れましたので、私の文具を探しましたが、トンボ鉛筆はなく、近所の文具店で聞いても、置いていないので、特別に注文しました。
 トンボ鉛筆Bが取り持つ縁を忘れないように手元に置き、機会があればまたお会いして、不思議な旧交をあたためたいと考えています。また、仲介役をしてくださった私と同期の瀧川ゼミ生の女性にも感謝し、元気でまた昔話をしたいものです。
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by nakayama_kenichi | 2008-05-26 20:49
 韓国の司法改革と並んで、台湾の改革状況についても、注目すべき情報に接しました。それは、黄朝義(台湾東呉大学教授)の「台湾における取調べ規制及び関連供述の評価」と題する論文です(加藤久雄教授退職記念論文集、法学研究80巻12号、435頁以下、2008年)。
 とりあえず、ここでは、台湾の刑事訴訟法を概説した部分と、とくに被疑者取調べの手続的保障規定を扱った部分から、注目すべき点を指摘しておきたいと思います。
 台湾の刑事訴訟法は、日本の戦前の旧刑訴法を範とした中華民国刑事訴訟法を台湾に持ち込んだもので、大陸法系の職権主義の下で、被疑者は捜査の客体に過ぎないものでした。この刑訴法は、1935年以降、何度も改正され、1967年以降は、当事者主義的な構造に変化したのですが、1982年になって、捜査段階での弁護人依頼権、弁護人の立会い権、取調べ全過程の連続テープ録音・録画などの改正が、そして2003年には、自白法則、証拠排除法則、伝聞法則などを含む全面改正が行われて現在に至っていると総括されています。
 この中でも、取調べの全過程の連続録音・録画が注目されるのですが、この点については、これまでは、自白の任意性の有無と供述内容の真実性を確認する手段がなかったが、今後は取調べの全過程について録音・録画システムを導入して、録音・録画の内容が事後に自白の任意性と供述内容の真実性を証明するのが最善の方法となるというコメントがついています。
 わが国は、戦後いち早く当事者主義の刑事訴訟法を導入したといわれていますが、いまだに捜査段階の透明化は遅々として進まず、取調べ官に都合のよい「一部」の録画にこだわっています。この点でも、韓国だけでなく台湾にも大いに学ぶ必要があります。
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by nakayama_kenichi | 2008-05-24 16:57

韓国の陪審制度

 わが国では、いま、国民の司法参加という名のもとに、いわゆる裁判員制度の導入が来年5月から施行と決まっており、表面上は着々と準備が進んでいるように見えますが、しかし実際には、国民の間の市民参加への関心は予想外に低く、法曹専門家の間にも異論があり、延期論まで出ているという状況にあります。それが、絶望的といわれるわが国の刑事司法の改革につながるのかという点からしますと、市民参加によっても、代用監獄における密室での長時間の取調べ、長い勾留期間、極端に低い無罪率、死刑判決の増加といった現状にメスが入るという保障がないところに悲観論に傾く根拠があると思われます。
 これに対して、お隣りの韓国でも、陪審法(刑事裁判参与法)が2007年6月に制定され、すでに施行されていますが、その内容には、きわめて注目すべき点があります。そこでは、アメリカ風の陪審制度が導入されたのですが、何人も国民参与裁判を受ける権利があると明記されただけでなく、被告人が希望しなければ国民参与裁判は行わないとして、選択制が認められているのです(日本では選択権なし)。陪審員の全員一致判決が要件とされ、裁判所はそれに拘束されないけれども、異なる判決をするときは理由を記載するという形で調整されています。
 しかも、韓国では、公判準備期日を含めて公開するものとされ、刑事訴訟法の改正によって、捜査手続が透明化され、弁護人の立会権を含めて、身柄不拘束による捜査の原則が導入されるなどの司法改革が実現しつつあるという驚くべき状況が見られるのです。死刑の執行が停止中であることも含めて、わが国をはるかに越えているのです。
 お隣りの韓国に注目し、もっと学ばなければなりません。
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by nakayama_kenichi | 2008-05-20 21:29

日本刑法学会60周年

 5月17日と18日、神戸の国際会議場で、日本刑法学会の第86回大会が開かれ、17日は朝から出席しました。この国際会議場を訪れるのははじめてで、いささか刑法学会には似つかわしくないような豪華さに圧倒される思いでした。さらに、4-500人にも及ぶという出席会員の多くが若い会員であることにも、あらためて驚かされました。私にとっては、もっとも身近な専門の学会ですが、それが今年で60周年にもなるというのも、歴史的に記念すべき日となりました。
 今から60年前といいますと、1948年(昭和23年)ということになり、敗戦直後にまで遡るのですが、私自身は、1955年(昭和30年)くらいから参加していますので、それ以前の創立時の詳しい事情は知りません。ただ、私が刑法学会に出るようになった頃のおぼろげな記憶では、牧野英一、木村亀二、瀧川幸辰、小野清一郎、植松正、斉藤金作などの諸博士が創立時の中心メンバーであったように思います。ただし、佐伯千仭博士は当時はまだ学会にはお見えでなかったように記憶しています。
 現在、95歳になられている団藤重光先生が、当時は35歳だったという計算になるとしますと、刑法学会の創立時がいかに古い時代であったかが想像できるというものです。平場、平野先生などは、当時はもっとお若かったはずですが、もう亡くなられています。
 今回も、松尾浩也さんが見えていて、挨拶をされましたが、私の方が1つ年長ですから、すでに大正生れの方が見えない会場では、どうも私が最年長ということになりそうで、あらためて年の経過の早いことを実感しました。来年は東京(明治大學)で学会が開かれるとのことですが、いつまで出られるか神のみぞ知るということになります。
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by nakayama_kenichi | 2008-05-17 22:42

六尺会

 「六尺会」とは、昭和43年2月25日に、留学先のドイツで急逝された元京大教授の宮内裕先生のゼミ生など教え子たちによって作られた会です。「六尺会」という名称は、先生が六尺に近い長身であられたことに由来しますが、当時大学院生だった森井暲さんの機知に富んだ命名にかかるものといわれています。
 この六尺会が5月10(土)に京都御所に近いガーデンパレスで久しぶりに開かれ、外は生憎の冷たい雨模様の日でしたが、東京方面からの来訪者を含めて、約30名もの関係者が参集し、再会を喜び会いました。実に13年ぶりとのことですので、私も含めて、それだけ年をとったことになり、その間に亡くなられた方もいますが、出席した方々はまだまだお元気で、若かりし頃を彷彿とさせるような熱気が感じられました。
 当日は、奥様(84歳)とご長女の早苗さんも出席されましたが、奥様がお変わりなくお元気なことと、早苗さんのお顔が宮内先生に似ておられることを直感して、嬉しい気分になりました。早苗さんが可愛いお嬢さんの頃、妹さんとお二人で、私どもの結婚式の披露宴で花束を手渡して下さったことを、今でも思い出します。
 皆さんのお話の中では、宮内先生がまだ正式のゼミのないときから研究会などで学生の面倒をよく見られたことや、夏の登山や冬のスキーなどにご一緒されたことなどの話題が出ましたが、私自身は、宮内先生のおかげで大學に残ることができたという不思議なご縁などを含めて、宮内先生の研究と実践のご活躍の一端をお話しました。
 会が終わってからも、有志の方々は、ご三女の明日香さんが開いておられる喫茶店まで出かけられたようです。「六尺会」がまた開かれるのを楽しみにしています。
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by nakayama_kenichi | 2008-05-12 21:58
 「レヴィジオン刑法」という名のついた共著(中山・浅田・松宮)については、すでに2005年9月のブログに書いたことがありますが、3年ぶりにまた書くことになりました。
 というのも、①共犯論は、すでに1997年に、②未遂犯論・罪数論は、2002年に出版済みで、③構成要件・違法性・責任の3巻目だけがいまだ未刊のままにおかれていたのが、最近になって、ようやく原稿の校正段階にまで漕ぎ着けたからです。
 共著者の一人として、読者に対して、はなはだ申し訳のない次第ですが、決して忘れてしまっているわけではなく、未完成のまま終わることだけは何としても避けたい気持ちを持ち続けてきました。実行に着手したら、未遂に終わらず、既遂の結果が出るまで、締めくくる責任があるからです。
 すでに10年越しという長期間の仕事になりましたが、超お忙しいお二人との共同の仕事が、難航を重ねながらも、ようやく完成の見通しが出てきたことを、ご報告する次第です。
この校正作業も、結構大変なのですが、何とか今年中には最終巻として出版できるよう、最大限の努力をするつもりです。
 これは、私が80歳を越えてからの出版物の1つになるはずのものですが、内容的には、浅田さんと松宮さんの共著であって、私はその調整役としての進行係りの域を出ていないものです。しかし、この前にも書きましたが、この種の世代を越えた共著者による討論形式のスタイルは、ほかにはあまりないように思います。あえて、ご期待を乞うと申し上げておきます。
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by nakayama_kenichi | 2008-05-09 22:33

京の「花の寺」

 連休最後の5月6日の午後に、自宅を訪問してくれた若い2人と一緒に、京の西山連峰の麓にある「勝持寺」(しょうじじ)、別名「花の寺」まで車で出かけました。
 京都の西山には、光明寺、楊谷寺、善峰寺(西山三山)のほかにも、由緒のあるお寺が多く、その中でも、いわゆる「花の寺」には一度行ってみたいと願っていたところでした。
天気もよく、大勢の人かと思いましたが、実際には、参詣者は以外と少なく、緑に包まれた静かな境内の中を心行くまで、ゆっくりと散策できました。
 このお寺は、小塩山大原院勝持寺と呼ぶ天台宗の古刹であり、境内には「西行桜」と呼ばれる古い桜の木をはじめ、染井吉野の桜が約100本もあるといわれ、桜と紅葉が有名で、「花の寺」と呼ばれるようになったとのことです。本番の季節ではありませんでしたが、5月は新緑の青葉が一段と美しく、池の中に静かに立つ菩薩像も印象的でした。
 本堂の瑠璃光殿には、重要文化財の薬師如来像や、平安末期の歌人の西行法師がここに庵を結んだと伝えられる西行法師像が安置されているほか、病魔退散を祈願して仏の体の部分を触ることのできる不動明王の像に触れることもできました。
   
    花見んとむれつつ人の くるのみぞ
      あたらさくらの とがにはありける   西行法師

    地にとどく 西行桜したしけれ       虚子

また、桜と紅葉の季節に再度このお寺を訪れたいと思います。
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by nakayama_kenichi | 2008-05-06 22:06
 5月1日は、私の養母がお世話になっている特別養護老人ホーム「天神の杜」の5周年に当たります。昨年の4周年祝賀会のこともこのブログで書きましたが、その際に、来年の5周年祝賀会にも出たいと記していましたが、もうあれから1年を経過し、今年もまた出席することができたことは、養母が100歳を過ぎたことともに、嬉しい体験でした。
 内容は、ほぼ昨年と同様でしたが、もう一年前のことは忘れているかのように、今回も新鮮な感覚と雰囲気を満喫しました。昨年は、集まったのが数十名と記していましたが、今年は百名ほどに増えたことが、一段と大きな盛り上がりを見せたことの証左だったように思われます。
 第1部の表彰式では、十数名のスタフ(大部分が若い女性)が「努力賞」と名づけられた賞状と金一封を授与されましたが、共通の表彰点は、お年寄りをいたわり、お年寄りの身になって、お年寄りとコミュニケーションを図ってゆくという姿勢への努力が注目されたというところにあることが分かり、感謝と感動を覚えました。
 第2部の懇親会では、各種の飲み物と色鮮やかなバイキング料理を満喫した後、舞台の上で、次々と、さまざまな余興が披露され、飽きることがありませんでした。多くは、グループの共演でしたが、その演奏に応援グループが次々と加わって、連鎖反応を呼び起こし、一体感が盛り上がりました。最後に、参加者全員が円形に手をつないで、「まだ明日がある」という歌を何回も合唱しました。
 なお、恒例の福引では、私にも「アルバム」が当たりました。
 来年も、101歳のおばあちゃんの家族として、6周年の祝賀会に参加したいと思います。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-05-03 16:32

9条違憲判決

 名古屋高裁は2008年4月17日、航空自衛隊のイラクでの派遣活動について、憲法9条に違反するとの判断を下しました。判決が主文では国側の勝訴としつつ、理由の中で違憲判断を示すという手法をとったために、国側は上訴できずに違憲判決が確定することになりました。国側は、違憲判断が傍論で蛇足だといい、「関係ねえ」などどいって無視しようとしていますが、法治国家における司法への信頼を自ら放棄するものといわざるを得ません。
 この点で、想起されるのは、1973年(昭和48年)9月7日に、札幌地裁の福島裁判官が下した長沼ナイキ基地訴訟に関する自衛隊違憲判決ですが、5月1日の朝日新聞に、この福島重雄氏が「司法は堂々と憲法判断を」という文章を寄稿されています。国民が関心をもたなければ、裁判官も消極的な「統治行為論」に逃げ込みやすくなってしまうといわれるのです。
 かつての長沼判決には、以下のような格調高い判旨が含まれていました。
 「憲法前文は徹底した平和主義の立場をとり、万が一にも、世界の国々のうち、平和を愛することのない国家が存在し、わが国が、その侵略の危険にさらされるといった事態が生じたときも、わが国みずからが軍備を保持して、武力をもって相戦うことを容認するような思想は、まったく見出すことはできない。・・・・憲法は戦力の保持を禁止したが自衛権までも放棄していない。ただ戦力不保持の結果として、自衛権行使の方法は非軍事的な方法に限定される。・・・・現在の自衛隊は、その編成、規模、装備、能力および対米軍との関係からすれば、明らかに外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体と認められるので、軍隊であり、そのゆえに陸、海、空各自衛隊は、憲法第9条2項によって禁ぜられている『陸海空軍』という戦力に該当する」。
 今こそこの違憲判決の意義を想起しなければなりません。因みに、福島氏は私と同期の瀧川ゼミ生の一人でした。
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by nakayama_kenichi | 2008-05-01 22:10