最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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年金「怒り続く」92%

 6月26日の朝日新聞には、年金記録問題に対する国民の怒りが「まだ続いている」と思う人は92%に達し、「収まってきている」と思う人は4%しかないとの世論調査の結果が出ています。すでに、年金記録問題を検討するための第3者委員会が出来ましたが、「消えた年金」の救済がどこまで行われるのか分からず、線引きの難しさが指摘されています。
 ただし、一方では、社会保険庁長官が全職員に賞与の返納を要請し、年金「おわび」の対象が1万7000人に及ぶという記事が出ており、社会保険庁長官をはじめとする職員のほか、厚労省の大臣や政務官、それに安倍首相や塩崎官房長官も賞与を自主返納するといわれています。このようなおわびの姿勢が、国民の怒りを静めるためであることは明らかでしょうが、それによって本当の責任者の追及がうやむやにされてしまうおそれがあります。その上、賞与返納金額がどの位になるか分かりませんが、この自主返納金が今回の年金記録問題の経費に直接あてられることはないということです。
 それは、今回の年金記録問題の解決と処理のために要する膨大な経費が、すべて国費によって賄われるということ、つまり国民の税金を使って行われるということを意味しています。ところが、当日の新聞にはまた、国の借金が最多の834兆円に達し、「ローン地獄」脱出の道は遠いとの指摘があります。これが個人の家庭や地方自治体であれば、とうの昔に破産しているはずなのに、なぜ国は破産しないのかという疑問があります。
 そこで、私としては、せめて今回の年金記録問題の処理費用は、原因を作りながら長年放置していた責任者が誰かを究明した上で、自己負担させることを提案したいと思います。
 それにしても、低賃金で悲鳴をあげるボーナスゼロの福祉関係の現場職員に比べて、今回の社会保険庁長官のボーナスの自主返納額が270万円の高額に及ぶという事実こそ、現代の「格差社会」を象徴しているように思えてなりません。国会議員は10年払って月額29万円の保険金がもらえるという余りにも不合理な「特権」の廃止こそまず必要だといいたいのです。
 
 
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by nakayama_kenichi | 2007-06-26 10:39

つもりちがい人生訓

 過日、讃岐旅行をした際、最後に見学しました「国分寺」というお寺で、「つもりちがい人生訓」という書状を入手してきましたので、以下にこれを紹介し、今回は、国分寺の写真を挿入するという新しい試みをしてみました。

                 つもりちがい人生訓
 
               1.高いつもりで  低いのは    教養
                 低いつもりで  高いのは    気位
               2.深いつもりで  浅いのは    知識
                 浅いつもりで  深いのは    欲望
               3.厚いつもりで  薄いのは    人情
                 薄いつもりで  厚いのは   面の皮
               4.強いつもりで  弱いのは    根性
                 弱いつもりで  強いのは    自我
               5.多いつもりで  少ないのは   分別
                 少ないつもりで 多いのは    無駄
               6.長いつもりで  短いのは    人生
                 短いつもりで  長いのも    人生

c0067324_8564114.jpg

                  四国80番別格本山 讃岐 国分寺
            
     
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by nakayama_kenichi | 2007-06-23 22:57

高等商船学校の同窓会

 清水高等商船学校時代の同期生(われわれ二期生は1800人もいた)のうち、阪神二期生会の例会が6月15日に神戸海洋会館で開かれました。私は、これまで一度も出たことがなかったのですが、今回はじめて出席しました。
 まず驚いたのは、79名の案内状発送者のうち、出席者が29名という人数の多さと、集まった同期生(80歳前後)の元気な姿でした。それに、例会が年2回というのも、ちょっとほかに例がないように思われます。
 所属が1分隊から40分隊まであり、航海科と機関科に分かれていましたが、私の属していた13分隊にいた同期生は見つかりませんでした。それでも、2年次に同じ分隊に所属していた旧友のひとりとは、すぐに判別できて、固い握手をかわしました。
 私が初参加ということで、乾杯の音頭をとることになりましたが、ほとんどの方々が毎回出席を重ねている親しい間柄で、60年以上も昔の戦中の苦労を共にしたという心のつながりの強さを改めて実感しました。
 敗戦後、高等商船学校は定員を大幅に削減して存続しましたが、先の旧友はそのまま商船学校を卒業して日本郵船に入社し、実際に外国航路を乗船した経験をもっています。私などは、途中から退学し、船乗りとは全く別個の道を歩んだことになります。
 会も終わりに近くなった頃、17分隊所属の杉尾秀一郎氏が、私と同様に奥さんを膵臓がんで亡くしたこと、息子がTBSのキャスターをしていると知らされ、急に親しく連絡を取り合うことになりました。次回からもできるだけ出席することを約して、別れました。
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by nakayama_kenichi | 2007-06-15 21:40

こんぴらさんの785段

 立命館大学での私のかつての受講生の実家のご家族からのお誘いで、四国香川の讃岐の国まで6月9日から11日まで出かけてきました。京都駅からJRバスの直行便で約3時間で到着し、本土と四国の間を連絡船で渡った古い経験はもう昔日の感があります。
 9日は、まず栗林公園を見ましたが、広い境内にはいくつもの広い池があり、大きな緋鯉と亀がいました。広い境内の中をたいぶ歩きましたが、とくに花菖蒲園が印象的でした。予報に反して、天気がよかったのも嬉しい誤算でした。
 10日は、瀬戸大橋の途中にある「与島」に向かいましたが、はじめてみる瀬戸大橋の規模と長さ、そのデザインに圧倒されました。与島からは「咸臨丸」という遊覧船で瀬戸大橋付近を周遊しましたが、かつて高等商船学校にいたころのことを思い出しました。そのほか、与島には「ベゴニア海花園」が開設されており、その中の美しい花一面の空間に心を癒されました。
 弘法大師誕生の地として知られる「善通寺」では、薬師如来などの多くの仏像を拝観しましたが、多くの四国お遍路さんの姿を真近に見ることができました。
 11日は、いよいよ「こんぴらさん」の山上まで参詣することになり、杖を持って、石の階段を一歩一歩登りはじめました。正直なところ、途中までと予測していたのですが、お世話下さったご家族を含む4人組でしたので、励ましあいながら、途中で休憩しつつ、とうとう本宮の社のあるところまで、全部で785段を登りきりました。数年まえにカンボジアのアンコールワットに登ったことがあしましたが、今回は80歳の体験として、一つの記録ができたことになります。
 下山してからも、国分寺や天皇寺など、四国88箇所にあたるお寺を見学して、午後3時の便で京都に帰りました。携帯で写真をとったのも、はじめての経験なので、その成果も、このブログで(うまく撮れていれば)公開したいと思います。
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by nakayama_kenichi | 2007-06-13 10:56

6月2日と6月7日

 6月2日は亡妻直子の誕生日、6月7日は2人の結婚記念日なので、思い出を何か書こうと思っていましたら、昨年のブログにもすでに書いていることが分かりました。
 今年は、すでに一周忌を過ぎていますので、だいぶ落ち着きを取り戻し、少しづつ記憶が薄くなるものと思っていたのですが、むしろ逆に寂しさがかえって身に染む思いがします。
 今年の6月2日は、午後から刑法読書会の研究会に出席するため立命館の法科大学院まで出かけましたが、帰りの四条大宮でケーキを2個買って、帰宅して夕食後、仏壇の直子の写真の前で、静かな誕生祝いのひとときを過ごしました。直子の明るい声をもっと録音しておけばよかったのにと悔やまれます。6月3日(日)には、大阪から息子家族が帰って来て、みんな一緒に昼食を食べましたので、少しにぎやかになりました。
 6月7日は、別段の用事はなく、図書室を整理しましたところ、新婚旅行の古い写真集を発見し、あらためて、若かりし頃の思い出を偲びました。昭和33年(1958年)6月7日から13日まで、伊丹空港から名古屋の小牧空港で乗り換え、東京の羽田空港から仙台空港まで飛び、その後は、松嶋、作並温泉、磐梯高原、五色沼、日光湯元温泉、鬼怒川温泉を回って、東京駅から大阪行き「はと」で帰京という経路になっていました(新幹線はまだ)。
 また、7日夜には、「研一・直子の結婚式と披露宴」の無声ビデオを一人で注意深く鑑賞しましたが、約50年前の記録としての貴重さを再確認しました。人の名前を忘れている人もかなりあり、直子に聞きただしたいと思っても残念ながら果たせませんでした。
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by nakayama_kenichi | 2007-06-08 09:47
 私は、今から20年前の60歳の還暦のときに、『一定刻主義者の歩み』という自伝的な小著を成文堂から出したことがあります(ただし非売品で品切れ)。これは、同輩や後輩の皆さんが、当時私のために開いてくださった還暦記念祝賀会の際に、関係者の皆さんにお礼として献呈したものです。
 あれからもう20年を経過しましたので、この本の新版を作るべく、少しづつ準備をはじめているところです。小学校から始まって、旧制中学、高等商船学校、旧制高等学校、旧制大学、大学院を経て、助手、助教授、教授と昇進し、国立、公立、私立大学を転進して定年となり、定年後も研究生活を続けているという経歴に沿った情報や写真類を集め、その間に書いた著書や論文以外の随想風のものをまとめるというのが今の作業です。
 その過程で、このブログの記事を参照しているのですが、昨年2月から書いたものがいつの間にか蓄積して、とても入りきれないほどの量に達していることが分かり、驚いている次第です。どのように取捨選択しながら、適当な枚数におさめるかに苦労することが予測されます。
 「定刻主義」というのは、私の造語ですので、題名だけは目を引くと思いますが、少しは読者の皆さんに参考になるようなものにしたいと念願しています。
 松尾浩也さんのインタビューが「法学教室」に掲載中ですが、昭和始め生まれの世代がもう回顧される時期になっているかと思うと、時の流れの速さを痛感します。
 私の今度の本は、今年の秋頃には公刊する予定ですので、一般の方々にも読んで頂くことができます。予告としてはまだ早いのですが、「定刻主義者」ですので、なるべく早く出版できるよう、努力するつもりです。なお、旧版は、私の手元にもう2冊しかありませんが、ご覧になりたい方には、お貸しすることはできます。
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by nakayama_kenichi | 2007-06-04 22:53