最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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検査入院

 2月19日に前立腺肥大の検査結果が出ましたが、骨までは至っていないものの、さらにがん検査の必要があるということになり、翌20日から一泊の検査入院ということになって、また病院に出かけました。いやな検査でしたが、高熱や出血はなく、一泊で解放されて21日には帰宅し、ほぼ平常の生活に戻っています。
 検査は、前立腺の組織をとって顕微鏡で調べるというものですが、28日にはその検査結果が分かることになっています。それまでは、判決を待つ被告人のような心境です。
 病院での生活は味気ないものですが、今回は、特別にひとつ驚くことがありました。紹介してもらった担当の泌尿器科の医師が、私の顔を見て、かつて京大法学部で私の講義を聞いたことがあるといわれるのです。顔を覚えていませんかとまでいわれるので、私の頭は一瞬混乱してしまいました。よく聞いてみますと、実際には当時医学部に在籍していた当の医師が法学部の講義をひそかに「盗聴」しに来ていたということのようで、ほかにもそのような人がいたとのことです。熱心な学生で、質問に見えていたのかも知れません。
 そのように言われてみると、どこか覚えのあるような顔にも見えて、不思議な気持ちになりました。何か嬉しい偶然の一致というものがあるものです。おかげで、その医師とは親しく会話ができるようになりましたが、昔の話は、もっとくわしく記憶を喚起したいものだと思います。
 ともあれ、今回は病気のこともあり、家内の母(99歳)の病状も心配ですので、このブログは、残念ながらしばらく休止ということにさせて頂きます。元気になったら、また再開したいと考えています。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-02-21 14:38

大阪市大のゼミ生の来訪

 2月4日の午後、かつて大阪市大に在職していたころの刑法のゼミ生(1988年度卒業)5名が久しぶりに来訪し、懐かしい思い出を新たにしました。彼らはかつて在学中にも何度かこの自宅まで出かけてきて、家内の手料理を食べたことがあるという共通の思い出が、家内の死亡によって、かえってよみがえるという歴史的な経緯が語られました。
 この機会に、昔の記録を探してみましたら、彼らの同級のゼミ生14名を写した記念写真とともに、1990年1月9日の私の誕生日にちなんでゼミ生が作成してくれたという、私の似顔絵入りの「寄せ書き」集も出てきて、みんなで十数年前の記録を確かめ合いました。
 ゼミ生達もかつての20歳代前半から、今はもう40歳前後になっていますが、訪問者のうち女性2人が結婚しているだけで、他の男性2名と女性1名はまだ独身というのも、現在の少子化の現実を反映しているように思われました。急な変化は見込めないことも実感しました。
 この機会に、大学在職時代のゼミ生にかかわるほかの資料も出てきましたが、現に残っている「寄せ書き」集は、京大時代から市大時代を経て北陸大学時代にまで及び、大学の教員という職業についていたおかげで、教え子との関係が文書に残っているのも、貴重な副産物だと改めて思いました。今回の世話役の人に、メール番号を含む名簿の作成を依頼しましたので、またときどき再会する機会があることを期待しています。そのためにも、私自身が一日も長く、健康でいたいものです。
 しかし、私の方、実は、前立腺肥大の疑いのため、現在病院で検査中であり、入院ということにでもなれば、このブログもしばらく中断することになるかもしれません。
 
 
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by nakayama_kenichi | 2007-02-10 11:51

佐伯先生を偲ぶ会

 2月3日(土)の午後1時から5時まで、大阪弁護士会館で、98歳という長寿を全うされて昨年9月1日に亡くなられた佐伯千仭先生を偲ぶ会が行われました。会場には早くから参加者が集まり、250名に達しました。会場の正面には、先生の遺影のほかに、会が始まるまでの間、先生が生前にインタビューに答えて面談されているビデオが流されており、先生の在りし日の豊かな表情を身近に思い浮かべることができました。
 開会の辞に次いで、全員が黙祷を捧げた後、数名が追悼の辞を述べましたが、私が最初に指名されて、大変緊張しました。私は、①佐伯先生とはじめてお会いしたのが昭和30年のころ、立命館大学の先生の研究室に伺ったときであったこと、②佐伯先生は、当時の若い研究者のために「刑法読書会」という新しい研究会を組織され指導されましたが、これが実に50年以上もの間継続し、現在まで生き続けていており、われわれの世代がその第1期生であって学恩が最も深いこと、③佐伯先生が研究の在り方について、外国の制度や理論を研究する場合にも、常に日本の研究者が当面しもしくは背負っている問題の正しい処理と解決に役立つことを意図したものであってほしいと要望されていたこと、④佐伯刑法学の特色は、何よりもその歴史的な分析方法にあり、慎重で冷静な筆致のなかにはげしい情熱がかくされていること、⑤私自身がこれまで研究者として歩むことができたのは、ひとえにそのときどきに佐伯先生から適切なアドバイスを頂いたおかげであること、そして最後に、先生のご自宅を訪問した際には、いつもその帰り道で、もっと勉強しなければという気持ちを抱いたことなどの経験談を話しました。
 ところが、その後の参加者の方々のお話を聞いているうちに、学者のみならず、いかに多くの実務家の皆さんが、私以上に佐伯先生に私淑してその教えを受けておられたのかという事実を改めて思い知らされることになり、ますます佐伯先生の偉大な指導力と影響力に驚嘆するほかはありませんでした。当日配布された「追悼文集」が、補完されてまとめられることを期待したいものです。
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by nakayama_kenichi | 2007-02-06 16:54

雪の中の若狭

 2月1日から一泊2日の日程でまた福井県の若狭町まで出かけてきました。今回は、家内の祖父の「乾長昭」氏の門人(の子孫)数名の方と遺品の収集や「仙崖荘」の保存方法などを相談するというこれまでの案件のほかに、近隣の小浜市竜前村におられる郷土史家「赤崎全二」氏(90歳)に面会して話を聞くというのが主要な目的でした。
 公民館の部屋には、とても90歳の老人とは思えない矍鑠たる御人が待機されていて、「若狭彦神社に伴う歴史関係書」と題する文書をわれわれに配布された後、2時間近くも休みなく熱弁をふるわれたのです。これには、一同たまげてしまいました。その話の内容はきわめて豊富で、小浜の神宮寺(神仏習合)から奈良に送る「お水送り」の行事の説明から始まって、蓬莱寺に安置されている薬師如来像の由来と「応病与薬」の効能、廃仏棄釈に耐えた梵鐘の話、若狭彦神社と若狭姫神社との一対をなす若狭一の宮神社の由来とその幟字の解説にまで至り、そして最後に第35代の若狭彦神社の宮司であった「乾満昭」氏の顕彰碑の話にまで及びました。この乾満昭氏はさきの乾長昭氏の実父に当たる人なので、この最後の点が一緒に出かけた門人たちの最大の関心事だったのです。
 翌2日は、天候が一転して雪が降りしきるなかを、90歳の赤坂氏がわれわれを案内して、昨日の話に出た場所を実地に見学してまわるということになりました。薬師如来像を特別に見せてもらった後、梵鐘を鳴らし、乾満昭氏の顕彰碑を見た後、雪に覆われた若狭彦神社と若狭姫神社に参詣し、社務所で、現在の宮司さんと面会し、話を聞くこともできました。すべて赤崎氏の周到な準備によるもので、その力量とエネルギーには、全く心底から驚嘆しました。
 再会を約束して別れましたが、また機会があれば会ってみたい魅力に満ちた御人でした。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-02-03 22:00