最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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10月30日

 今日は10月30日で、もう10月も終わろうとしています。
 10月30日と聞くと、私どもの世代としては、何といっても、「明治23年10月30日御名御璽」、つまり「教育勅語」の発布された日であることを思い出さざるをえません。少年時代に、それほど長く、繰り返し刻み込まれたのです。ところが、先ほどちょっとテレビを見ましたら、10月30日は、島崎藤村に因む「初恋の日」に当たるとか、いささか戸惑いながら、少年時代の別の世界を思い出しました・・・・。
 ところで、この10月を振り返る前に、昨年の10月のブログを見ますと、狭心症の検査を受けていたことがあり、体調のことが一番気になるところですが、幸いその後は、目だった自覚症状もないままに推移しています。土曜日午後の研究会(京都と大阪)にも計3回出席したほか、東京の会議にも出て一泊2日の予定を何とかこなしました。成文堂からは、教科書の補訂の要請まで受ける始末で、いまだに矛を収めきれないでいる有様です。
 それよりも、この10月が私にとってひとつの転機になったと思われますのは、家内が4月に死去したためにいったんはほとんど中断し終息しそうになっていた研究活動、とくに論文等の執筆活動を何とか再開し、「判例時報」の12月10日号以降に掲載予定の原稿「罰金刑の新設等のための刑事法の整備についてー法制審議会刑事法(財産刑関係)部会の議事録の検討(1)―(4・完)」がようやく完成したということです。
 しかもそれは、実はダッシュ君との共同生活の中から生まれたもので、元気の源が新しい人間関係にあることを自覚するようになっています。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-30 14:28

帝国議会における論議

 今年の刑法一部改正で、公務執行妨害罪と窃盗罪について、自由刑のほかに選択刑として罰金刑を加えることが決まり、すでに施行されています。
 このうち、公務執行妨害罪については、戦後の草案でも罰金刑になじまないとして一切認めてこなかったのですが、実は戦前の帝国議会で罰金刑を加えるという議員提案がなされていたという事実があります。当時の政府はこれに反対したのですが、提出者側の議員は、この改正案が刑罰の下の方の範囲を広めて選択の幅を広めたに過ぎないのであって、決して厳罰に処することを妨げないのであるから、政府の反対には理由がないと主張した上で、当面は業務上横領罪の法定刑の改正(1年以上10年以下を10年以下とする)が重要であるとして、この提案は削除したいうのです(石川・岩村「法制審議会刑事法部会財産刑小委員会における議論の経過と問題点」自由と正義46巻1号59頁)。
 問題は、このような提案がなされた1921年が、いわゆる大正デモクラシーの時代にあたっており、こうした時期に公務執行妨害罪の改正案が帝国議会に提出されたことの意味は、実に興味深いものがあると評価されている点にあります。それは、国民の民主主義意識、運動の伸張を背景としてなされたものであり、公務執行妨害罪のありようはその時代の民主主義のありようによっているともいえると評価されています。
 このような観点で、今回の改正を見ますと、今日のような時代状況の中で、政府がなぜ公務執行妨害罪に罰金刑を加えることを提案したのかという点とともにと、提案の趣旨が起訴猶予者を罰金刑の対象にすることにあって、自由刑を求める基準には基本的に変わりがないとしている点を再考して見る必要があるように思われます。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-29 16:52
 今日は朝から、大阪の石川元也弁護士に頂いた樋口和博著『峠の落し文』を一気に読了しました。これは、明治42年生まれの長老の著者が長年の裁判官生活の中で書き綴った珠玉の随筆集で、初版が昭和62年(1987年)に、そして再版が平成16年(2004年)に出ています。私との関係は、著者が京大法学部の大先輩であるだけでなく、私の指導教授であった瀧川幸辰先生が戦前の瀧川事件で休職処分にされたことに抗議して退学届を提出するという歴史的な経験をされているというところにあります。佐伯千仭先生よりは2歳お若いのですが、一度お会いしてみたいと思うことしきりです。
 本書の「書名」の由来を含めて、まずは初版の「自序」の一節を引用しておきます。「本書もまた、さきに出版した著書同様、所詮は私が歩き続けてきた裁判所という厳しい峠の道で出会った数々の人達や、事件との出会いを書いたものに過ぎない。この峠の道は、羽振りをきかせた得意満面の人達や、意気揚々と肩を張って歩く人達の通る表街道ではなくて、あるときは、深い悩みと悲しみや不安を持ち、またあるときは、さまざまな責苦を一身に背負った人達の通る裏街道である。そこには、修羅があり、菩薩があり、慟哭があり、救いがあった。本書はこれらの人達が、語るべくして語りえなかったものを、つたない文字で綴った峠の道の落し文に過ぎない」。
 次に、私自身が本書を読んで、とくに印象に残った点を書きとめておきます。それは、第1に、裁判官をやめて弁護士になってみると、時には、およそ国民の裁判所とは程遠い、昔の冷たいお白洲を思わせるような裁判に遭遇するということ、第2に、死刑判決との関係で、被害者としての耐えられない悲しみを乗り越える冷静な気持が被害者の遺族に共通する感情となり、社会一般の感情もまたこれらの人達と同じような心情になれたなら、わが国の死刑存廃論も世論に訴える大きな声になるであろうこと、第3に、青春とは心の若さであり、若さというものはその人の青春に対する決意で決まるのかもしれないといわれていること、そして第4に、自由人・近藤倫二の庶民的な親しみやすいしぐさには、いかめしい高裁長官らしさのひとかけらも見られなかったといわれていること、などの点です。心の奥まで暖まるさわやかな読後感でしたが、詠まれている数々の「俳句」の心境には、とても及びがつきません。
(p.s.)
 石川弁護士からの連絡では、この本にはもう残部がないとのことですが、グーグルで「樋口和博」を検索すると、日本裁判官ネットワークのコーヒブレイク欄で読むことができることを私も確かめました。とくに若い法曹の方々にお勧めします。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-22 17:02

財産罪と罰金

 最近、京大の吉岡一男教授から、2冊の本の献呈を受けました(『因果関係と刑事責任』『日本における犯罪現象』)。私は今、罰金刑をめぐる立法問題に関心をもっていますので、これらの本の中から、関係する箇所を探しましたら、次のような興味のある叙述の部分を発見しましたので、少し長くなりますが、紹介しておきます。
 「法定刑において財産刑に適合的でふさわしい犯罪行為類型としてどのようなものがあるかについては、・・・・・現時点ではなお厳しい制約が存在することは否定できまい。中心的刑罰はなお懲役といった作業つきの自由刑であり、現行法において多くの犯罪種から罰金は排除されている。しかし、このような現状に何らかの理論的な必然性があるわけではない。むしろあらゆる犯罪が財産罪にも適合的であるといえるのではないか。・・・・・・経験的データで必ずしも実証されているわけではない威嚇・抑止への信仰が財産刑の選択を阻んでいるにすぎないのではなかろうか。・・・・・窃盗を中心にした財産犯に対しても死刑を用いた時代を脱して、死刑自体を克服しつつある展開は、やがて施設拘禁としての自由刑から、財産刑へとバトンタッチを現実的なものとしていくであろう」。
 「万引犯人の多くが微罪処分ですまされていることには、伝統的な窃盗罪における被害対象としての財物について反省を迫るものがある。・・・・・・低価格商品の万引のようなものが、10年以下の懲役にあたる窃盗罪にふさわしいかが問題になりえたのである。このようなものは、可罰的違法論性論から、違法性が小さいとして非犯罪化の対象にすることが考えられる。・・・・・窃盗行為の類型化に応じた、非犯罪化から、微罪処分、起訴猶予処分、今後の罰金を含めて、執行猶予と実刑刑期の区分などを、客観的な犯行内容によるものとして明確化し、時には構成要件の細分化も考えるべきだと思われる」。
 以上のような意見には、私も基本的に賛成でありますが、窃盗罪に罰金刑を新設した今回の立法提案の審議の際には、刑法学会内部にこのような専門家の意見があることすら全く紹介されることなく、ほとんど無視されてしまっているのはなぜかという問題を提起しておきたいのです。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-18 20:46

ダッシュ君のいない週末

 ダッシュ君がわが家にホームステイに来てから、もう1月半が経過し、当初の3ヶ月の予定の半分を経過しました。さすがに最初のうちは、緊張したり気になることもありましたが、最近ではお互いに慣れてしまったためか、気楽な毎日を楽しむという落ち着いた気分になりました。家内を亡くして、1人になってしまったという淋しい気分も幾分和らいだ感じがします。
 彼は、月曜日から金曜日までは関西外国語大学に通学していますので、朝と晩しか顔を合わさないのですが、週末の土曜日と日曜日は、お互いに用事がなければ終日付き合うことになります。一緒に買い物にも行きますが、関西近郊の名所を見学するというダッシュ君の希望をかなえるため、これまでも友人や学生諸君にガイドを依頼するなど、いろいろ工夫しています。
 しかし、彼の方もだいぶ日本の生活に慣れてきて、大学の友人たちと一緒にどこかへ出かけるという機会が増えてきました。もっとも、外国人仲間で行動するときには問題があり、先週の日曜日も、友人と2人で奈良に行くといって朝出かけたと思ったら、待ち合わせ場所で会うにの失敗してすごすごと帰ってきたことがあります。
 その彼が、13日夜から15日朝まで、友人たち9人の集団で広島まで出かけるといって、外出しました。広島の原爆碑を是非見たいというのです。そのため、この週末は、久しぶりに私1人で過ごしています。パソコンも彼と共同で使っていますので、今は私が占領中です。
 ダッシュ君は、10月11日に20歳になりましたので、駅前のレストランで誕生日を祝いました。何だか、孫が1人増えたような感じです。それに、彼は外国人に似合わず謙遜で遠慮深いところがあるのも、好感のもてるところです。しかし、そのせいか、なかなか日本人の友人ができないようです。どうか、どなたでも付き合って上げて下さい。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-14 15:48

罰金刑の感銘力

 窃盗罪にも罰金刑を加えるという改正案が提案されていることは、このブログでも触れましたが(今年3月)、その後、この法案は議会を通過し、すでに施行されています(今年6月)。
 私自身は、3月の段階で法制審議会の論議を検討する論文の執筆を開始していましたが、その後、妻が急死するという不測の事態に見舞われたため、一時中断していました。しかし、このままでは立法の経過が忘れ去られてしまうことになりかねないと判断し、ようやく執筆を再開しました。11月末までに書き上げ、12月以降の「判例時報」に連載される予定です。
 ところで、今回の法改正の主たる内容が、公務執行妨害罪と窃盗罪について、自由刑のほかに罰金刑を加えるものだから、最近見られるような重罰化一辺倒ではなく、処罰を若干でも緩和する方向のものではなかろうかというのが常識的な観測でしょうが、当局(法務省)の意図は決してそんなものではないということはこの前に指摘したところです。
 この点を象徴的に示したと思われる立案当局者の発言部分を、法制審議会刑事法(財産刑関係)部会の議事録の中から引用しておきます。「私どもとしては、罰金刑というものに刑罰として相応の、やはり感銘力、威嚇力というものを期待しているということでございまして、それを今の現状と見比べましたときに、自由刑だけではどうも処理に困っていると、そこに罰金刑の持つ感銘力、威嚇力を当てはめれば、ちょうどその現状に対処できるのではないかと、そこの部分に、必要性が顕著と思われる部分に、今回導入を考えたということです」。
 これまでは、自由刑(とくに短期自由刑)の弊害を避けるために、自由刑のような大きな社会的コストのない罰金刑をできるだけ多く用いるというのが常識的な見解であったにもかかわらず、今や自由刑の感銘力を越えて罰金刑にまで感銘力と威嚇力を求めるというのですから、事態はただ事ではない方向に動いていることを痛感せざるを得ないのです。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-14 13:58

臓器移植の根本理念

 臓器移植法の改正案が議員立法として提案されていることについては、このブログでも触れたことがありますが(昨年4月)、「死体」からの臓器提供の要件をめぐる問題が中心的に論議されようろとしている状態の中で、今度は「生体」腎移植の現場で「臓器売買」事件が発生したという報道があり、改めて臓器移植の問題に注目が集っています。
 この問題は、愛媛県の宇和島徳洲会病院でなされた腎臓移植手術の際に表面化したもので、すでに専門家によるいくつかのコメントも出ていましが、私がとくに注目したいのは、これまで600件以上もの豊富な腎臓移植の経験のあるベテランの移植医が、「臓器売買知るはずがない、お礼さえ違法おかしい」と語ったとされる発言の内容についてです(朝日新聞10月7日)。
 この医師は、一方では、臓器移植は「売買はだめ」という前提から成り立っているからそんな患者は来ないといいながら、他方では、結果としてだまされたが依頼者を恨んでもいないといい、米国では国をあげて移植を進めているのに、日本ではお礼さえ違法とされ、ドナー不足という現実を臓器移植法がさらに締め付けているといい、さらに、ほかに助ける方法がないなら(売買と)知っていても手術するかもしれず、法律があるからといって黙って死ぬのを見ているわけにはいかないとさえ言っているのです。
 このような発言は、一見リベラルな発想のように見えますが、生体移植の対象を親族に限定した移植学会の指針に違反し、臓器売買を禁止する現行法にも疑問を呈する点で、法的な責任を問われること以上に、何よりも「臓器無償提供の原則」という臓器移植の根本理念に立ち返った自覚と反省を迫るものであることを強調しておかなければなりません。これが移植医の「本音」ではないのかといわれないことを願っています。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-09 21:59

政治家と高級官僚

 最近、我慢がならないことが多いのですが、そのなかでも、10月5日の朝日新聞朝刊のトップに載った「柳本衆議院議員パーティー券・大阪市長室あっせん」の記事は、見逃すことができません。その内容は、「大阪市の市長室秘書部が、元環境総務政務次官で自民党の柳本卓治衆院議員=比例・近畿ブロック=側の依頼を受け、同議員の政治資金パーティ券の購入を市の幹部職員にあっせんしていたことが4日、関係者の証言で明らかになった。10年ほど前から続いており、局長、部長級職員らが1枚3万円の券を毎年数百枚単位で購入していた」というものです。
 これが公務員の政治活動の制限(政治資金規正法違反)に該当するかどうかは、今後の法律問題ですが、下級公務員の政治活動に対する厳しい対応と比較して、高級公務員によるこの種の行為には必ずしも厳正な対応がなされてこなかったという傾向がありますので、注意を喚起しておく必要があります。
 それよりも重大だと思われるのは、政府与党の政治家と中央・地方の高級官僚とが奇しくも一体となって相互に支え合っているという実態の一端が現実のものとしてあらわれているという点です。国や地方の行政作用は国民全体に奉仕すべきもので、政治的な中立性が要求されるにもかかわらず、実際には、実権をもった高級官僚が決して政治的に中立でなく、実際には政府与党と一体となっているということをあらためて認識する必要があります。大臣や知事など、特別職の公務員には政治活動の制限は及ばないのですが、一般職の公務員との限界をはっきりさせ、少なくとも平等な取り扱いを要請しなければなりません。さらに、財界との癒着にも警戒しないと、「国民主権」の名が泣くことになります。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-05 16:16

自由人・近藤綸二

 最近、大阪の石川元也弁護士の事務所を訪問した際に、「自由人近藤綸ニ」(日本評論社)という書物を頂きました。専門書以外のものはあまり読まない私ですが、この本には魅了されて、一気に読み終えました。
 近藤綸ニという人は、「明治に生まれ、大正・昭和の時代を、根っからのリベラリストとして生き抜いた」自由人で、戦前の学究弁護士から、戦後は司法研修所教官、東京家庭裁判所長、広島、名古屋、東京高裁長官を歴任し、定年後は再び弁護士として司法権の独立と人権擁護のために献身し、昭和57年(1982年)に亡くなっています(享年82歳)。
 経歴のなかで特に目を引くのは、昭和38年3月1日の朝日新聞が、「最高裁判事に近藤氏、月末にも正式決定」と報じたのに、結局綸ニの最高裁入りは果たされず、代って検察畑から長谷部氏が任命されることになったという「最高裁判事辞令事件」と、昭和44年に古稀を迎えた綸ニに叙勲の内意が伝えられたが(勲一等が慣例)、生来リベラリストの綸ニがこれを辞退したとう逸話が光っています。綸ニは、「だいたい人間に勝手な等級をつけるなんて愉快じゃないよ。僕の趣味にあわないよ」と語ったというのです。叙勲を期待し欲しがる一般的な風潮に対して、これは何とも痛快な「自由人」の面目をあらわした言葉でしょう。
 綸ニは、多くの著作を残していますが、そのなかでも重要なのは、「表現の自由」を徹底して擁護するという姿勢です。自由の濫用という口実で表現の自由に抑制が加えられるのに対して、アメリカのジャクソン判事の次の言葉が引用されています。「自由というものが確保されるためには、その享有実施が常に行きすぎと切り離すことができないものであることを理解することが必要である」。「弾圧は決して長く成功する政策ではない。仮に弾圧によって一時の平穏が得られたとしてもそれは偽りの静穏である」。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-04 09:57

10月1日(日)

 10月1日は日曜日、朝から久しぶりの雨模様で、秋の季節感が身近に感じられるようになりました。秋雨に見舞われた今日一日の身辺のささやかな出来事を記録しておきます。
 私は、いつもと変わらず、午前7時に起床して、自前の簡単な朝食をとりましたが、いつもは起きてくるダッシュ君は、昨晩おそくまで勉強していたようで、とうとう昼前まで就寝。
 午前11時半頃に、頼んでいた近所のお嬢さん(イタリア美術史の大学教員)が見えて、彼女の小さい赤い車で西方向の山腹にある「光明寺」までドライブし、3人でお寺を参観することになりました。浄土宗の総本山のひとつといわれるだけあって、古い建物には落ち着いた威厳が感じられましたが、何よりも山全体を包む広い境内が楓の木の青葉にひろく一面に包まれており、これがやがて黄色や赤の色をつける紅葉の季節がもうすぐやってくることを予感させました。本堂までの広く長く続く石畳の階段も印象的でしたが、まだこれを自分の足で歩くことのできる喜びを実感しました。
 参観後、門前の「いっぷく亭」で昼食をしましたが、ダッシュ君は日本料理とともに、このお寺の静かなたたずまいがとても気に入ったようです。「変なアメリカ人」かもしれません。
 午後は、彼も私も勉強しましたが、パソコンがときどき調子がが悪くなりますので、立命館の上田さんに頼んで、夕方自宅まで来てもらいました。ディスプレイに欠陥があるらしいという診断で、明日、電気店に修理の相談に行くことにしました。
 雨のために買い物に行けませんので、現在あるもので夕食を作ることにし、ダッシュ君が鶏肉を焼き、私が本を見ながら野菜サラダを作って、何とか、7時半ころに夕食。夕食後は、しばらくテレビを見た後、彼はパソコンで明日の宿題に取り組み、私は財産刑関係の法制審の議事録を検討する作業などをしました。
 11時半に、彼は日本式の風呂に入り、洗濯機で洗濯した後、「おやすみ」といって就寝。私は、台所を点検し、手製のヨーグルトを準備した後、仏壇で家内にあいさつをし、戸締りを確認して、明日のことも考えながら、ようやく就寝ということになりました。まあ、何とか充実した一日だったと思います。
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by nakayama_kenichi | 2006-10-02 10:07