最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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 今年1月のブログに「心神喪失者等医療観察法の6ヶ月」という記事を書きましたので、その後の6ヶ月を加えて、1年後の状況をフォローしておきます。
 本法の成立(2005年7月15日)によって、精神障害により心神喪失または心神耗弱の状態で重大な他害行為を行ったが、不起訴、無罪、執行猶予になった対象者に対して、裁判所の関与のもとで、医療および観察をする新しい制度が創設されましたが、1年の経過の中から、いろいろな問題が出てきていますので、そのいくつかをあげておきます。
 まず、本法による申立件数は、全国で計355件(終局件数293件)で、そのうち裁判所による入院決定が160件(56.6%)、通院決定が73件(24.9%)、不処遇決定(治療の必要なし)が49件(16.9%)、却下決定(対象行為なし、責任能力あり)が10件(3.4%)となっています。ここからは、入院決定に対して通院決定や不処遇決定がかなり多いことがうかがわれますが、申立件数も入院率も府県によってかなりのばらつきがありますので、その要因を事例ごとに分析する必要が大きいことが示唆されています。因みに、入院医療機関はまだ8ヶ所、184床にとどまり、ほぼ満床に近づいています。
 次に、申立は不起訴事例が圧倒的に多いのですが、いったん刑事裁判を経て、無罪または執行猶予になった者にも本法の申立による身柄拘束が二重に及ぶという問題が表面化しています。これは、検察官の申立にかかわる重要な検討課題を示唆しています。
 一方、本法の性格が医療法であること、したがって鑑定入院期間(2ヶ月)中も医療が必要であることについてはおおむね諒解されつつありますが、この期間における関係者(精神科医、社会復帰調整官、付添人)の協力の必要性を強調しなければなりません。
 最後に、退院請求も出はじめていますが、本法には手続規定がないために不都合が生じています。この点は、各段階での救済や補償制度の不備とともに、改善が要請されるところです。
 なお、以上は、私自身も参加している日弁連の刑事法制委員会の医療観察法部会の論議の中からピックアップしたものであることを付記しておきます。

 
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by nakayama_kenichi | 2006-11-29 23:15

自分の本を読む

 自分が書いた本を読むというのは、参照の箇所を確認するといった場合のほかは、滅多にしないことです。しかしそれは、人間が忘れやすい動物で、自分が書いたことも忘れてしまうものであることを確認するためにも、時々は有用であるともいえるでしょう。若いころに書いたものの中にも、未熟な反面で、案外良いことも言っているなあと感心したりすることもあるものです。
 ところで、私が学生用に書いた刑法の教科書も数冊あるのですが、自分で講義をしなくなってからも、とくに「口述刑法総論」と「口述刑法各論」は、いまでも法学部や法科大学院の学生に読まれていますので、少なくともこれらは、毎年今頃になると、出版社・成文堂からの要請もあって、読み返して内容を確かめるという作業をすることが慣例となっています。
 とくに最近は、立法の動きが刑法典にも及び、新しい判例も出てきていますので、最低限度これらの新しい動向をフォローしておく必要があります。これは、いったん止めたら、もう続かなくなるという意味でも、基本的に重要な仕事であります。
 これまでの改訂や補訂の際の新版と旧版とを比較しますと、実におびただしい付箋がついているのが目につくのですが、それは、いかに手を入れても表現や言葉の印刷にミスがあり得るのかということに驚かされることを意味しています。しかし、そこにまた「校正」の面白さがあるともいえるでしょう。
 読者からは、古い「刑法総論」「刑法各論」についても、なお改訂の要望が出ていることは承知していますが、率直にいってそれはきわめて困難であると言わざるを得ません。せめて、「概説刑法総論」「概説刑法各論」については、現状に対応するための最小限度の改訂は、考慮していることを申し上げておきたいと思います。
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by nakayama_kenichi | 2006-11-22 12:09
 乾満昭氏については、今から1年前の平成17年11月20日に竜前公会堂で、赤坂全二といわれる人(96歳の高齢とか)の特別講演会があり、そのレジメの中に「明治時代乾満昭宮司の人となりについて」という項目が含まれています。そして、「乾満昭氏顕彰碑」と題する文章には、以下のような趣旨の記述があります。
 若狭一の宮は、明治4年5月14日、国弊中社に列せられたが、神社分離の嵐の中でその維持に困り、その後10年ほどの間に、神域も荒れ放題であったところ、勅任官の宮司として着任されたのが乾満昭氏であります。碑文によりますと、乾氏は薩摩(鹿児島県)の産で、清和天皇の曾孫正一位源満仲(大江山で酒呑童子を退治した源頼光の父君)の32世の曾孫で、人となりは公平無私、上をおもねず、下をしのがず、豪胆、しかも知略あり、大変な人格者であったと刻まれています。着任されるや、社殿、神園の荒蕪を痛嘆し、翌年1月雪犯上京し国費の支出を求め、時の政府は国費多端の中にあったがその誠意を認め、国費支出を決したのであります。・・・・・・ 地域の氏子は、氏の偉業功績を顕彰し、後世に残さんとし、明治20年3月にこの碑を建立したのであります。
 なお、以上のほかにも、大正15年5月15日付の古いメモ(筆者不詳)には、「(乾満昭氏は)退職後東京赤坂区高樹町12番地に住居す姿性剛健自らを持すること厳正祖先累代の遺志を継承して深く仏学を修し大乗の法を説き貴神庶人の教えを受くる者多く敬慕やまず其死後既に17年を過ぐるも墓前香華を絶たず其墓碑は伯爵堀田正倫田中久左衛門等を始め在朝在野の弟子の建つるところなり」という記述があります。
 問題は、先師・乾満昭氏の氏子と弟子たちの帰趨であり、それが乾長昭氏の弟子たちとどのようにつながっているのかという点の解明にかかっているといってよいでしょう。次回はできれば赤坂全二氏に面会したいと思っています。
 
 
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by nakayama_kenichi | 2006-11-20 10:11
 若狭の賢者・乾長昭氏の件で遺品や記録類を集めているうちに、その父君にあたる乾満昭氏のことについても書き残しておく必要があることに気付きました。長昭氏の講義を聞いた村人たちは、満昭氏を「先師」として崇拝し、その講義録も残っています。しかし、村人たちがその講義を直接聞いたという記録はないようです。
 乾満昭氏の経歴に関しては、以下のような記述があります。
       天保 6年 9月13日   誕生 薩摩(鹿児島県)
       明治 7年 5月28日   任出雲神社権宮司 丹波国 教部省
       明治 9年 7月22日   任広田神社少宮司 摂津国 教部省
       明治11年 2月 1日   任吉田神社宮司   京都  内務省
       明治11年 3月21日   兼補中講義           内務省
       明治12年 3月21日   兼補大講義           内務省
       明治12年 9月 4日   任気多神社宮司   能登国 内務省
       明治13年11月22日   兼補権少教正太政官
       明治15年12月20日   叙従7位             宮内省
       明治16年 5月 7日   任若狭彦神社宮司  若狭国 太政官
       明治21年 7月 3日   満昭自筆松鷹遠山図献上賜天覧依
                        白性子地1匹下賜セラル
       明治26年10月26日   叙正7位
       明治27年 2月16日   依願免職
       明治40年 3月18日   没 享73歳 東京都赤坂区青山立山墓地へ葬ル
  なお、満昭の妻は、山城国淀藩士古沢氏長女、千鶴子、弘化元年12月18日誕生、大正15年12月30日逝去、享年78歳、近江国下阪本村盛安寺に葬るとあります。そこは、乾家の菩提寺で、私の妻も眠っています。

      
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by nakayama_kenichi | 2006-11-19 17:15

官製談合の構図

 県知事が業界の談合に関与するという嫌疑をかけられるケースが、和歌山県だけでなく、福島県や宮崎県でも問題になっています。それはもう偶然の出来事ではなく、構造的なものといわざるをえないでしょう。それは、各地で政・財・官の癒着現象が進み、これが表面化してきていることを示しています。
 マスコミもこの問題をとりあげて、たとえば和歌山では、改革を掲げて当選した若い知事が、再選を果たすために、選挙母体の推進役である建設業界の一部有力者の利益を代弁する方向に傾いて行く過程をフォローしています。
 しかし、それが有能な知事だのになぜ「転落した」のかという「官」の側の個人的な姿勢を問うだけに終わりますと、今後の教訓としては、知事の自覚を望むという解決が示唆されるだけに終わる可能性があります。より大きな問題は、建設「業界」や「政界」の側の対応にあり、この方の調査や分析をもっともっと期待しなければなりません。むしろ本質的な課題は、業界が政界と癒着して、官界をも巻き込んで行くという「構図」を具体的に明らかにして行くところにあるというべきでしょう。それは「金」の流れでもありますが、「政治資金」の名において合法化された金が潤滑油になっているように思われます。
 業界と政界が変わらなければ、知事が交代しても、また同じ構図が繰り返されるおそれがあります。もっといえば、改革派でない知事ならば、矛盾が表面化せず、よりスムーズに業界の利益が代弁されるということになるでしょう。交代可能性がなければ、権力は腐敗します。選挙のあり方を考えるときが来ています。「世論」がなめられるようでは、まことに不甲斐ないとしかいいようがありません。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-11-17 21:26
 教育基本法の改正問題が浮上する中で、03年から今年にかけて8回開かれた、政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)のうち、5回も「やらせ質問」があったことが判明した問題で、教育基本法の所轄官庁である文部科学省があらかじめ質問案を作成するなど、積極的に関与していたことが明確になったと報じられました(朝日11月10日)。内閣府によると、教育改革TMはすべて、文部科学省から内閣府へ出向していた3人が交代で担当し、文科省と運営全般について相談したといわれることから、主犯は文科省、実行犯は内閣府だとも批判されています。
 これは『民意をなめるな』(朝日社説)といわれるほどの重要な問題であるにもかかわらず、政府当局には結果として行き過ぎがあったという程度の認識しかなく、有識者を加えたチームで調査することでお茶を濁そうとしているようです。
 このような問題とその経過が象徴していますのは、国が管理する情報について国民がアクセスすることが決して容易ではない反面、国は国民の側の情報を「誘導」してでも獲得し、これを「世論」として利用できるというシステムと運用がまかり通っているという恐るべき現状です。しかも、「やらせ質問」というきたない裏手口が、何年にもわたって続けられたあげくに、ようやくその一端が判明したという有様です。
 マスコミの批判的な対応に期待したいのですが、そのマスコミに対しても「政府命令」が出る仕組みが始まっていることにも注意と警戒が必要です。お上が税金を使って行う人集めの行事には、最初から警戒が必要で、当局の方針を聞いて了承するという落ちがついているような場では、積極的な意見は期待できないので、「やらせ質問」が用意されるということになるおそれがあります。また、国に任用された有識者が国にきびしい注文をつけることを期待することも困難でしょう。
 国が真剣に「世論」を聞くというのであれば、市民の自主的な集会に参加して「質問」を受けるという方法をとるべきではないかと思われます。
 
 
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by nakayama_kenichi | 2006-11-15 11:16

仙崖荘訪問

 11月8日(水)に「若狭の賢者」の庵を訪問しました。湖西線に乗って、琵琶湖の西岸の秋の風景を楽しみながら近江今津に着き、迎えて下さった北原さんの車で若狭に向かい、仙崖荘に着いたら、もう数人の門人関係者が待っておられました。若狭町教育委員会の永江さんのほか、福井新聞の岩城記者も見えていました。
 前回の8月3日の約束にしたがって、門下生などの名簿作り、乾長昭氏の遺品や記録類の蒐集と整理などの点について熱心に懇談しましたが、その様子を床の間の「お写真」がじっと眺めておられるというのが当日の「仙崖荘」のユニークな風景でした。
 今回、ひとつ大きな収穫がありましたのは、「乾先生(仙崖荘)の門下生名簿」という形で、昭和52年10月当時、かつて門下生の一人であった岡本参二朗氏が残されたメモから、当時の名簿の一部が立派に復元されたということです。これは貴重な資料ですが、その中には、大正10年4月から昭和7年3月までの約10年間にわたる講義の受講生の名前と当時の年齢まできちっと記載されています。仙崖荘は昭和のはじめに建立されていますので、大正年間は、「北原宅」とか「岡上宅」とか、門人の家が講義の場所として記載されています。たとえば、大正11年4月の会は「北原宅」で参加者は34名にも達し、上は78歳の男子から下は19歳の女子まで含まれています。そして、このメモを作った岡本参二朗氏自身は昭和5年1月の会に19歳でその名を登録しています。
 この名簿については、昭和7年以降の集会の日時および参加者の名が欠けているのが残念で、これが何らかの形で補充できることを期待しています(長昭氏は昭和13年没)。
 なお、新しい課題として、長昭氏の父にあたる「乾満昭氏」が「先師」と呼ばれ、若狭彦神社の宮司として著名であったこととの関係で、この親子関係をもっと調べる必要があることを痛感しました。そして現に、上記の門下生名簿には、年月不詳としつつ、この「先師」の講義の受講生の名が、何と40名も記載されているのです。これは、驚くべきことで、若狭の賢者は親子ともにこの地で門下生を集めて連続して講義をしていたことになります。
 私は、懇談会の後、乾長昭氏の設計・建立にかかるお墓にお参りしてから、同じ道を通って帰京しました。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-11-10 14:44

病気腎臓の移植

 10月には、生体腎臓を売買するというショッキングな事件が発覚し、患者と内縁の妻が臓器移植法違反(臓器売買の罪)で起訴され、ドナーの女性が同罪で略式起訴されて、一つの区切りを迎えたと思っていましたら、11月になって、今度は病気のために摘出した腎臓を別の患者に移植したというケースが発覚し、このところ連日にわたって新聞の記事にとりあげられています。次々に新しい事実の展開があって、どこまで行くのかまだ分かりません。
 これらは、いずれも愛媛県宇和島市徳洲会病院の泌尿器科部長・万波誠医師による移植手術にかかわるもので、特別な状況下でのきわめて異例の出来事として一般に受け止められています。しかし、その背景に移植用臓器の決定的な不足があり、移植を受ける患者(レシピエント)の側には広い「同意」が推定されますので、事態が簡単に改善されるとは思われません。現に、移植医の中にも、万波医師を「赤ひげ」と評価する人もあり、「患者の会」も支援の方向にあると伝えられています(朝日11月9日夕刊、同10日朝刊)。
 私はまず、このようなケースがどのような契機から表面化したのかという点を問う必要があると考えます。臓器売買事件では、ドナーが謝礼金が少ないといって訴えたというのが発覚の契機になったといわれていますので、もし交渉がスムーズにいっていれば、発覚することなく済んでいた可能性があります。それは「たまたま」発覚したものですから、ほかにもあるかも知れないのです。一方、病気腎臓の移植は、その病院の調査から判明したもので、これは先の売買事件と関連して出てきたものです。
 問題の根源は、生体腎移植の対象が親族外に広げられたところにあります。したがって、そのことをしっかり認識した上で、移植学会などによる徹底的な調査を期待したいと思います。そしてその際には、ドナー側の「同意」の有無と状況が、内部告発をも含めて十分に考慮されることを願っています。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-11-10 11:18

ヘーゲルの刑法思想

 ヘーゲル(1770-1831)は、カントと並び称されるドイツ観念論哲学の巨匠ですが、哲学の領域を越えて、刑法思想においても、カント・ヘーゲルの絶対的応報刑論(犯罪の報いとしての刑罰)の主張者であると理解されてきました。ヘーゲルによれば、犯罪は法の否定であり、刑罰は法の否定の否定であり、犯人が責任に相当する刑罰の害悪を受けることによって、犯罪は弁証法的に止揚され、侵害された法が回復されるというのです。
 ところが、11月4日の刑法読書会では、最近のドイツの文献の紹介として、ヘーゲルを再評価する有力な動きがあり、そこでは、ヘーゲルの帰属論(行為を責任に帰する)の中に、古典的な帰属論を超えて、むしろ帰属を制限しまたは阻却する(帳消しにする)方向の主張があることが注目されているという報告がありました。ヘーゲルによれば、安定した社会では、刑罰を緩和するだけでなく、帰属そのものも断念されるというのです。
 私は、この報告を聞いて、驚くとともに、興味をそそられました。それは、ヘーゲルが帰属の基準としてきた「合理性」と「正義」、そして「自由」もまた、処罰を積極的に根拠づけ、国家刑罰権の制約でなく、正当化に用いられるという点にこそヘーゲル批判の基本的な論点があるとされてきたからです(この点については、拙著『刑法総論』23頁以下を参照して下さい)。
 ヘーゲルの刑法思想の中にのような「リベラル」な側面があるとしますと、それはベッカリーア(イタリア)、ヴォルテール(フランス)、ホンメル(ドイツ)、ベンサム(イギリス)などの、いわゆる啓蒙主義者たちの刑法思想との関連を示すもので、ヘーゲルがこれを帰属論として具体化した経緯やその後の影響などをもっと知りたいという欲求にかられるのです。ドイツにおける論議の展開とそのフォローを期待したいと思います。
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by nakayama_kenichi | 2006-11-05 21:10
 西原春夫さんから、表記の著書を頂きました。西原さんは、私と同期の著名な刑法学者であり、親しい友人ですから、専門書かと思ったら、一般人向けの啓蒙書であり、副題に「未来からのシナリオ」とあるように、21世紀を展望する壮大なスケールと独特の構想を含んだ野心的な著作であることに驚きました。
 最初は、とりあえずお礼状を書くために終わりの方から拾い読みをしましたが、やめられずに最初から全部を読むことになりました。著者の描く世界にいつの間にか引きずり込まれ、次を読み結論を知りたいという欲求に駆り立てられるところに、本書の魅力があることを痛感しました。
 多くのことが書いてありますが、著者がいいたいのは、1945年の敗戦によって価値の大転換があり、平和憲法が出来たにもかかわず、なぜ世界有数の戦力を保持した自衛隊が生まれ、憲法改正の動きが加速されているのかという反省から、消極型平和国家の理念だけではなく、これに加えて積極的に世界の平和構築に貢献する国になることが必要であり、その方法は、「覇権を求めることなく、武力によることもなく、国家間の利害を調整し、積極的に平和に貢献する」とい21世紀的国家観によって、近隣のアジア諸国との関係を改善し連携していくことにあるというのです。そこには、長年にわたって中国との交流を進めてきた著者の実践的な感覚から生まれた自信と、未来への歴史予測が存在しています。
 そのほか、日本、中国、韓国には「儒教」という共通の伝統道徳があるという指摘や、法と道徳との関係を再検討し、とくに「欲望の制御原理」を検討すべきであるといった提言には、耳を傾ける必要があると感じました。
 私は、刑法理論についても、西原さんと必ずしも意見が一致しませんが、その独特の「中庸性」のメリットが本書では遺憾なく発揮されていると思います。一読を薦めたいものです(講談社、2006年)。
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by nakayama_kenichi | 2006-11-02 17:41