最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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久しぶりの結婚式

 過日、刑法関係の仲間の若手研究者の結婚式と披露宴に招かれて、大阪のホテルまで出かける機会がありました。残暑きびしい季節にもかかわらず、ほかにも幾組もの祝宴が予定されているのには、まず驚きました。
 結婚式は、ホテル内の教会で行われましたが、静かに流れる音楽を背景に、左右の参列者の間を、美しく着飾った新婦が新郎と手を携えてしずかに祭壇に進んだ後、外人の牧師が大きな声とジェスチャーを使って、神から与えられる愛の意味とこれにこたえるべき永遠の愛の誓いを、新郎・新婦に伝授するという儀式が行われました。そして、参列者全員で賛美歌を歌った後、新郎・新婦に小さい花弁と水泡を浴びせて送り出すというのが、結婚式の手順でした。
 私は、教会での結婚式に参加するのははじめてでしたが、これまでのいわゆる「神前結婚式」と比べると、華やかさと開放性の点で、はるかに印象的なものがあり、とくに牧師自身が、新郎と新婦に対して、互いに敬い、助け合い、喜びも苦しみも分かち合うという永遠の夫婦愛のあり方を諭した場面は、感動的でもありました。
 一方、披露宴では、媒酌人が不在であることに驚きましたが、最近ではむしろそれが普通とのことで、司会者による会の進行という形式で、なごやかな懇談と祝辞の挨拶が続きました。照明や装置にも工夫がこらされ、楽しい雰囲気でしたが、新郎・新婦の少年・少女時代の画像が再生されて、昔の面影を偲ぶことができたのも良かったと思いました。
 私自身は、挨拶の中で、特別に嬉しい気持ちをあらわすために、普段の冷静さを忘れて、披露宴の後で新郎・新婦を胴上げしたいといい、ただし新郎は少し重いかなと言って、みなさんに笑われました。それだけ嬉しかったのでしょう・・・・。
 50年以上も前の自分自身の結婚式のことを回想しつつ、帰路につきました。
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by nakayama_kenichi | 2007-08-27 14:53

100歳の誕生日

 8月19日は、家内の母が満100歳の誕生日を迎えました。特別養護老人ホーム「天神の杜」では、所属するユニット「朝日」で、入居者9人に数名のスタフが加わって、ささやかな誕生パーティが開かれました。私も、猛暑のなかを、大きいケーキを持参して、仲間入りしました。長寿国になったとはいっても、100歳を迎える人はまだ少なく、運の強い人といえるでしょう。
 家内の母は、明治40年(1907年)生まれで、ちょうど一世紀前になります。最近は、夏にときどき熱を出し、食欲不振になりますが、それがしばらくすると不思議に挽回して元に復するというところに、芯の強さを感じます。最近は、ほとんどものを言わなくなり、コミュニケーションに困難がありますが、笑顔を絶やさないところが、スタフのみなさんに暖かく受け入れられている秘訣ではないかと思われます。
 入居者には、90歳以上の高齢者が多く、それぞれの生活スタイルに応じたスタフの熱心な介護とケアには頭の下がる思いがしますが、スタフの若い女性の明るい笑顔がホームの魅力を作り出しているように思います。家族の会の側でも、夏祭りへの参加は終わり、除草作業の手伝いのほか、新しく、介護技術の講習会を開く予定もあります。最初は、車椅子の操作方法から始めるとのことで、私自身も参加するつもりです。
 今日の誕生会は、無事に終わりましたが、私が感心したのは、大きなケーキが全部無くなってしまったことで、入居老人の衰えない食欲を再確認しました。行きはタクシーでしたが、帰りは公園の中を汗を流しながら、歩いて帰宅しました。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-08-19 21:55

今年の8月15日

 また8月15日がめぐって来ました。62年前の1945年(昭和20年)の8月15日を思い出します。私は、当時、清水高等商船学校の2期生として、その日の朝も、日課通り、5時に起床して、炎天下の訓練に従事していたのですが、報道管制の中でも、廣島に新型爆弾が落ちたという情報はすでに口伝えられ、戦況に利なしという雰囲気の中で、アメリカ海兵隊が清水に上陸することを想定した「玉砕」戦法の展開を現実的のものとして意識しつつ行動していました。しかし、すべては、もう限界に来ていたのです。
 その日の昼に、私どもは、校庭への集合命令が出て、いわゆる「玉音放送」を聞いたのですが、多くの者は一種の放心状態の中で、敗戦の帰結を知らされました。多くの若者は涙を流しましたが、冷静になれば、これで命が救われたという安堵感が沸いてきたものです。まさにその日から、戦争ではなく、平和がよみがえったのですから。
 しかし、重要なことは、このような形での戦争終結の決断とその時期があまりにも遅すぎたたために、その直前と直後に、避けられたはずの多くの犠牲者を生み出すことになったことです。その責任をこそ問題とすべきでしょう。戦争の惨禍は、戦死者を靖国神社に英霊として、しかもA級戦犯と合祀するという形で処理するには、余りにも重大で全く的はずれといわなければなりません。昭和天皇自身がA級戦犯の合祀への不快感から靖国神社参拝を止められたという「御意」をも顧みない者は「不忠者」ということになるのではないのでしょうか・・・。
 今年の8月15日は、昨年よりも、さらに一段と暑くなり、最高気温が37,38度まで上がりました。それは、戦争による犠牲と惨禍に加えて、地球規模の異常気象によると大規模な環境破壊と自然災害がもたらされる危険を警告しているように思われます。60年前の素朴でつつましい生活に帰れないものか、真面目に考える必要があると思うのです。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-08-15 17:48

杉野文庫について

 8月のはじめ、私の郷里(滋賀県伊香郡余呉町)に墓参りに帰った際に、小中学時代の旧友である桐畑長雄氏との面談から、当時の余呉小学校内に「杉野文庫」という名の図書室があったこを思い出しました。そして、実はこの図書は、杉野文彌(1864-1933)という人が郷里に創設した図書館の蔵書の一部であり、現在は、木之本にある「江北図書館」に所蔵されていると聞きました。
 桐畑氏によると、杉野文彌は苦学して東京法学院(今の中央大学)を卒業し、弁護士となって活躍するなかで、郷里のために図書館を設立するという志を立ててこれを実行し、私財を投じて「江北図書館」に6916冊の図書を寄贈したというのです。
 しかも、注目されるのは、そのなかに、、明治22年イギリスで刊行され、初めて日本に輸入された「ブリタニカ」第9版24巻の辞典が明治35年に購入保存されているという事実で、このことは地方の図書館としては極めて珍しいといわれているのです。このブリタニカ第9版24巻セットは、当時280円、1125人が「丸善」に予約し、それは坪内逍遥、高山樗牛、山路愛山らが愛し、尾崎紅葉は死の直前に注文したが間に合わなかったということも伝えられています。杉野文彌氏自身が書いた「余が図書館設立の由来」という文書も残っています(読書の友、大正元年8月発行、読売新聞社)。 
 桐畑氏と面談した際には、現在江北図書館の評議員をしている東野更正氏(私の小学校時代の恩師東野こずえ先生のご子息)も同席されていましたので、近い将来、江北図書館を訪問して、蔵書を拝見し、杉野文彌氏の功績を再確認したいと思っています。
 ただし、はるか昔の余呉小学校の「杉野少年図書文庫」で勉強したころの私の記憶は、残念ながらそれほど定かではありません。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-08-08 10:41

福岡の弁護士の連続書評

 今度も大阪の石川元也弁護士からの情報で、福岡弁護士会所属のある弁護士が、ブログの形式で、ほとんど連日のように、新刊本の要領のよい紹介とコメントを公表されていることを知り、以後興味深く拝見しています。ここでは、7月25日付の、石川義夫著『思い出すまま』(れんが書房新社、2006年)の中から、興味深い指摘を2箇所、紹介しておきます。
 「矢口洪一人事局長は、裁判所の諸悪の根源は、歴代事務総長が最高裁判事に栄進することにあると繰り返し断言した。事務総長が練達の裁判官をさしおいて最高裁判事になることは、裁判に専心している裁判官の間に不満を醸成し、事務総局と現場の裁判官の間に抜きがたい不信感を生んでいる。だから、事務総長には総局以外の者を充てるか、いったん事務総長になた者は最高裁入りをあきらめるかにすべきである。矢口氏の言葉はきわめて説得力のある考え方であると受けとった。ところが矢口氏は、その舌の根も乾かぬうちに、事務次長、事務総長を経て最高裁判事となり、ついには最高裁長官の座を冒すに至った。矢口氏の事務総長就任までの裁判所在職期間37年のうち、裁判所実務経験は合計しても6年あまりに過ぎない」。 「矢口人事局長は、青法協つぶしの先頭に立っていました。・・・・矢口人事局長は、田宮上席教官に対して,『研修所教官の方で、疑わしい連中の試験の成績を悪くしておいてくれれば、問題は解決するじゃないか。何とか考えてくれ』と言った。要するに、青法協所属の修習生の任官を人事局の責任で拒否することをしたくないので、研修所教官の責任で拒否しようというのである。著者は、この件について、矢口氏の名誉を慮って、今日まで他言しなかったが、目的のためには手段を選ばない矢口氏の手法を思うと、もっと早い時期に公にすべきであったと後悔している」。
 この本の著者は民刑事の裁判官、研修所の教官、最高裁経理局の課長まで勤めた人であり、司法界の内情を知る上でも一読に値するものと思われます。なお、本書を含む連続書評は「福岡弁護士会弁護士」と検索するとでききますので、広範な知識を簡便に得る方法として、私もぜひ推薦したいと思います。
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by nakayama_kenichi | 2007-08-03 11:18

今年の8月

 今年の8月は、7月29日の参議院選挙で万年与党の自民党が大敗したことから、久しぶりに政局に緊張感が見られるようになったことが特筆されます。しかし、その行方は、決して予断を許さないものがあります。また、地震や台風などの自然災害を含む異常気象からも目を離せないきびしい状況下にあります。
 私自身は、郷里(滋賀県北部の余呉町)への墓参りの際に余呉小学校の旧校舎を見学する計画を立てているほか、大阪の事務所で扱っている刑事事件の弁護団の打ち合わせなどの予定が入っていますが、本来の研究活動としては、「自分史」(定刻主義者の歩み)の出版の準備に加えて、「論文集」(違法性の錯誤の実体)の出版も計画していますので、結構忙しい夏になりそうです。
 ところが、毎年8月に恒例となっている2つの合宿研究会(岡山での「刑法読書会」、湯河原での「日弁連刑事法制委員会」の合宿)には、いずれも欠席せざるを得なくなりました。また、ほとんど毎年、仕事と静養をかねて滞在している熱海行きも今年はあきらめざるをえません。
 その理由は、8月13日から10月3日まで、月曜から金曜までの午前中に、前立腺がんの放射線治療のため、桂病院まで毎日通院しなければならず、その間は、遠方に外泊することはできないことになったからです。 不安は残りますが、何とか治療に耐えて、早く健康体に戻りたいものです。
 8月19日に100歳を迎える家内の母は、耳は難聴ですが、まだ元気な笑顔をたやさず、自分の手でおにぎりをつかんで食べます。昨日も、好物のアイスクリームを一挙に食べてしまいました。その娘に当たる家内の方も負けずに生きていてくれたらなあと思うことしきりです。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-08-02 21:42