最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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ブログ3周年

 今年は「うるう」年ですので、29日までありますが、通常は2月28日が末日で、すぐに3月に入り、春の訪れとなるはずです。しかし、今年は天候が不順で、京都でもまだ雪の舞う日が多く、寒さからなかなか解放されません。
 今日はまだ、前日の2月27日なのですが、明28日から3月2日まで、京都を離れることになっていますので、2月28日のことをあらかじめ書いておく必要があります。
 それは、このブログが誕生した第1回が、今から3年前の2005年2月28日に当たるからで、ちょうど3周年に当たることを確認しておきたかったからです。
 第1回目は、以下のような内容のものでした。
 
 「ブログ開設の挨拶」
 川口浩一氏に教えてもらって、私もブログを開設することにしました。
 この欄を通じて、私の友人や本の読者、かつて私の講義を聴いて下さった皆さんなどと情報の交流ができれば幸いです。それ以外の方でも、結構です。
 私は、すでに年配で、パソコンには弱いのですが、今では、メールの送受信のほか、パソコンで原稿も書けるようになっています。
 もうしばらく、研究生活を続けるつもりですので、どうかよろしくお願いします。

 以上の文章を読んで、まあ何とか3年間、このブログを続けてこられたことを、あらためて確認し、これからも、初心に帰って、続けていきたいと念願しています。研究生活の方もほそぼそと続けています。
 どうか、今後ともよろしくお願いします。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-02-27 11:12

上官の違法命令

 佐伯博士による敗戦直後の論文に「戦争犯罪人裁判令と上官の違法命令」(法律文化1号5・6合併号、1946年)という文献があります。そこでは、戦前のわが国の軍隊においては、上官の命令は直ちに朕(天皇)の命令と心得よという勅諭の言葉が濫用され、いかに理不尽非道な命令でも部下は無条件に従わなければならないとされてきたのですが、しかし伝えられるような日本軍の「余りにも明瞭な非人道的虐待」行為については、部下は拒否すべきであり、責任を問われると書かれていました。
 しかし、その後、A級戦犯の裁判には関心が集まったものの、戦争裁判の対象とされている捕虜および非戦闘員に対する残虐行為に関する、いわゆるBC級戦犯の問題についてはあまり注目されることなく推移していました。私も、ようやく最近になって、2冊の本を読みました。
 その一つは、加藤鉄太郎『私は貝になりたい』(春秋社、1994年初版)で、そこでは10名位の中国人捕虜に対して、上官の少尉が部下に銃剣で捕虜の心臓を突けと命令し、実際に虐殺が行われた悲惨な体験が語られています。加藤氏は実際に死刑囚として拘束され、減刑されてからも、「戦争は人間を発狂させる」といい、本当に戦争を憎み、平和を愛するならば、自分が体験した戦争と犯した戦争犯罪を、国民の前に告白すべきであるといわれているのです。
 もう一つは、林博史『BC級戦犯裁判』(岩波文庫、2005年)ですが、そのなかでは、日本の政府や軍当局が、ポツダム宣言を受諾した直後から、関係文書の焼却などの犯罪隠蔽工作を内密に行ったこと、そして実際の戦犯裁判でも、死刑を含む重い責任は現場の末端管理職と将兵に押し付けられ、実質的な責任者である上級将校は罪を免れ、または減刑されるという不公平が現存していたことが資料的に確認されています。なお、この本では、上官の違法命令についても言及されており、命令に従ったというだけでは免責されていないが、実際に下級の兵士が死刑になった例はあまりなかったといわれています。
 日本の「戦後処理」はまだ決して終わっていないことを肝に銘じなければならないことを痛感しました。
 
 
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by nakayama_kenichi | 2008-02-27 10:29

死刑廃止論を読む

 金沢文雄氏(廣島大学名誉教授)から、最近の拙著に対するお礼とともに、一冊の文庫本が贈られてきました。それは、ホセ・ヨンパルト『死刑はどうして廃止すべきなのか』(聖母の騎士社、2008年)という本です。著者は、1930年スペイン生まれのカトリック司祭で1954年来日、著明な法哲学者で上智大学名誉教授です。
 私は、この本を丁寧に読み進みながら、ある種の感動を覚えました。著者には、日本と日本人に対する暖かいシンパシーがあり、居丈高にならずに、平静にそして平易な文章で、的確に問題点を指摘し、押し付けではなく、いつの間にか興味をもって死刑の問題を考えさせるという不思議な魅力があるのです。
 私は、いつでも参照できるように、20箇所以上、赤ペンを使い、付箋をつけて、読み終わりましたが、その中でもとくに印象に残った点を書きとめておきたいと思います。
 第1は、日本の死刑制度を考えるために必要な知識を「事実」として明らかにするために、秘密として一般には見られない死刑執行場(絞首台)の図面まで公表されていること、そして、面会を依頼された死刑囚と心を通わす中で結局死刑が執行されてしまうという体験談にも心を動かされるものがあります。
 第2は、日本の死刑執行が恣意的に行われ、法務大臣が「慎重に検討して判断した」というのみで、法律の規定が無視され、秘密裡に死刑が執行されていることを、国家の側のうしろめたさを示すものとして、強く批判し続けられている点です。
 第3は、日本でも死刑を廃止する時期が必ず来るが、さし当りは死刑の執行を停止することを真剣に考えるべきで、そのリーダーシップを取るには「決断力」が不可欠であるとし、それによって日本は生命を尊重する国として国際的にも見直されるだろうとの希望と確信を披瀝されている点です。
本書を読んで、日本の死刑を考える人が増えることを期待したいものです。
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by nakayama_kenichi | 2008-02-23 22:08

長岡天満宮の梅林

 長岡天満宮の境内はかなり広く、八条ヶ池の周りには「さくら」の木の並木道があるほか、本殿に向かう橋の両側には真っ赤な「つつじ」の通り道が有名ですが、奥の方の竹やぶに囲まれた公園の一角には、ひっそりとした「うめ」の林が存在しています。昔はこの付近はもっと竹やぶが多かったのですが、次第に住宅地に浸食されていくのは、自然保護の観点からは悲しい気がします。
 自宅から養母が入居している特養ホームまで歩いて10分くらいで、公園を通り抜けるときは、いつもこの梅林を見ることができます。2月も下旬ですが、まだ寒い日が多く、梅はまだほとんど「つぼみ」がふくらんだ程度ですが、なかにはもう黄色や桃色の花を咲かせているものもあり、立ち止まって眺めれば、風情があります。
 私は、はなやかな「さくら」や真紅の「つつじ」よりも、あわくて可憐な「うめ」の花のほうが気分的にも似合っているようで、好ましいように思えます。自宅の庭にも、黄色い花を咲かせた「うめ」が、寒椿の花とともに、毎年見られますが、私は歌が読めませんので、ここで、亡妻が走り書きした歌を書きとめておきます。これは、平成16年11月分の介護報告用紙の裏に書いたもので、判読しにくい字もあります。

    老梅の光すかして咲く花の 二輪三輪寒に入りしな
    久しくを咲きてやさしきミニばらの うすくれないをいとをしみをり
    寒つばき葉がくれ影の二つ三つ ちちと鳴きて目白なるらし
    西山の峯の上明きひとときを 今日一日の静寂に座す
    たおやかにさきていませと百歳(ものとせ)に近き母への祈りひたすら
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by nakayama_kenichi | 2008-02-20 21:32

蒸留水を蒸留する?

 私は今、佐伯博士の戦前の刑法思想と、いわゆる「日本法理」との関係を調べて始めています。この「日本法理」とは、戦前、とくに昭和10年前後から、ナチスの全体主義思想に影響を受けた当時の西洋法に対抗して、東洋法、なかでもわが国の「日本法」の中に歴史的・伝統的に内在する民族的な文化を、「日本精神」「日本道義」「日本倫理」として強調しようとした思想的な運動をいいます。
 刑法の分野では、とくに、小野清一郎博士がその先頭に立って、『日本法理の自覚的展開』(昭和17年)という著書・論文の中でこの問題を精力的に論じられたのですが、その克明で情熱的な論理には、今読んでも圧倒されてしまうほどの迫力があります。それは、刑罰の本質を犯罪に対する道義的な「応報」・「贖罪」と考える旧派(古典派)の刑法思想に由来するものですが、日本法理の自覚は日本民族的・日本国民的・日本臣民的体験に基づかなければならないとし、それは皇国の道としての君臣・父子・夫婦・親族・同胞という人倫生活の道理の中に内在しているといわれたのです。
 これに対して、牧野英一博士は、刑法の目的が犯罪の予防(社会防衛)にあるとする新派(近代派)の立場から、冷静な批判を展開されていますが、そこでは、われわれも「日本的なもの」を考慮するけれども、小野博士の「日本法理」がいかにも「幽玄なる刑法理論」であるだけでなく、「自己陶酔」とは言いたくないけれども、「目的を超えた目的」というような表現は、「蒸留水を蒸留する」ようなものだとして批判されていたのが注目されるところです。
 さて、佐伯博士の場合はどうか、というのがこれからの検討課題です。
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by nakayama_kenichi | 2008-02-16 18:24

連休の墓参り

 2月10日に大津まで墓参りに行き、菩提寺に立ち寄る予定でしたが、突然の大雪のため、中止のやむなきに至りました。しかし、11日の休日は穏やかな日和に恵まれましたので、まだ雪が残っている心配もありましたが、JRと私鉄を乗り継いで、出かけました。墓地にはまだ雪が少し残っていましたが、紺碧の琵琶湖が一望に見渡せる高台に登って、無事墓参りを済ませた後、お寺の和尚さんに面会しました。
 亡妻の3回忌の日取りの件のほか、遺品の中から出てきた「へその緒」の処理、引越しの際の仏壇の移動方法などを相談するのが目的でしたが、亡くなった先代の和尚さんの話や、たびたび一緒に墓参りやお寺にも参詣した私の亡妻の話など、昔話をした後、お寺を後にしました。
 帰宅してから、遺品を整理していましたら、亡妻がつけていた古い日記の一部と、養母の介護用紙の切れ端に書きとめていた短歌らしきものが見つかりました。
 日記は、1991年(今から17年前)の1月のもので、1日には、今年の正月は、母、主人、私のほか、息子と娘と孫娘の6人という賑やかさで嬉しいこと、2日には、上田、田中、松宮さんの来訪があり、簡単な手料理でもてなした後、主人は熱海に出かけたこと、5日には、午前中、病院へ母の同伴をしたが、風邪気味で早く就寝したこと、6日には、気分がよく大洗濯、午後はバロン(犬)と七草摘みに出かけたこと、7日には、七草がゆで祝い、一日中大洗濯、納屋の片付けをしたこと、9日には、朝から家中の掃除をし、主人が熱海から帰宅したこと・・・・などの記載があり、昔懐かしい思い出がよみがえりました。
 私自身は、この頃から、1月1日は正月のお祝いをし、2日からは熱海に出かけて原稿を書き、9日くらいに帰京して、大學の講義に備えるというのが、長年の習慣になっていましたので、この日記もそのことを証明しています。
 歌のほうは、読めない字もありますので、またの機会に紹介します。
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by nakayama_kenichi | 2008-02-11 22:29

団藤先生の先学訪問

 私の最近の論文集を団藤先生に献呈しましたところ、早速ご丁重な自筆の礼状とともに、学士社発行(平成18年5月1日)の「先学訪問 団藤重光編―21世紀のみなさんへ―04」という小冊子が送られてきました。これは、井口洋夫氏(物理化学者、東大名誉教授)の質問に団藤先生がお答えになるという対談形式のもので、発刊の辞としては「日本学士院会員で、世紀を越えて活躍しておられる卆壽を越えられた碩学の師をお訪ねして『先学訪問』とし、会員の方に配布する」趣旨のものと書かれています。
 そのもくじは、幼少期に育まれたもの(陽明学と武士道、動物を愛して、2回の飛び級、漢文・数学・語学が好き)、戦後の東大教官時代(GHQとの刑事訴訟法改正の折衝、三島由紀夫が書いた刑事訴訟法の答案)、最高裁判事に就任して(サ-・カール・ライムント・ポパーとの出会い、ユダヤ人談義)、いま学問に思うこと、望むこと(「科学技術」と「科学・技術」、「人間性のない刑法学は空虚であり、科学性のない刑法学は盲目である」、次代の若者よ、反骨精神を持て)というもので、いずれも団藤先生が自ら歩んでこられた貴重な体験談が凝縮されていて、一気に圧倒されてしまいそうな読後感が残りました。 
 その中でも、私としては、団藤先生の以下のような言葉が印象的でした。
「語学というものは、面白いですよ。・・ただ好きなだけです。勉強しました。・・勉強自体が好きなのですよ。・・勉強方法なんかありません。”好きこそものの上手なれ”なのでしょうね」。「とにかく頑張れといいたい。・・昔はもっと気骨のある連中が多かった。・・いまはその反骨精神がないですからね。みんなご無理ごもっとも」。「問題意識を持ったら、何にでも食らいついていく。しかし、もちろん、冷静に物事を見極める科学の目と、人の心を思いやる人間性は決して忘れてはならないですけどね」。
 
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by nakayama_kenichi | 2008-02-08 17:39
 100歳の養母の特養ホームの部屋の中にかかっているカレンダーのようなもののなかに、「いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび みつを」という太く大きな筆の字を発見しました。また、その頁をめくると、「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの みつを」といった内容のものがあり、その他、十数頁にわたって、さまざまな短い文章が書かれているのを見ているうちに、その特異な文体と言葉の内容にしばし引き込まれてしまいました。
 それが、相田みつを氏の著書『にんげんだもの』(1984年文化出版局)からの抜粋であることを遅まきながら知って、さっそく、これに『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』(1993年文化出版局)を加えて、2冊を注文し入手しました。大きな字の本なのですぐに読めるのですが、それぞれに深い味わいがあり、何度読んでも、飽きないのが不思議なくらいです。
 著者の略歴を見ましたら、旧制中学を卒業後、曹洞宗高福寺の禅僧・武井哲応師と出逢い、在家のまま師事し仏法を学んだと記されています(1923年出生、1991年没、67歳)。にんげんのにんげんらしさを、自然な目で、しかし奥深く洞察する力の源は、仏法に由来するように思われるのですが、しかし所詮仏にはなれない現世の「にんげん」の煩悩を率直に認めた上で、それでも生きることの意味と努力の必要性を感じさせる暖かい著者の気持ちが身近に伝わってくるような親近感がにじみ出ています。
 さしずめ、私にとっては、縁起12章の「おかげさま人生」の中で、「後輩のおかげで先輩になれる 威張ることはないんです」、「読んでくれる人のおかげで書かせていただく このヘタな文章も」といったところが、的を射た言葉として心に残りました。
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by nakayama_kenichi | 2008-02-06 20:55
 昨年来の課題となっていました新しい論文集『違法性の錯誤の実体』と題する著書が、2月1日に成文堂から届きました。これは、刑法の専門書ですが、個々の論文のままでは埋もれてしまいそうなので、遅まきながら一冊にまとめたものです。
 最近は、年のせいもあって、本格的な著書や論文は書けなくなっていましたので、本書の出版は、私個人にとっても、意義深いものになりそうです。
 私の最初の著書が1958年に出ていますので(『ソヴェト刑法』同文書院)、すでにそれ以来50年を経過しましたが、その間、40冊近くの単行本を出版することができました。その過程で、成文堂の土子編集長のお勧めで、「刑事法研究」という論文集の刊行を、1985年に開始しましたが、この論文集が今回で12巻を数えることになりました。それは、以下の通りです。
       第1巻  選挙犯罪の諸問題                1985年 (品切れ)
       第2巻  刑法改正と「保安処分」             1986年
       第3巻  争議行為の「あおり」罪の検討         1989年
       第4巻  刑法の論争問題                 1991年
       第5巻  わいせつ罪の可罰性               1994年
       第6巻  刑法諸家の思想と理論             1995年
       第7巻  ビラ貼りの刑法的規制              1997年  
       第8巻  安楽死と尊厳死                  2000年 (品切れ)
       第9巻  判例変更と遡及処罰               2003年 (品切れ)
       第10巻  心神喪失者等医療観察法の性格       2005年 (品切れ)    
       第11巻  心神喪失者等医療観察法案の国会審議   2005年
       第12巻  違法性の錯誤の実体              2008年
 以上は、刑法の教科書以外の個別的な問題を検討したものですが、以上のほかにも、「脳死と臓器移植」の問題に関しては、全部で4冊の単行本を出版しています。上記の論文集を含めて、すべて「成文堂」からの出版物です。
 
 
 
 
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by nakayama_kenichi | 2008-02-02 10:28

亡妻の遺品の整理

 2006年4月に家内が亡くなり、1人の生活の中で、不要な家具や調度品の整理を少しづつ手がけてきましたが、そこで感じたことは、最近の朝日新聞(1月28日朝刊)に出ていた、作家の丹波元さんの「不必需品家庭に氾濫」という記事を思わせる状態が我が家にもあることを思い知らされたことでした。
 亡妻の衣類などの遺品の整理については、私自身ではどうにもなりませんので、カナダから一時帰国中の娘に任せ、私も手伝うことにしましたが、丸一週間ほどかかって、ようやく一応の整理ができました。
 他人によって再利用可能なものと、不要物として処分するものとに分類することが最大の課題でしたが、思い切ってゴミとして廃棄処分にしたものが想像以上に多くなり、この廃棄処分の方にも多くの時間と労力を費やしました。この作業はまだ続行中です。
次は、再利用可能な衣類や雑貨類などですが、この方も、着物や服地を含めて膨大な量に達し、長年の間によくもまあこれだけ買い貯めたものだなあと驚いた次第です。問題は、これらをリサイクル可能なものにする方法ですが、幸いなことに、娘が個人的にも関係していた「大阪水上隣保館」(1931年に大阪湾の水上生活者の救護施設として開設され、現在はこの近くの山崎町の山上に位置する、恵まれない児童・子供のための総合福祉・養護施設)に全部引き取ってもらうことにしました。この隣保館は、毎年バザーを開いて、拠出された物品を展示し、収益金を施設の運営費に充填するという仕組みになっています。
 さっそく、隣保館に連絡し、引き取りに来てもらいましたが、小さなトラックでは足りず、大きなトラックに乗せて、運んでもらいました。おかげで、家の中は広く軽くなった感じですが、亡妻も自分の遺品がまとめて隣保館に引き取られ、誰かにまた再利用してもらえる機会が出来たことをきっと喜んでいることと思います。
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by nakayama_kenichi | 2008-02-01 09:23