最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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戦後変革の不徹底

 最近、刑法改正の歴史を調べているうちに、戦前の思想検事が戦後出世して法務省刑事局長から最高検検事となり刑法改正準備会の会長にもなった人物がいるという事実を改めて知る機会がありました(戒能通孝「基本法改正の態度として」法律時報32巻8号、昭35)。戒能教授は、思想検事が立身し、刑法改正準備会の責任者になり得たこと自体に問題があるとしとして、刑法をもし戦時中の刑法から脱却させようというのであれば、準備委員に政治刑法の被害者を加えるのが当然であったのに、委員にはただの一人も入っていないという事実を指摘されていたのです。 
 私も、戦後の変革がいかに不徹底であったか、なぜ不徹底に終わったかを、各分野ごとに事実に基づいて明らかにしておくことが、「戦前に帰ってはならない」という切実な願いを実現して行くために、今なお必要であることを痛感しています。
 なお、上記の論文の中に、この検事が戦前、美濃部亮吉氏を治安維持法違反の疑いで取り調べたときの様子が記されていますので、その部分を引用しておきます。
 「井本台吉という検事が取り調べに来た。その調べ方のいやらしさは、いま思い出しても気持が悪くなる。とにかく治安維持法に違反するようにいわない限り絶対に供述書を作らない。彼の意思に沿った答弁をしない限り、よく考えておけといって、2週間でも3週間でも放っておかれる。彼によれば、赤字公債を発行するとインフレーションになると書いた私の論文は、日本の戦費調達を困難に導き、ひいては―警察や検事局はこの言葉が好きだった―蒋介石に対する利敵行為になるというのだから、全くあきれてしまう。この井本台吉という検事は戦後出世して、いまは最高検の部長をしているということである。まことに恐ろしいことである」。
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by nakayama_kenichi | 2007-04-24 15:13

仕事と家庭

 私どもが経験してきたこれまでの世代感覚では、高校や大学を出て就職すれば、しばらくして結婚し、親と子供の世話をしながら、定年まで働き、静かに余生を過ごすというのが平均的な生活スタイルであったといってよいでしょう。ところが、最近は、顕著な変化が見られるようになりました。私の身近でも、その例が見られます。
 最近、大阪市大で教えたゼミ生が5名、久しぶりに自宅を訪問してくれましたが、5名(男子2、女子3)のうち、結婚しているのは2名(女子)のみで、そのうち1名は子供がなく、3名はいまだに未婚、しかも結婚の見込みもなく願望さえもないと言われてみると、率直に驚かざるを得ませんでした。すでに40歳位の年代ですから、今後の予測も現状維持ということになりそうです。
 そのほか、私の周辺には、多くの弟子や教え子がいて、今でもかなり広く交流の機会を維持しているのですが、それでも40台や50台の男子にも未婚の人が何人かいる一方で、女子については、さらに多くの年配の未婚の方々が目立つのです。
 かつては、私ども夫妻も、10組以上の結婚の媒酌を依頼された経験がありますが、最近は結婚しましたという報告や祝賀会に招待される機会も次第に少なくなってきているようです。どうも、上記のような最近の傾向が当分はなお広がる気配がするのです。
 個人が自立して、女子も同等に仕事をするようになったことは結構ですが、「家庭」や「家族」との両立を失うと、社会の基本的なバランスが失われる危険があります。
 今、大きな家に1住まいになってしまい、改めて仕事と家庭の関係を考えさせられています。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-04-23 11:15

亡妻の一周忌

 4月16日は、亡妻の一周忌に当たります。あらためて、昨年の今ころの記憶がよみがえり、複雑な心境です。昨年の正月には、東京から来た孫娘と一緒に、3人で歩いて長岡天満宮の公園を通り抜けて、妻の母(99歳)のいる特別養護老人ホームを訪問し、みんなで写真をとったものが証拠として残っています。
 2月、3月となるにつれて、体がだるい、痛いといって、ベッドに横になることが多くなりましたが、主治医からも息子(医師)からも別段の危険は予告されず、ようやく3月末に診察に行った際に、お腹の精密検査をすすめられ、その検査をするまでは、ことの重大性に全く気がついていませんでした。そして、医師から検査の結果を聞いたときも、本当のことを言ってよろしいかという質問に、気軽に「どうぞ何でも」と答えていたのです。医師は、「膵臓がん」という病名は言わずに、この病院では治療が不可能なので、ホスピスの病院を紹介しましょうかと言った瞬間に、妻も私も仰天し、妻は「私はいつから末期になったのですか」と聞き返しました。そのときの衝撃の瞬間が、どうしても忘れられません。
 妻は、自宅での自然療法を希望しましたので、いろいろな方法を試みて介護に専念しましたが、病状の進行が予想以上に早く、あっという間の2週間で、燃え尽きた感じです。日に日に痛みが強くなりましたが、処方してもらった麻薬を飲むことは拒否し、痛みに耐えながらの最後でした。検査が原因だったという妻の嘆きが当たっているような、病状の激しい変化でした。
 それが、最後の別れでしたが、それまでの長い過去の思い出を心に秘めながら、明15日に、子供や孫達とともに、一周忌の法要に菩提寺とお墓に出かけることになっています。
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by nakayama_kenichi | 2007-04-14 18:40

滝川事件の後遺症

 最近、松尾尊兊氏の著書『滝川事件』(2005年、岩波現代文庫)を読む機会があり、いろいろと考えさせられました。それは、滝川事件に至るまでの経過、滝川事件の展開、および滝川事件以後の問題までを忠実にフォローしたもので、すでにこれまでに明らかにされているところも多いとはいえ、新しく発掘された歴史的な資料も含まれていて、興味深いものがあります。
 私自身の関心としては、滝川事件以後の戦後当初の京大法学部再建問題のなかで、とくに刑法の佐伯教授の教職追放の経過がなかり詳しく叙述されているところに興味を引かれました。教授の教職追放は、GHQの方針にもとづく教職・公職追放の一環として、京大法学部内に設けられた教員資格審査委員会が決定したものですが、著者はその結論に次のような疑問を呈しています。「たしかに佐伯は『大東亜戦争に相応する雄大な日本法学の建設』をうたい、『刑法における日本的なるものの自覚』および『刑事法より見たる日本的伝統』を執筆しており、国家主義的傾向は強いが『超』とまで行くか疑問である」というものです。なお、当の佐伯教授も当時「判定理由書」に長文の反駁文を書かれていたことも明らかになっています。
 佐伯博士は最近亡くなられましたが、戦前の業績についても、とくに上記のような評価に関連した歴史的な検討が必要であると考え、少しづつ読みはじめているところです。
 なお、著者が、本書の「あとがき」のところで、現在の大学の自治と学問の自由は、独立行政法人への交付金の配分が設定目標の達成度に反映するというやりかたで、「金力」を使っての介入という形で行われているのではないかと指摘してことにも注目する必要があるでしょう。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-04-09 17:34

立川ビラまき事件の論争

 立川の自衛官宿舎に「自衛隊のイラク派遣反対」と書いたビラを玄関ポストに配布した行為が住居侵入罪に問われた事件については、このブログでも取り上げたことがありますが(2005年12月)、第1審が無罪、控訴審が有罪となって、現在もなお最高裁に係属中です。
 この事件と類似するビラまき事件が、最近になっていくつも問題になるようになってきましたが、そこには一般の商業ビラではなく、とくに政治的な表現の自由にかかわる文書の配布を意識的に問題にし、刑事責任をも問おうとする当局の姿勢が明瞭に現れてきていると思われます。
 この種の事件に関する裁判所の判断は分かれていますが、刑法および憲法の学説は、これまで有罪とした判例にはほとんど批判的でリベラルな対応を示してきたといってよいでしょう。それは、個人の住居のプライバシーを侵害したり、住民の積極的な拒絶意思に反しない限り、情報を「伝える」という表現の自由を尊重するのが自由で民主的な社会のルールではないかという立場だということができます。
 雑誌『研修』701号に、曽根威彦教授が寄稿された「ポスティングと刑事制裁」という論文は、まさに以上のようなアプローチから書かれたものでしたが、最近の同誌705号には、友添太郎氏(法務総合研究所教官)による「ビラの配布と住居侵入罪」という論文が掲載され、それは上記の曽根論文を基本的に批判し、有罪とした控訴審判決に賛成するという趣旨のものです。
 私自身も、両者の比較検討をしなければと考えていますが、まずは当事者の曽根教授に反論を書いてもらったうえで、これを継続的な論争問題として広げていく必要性があることを痛感しています。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-04-05 22:35