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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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大晦日雑感

 今日は、2006年12月31日。今年の大晦日です。
 昨年の暮れは、家内が一緒でしたので、「老人家族」の年末風景を書きましたが、今年は様変わりの淋しい年末です。しかし、12月29日夜に、カナダ在住の娘と東京にいる孫娘が京都に来ましたので、1月3日までの間、つかの間のにぎやかさを味わっています。
 早速、2人について、家内の母(99歳)を老人ホームに訪ねた後、スーパーやデパートでの買い物に付き合いましたが、せわしげな人ごみに挟まれてだいぶ疲れました。やはり、家にいて、本を読み、原稿を書いているのが、一番落ち着けるようです。
 今年は、家内が亡くなって万事休すと思っていたのですが、何とか立ち直ることができ、研究生活にもおおむね復帰し、このブログもその後何とか続行することができたことは、不幸中の幸いでした。多くの方々からのご心配と暖かい励ましがあったことに、心から感謝する次第です。
 しかし、研究生活の面でも、これからできることは自然と限られてきているようです。自重しながら、もうしばらく仕事を続けられることを願うという以上のことは、高望みしないつもりです。尊敬する佐伯先生が、「人は引き際が大切だよ」といわれたことを身にしみて思い出しています。そして、その佐伯先生の追悼論文集の原稿を書くのが、来年の初仕事になりそうです。
 80歳代の「余生を楽しむ」ということが、私の場合に、「研究を楽しむ」ということになっていくのかどうか、来年が大切な境目の年になりそうです。成文堂からは、論文集の出版を勧められていますが、それができるかどうかも、これからの気力と体力の調整いかんにかかっています。とくに若い人たちとの対話と交流に引き続き努めたいと考えています・・・・・・。
 明日から、2007年です。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-12-31 16:26

年末研究会のこと

 今年も、12月27日と28日の2日間にわたって、恒例になっている刑法読書会の年末研究会が開催されました。私は、1日目は大阪の裁判所に出かける用件がありましたので、2日目だけ出席しました。午前10時から午後5時過ぎまで研究会があり、その後の懇親会にも顔を出しました。以下では、今年の年末研究会の印象のいくつかを書きとめておきます。
 第1は、出席者が多かったという点で、最大40名にも達する勢いでした。大部分は院生などの若い会員ですが、顔と名前を覚えきれい位になったのは、嬉しい悲鳴というべきでしょう。しかし、ロースクールの現役教授の姿がなお少ないのは淋しい限りです。
 第2は、今年から会場が立命館のロースクールの新しい建物(二条駅前)に変わったことで、便利になりましたが、レストラン付の立派な建物を前に、かつての立命館の広小路の狭く古い木造の建物を思い出し、時代の流れを象徴する姿を回顧しました。
 第3は、報告の内容にも関連するのですが、刑法読書会の生みの親である佐伯千仭先生の業績を検討する一連の研究報告がはじまったという点です。私自身も、その課題の一端を担っているのですが、佐伯先生の著書をあらためて読み直す絶好の機会にめぐまれたことを、自分自身の研究の足跡を辿り、反省するという意味でも、有益な機会として真剣に取り組みたいと考えています。
 第4は、今問題となっている日本のロースクールの問題との関連で、アメリカとイギリスのロースクールの比較という報告がなされたことです。イギリスの法実証主義的な伝統に対するアメリカの法政策的な思考という特色の差に興味を惹かれましたが、それ以上に、アメリカのトップ・ロースクール(200校のうち10校ほど)がその特色を象徴的に表現しているという指摘の中にアメリカの現実を知る思いがしました。
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by nakayama_kenichi | 2006-12-29 10:42

湯川秀樹博士のこと

 最近、古い友人である物理の田中正さんと出会った機会に、湯川秀樹博士(1907-1981)のことを聞き、昨年5月にこのブログでも紹介したことのある「京大教官研究集会」にかかわって、私自身も湯川博士に何回かお目にかかっていることを思い出しました。
 記録によりますと、湯川博士は、この研究集会の世話人に加わり、実に3回にわたって、大学を取り巻く時事問題について報告されています。「大学管理問題について」(1962年6月28日)、「大学の自治と学問の自由」(1963年2月12日)、「大学院のあり方について」(1967年7月10日)がそれです。そこには、専門を越えた大学研究者としての実践的な姿勢が見られます。
 この機会に、田中さんが引用されている湯川博士の敗戦直後の時期の注目すべき2つの指摘の部分を紹介しておきたいと思います。
 「原子力と合理性について」(1946年8月、毎日新聞)「私はもとより科学の万能を信ずるものではない。しかし自然の探求を通じて鍛えられ、それだけ大きな成功を収めた『理性』の力には大きな信頼をかけるものである。人間の良心といわれるものも、理性によって支えられて初めて客観的に正しい行為を行う原動力となるであろう。・・・・・それにても合理性の支配する領域はまだ少なすぎる」。
 「科学の進歩と人類の進化」(1947年8月、京都日々新聞)「原子爆弾が文明の破壊に導くか否かは、これが出現した地球的世界に人類が全体として適応するか否かにかかっている。・・・・万一原子爆弾が人間を戦争にかり立て破壊ー自滅へと導くことになったならば、それは物理学のうちたてた高度の文明世界に生物としての人類が適応しなかった証拠になるかも知れぬ」。
(以上、雑誌『科学』76巻4号、湯川・朝永生誕100年、田中正「戦争と科学の世紀を生きた湯川博士とアインシュタインー2人の出会いに寄せて」390頁より)。
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by nakayama_kenichi | 2006-12-24 21:56

ダッシュ君のメッセージ

 ダッシュ君から、友達の皆さんへのノート(メッセージ)がメールで送られて来ましたので、以下に、その内容を原文通り、引用しておきます。立派な日本語になっています。
 「では、私のノートを書きました。
 皆さん。
 私の日本の経験は終りました。今学期はとても楽しかった。たくさんの人を会えたり、日本ではたくさんの所を見たり、日本語をたくさん勉強したりしました。そのことは、あなた達のおかげです。中山さんと住んでいましたから、あなた達に会えました。だから、日本語を話せるし、ならと京都にいけるし、とても面白く、たのしかった。ありがとうございました。
 大学の卒業する後で、日本に帰りたいです。その時、私達はも1回会えます。申し、電子メールを送ったら、どうぞよろしくお願いします。わたしの電子メールは、
          dslootbeek@gmail.com
英語で日本語で、どちらでもいいですがにほんごでかきたら、やさしい漢字を使ってください。
 じゃね。あなた達に会って、とてもよかったでしたと思います。
 お元気で。
            Dashiel Slootbeek
 中山さん。そのノートを直した方がいいと思います。
 ありがとう。    Dash 」
 以上が、その内容です。私が直さなくても、十分に通用しますが、彼には、直したものを送り返してやろうと思っています。私からも、ご協力頂いた皆さんにお礼申し上げます。彼に、日本語でメールしてやって下さい。
  
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by nakayama_kenichi | 2006-12-22 10:51
 周知のように、小泉首相=安倍官房長官時代の目玉であった「タウンミーティング」が、実は「やらせ」による世論誘導の疑いがあったという内閣府内の調査委員会の報告書(2006年12月13日)が注目を集めています。
 安倍総理も塩崎官房長官も、率直に非を認めて、給与の一部返上という形で「ケジメ」をつけたとしましたが、それが民主主義の基本的なルールにかかわるものだけに、これで一件落着というわけにはいかない根深い問題があります。
 私はとくに、この事実がたまたま外部から発見されて表面化したもので、さもなければそのまま収まっていたであろうと思われること、したがって、問題は今回のTMにとどまらず、これまでの当局主導で行われた公聴会などのすべての行事について、同様な検討を行う必要があることを指摘しておきたいと思います。
 今回の「ケジメ」のつけ方にも問題があることは、上記報告書に付された郷原信郎委員の補足意見の中の次のような指摘にも見られます。「今回のような問題が発生したことの責任は、根本的には、タウンミーティング開催の基本方針を決定した内閣及びその開催を担当した内閣府をはじめとする各省庁の組織そのものにあるのであり、質問依頼や公務員の動員などを実行した担当者に対して懲戒処分による個人責任の追及を行うことは、本件問題の本質に反するものといえよう」。このような観点から、今回の懲戒処分の実際の姿を知りたいところです。
 ところが、驚いたことに、司法制度TMで「やらせ」質問者案内マニュアルを作ったとされる法務省のある幹部が、「役人の仕事を全うしただけ」で「罪の意識はない」というのです(朝日12月16日夕刊)。それが役人の本音であるとしますと、「ケジメ」なないに等しいことになるでしょう。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-12-19 17:28

ダッシュ君無事帰国

 9月2日にわが家に現れたダッシュ君は、無事に3か月半に及ぶ日本滞在を終えて、12月17日の朝、アメリカのボストンに向けて帰国の途につきました。朝早く、一緒にタクシーで長岡京駅まで行き、寒いプラットホームで別れました。再会の機会は、彼が大学を卒業する2008年6月以降になりますが、それまでの間何とか元気でありたいと願うのみです。
 ダッシュ君は、来日以来早々と日本にも慣れて、ほとんど問題なく予定をこなしましたが、最後の週の試験期間になってから急に体調を崩し、2つの病院をかけ回るというハプニングがありました。高熱で下痢をしていたことから、例の「ノロウイールス」ではないかと心配をしたのですが、1日だけ大学を休んだのみで、何とか元気を回復しました。しかし、鼻や喉に風邪の症状が残り、私にもうつったようです。
 彼の3か月の滞在中は、私の知人にあたるいろいろな人に頼んで、京都や奈良などの名所に彼を案内してもらったほか、とくに女性の方には自宅で料理を作ってもらうなど、大変お世話になりました。彼も多くの日本の友人が出来て喜んでいましたが、皆さんの温かいご協力に対して、私から改めて御礼を申し上げる次第です。
 なお、このような報告を予測して、ダッシュ君には短いあいさつ文のようなものを書いてくれるように依頼しておいたのですが、残念ながら忘れていたようです。のちほど、メールで送るとのことですので、入手次第、ご紹介するつもりです。
 ダッシュ君との3か月の共同生活は、私自身にとっても、貴重な体験として、忘れがたいものになりました。今から思いますと、家内を亡くした後の底知れない孤独感をまぎらわし癒してくれるものとして、救われたという感謝の気持ちがしてくるのです。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-12-17 15:16

今年の私の業績

 昨年12月のブログを参照しながら、2006年中に公表した私の研究業績をまとめておくことにします。今年は、家内の死亡に伴って、研究活動にも大きな影響があり、苦しい1年でしたが、何とか以下のような業績を残すことができました。
 ① 法定刑の大幅引き上げに関する刑法改正について(上) 
    ―法制審議会刑事法部会の議事録の検討―       判例時報1916号 3月
 ② 法定刑の大幅引き上げに関する刑法改正について(下)  
    ―法制審議会刑事法部会の議事録の検討―       判例時報1917号 3月
 ③ 公務員の政治活動に対する罰則の適用について     犯罪と刑罰 17号 3月
 ④ 公務員の政治活動とその「外形」
    ―「堀越事件」に関連して―                  法律時報78巻4号 4月
 ⑤ 公務員の政治活動に対する罰則の適用について     法律時報増刊号  10月
 ⑥ 定刻主義の効用                         法学セミナー51巻11号 11月
 ⑦ 罰金刑の新設等のための刑事法の整備について(1)
   ―法制審議会刑事法(財産刑)部会の議事録の検討―  判例時報1945号 12月
 ⑧ 罰金刑の新設等のための刑事法の整備について(2)
   ―法制審議会刑事法(財産刑)部会の議事録の検討―  判例時報1946号 12月
 以上の8点ですが、③と⑤とは内容的に同一のもので、実質は7点にとどまります。簡単な随想風のものも含まれており、刑事立法や判例に対するコメントが多くなっているのが目立ちます。中断しそうな研究活動を何とか来年も続けていきたいものです。

  
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by nakayama_kenichi | 2006-12-13 13:46

12月11日の新聞記事

 12月11日の朝日新聞の夕刊から、見逃せない3つの記事を書きとめておきたいと思います。
 第1は、経団連「希望の国」構想原案と題する記事です。「経団連の御手洗会長が来年1月1日に発表する将来構想の原案が11日に判明したが、法人税減税と消費税率の引き上げを柱とする税制改正や『労働ビッグバン』といった経済的なテーマだけでなく、憲法改正、愛国教育なども盛り込まれていて、安倍首相が描く『美しい国』の構想に沿った内容も目立ち、安倍政権の政策運営に影響を及ぼすという財界の意図が読み取れる。・・・政治寄付を拡大するため政治資金規制法を改正すべきだとも提案した。憲法については、戦力不保持を定めた第9条2項を見直し、自衛隊保持を明確化するよう提案。集団的自衛権を行使できることを明らかにするように求めた」。これは、財界と政権との「蜜月」どころか、「癒着」を示しています。
 第2は、和歌山県知事選で談合論戦かみ合わずという記事です。「逮捕された木村知事は就任した際、『県政改革の目玉』に談合防止策の強化を掲げ、県側が参加業者を募り、技術力などを審査して絞り込む公募型指名入札を本格導入し、予定価格や最低限価格の事前公表を始めたほか、有識者による監視委員会も設けた。・・・しかし、一連の改革も談合防止の決め手にはならなかった」。ここでも、業者との癒着に根本問題があるように思われます。
 第3は、ノーベル平和賞のユヌス氏の「銃より、貧者に資金を」という演説です。「ユヌス氏は、世界の指導者の関心が貧困との闘いからテロとの戦いへと移行したと指摘し、貧しい人々の生活改善に資金を投入する方が、銃を使うよりも賢明な戦略だと述べて、イラク戦争に巨費を投じる米国などの姿勢を批判した」。これこそ、正論というべきでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2006-12-11 21:49

北陸大学のその後

 金沢の北陸大学には、伝統的な薬学部のほかに、外国語学部と法学部が出来て、私も法学部の創設に関与しました。しかし、その後は次第に現状の維持が困難になり、後設の2つの学部は「未来創造学部」といわれるものに改組される中で、まもなく消滅するという運命にあるようです。
 問題は、外国語学部と法学部のスタフの行き場ですが、ここで特徴的なことは、大学当局が、先に触れました大学の自主的な改革運動に参加した組合員をこの新設の学部から排除して、「教育能力開発センター」という別組織に配属した上で、両学部の消滅とともに解雇しようとしているという点です。
 私は、法学部の新設当時の若いスタフの皆さんを励まして交流を続けてきていますが、幸いにもこれらの方々の多くは、その後、他の大学に職場を求めて転出に成功されました。誰いうとなく、これらの人達のことを『脱北組』と呼ぶようになりました(因みに、理事長の名に「北」の字があります)。出身大学は違っても、同じ大学で苦労をした経験から団結力が強く、いまでも連絡しあって、励ましあうという仲の良い間柄にあります。
 当時の年配のスタフの中では、私だけがまあ何とか元気で、このめずらしい交流の仲間に入れてもらっています。最近、これらの『脱北組』が一度集ろうという計画もあるようで、北陸大学での貴重な体験が今でも生きているような熱い思いがよみがえります。
 しかし、一方で残留組で解雇されるおそれのある人達を支援するための運動も必要で、この方がきわめて困難な道のりであることを覚悟しなければなりません。ひたすら幸運を期待したいものです。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-12-09 09:37

北陸大学の学長問題

 今年の4月に、かつての北陸大学の同僚から、「北陸大学教職員組合10年史」を編纂したいので、当時の学長の「自主選挙」について、執筆してほしいとの依頼がありました。私は、頼まれた原稿は原則として断らないのですが、あいにく4月に家内が急逝しましたので、やむなくお断りしました。ところが、雑誌の発行が遅れており、今からでも間に合うということで、書く準備を始めています。
 しかし、なにぶんかなり古いことなので、記憶が乏しく、資料も散逸して、正確を期しがたいので、改めて関係資料の送付を依頼しました。ここでは、ごくおおまかなことを記述しておきます。
 北陸大学の学長の「自主選挙」というのは、1997年(平成9年)2月21日に行われたのですが、そこに至るまでの経緯には多くの問題がありました。最も重要なのは、学部の教授会には何らの権限がなく、学長・学部長を含む教員の人事はすべて理事会(理事長)が決めるというトップダウンの体制が支配していたという点です。その中で、教職員組合とともに、「北陸大学の正常化を目指す教職員有志の会」が結成され、私はその会長に押し上げられてしまいました。北陸大学でしばらく休養をと思っていた私も、若い教職員のために一肌脱がなければならなくなったのです。急に会合が多くなり、随分忙しくなりました。
 そして、この運動は、次期学長の任命に抵抗するために、教員による学長の「自主選挙」を計画し、見事にそれを成し遂げたのです。予想以上の多数の教員の票を得て私が当選し、地方紙にも報道されましたので、その後の刑法学会の際に、学長になったのかと聞かれたこともありました。その後、理事会は他の人を学長に任命しましたので、体制自体は変わらなかったのですが、民意がどこにあるかを示したことの意味は、実に大きかったと思います。任命された学長もさぞやりにくかったろうと同情したものです。
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by nakayama_kenichi | 2006-12-07 10:39