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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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ユニークな結婚式

 私が大阪市大に在職中の刑法ゼミ所属の女性から、このたび結婚することになりましたという知らせを受けて楽しみにしていたのですが、その結婚式が3月30日に大阪のホテルで開かれ、喜んで出席しました。本人もあまり若いとはいえないのですが、相手がかなり年上の大學教授で、私の知人でもあるというので、特別の関係があったのです。
 結婚式の方は、ホテル内のキリスト教会場で行われ、この方は、昨年の経験もありましたので、気持ちよく参列しました。賛美歌の静かな歌声とともに、牧師のやさしく穏やかな物腰が印象的で、新郎・新婦とも晴れやかで落ち着きがありました。
 披露宴の方は、別室で行われましたが、媒酌人はなく、司会の友人が開会の挨拶をし、乾杯が終わってからは、新郎・新婦が最初にあいさつをした後、自分達が披露宴の進行役もつとめるというところに、第1のユニークさがありました。
 普通は、披露宴の参加者はお互いを知らないのが一般ですが、配布された資料(「ご来賓のご紹介」)には、参加者の名前とともに、新郎または新婦との関係までコメントされており、自分達の自己紹介欄には仕事や趣味や自己評価などを記載し、最後に2人の写真がついているという用意周到さに、第2のユニークさがありました。
 私は、最初に祝辞を述べましたが、新郎と新婦の両方をともによく知っている関係にあることはめったにないことで、二重に嬉しいこと、新郎・新婦が積極的に披露宴の進行をアレンジされるという率直なアイディアに感心したことなどを申し述べました。
 最後に、新婦のお母さん(81歳)が登場され、新婦からお母さんへのお礼とともに、お母さんからの心のこもった娘へのアドバイスや参会者へのお礼の言葉が、その満身の嬉しさをあらわす笑顔とともに、参会者の胸を打ったのです。これが第3のユニークさです。
 年の差を越えて、新郎・新婦がユニークで素敵な新家庭を築かれることを祈ってやみません。
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by nakayama_kenichi | 2008-03-31 09:36

オペラ「蝶々夫人」

 泉先生(かつてのわれわれの憩いの場所「泉ハウス」の創設者)の息子さんに誘ってもらって、3月29日に、兵庫県立芸術文化センターの大ホールで開催されたオペラを鑑賞する機会がありました。私は、この文化センターを見るのは始めてでしたが、この劇場の建物自体の壮大でユニークな外形と芸術的ともいえる内部の造作の中で、すっかり文化的な雰囲気に包まれました。ここに大勢の人が集まり、食堂も一杯でした。
 大ホールとは、名の通り巨大な4階建てのもので、すでに満席となっていました。当日の出しものは、佐藤裕芸術監督指揮、栗山昌良演出のオペラ「蝶々夫人」(MADAMA BUTTERFLY)リバイバルというもので、第1幕は午後2時から始まり、休憩をはさんで第3幕が終わったのは午後5時という長丁場のものでした。
 テーマは著名なものなので、物語のあらすじはわかっていましたが、イタリア語での上演なので、日本語の字幕を見ながらの観劇となりました。長崎に寄航したアメリカの海軍士官ピンカートンがが芸者の蝶々夫人に恋をして意気投合したところで第1幕は終わり、その後は1人になった蝶々夫人が彼の子どもを宿して3年間待ち続けたが、ようやく帰ってきたピンカートンはアメリカ人の妻を伴っており、子どもも失うことになった蝶々夫人が最後は自決するという筋書きですが、楽団演奏に調和した見事な美声が場内に響きわたり、登場人物が舞台一杯に展開する演技によって、満員の聴衆を虜にしてしまいました。そして、最後の場面では、蝶々夫人の儚く悲しい宿命に聴衆が涙するという姿が余韻として長く続いたのです。幕が下りてからの鳴り止まぬ拍手も、繰り返し繰り返し長く続きました。
 私自身も、このオペラを見て、幕末の時代の一女性の厳しい生き方をアピールする迫力を改めて感じました。
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by nakayama_kenichi | 2008-03-30 21:07

法制審議事録の顕名化

 法制審議会の議事録の発言者が匿名になっている長年の慣行が、ようやく少し顕名化の方向に動くことになった模様です。
 法制審議会には、総会のほかに専門の部会がありますが、両者で顕名の基準が書き分けられています。
 ○ 総会について 
 原則として発言者を明らかにして議事録を作成するが、会長において、委員の意見を聞いた上で、審議事項の内容、部会の検討状況や報告内容に鑑みて、発言者名を明らかにすることにより自由な議論が妨げられるおそれがあると認める場合には、発言者名を明らかにしない議事録を作成することができる。
 ○ 部会について
 それぞれの諮問にかかる審議事項毎に、部会長において、部会委員の意見を聞いた上で、審議事項の内容、発言者名を明らかにすることにより自由な議論が妨げられるおそれの程度、審議過程の透明性という公益的要請等を考慮し、発言者名を明らかにした議事録を作成することができるという範囲内で議事録を顕名とする。
 以上が、新基準の内容ですが、一見して分かるのは、総会では顕名が原則であるのに対して、部会ではむしろ条件づきで認める場合があるというにとどまるという点です。
 成人年齢に関する部会では、顕名を認めたようですが、法務省が提案する諮問事項で、とくに刑事に関する部会が顕名になる可能性はなお低いでしょう。しかし、顕名を問題にすることができるようになりましたので、今後の動向が注目されることになります。
 それにしても、鳩山法相も、一つくらいは良いことをしましたね。
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by nakayama_kenichi | 2008-03-28 21:29

法制審、なぜ伏字

 法務大臣の諮問機関で法務省が作る制度を議論する「法制審議会」の議事録では、なぜか学者や法律家らの発言者の名が伏せられています。「○○委員の主張には誤解があります」「○○委員に賛成です」といった具合です。氏名が公表されると「外部から圧力がかかる」というのがその理由だといわれるのです。
 この問題について、私はかつて実際に法制審議会の匿名の議事録を読んでみて、それがいかにも不合理で公開の名に値しないものかということをかなり詳しく論じたことがあり、このブログでもかつて何回か触れたことがあります(2005年4月、5月、9月)。
 ところが、3月22日の朝日新聞によりますと、ここにきて変化が起きそうだというのです。きっかけは、成人年齢の18歳への引き下げ問題で、法務省の意向で立案する他の制度と違い、国民投票法ができたのをきっかけに始まった民法改正論議では、法務省の方針は「白紙」。そこで、「世論を盛り上げなくては」と、鳩山法相がこの部会に限って氏名公開を求める意向を示したからです。
 法務省は、これまで匿名は「規則で決まっている」の一点張りでしたが、今回は何らかの対応を迫られることになりそうです。法相の意向を無視してそのまま匿名とするか、あるいはこの問題の審議会に限り顕名にすることも考えられますが、そうすると顕名が他の問題の審議会にも波及するおそれがあり、困難なジレンマに立たされることになりそうです。
 それにしても、肝心の法制審議会の委員の中から顕名の声が聞こえてこないのは、不思議としかいいようがありません。学界も声をあげるべきでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2008-03-24 21:28

ヨガのその後

 「80歳のヨガ」を書きましたら、あちこちから笑われたり冷やかされたりしました。ブログは続いても、ヨガの方は続くまいと思われていたのでしょう。たしかに、危うく中断しそうになりましたが、一週間くらいの間隔で、ときどき休みながらも、しかし実際にはまだ何とか続いています。
 おそるおそる始めましたので、まだ真似事の域を出ませんが、何とか40分間、途中でギブアップしないで、最後まで付き合うことができるようになりました。インストラクターのマイクの声がはっきり聞こえないので、呼吸方法がまだしっかりとのみこめませんが、隣の人の真似をしながら、しかし少しづつ要領が分かるようになってきました。ただし、今もって、どうしても出来ないのは、片足で立って、他方の足を挙げて広げるという姿勢で、これだけは当分どころか最後まで出来ないだろうとあきらめています。
 私は、ヨガに関する本など買ったことはないのですが、家で亡妻の書棚を見ましたら、何とヨガの健康法に関する本が3冊も4冊もあることに気がつき、驚いています。かなり古くからのものですが、読んだ形跡は見られないようです。そのほかにも、十文字式健康法とか、整体に関する本も見られ、漢方を含むこの種の健康法にはかなりの関心を示していたことが分かります。
 そして、実際にも、母とともに近くの鍼灸院に通ったり、十文字式健康法の教室のある大阪まで何回か一緒について行ったことも思い出しました。しかし、結局、ヨガの実践を敬遠したのは、受身の療法を越えて、積極的な運動をする体力に自信がなかっためではないかと想像しています。自分で積極的に体を動かす運動こそが、この種の健康法の秘訣であることをもっと早く自覚して、一緒に始めておけばよかったのにと悔やみながら、残されたヨガの本を並べて見ています。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-03-24 11:20

雲泥の差

 被疑者の取調べは、現在、いわゆる「代用監獄」(警察の留置場)の中で、取調官と被疑者だけしかいない密室で行われていますので、それが自白強要などを通じて「冤罪」を生み出す温床になっているという批判が次第に強くなっています。
 そこで、警察官や検察官による取調べの過程を録音・録画して「可視化」しようという提案が、かつてから弁護士会などからなされてきていたのですが、最近では、検察庁も、そして警察庁も、取調べの一部を録音・録画する方向に転換し、すでに検察庁では一部で実施しています。
 それは、一歩前進ですから、歓迎すべきことのように思われるのですが、「一部」の可視化と「全部」の可視化には、まさに「雲泥の差」があることに注意しなければなりません。それは、単に量的な差ではなく、可視化することの目的や趣旨が全く異なるからです。
 最高検が「一部」の限定にこだわるのは、全部を可視化すると、容疑者を厳しく追及できなくなるので捜査に支障をきたすというのです。つまり、現在の取調べの方法(最近のブログで紹介しました)を温存したままで、たとえば被疑者が自白している場面を録画して裁判員に見せようというのが本音なのです。
 しかし、その被疑者がどうして自白するようになったのかという過程にこそ問題があるのですから、「全部」の可視化でなければ意味がないはずです。それによって、はじめて、現在の取調べ方法への反省と変革が期待できることになるからです。
検事へのアンケートでは、全部の可視化に賛成はゼロとのこと。まだまだ取調べの現状の自己変革は期待できそうもありません。
 因みに、民主党はすでに、全部の可視化法案を提案しています。
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by nakayama_kenichi | 2008-03-22 20:44
日野原重明という人が、96歳という高齢にもかかわらず、未だに現役の医師として患者のために働いておられることは、信じがたいことですが、すでに周知のこととなっています。私も、かねてから一度、この超人の言説に接したいと思っていたのですが、ようやく『生き方上手』(ユーリーグ社、2001年)という本を読む機会がありました。
 高齢者向けということでしょうか、大きな字でやさしく書かれていますので、一気に読んでしまうことができますが、内容は、著者の体験から生まれた身近な「生き方」について、高齢者だけでなく若者に対しても、率直に訴えかけるもので、その「気力」に圧倒されてしまいます。
 目のうろこが落ちて、共感を覚える記述が満載されていて、とても紹介しきれないのですが、ここでは、子どもたちへの教育がひたすら「教え込む」ことよりも、むしろ「子どもが自分でわかるのに手を貸す」というスタンスに変えるべきだといわれている点のほか、とくに戦争の歴史を語り継ぐことの必要性について書かれた部分を以下に引用しておきます。
 「戦争体験を「過去」の一事件として語っていてはだめです。それでは伝わらないのです。戦争があり、どん底の戦後を生き抜いて、その末にいまの自分があるという、連綿と息づく文脈のなかで語らなければ意味がありません。戦争は二度とあってはならない。けれど、あのまちがいをも含めて私たち老人は多くを学んだはずです。天と地ほどの差のある、戦後間もなくの生活といまの生活を実感として比較することも、私たちにはできます。それは生きる知恵です。物質的な豊かさを追い求めるうちに、何がいいことで何が悪いことかの判断さえなくしているようないまの世に警鐘を鳴らすことができるのは、私たち老人しかいない。いまなら、まだ間に合います」。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-03-18 20:46
 国連の「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に基づいて、日本政府は数年毎に報告書を提出しており(最近は2006年12月)、NGOとしての日弁連もその政府文書に対する報告書を提出しています(2007年12月)。この日弁連の報告書の中に、2006年4月に愛媛県の現職警部のパソコンから流出した「被疑者取調べ要領」という文書が「資料」として添付されていますので、その興味ある内容の一部を以下に紹介しておきます。
        被疑者取調べ要領  平成13年10月4日 (適性捜査専科生)
    1.事前の把握を徹底する
    2.被疑者をよく知れ
    3.粘りと執念を持って「絶対に落とす」という気迫が必要
    4.調べ室に入ったら自供させるまで出るな
    5.取調べ中は被疑者から目を離すな
    6.被疑者の心を早く読み取れ(読心術を身につける)
    7.騙したり、取引は絶対にするな
    8.言葉使いには絶対に気をつけること
    9.親身に相手の話を聞いてやることも必要
   10.調べ官も裸になれ
   11.被疑者には挨拶・声をかける
   12.被疑者は、できるだけ調べ室に出せ
   13.補助官との意思の疎通
 以上は、項目だけの引用ですが、その中には、否認被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよという指示も含まれています。
 因みに、警察庁は、警察学校の講義のために作成されたものであるが、個人的メモであり、このマニュアルによって全国的な指導をしているわけではないと説明しています。しかし、まさに本音が出ているというべきでしょう。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-03-14 22:02

母の思い出

 過日、私の母親の33回忌の法要があり、故郷の余呉町(滋賀県の最北端で雪の多い片田舎)に出かけてきました。幸い、比較的暖かい日で、雪もほとんど消えており、昔の雪国の面影はありませんでしたが、閑散とした駅からは「余呉湖」を眺めることができました。
 33回忌ですから、母が死亡したのは昭和51年(1976年)ですが、実はその時期には、私自身はポーランドに長期留学中で帰国できず、翌年に帰国してから墓前にお参りするという結果になったことを、あらためて母に謝らなければなりません。
 母についての思い出を記して、せめてもの感謝と供養の一端にしたいと思います。
母は、それなりの家系の農村地主の家つき長女としれ生まれ、養子として入籍した父と結婚して、5人の子供を生みました。戦前は、生活も比較的に安定し、地元では祖父が三等郵便局長をし、大阪の工業奨励館に就職した父とともに大阪に住んだ経験もあります。
 しかし、帰郷した後の戦中・戦後の生活は一挙に悪化し、自ら田畑の農作業をし、とくに父が死亡(55歳)した後は、苦しい生活を強いられたようです。真っ先に浮かぶのは、母が大きな家をきりもりするために、毎日一生懸命に働いていた野良着姿です。
 母自身は、親が学校に行かせてやるといっているのに、小学校の高等科を出ただけで、女学校にも行かず、勉強はきらいだといっていました。大阪での都会生活の模様もほとんど語らず、田舎での地味な農作業と家事と育児に文字通り専心した一生だったと思います。
 私が大學に入りながら、結核になり、郷里で療養していた頃には、文句も聞かされましたが、大學の教員に採用されたときは、毎日大學に行かなくてよく月給がもらえるものだなあと不思議がっていました。5人の子供のうち、私の妹は早く亡くなりましたが、あとの4人は今も健在で、母も喜んでいることと思います。母は大の写真嫌いでしたので、母の写真はほとんど残っていないのが残念です。
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by nakayama_kenichi | 2008-03-10 11:22

ひな祭りと人形

 3月3日はひな祭りの日でしたが、5日に天神の杜(特養ホーム)の中で、ひな祭りのための特別室に展示されたひな人形を見学する機会がありました。
 私自身には特別の趣味はないのですが、亡くなった家内が大の人形好きで、ひな祭りの日の前後になると、もう長年にわたって、座敷の床の間にひな人形の段飾りを作って、お膳も供えていたことを思い出します。子供の頃からの楽しい行事として生活の中にしっかりと定着していたのでしょう。
 しかし、2年前に世話役の主人公を失ったひな人形は、その後は出番がないままに、押入れの奥に眠ったままになっています。どこにあるのかさえ、分からない有様で、申し訳ないというほかはありません。
そのほかにも、家内は人形が好きなため、旅行したときや、外国に出たときにも意識的
に買い集めた人形が、まだ家のあちこちに少なからず残っており、それらをどうすべきか迷っています。「人形寺」に持って行けばといってくれる人もいますが、まだ当分は、家内の大事な遺品として保存しておきたいと考えています。
 天神の杜には、人形の好きな職員の方がおられ、生前は親しく交流させてもらっていました。今年の人形展は、さまざまなひな人形が集められて、美しいあでやかさを感じました。家内にも見せてやりたいなあと思いながら、おばあちゃんの顔をみて、帰宅しました。
写真を一枚、添付します。
  
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by nakayama_kenichi | 2008-03-06 18:23