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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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仙崖荘との最後の別れ

 10月26日に若狭の仙崖荘にお別れする会があり、私も出かけたことについては、このブログにも書きましたが、100年前の仙崖荘の建物をいよいよ解体する前に、あらためてお祓いの儀式が行われたという知らせがありました。
 11月21日の午前8時半に、旧門人関係者が10名ほど集まり、仙崖荘にもかかわりのある近在の須部神社の神官である山内さんによって、厳粛なお祓いが建物の3箇所で行われました。神官もあらためて仙崖荘の由来に深い関心を示されたとのことです。
 当日は、小浜の例の90翁の赤崎さんが、とくに「漢詩」を披露され、若狭の賢者の遺影とともに、お祓い場所に並べられました。その漢詩とは、以下のようなものです。
         
            仙崖 山荘 懐往年
           
            賢者 思徳 額墓前
 
            時勢 変遷 惜別哀
 
            郷民 尽語 素心伝

                           作 卒寿 赤崎固山

 仙崖荘跡地には、記念碑を立てる計画で、これから準備に入ります。
 なお、私の『定刻主義者の歩み』には若狭の賢者の話が入っていることもあり、若狭からはすでに31冊の注文が寄せられました。そのことは、少なくとも30名の方々が、今でもかつての「若狭の賢者」の旧門人関係者として遺徳を語り継ごうとされているひとつの証ともいえでしょう。
 間もなく、仙崖荘の建物がなくなりますので、その写真を入れておきます。
 
 
 
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by nakayama_kenichi | 2007-11-22 12:17

ミニミニ有信会(2)

 ミニミニ有信会のあった後、大阪に出た機会に、この会の世話役の1人である浅野和男氏と会って、夕食を共にしながら、なつかしい昔話をしました。
 私の記憶は乏しく、しかも途中で休学していましたので、当日の私はもっぱら質問者の立場に立って、彼が見聞した当時の事情をできるだけくわしく、確かめながら聞くという形になりました。浅野さんの記憶力は抜群で、雄弁なために話が延々と続き、時を忘れて、お互いに実に楽しいひとときを過ごしました。その話の中から、いくつかの興味ある話を紹介しておくことにします。
 第1は、当時がアメリカによる占領下の時代であったということで、占領政策が決定的な影響力をもっていたということです。敗戦から昭和24年頃までは、日本の民主化が推奨され、学生運動も自由に行えたのです。京大への入学自体も、旧制高校のみならず、他の専門学校卒業生にも開かれるようになり、現に浅野さんも愛知大学予科の出身でした。
 第2は、昭和25年の朝鮮事変以降になると、事態は一変し、官庁や企業にレッドパージの嵐が吹き荒れ、大学にもその影響が出たということです。デモや集会にも大学の許可が必要となり、違反すれば処分されるという形で、学生運動にも厳しい時代が到来しました。そのなかでも特筆すべきは、いわゆる「天皇事件」で、京大に行幸された天皇に「公開質問状」を出すというユニークな運動が行われ、処分者が出ました。また、円山公園からのデモ隊が鴨川の橋の上で警察官と衝突した「荒神橋事件」では、逮捕者も出るという一幕もありました。しかし一方では、「原爆展」を丸物百貨店で開くという先見の明のある活動も勇敢に行われていたのです。
 第3は、「学生民科」とも呼ばれた自主的な勉強会が組織され、熱心に行われたということです。しかも、これらの研究会には、当時の教授陣も指導に当たられており、刑法と社会主義法は宮内先生、法社会学は磯村、上柳先生、国際政治は立川先生、労働法は片岡先生といった具合です。当時は、川島武宣著の「所有権法の理論」が斬新な興味を呼び起こしていたことを思い出します。
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by nakayama_kenichi | 2007-11-20 22:40

ミニミニ有信会(1)

この「ミニミニ有信会」とは、古く、昭和24年から25年頃に、京大法学部の有信会(学部自治会)や吉田寮に出入りして、戦後当初の学生運動に何らかの形で関与した者、及び「学生民科」と称して、学部の正規の講義以外に、社会主義法や法社会学、国際政治や労働法などの問題を実践的な立場から勉強しようとしたグループが、卒業後、かなり経った昭和末期頃に、一種の同窓会として有志の者が集まったのが最初で、今年ですでに22回に達するというユニークな集まりです。
 実は、私自身もそのメンバーのひとりで、毎年秋頃に集まりの案内をもらっていたのですが、心ならずも欠席が続いていました。しか今年は、11月14日に京都の白河院で開かれた会合に始めて出席し、半世紀前の古い友人達と久しぶりの旧交を温めました。
 出席者は、わずかではないかと想像していたのですが、実際には15名が参集し、関東や北陸など遠方からの出席者を含めて、その夜は宿泊する者も少なくないという有様でした。そこには、尋常なつながりを越えた強い心の絆のようなものがあることを直感しましたが、その連帯感の源には、戦後の激動期のなかで、民主的な変革を夢見て学生運動に接近し、そのなかで喜びも苦しみも共にしたという「ロマンチック」な信条のようなものがあったものと思われます。
 熱心な世話役が作られた「ミニミニ有信会」の名簿には、旧制16名、新制24名、全部で40名もの氏名が記録されているのを見て、その多数なことに驚きました。その中には、今でも交流している懐かしい名前が多いのですが、私自身は結核のため昭和25年には休学して田舎に帰郷していますので、直接は知らない後輩の人も含まれています。
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by nakayama_kenichi | 2007-11-19 21:56
 私の『定刻主義者の歩み』を尊敬する団藤重光先生に差し上げましたら、それと引き換えに、先生の最近の新書版の著書が送られてきました。団藤重光・伊東乾編『反骨のコツ』(2007年10月、朝日新書)がそれです。カバーには「日本刑法の父 団藤重光 93歳に学ぶ 元気の出る 反骨のススメ」とある通り、その魅力に引かれて、一気に読み通し、あちこちに傍線と付箋をつけました。
 本書は、93歳の刑法の長老である団藤先生に、42歳の若い作曲家=指揮者が質問しながら、先生の本音を巧みに引き出し、これを「反骨の精神」としてまとめて見させたものです。団藤先生のきわめて率直なご意見とともに、法学を含む社会科学にも詳しい一家言をもった伊東乾氏の質問と鋭い問題意識にも驚かされました。
 詳しい書評はさておいて、とりあえず以下では、とくに、死刑廃止論と裁判員制度に関する団藤先生のご発言の一端を紹介しておきます。
 「最高裁判所判事といっても、人間は人間です。それが『あなたに死刑を宣告します』といえるかというと、これは絶対に言えない。人間は人間に『死になさい』とは言えない。その単純な事実に、自分が死刑宣告する立場に立って、はじめてはっきり気がついたのです」。
 「死刑なしでもやっていた時代が、日本にも世界にもあったという事実をみんなきちんと認識してもらいたい。ところが今の日本では、たいていの刑法学者たちを筆頭に、死刑がとんでもないものだなんて頭が全然ないのですよ。もうそれはダメですね」。
 「私は、裁判員制度は困ったものだと思っています」。
 「この制度は、あくまで『官製』のものでしょ。司法の民主化、公開性、透明性を本当に言うのであれば、それは国民の中から、民衆の中から湧き上がってくる力でなければならない。それなら尊敬しますけどね。要するに法務省あたりで考えて、誰かが裁判員って名前を考えついて、そうしただけのことでしょう。だから僕は、この裁判員って、くだらないの一言に尽きるんです」。
 その他、反骨のコツを示す証言が満載されており、絶対に一読の価値があります。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-11-16 12:04

11月9日と憲法9条

 今日は11月9日で、午後1時頃、大阪の御堂筋を歩いていましたら、「9の日パレード」という集団行進にぶっつかり、ピンク色のビラをもらいました。それは「9の日パレード市民の会」の呼びかけ文として、「今こそ憲法9条を守ろう 戦争をしない国であることを! 戦争の手助けをしない国となることを!」と書いてありました。「9の日パレード」とは、なかなか良いアイデアだなと思いました。
 それで、思い出したのですが、弁護士の石川さんからの情報として、アメリカのナショナル・ロイヤーズギルド(全米法律家組合)が、11月2日、日本のグローバル9条キャンペインの運動に応えて、日本の憲法9条に関する決議を採択し、(1)正式にグローバル9条キャンペインに賛同し参加すること、(2)発行物や集会を通じて、このキャンペインと2008年の「9条世界会議」を喧伝すること、(3)2008年春に東京で開催される「9条世界会議」にアメリカから派遣する代表を組織すること、(4)アメリカの平和活動家にこのキャンペインと「9条世界会議」へ参加するよう働きかけること、を決議したとのことで、同様の決議は昨年もなされています。
 石川さんは、この米ナショナル・ロイヤーズギルドの70周年記念年次大会に、自由法曹団と日本民主法律家協会の代表団の一員として参加し、憲法9条を通じて国際的な連帯を広める活動を体験されてきたのですが、この「9条世界会議」というのは、来年の5月4日ー6日に、東京のほか、仙台、大阪、廣島の3カ所で行われることになっています。
 私も、元気であれば参加したいと考えていますが、数字合わせでいえば、私は1月9日の生まれという点からも、9条に関係がありそうです。
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by nakayama_kenichi | 2007-11-09 21:33

オペラの鑑賞

 大阪の石川弁護士のお世話で、歌舞伎を鑑賞する機会があったことは今年7月のブログでも触れましたが、そのときすでに、次回の予定として、オペラの鑑賞が予定されており、それが11月4日(日)だったのです。まだまだと思っていたのにその日が来てしまいましたが、前日の11月3日には「傘寿の会」があったばかりですので、連日の外出となりました。
 ところが、石川さんご夫妻が所用のため、行けなくなり、代わりに伊賀弁護士ご夫妻が見えましたので、3人が大阪のフェスティバルホールで落ち合いました。
 チェコのプラハ歌劇団による有名な「椿姫」が演題で、会場は観客で埋まり完全に満席でした。石川さんが苦労してチケットを予約して頂いたのですが、一階中央の前から5列目という席は最高の位置で、舞台の動きや演者の声はもちろん顔色も見通せるほどの緊迫感がありました。もっとも結構な値段でしたが(1万7千円)。
 「椿姫」の物語の筋は大体知っていましたが、舞台の左隅の辺りに日本語の字幕が出ますので、これは親切なサービスだなと思いました。私は、外国では、とくにポーランドに2年間滞在中には、オペラもたびたび見ましたが、日本に帰国してからはほとんど見た経験がなく、ものめずらしさと、どこか落ち着かない感じがありました。しかしあたりの観客は熱心なオペラファンで、終わってからの鳴り止まぬ拍手によって演者との一体感を満喫するという場面が繰り返し長く続いたのです。
 マドンナは魅力的な美人であり、声量も豊かできらめくように美しく、今でもそのときの余韻が残っています。それは観客を陶酔させるような美しい響きでした。ただ、あえて皮肉をいえば、肥満型の健康体の美女が、そのまま最後は結核で死亡するというのはいささか腑に落ちないようにも感じましたが。
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by nakayama_kenichi | 2007-11-05 22:27

傘寿の会

 11月3日(祝日)の午後6時から8時半ころまで、京都の都ホテルで、私の「傘寿を祝う会」が開かれました。当日は、午後から立命館のロースクールの建物で、刑法読書会の例会がありましたので、それに出席した後、すこし前に中座して、地下鉄東西線にはじめて乗って、蹴上げで降りたらすぐに都ホテルでした。10年前の古稀の祝賀会もここであったかと思うと、まさに10年1日の如しという感を深くしました。
 会には、私の同輩、後輩のほか、教え子の元ゼミ生など60数名の人が集まりましたが、私の亡妻を偲ぶという趣旨から、家内の古い友人の方も3名出席されました。
 私は、開会の少し前に、この機会にお配りする予定であった『定刻主義者の歩み』(成文堂、2007年)の60数冊分のサインをするため、急いで筆を走らせ、中国でもらった印章も押して、ようやく開会に間に合いました。
 会は、年代は違うものの、気のあった仲間の人たちの集まりで、多くの人が私自身と関係する昔からの思い出話をされましたが、始めて聞く逸話などもあって、興味をそそられました。
 会の合間には、スクリーンに、50年も前の私どもの結婚式(京大楽友会館)の披露宴のビデオ(当時は8ミリ)が映し出され、佐伯、平場、宮内先生など今はなき先生方も動く姿で再現されました。
 私自身は、感謝・感激の気持ちでいっぱいでしたが、とくに還暦、古稀、傘寿と3回にもわたってこのような集まりを企画し実行してもらうようになった幸運を身にしみて感じました。これもまた、偶然にも大学の教員として、研究と教育の仕事に従事するようになったことのまことに嬉しく貴重な贈り物だと確信している次第です。
 これでまた、限られた余生をできるだけ有意義に生きていこうという新しい刺激を受けることになりました。 帰宅後、真っ先に亡妻の霊前に頂いた花を手向けて、報告しました。
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by nakayama_kenichi | 2007-11-04 09:55