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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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戸別訪問罪の事件

いわゆる「大石事件」に関する大分地方裁判所の判決については、このブログでも触れましたが、控訴審である福岡高等裁判所の判決が9月7日にあり、罰金刑の有罪判決を維持しましたが、公民権停止だけは除外しましたので、大石氏は市議選には出られることになります。しかし、被告・弁護団は、さらに上告して、戸別訪問罪の違憲性を正面から争うとのことです。
 私は、この事件に関する意見書を書いて、その内容を「判例時報」誌に公表しましたが、国民救援会の方から受けたインタビューを「救援情報」誌に載せましたところ、飯能市にお住まいの元裁判官の方から電話と手紙が舞い込みました。実は、この方が若い裁判官の時代(昭和43年)に、和歌山の妙寺簡易裁判所で、公選法上の戸別訪問罪の規定が違憲であるとして無罪判決を書いたその人だったのです。早速、私の『選挙犯罪の諸問題』(昭60)を参照しましたところ、その判決が見つかりました。その判旨は、以下のように格調高いものでした。
 「言論の自由は明白かつ現在の危険の存する場合に限り制限され得る。戸別訪問は最も基礎的な選挙運動の手段として、財力の多寡を問わず平等に与えられるもので、特別の保障に値する。それは、買収などの不正行為と性質上の因果関係がなく、全面的に禁止することは許されない」。
 この方は、裁判官時代から15年以上にわたって、「司法反動を憂うる同期の法律家有志の会」を毎年開いておられるほか、地域では「政党助成金違憲訴訟」にも取り組まれるなど、その初志が決して忘れられていないことを知って、敬服した次第です。この方とともに、とくに若い裁判官の独立心とリベラルな人権感覚に期待したいものです。
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by nakayama_kenichi | 2007-09-26 20:33

日野原重明氏の護憲論

 日野原重明さんといえば、96歳の高齢でありながら、まだ現役同様に活動されている超一流の医師であることは、すでに周知のところです。
 私は、最近の「全国革新懇ニュース」に出ていたインタビュー記事を見て、この日野原さんが「憲法を守り、軍隊のない独立国家」になることを、情熱をこめて語っておられるのを見て、その確信的な情熱に強い同感と感動を覚えました。その指摘のいくつかを紹介しておきます。
 第1に、先の参議院選挙で自民党が大敗したことはよかったとした上で、憲法を変えるかどうかを最終的に決めるのは国民であり、安倍内閣の改憲の狙いはアメリカと一緒に地球のどこかで起こる戦争に従事することであり、今こそ改憲阻止の運動を進めることが大事ですといわれています。
 第2に、日本が日中戦争という誤った戦争によって、近隣諸国に大きな惨禍をもたらしたことを僕らは知っているから、「あれはもう過去のことで、なかったことだ」などという嘘は通じない。被爆の悲惨さを知る私たちは、世界に何万発もの核兵器があることを踏まえ、平和の尊さを語り継いでいかねばならず、現代人に必要なのは戦う勇気より平和を守る勇気ですといわれています。
 第3に、米軍基地の解消についての提言として、米軍への基地提供も10年後には解消したいと、アメリカに伝え、その後は完全に軍備のない独立国家となってほしいといい、安保条約を破棄することにアメリカは文句をいえません、いい方向にするのですから。また反対したら他の国が文句をいいますよ、といわれるのです。
 第4に、平和憲法への思いの原点には、シュバイツアー博士の「命への畏敬」という考え方があり、人間同士が殺し合うなどとんでもないことである。私は命を守る医者であり、命を脅かす最大のものが戦争なので、私は日本が軍隊をもつことに同意できないし、平和運動に撤するのが医者の努めであると結ばれています。
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by nakayama_kenichi | 2007-09-22 10:16

原稿の校正ゲラ

 私は今、2冊の本の出版を計画しています。ひとつは「定刻主義者の歩み」と題する随想風の「自分史」で、もうひとつは「違法性の錯誤の実体」と題する専門的な論文集です。
 これらの本や雑誌の出版の過程で、このところ原稿のゲラを点検する作業に追われています。「ゲラ」とは、原稿を組み上げた活字版を校正用に試刷したもので、「ゲラ刷り」とも呼ばれています。
 最近は、原稿そのものが活字で作成されており、たとえば原稿をパソコンのワード文書の形式で出版社に送信しますと、それが紙に印刷され、ゲラ(校正刷り)として送り返されてきます。原稿の内容が正確に書かれていれば、校正刷りは清書したようにきれいなので、ゲラの点検作業は比較的容易であり、読み下しながら内容を確認して行くというやや単調な作業ということになります。
 しかし、自分の書いた文章を読んでいくというのは、気分が楽なだけに、流して読んでしまうことが多く、必ずといってよいほど、あとで「誤植」が発見されるものです。私のこれまでの経験でも、後で読者から誤植を指摘されて、驚くことが何回もありました。したがって、できれば他人に点検してもらいたいのですが、その暇がないというのが現実です。
 ゲラ刷りの校正については、古い時代は、全部が手書きの原稿でしたので、校正刷りには著者の字を判読できないため、「げた」と称する黒い二重の枠があちこちに見られ、これらを赤いペンで埋めて行く作業が大変だったように思います。そして、校正も1回(初校)では終わらず、2回(再校)、3回(三校)というように、何回も校正刷りの往復作業が繰り返されたものです。
 しかし、それにもかかわらず、私の研究生活にとっては、原稿の校正は一番楽しい仕事のひとつで、一生懸命やってきました。今度が最後になるかもしれませんが、できるだけ良い本を多く出版したいものです。
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by nakayama_kenichi | 2007-09-20 21:42

企業の政治献金

 安倍首相が突然職を投げ出して、自民党の総裁選が始まっています。今回はそれほどカネが動いていないようですが、「政治とカネ」の問題が常に底流にあります。政治資金規正法は、収支の手続き的な処理方法のみを問題にしていますが、それでも違反が絶えないのです。
 9月15日の朝日新聞朝刊を見ただけでも、2006年の収支報告書から見て、政治資金の使途は多彩であること(麻生氏は高級クラブ・料亭を愛用)、経団連企業の2006年の政治献金が26億円に達していること(個人や政治団体の献金は減少している)、企業から自民党への寄付が激減して民主党への寄付が増えていること(日医連の幹部は「自民党は我々の政策を理解してくれなかった。寄付しても言うことを聞かない態度では寄付の意味がなく、わざと減らしている。多額の寄付をして我々の政策を実現してもらう時代は終わった」という)などの指摘が目につきます。
 政治活動にはカネがかかる、選挙にもカネがかるということであれば、そのカネをどこから調達するのかが問題です。政党の運営は、本来は党員の党費と個人の寄付から成り立つべきで、それでは無理ということで国からの政党助成金(これは国民の税金)が与えられています。
 ところが、実際の政治の現場では、大企業からの多額の政治献金や寄付(パーティ券の大量購入を含む)が、とくに政権与党に狙いを定めて大量に投入(投資)されていて、その現状の是非ではなく、収支の管理をめぐるミスが問われているにすぎません。
 この企業の政治献金が、せめて各党に平等に配分されるとか、正常には生きていけない人達の救貧活動に使われるというのであれば、意味があるように見えますが、それは政治献金の実際の目的(政府与党からの利益供与の期待)に沿わないとして見送られてしまうのです。
 政治家に市民感覚を喚起するためには、多くの議員特権を廃止し、市民の浄財に依拠した政治活動の原点に立ち帰ってもらう必要があります。また、市民の側にも、政党や議員から利益を受けるという期待を捨てて、市民的感覚のある政治家を育て応援するという姿勢が必要だと思います。
 再度、企業の政治献金の廃止を訴えますが、これは夢物語にすぎないものでしょうか。
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by nakayama_kenichi | 2007-09-15 11:21

刑法と国家主義

 最近の「法学教室」誌に、「松尾浩也先生に聞く」というインタビューが連載中で、毎月興味深く拝見しています。松尾さんとは、私と同じ昭和はじめの生まれの同世代で親しくしています。
 その最近号(324号29頁、2007年9月)の中に、少し気になる記載の部分がありましたので、あえてコメントをさせて頂きたいと思います。
 そこでは、戦後の刑法改正問題の際の小野清一郎先生と平野龍一先生との関係が触れてあり、平野先生が準備草案や改正刑法草案に対して、「これは犯罪化、重罰化であり、国家主義的である」と厳しく批判されたという指摘がなされています。それは、戦前の刑法改正仮案に由来するもので、戦前の否定というよりは肯定に近いという印象を払拭することができなかったというわけです。私どもも、この平野先生の評価に賛成したのです。
 問題は、それに続いて、松尾さんが、最近の状況について、次のように述べておられるところです。「・・・・その点、最近の刑法改正は、ご承知のように『犯罪化であり、重罰化である』という場合が少なくないのです。支払い用カードの罪を新たに作ったり、危険運転致死傷罪を制定して、従来の業務上過失致死傷罪より相当重い刑罰を法定したりということが行われているのです。しかし、犯罪化、重罰化ではあっても国家主義的なものでは全然なく、市民の生活、市民の安全を守るという方向でなされているので、社会はこれを受け入れています。しかし、30年前の刑法全面改正のときは、受け取り方がまったく違っていました」。
 最近の犯罪化・重罰化は、国家ではなく国民のためのものだというわけでしょうか。時代状況の変化ということもありますが。自衛隊のイラク派遣や憲法改正の動きがある中で、刑法改正だけが国家主義と無縁なものといえるのだろうかという疑問が湧いてくるのです。平野先生が生きておられたら、どのように評価されるのでしょう。聞いてみたいものです。
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by nakayama_kenichi | 2007-09-08 20:38

9月1日の研究会

9月1日(土)の午後1時30分から6時20分まで、大阪中之島の大阪大学中之島センターで、「医療と法」関西フォーラムの第2回シンポジウムが行われました。暑い日でしたが、私は会長なので、シンポジウムの開始から最後の懇親会まで出席して、あいさつなどの役目を果たしました。
「医療と法」関西フォーラムは、医療問題に関心のある医と法の実務家および研究者によって作られた研究会で、2001年3年3月17日に第1回の研究会を開いて以来、今回の研究会で20回を数えることになりました。その間、シンポジウムとしては、2003年8月に、千里ライフサイエンスセンターで、「ターミナルケアーを考えよう」というタイトルで開催され、今回は2回目ということになります。
今回は、「医療関連死第三者機関検証システムについて」というのがテーマでしたが、これは、医療事故による患者の死亡が発生したときに、一方では医師の側に異常死について届出の義務がありながら限界が明確でなく、他方では遺族の側にも原因究明に不満が残るという現状の下で、2005年9月から大阪地域など数カ所をモデル地域とし、医療事故の発生・予防・再発防止を最大の目的として、第三者機関が診療行為に関連した死亡の調査依頼を受け付け、死因を究明して診療行為との関連性を評価するという「調査分析モデル事業」がスタートしたことに関係しています。シンポジストには、大阪地域の評価委員でもある外科医、弁護士、市民団体役員のほか、病理医、警察庁、法律学者が加わり、それぞれの立場からこのモデル事業に関連した報告があり、熱心な議論が展開されました。
 議論の中からは、現状を改善するための新しい事業を実りあるものにするためにも、何よりもマンパワーの充実の必要性が繰り返し指摘されたほか、さらに問題の背景にある「医療不信」をいかに克服していくべきかという医療倫理(および患者倫理)の問題に注目が集まりました。
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by nakayama_kenichi | 2007-09-02 21:53