最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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熊谷栄子様の訃報

 9月のブログは、佐伯千仭先生と吉川経夫先生の訃報から始まりましたが、熊谷栄子様の訃報で終りそうです。近しい方々の訃報が続き、淋しさが新たにこみ上げてきます。
 熊谷栄子様は、故熊谷開作先生の奥様ですが、私の恩師の故瀧川幸辰先生の次女にあたられる方で、最近まで親しくさせて頂いていました。
 このブログにも触れたことがありますが、一番近いのは、今年の2月11日に、熊谷開作先生の17回忌の法要が、京都建仁寺の両足院で催された際に、出席してお目にかかり、お元気なご様子だったことを記憶しています。このとき、すでに手術後の状態で、病気は進んでいたことを後から聞いて、驚いた次第です。病名は多臓器不全で、享年83歳とのことです。
 私自身も年をとり、記憶が散漫になっているのですが、熊谷開作先生が亡くなられた後は、ご命日に当たる2月に、ほとんど毎年、大将軍のご自宅を訪問して昔話をすることが楽しい慣わしになっていました。その折の奥様の笑顔が忘れられません。
 その上に、京大時代の瀧川ゼミ生の会(昭和28年卒の旧制・新制合併組)を毎年12月に京大会館で開催するようになってからは、熊谷栄子さまにもお声をかけ、2,3度ご出席頂いたことがあります。そのときの記録とともに、記念写真も残っていますので、懐かしい思い出を再現することができます。
 9月29日の午後6時から、建仁寺の両足院で、お通夜があるとの通知があり、お別れに出かけることにしていますが、電話で連絡したゼミ生のひとりが腰が悪くてといわれてみると、われわれの世代も年をとったものだとつくづくと実感させられるものです。
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by nakayama_kenichi | 2006-09-29 10:58

国旗、国歌と私

 国旗の掲揚や国歌斉唱をめぐる東京都教育委員会の通達や指導を違憲とする東京地裁の判決が出た機会に、国旗、国歌と私個人との関わりについて、記しておきたい。
 私が「日の丸」と「君が代」に接した記憶として残っているのは、戦前の昭和10年代の小・中学校および家庭においてである。学校の行事や儀式の際には、決まって日の丸の掲揚があり、君が代の斉唱が行われた。それは主権者である天皇陛下を崇め奉る神聖な行事であり、一分の隙も気の緩みも許されない規律が支配していた。学校には「特務曹長」(軍人)が配属され、教育勅語を中心とした天皇制の軍事教育が促進されていた。
 一方、家庭内においても、国の定めた祝日には、各戸とも早朝から玄関に国旗を飾りつけ、ラジオには国歌のメロデイが流れていた。不敬の行為があってはならず、天皇陛下という言葉を聞いただけでみんなが姿勢を正したのである。
 しかし、私どもは、そのような状態を当然のこととして受け止め、そのような学校教育と家庭教育のなかで軍国少年として育っていった。ただし、生徒間の選別はきびしく、優等生が表彰される一方で、ついて行けない落伍者にはきびしい仕打ちが待っていた。私自身は、内心の臆病さを隠しながらも、何とか難を切り抜けることができた。
 私は、現役の海軍兵学校ではなく、予備役の高等商船学校に入学した。しかし、ここでも海軍方式の教育が支配し、国旗と国歌は常にその象徴であった。そして、ようやく敗戦によって命を拾い、軍国主義の体制から「解放」されたのである。
 戦後の教育は、その歴史的な反省から出発したはずであり、天皇制とともに、国旗も国歌も見直されるのが当然であった。私自身は、少なくとも昭和天皇は退位すべきであったと思うし、日の丸や君が代は、いっさい見たくもなく、歌いたくもない。
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by nakayama_kenichi | 2006-09-24 21:03

打てば響く鐘の音

 鐘を打てば音が鳴るというのは、鐘や撞木に構造上の欠陥がない限り、当たり前の現象ですが、私はそれが「直ちに」反応するという点に特色を見出し、それをわれわれ人間の日常生活上の一つのヒントにしたいと考えてきました。つまり、われわれの生活でも、「打てば響く」という関係を自覚的に守っていくような努力が必要ではないかと思うのです。
 実は、最近、私は不思議な体験をしました。法学関係のある出版社の編集部の方から電子メールが来て、依頼した原稿の締め切り日が過ぎているので、どうなっているのかという問い合わせを受けたのです。私自身は、そのような依頼を受けたことも、またその内容についてもすっかり忘却していましたので、執筆の依頼状を再度送ってほしいと頼みました。早速、メールで送信されてきた依頼状を見ても、まだ記憶を喚起することができませんのでまごつきましたが、机上の資料を整理して見ますと、たしかにその依頼状は、8月4日に受領しており、返事もすぐに出していることが判明しました。
 私は、あわてて編集部に連絡し、小さい原稿でしたので、一週間の猶予をもらって執筆に着手し、実際には2,3日で仕上げて送りました。それは、巻頭言のようなもので、そのテーマは「定刻主義の効用」という年来の私の主張を繰り返したものです。
 今回のトラブルの原因は、依頼状には「打てば響く」ように反応したものの、やはり年のせいもあって、その後すっかり忘却してしまったことにあります。それは故意でなく過失でしたが、幸い何とか事後にカバーがが出来て、責任を果たすことができたようです。
 「打てば響く鐘」のように、手紙やメールにはすぐに返事を出し、相手に迷惑をかけないようにすることが、「定刻主義」の一つのあらわれですので、このような基本的なルールはお互いに守っていきたいものと考えています。皆さんが「定刻主義者」の陣営に参加されることを期待しています。 この原稿が印刷されたら、その内容を紹介します。
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by nakayama_kenichi | 2006-09-23 10:32

9月17日の新聞記事

 9月17日(日)の朝読んだ朝日新聞の記事から、いくつか気づいたところを引用しておきます。
 「小泉政権の5年余りで、教育政策にも『競争原理で解決を』との発想が一気に強まった。流れを作ったのは経済界だ。・・・・平等主義よりも格差是認の傾向が強まり、『個性重視』もいつしか競争偏重になった。公教育は、だれもがステップアップできる場のはずだったが、最近の矢継ぎ早の政策変化で、分厚い中流層を育ててきた底上げの思想が薄れていく」(変わる公教育)。
 「米国の日本専門家の間でも、明らかに靖国批判が広がっている。・・・問われているのは、やはり日本の歴史認識である。・・・小泉首相は靖国参拝を批判するのは中国と韓国だけだと言い続けてきたが、それは政府の公式発言に限っての話だ。・・・『自由と民主主義』の連帯を次の政権も掲げるのなら、米国からの問いかけをきちんと受け止めるべきである」(靖国批判・社説)。
 「高齢者は諸控除廃止、医療負担の引き上げに苦しんでいる。一方、景気回復のために行った企業減税の見直し論は、一向に出てこない。その理由が『安部氏への献金倍増』という記事で分かった。政治家は自らへの資金提供源である企業には課税を緩やかにする。それには触れず消費税アップを正論として憚らないのは、政治家と企業との癒着の構造があるからだろう」(一級建築士78歳の『声』)。
 「慶応大で政治学を学ぶ上畠さんのホームページには、笑顔で小泉首相と握手する写真が掲載されている。・・・HPのあいさつ文には、こんな言葉が並ぶ。『無法国家である韓国・朝鮮・中国が日本の主権を脅かしています。教育の現場ではむしろ無法国家の側に立つ始末。一体どこの国の教育なのか』。・・・6月に発足した兵庫県連学生部でリーダー格を務める。メンバーは8人。・・・『みな改憲派。公の精神を大事にする政治や教育が必要だと考える若者は少なくないと思う』という」(党員チルドレン)。
 いずれも、考えさせられる内容ですが、最初の3つが現実的な社会問題とその矛盾点をとりあげているのに対して、とくに、最後のニュー自民の若者の記事の方は、小泉劇場的な「政治改革」の本音を得意げに語っている点を見逃してはならないでしょう。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-09-17 21:31

質問のすすめ

 ダッシュ君との共同生活をはじめてから約2週間経ちました。はじめての経験なので、どうなるかと心配でしたが、そこは人間同士の付き合いで何とか無難な線に落ち着いたようで、今はお互いに結構楽しんでいる状態です。
 月曜から金曜までは、彼は朝から夕方まで大学に通学して、日本語の学習に励み、問題はありませんが、土曜と日曜は休日なので、その過ごし方が問題です。まだ一人で京都や奈良などへの観光に出かけることはできませんので、どなたか若い方にガイドをお願いしています。 
 今日の16日は、知り合いの2人の女性に自宅まで来てもらい、準備してもらった昼食を一緒に食べて、午後から近くの大山崎の美術館に出かけるという予定でした。そこで私は、英語の不自由な日本人と日本語の不自由なアメリカ人との間のコミュニケーションを促進するために、まずはお互いに相手方に対して「質問する」ことをすすめました。生い立ちや経歴や趣味などを聞くことからはじめますと、そこからさらに次の質問が出るようになり、自然に話題が広がって互いの理解が生まれ、親近感が増して行くことを期待したのです。
 ダッシュ君には、事前に宿題として、今日来てくれる人に対する「質問」項目を日本語で書いておくように指示しておきましたが、若いこともあって、質疑に対する反応が早く、わずかこの2週間で、だいぶ日本語が話せるようになってきたようです。2人の女性の方も電子辞書を引きながら、忘れていた英語を思い出すという新鮮な経験を満喫されたようです。
 一般に、物事の学習には「質問する」という行動が必要不可欠で、相手に質問しようと思えば質問事項を考えることになり、返答のいかんでは再質問を試み、納得の得られるまで追求するという積極的な姿勢が生まれてくるものです。この要領を学び、会得し、活用して行くという方法によって、自己の才能をレベルアップすることができるのではないか、というのが私の経験から得られた教訓です。
 ダッシュ君にも、付き合って頂く方にも、常に「質問する」ことをすすめます。
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by nakayama_kenichi | 2006-09-16 20:46

ダッシュ君との共同生活

 9月2日から、ダッシュ君との共同生活が始まり、すでに約10日が過ぎました。その間に初めて体験し、印象に残ったことのいくつかをかを書きとめておきたいと思います。
 彼はまだ20歳に達しない若いアメリカ青年ですが、はじめて来た日本で3か月間、日本語を勉強するという明確な目的に沿うように、着実に歩みはじめた様子です。日本語がまだ不自由なため、まだ自分では自由に動けませんが、熱心な勉強態度には感心します。
 ホームステイでは、互いの生活スタイルを尊重しなながら協力するという約束をしましたが、おおむねうまくいっているようです。月曜から金曜までは、朝7時に起きて同時に朝食(別のメニュー)をとり、彼は8時に大学に通学します。帰りは夕方ですが、7時の夕食はおおむね一緒に準備します(ほぼ同じメニュー)。私も外出することがありますが、私が外で食事をするときは、彼も外食することになるようです。
 夕食時と夕食後は、自由に歓談することになっており、彼はその日の経験を語り、質問もします。彼に日本のことを聞かれると、私の方からはアメリカやオランダの様子などを質問して、しばしば比較文化論という方向に発展します。しかし、出発点は、日常生活に関連した話題で、むしろこの方がお互いに興味があります。
 問題は言葉ですが、私も長い間使ったことのない英語を思い出すのに苦労し、電子辞書にも慣れていませんので、和英小事典を手元において、その都度、老眼鏡で単語を探すという方法で、何とか意思疎通を図っています。
 土曜日と日曜日は、休日なので、一緒に買い物に行くほか、9日は私が嵐山を案内し、10日は知人に頼んで、祇園の八坂神社、知恩院、平安神宮などの市内観光のガイドをお願いしました。
  こうして、まだ暑い9月の初旬、少し緊張した状態のなかで、何とかダッシュ君との共同生活が軌道に乗ろうとしています。
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by nakayama_kenichi | 2006-09-11 09:46

戸別訪問自由化の課題

 わが国の公職選挙法が、いわゆる「戸別訪問」を一律に禁止し、刑罰を科していることは周知の事実ですが、このような規制が西欧諸国には見られないわが国独自のものであることは、案外に知られておりません。おそらく日本の法学部の学生に聞いても、戸別訪問の禁止のどこに問題があるのか、的確に答えられる者は少ないと思われます。
 ところが、最近、わが家にホームステイに来たアメリカ人の大学生に聞いてみますと、即座に、選挙運動は基本的に自由であって、そのような規制は不合理でおかしいという明確な答えが返ってきました。それが彼らの常識なのです。では、なぜこのような国際的な常識がわが国では通用しないのでしうか。
 その由来が、国家統制下の「翼賛選挙」にあることは明らかですが、この体制と思想が戦後も基本的に維持されてきたところに問題があります。戦後の一時期、若干の自由化の動きがありましたが、その動きが根付かないまま、禁止と処罰の体制が定着してしまったのです。私に対して、戦後の解放期の選挙の自由を経験したかという質問がありましたが、残念ながら私自身にも自覚的な記憶がありません。
 では、戸別訪問の禁止と処罰の理由はどこに求められているかといいますと、判例は、戸別訪問が買収等の温床になりやすく、選挙人の平穏を害し、候補者側に無用な競争と多額の出費を余儀なくさせるといった弊害があるというのです。しかし、戸別訪問(表現の自由の行使)と買収(破廉恥な行為)とは全く違った性質のものであり、迷惑だから処罰するというのも大まかすぎる議論です。また、無用な競争を避けるというのも候補者側の勝手な論理で、いずれも理論的には根拠薄弱といわねばなりません。
 では、それにもかかわらず、なぜ「戸別訪問の自由化」が進まないかといいますと、むしろ市民の間に、選挙運動を迷惑視する意識がなお根強く残っているからではないかと思われます。この市民意識の変革こそが課題ではないでしょうか。
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by nakayama_kenichi | 2006-09-08 21:24

ダッシュ君の来訪

 アメリカのボストンから、大学3年で19歳のダッシュ君が、9月2日の午後、ホームステイ先のわが家に無事到着しました。関西外国語大学(大阪枚方市)で日本語を学ぶための3か月研修コースに参加するために、初めて来日したのですが、いろいろの経緯があって、私がホームステイを引き受けることになりました。
 オランダ生まれのアメリカ人で、185センチもある大きな体格ですが、一見して好感のもてる若者です。2年間、日本語を勉強したとのことで、日本語が少し話せますが、互いにゆっくり話すという約束で、英語と日本語をおりまぜた会話による奇妙な共同生活が始まりました。互いのライフスタイルを尊重し、互いに干渉しないという基本的な合意から出発しましたが、やはり一番気のなるのは、食生活をいかに調整するのかという点で、これは事前の合意というよりも、やってみなければわからないという側面があります。
 ダッシュ君にとっての問題は、毎日、長岡天神から枚方の大学まで通学するのが、いささか不便な上に費用がかかるという点です。若いからこの困難は克服して行くでしょうが、3か月の通学定期券が買えるかどうかも、さしあたり彼にとっては重要です。
 今日の日曜日は、昼食を外で食べた後、スーパーマーケットで一緒に買い物を楽しみしました。結構、自分で料理も出来る様子なので、私としてはひそかに期待しています。
 土曜日と日曜日は大学が休みなので、京都方面への観光などを考えているようです。この方は、ぜひとも、どなたか若い方々に彼の案内役をお願いしたいと考えています。日本語が少しできるオランダ系アメリカ青年と付き合ってみたいと思う人は、ぜひご協力をお願いします。費用は私が負担します。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-09-03 15:26

吉川先生の訃報

 9月2日の夕方、佐伯先生のご通夜の席で、はからずも吉川経夫先生の訃報を聞いて、またまた驚いてしまいました。佐伯先生亡くなれた前日の8月31日だったそうです。
 吉川先生については、このブログの昨年7月頃にも触れたことがありますが、今から思えば、奥様とご一緒に、京都駅前の新阪急ホテルのロビーでお会いしたのが、結局最後となりました。それ以上に、吉川先生のことが頭をよぎりますのは、最近になって、足立昌勝さんから2004年7月3日に行われた「吉川経夫先生『著作選集』出版記念会」のビデオが送られてきて、それを拝見したときの印象がなお強く残っていたからです。
 9月3日になって、奥様にお電話しましたら、先生は、今年の6月ころから少し不調を訴えられていましたが、8月になって腹水がたまって入院検査後、自宅でご療養中の8月29日、奥様の手の上で「眠るよ」といわれたきり、まさに眠るように息をひきとられたと聞きました。病名が「膵臓がん」だったとお聞きして、私の家内のことを思い出しましたが、腹水がたまるという症状は同じでも、全身の苦痛にさいなまれるという痛々しい末期の症状が、吉川先生の場合には全くみられなかったと聞いて、安堵しました。
 吉川先生とも長い年月の親しいお付き合いでしたが、佐伯先生と比較しますと、私どもの世代より少し上の、80をこえられたばかりの年齢ですので、まだまだ惜しい気がしてなりません。
 このところ、立て続けに、佐伯先生と吉川先生を失い、一段と淋しさが身にしむ思いがします。
残された者としては、先生方の残されたご遺志を何とかして後世に、とくに若い人達に伝えて行く責任があることを痛感している次第です。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-09-03 14:43

佐伯先生の訃報

 9月1日の夕方、大阪の石川弁護士から電話があり、佐伯千仭先生が亡くなられたと聞いて、驚きと悲しみに沈んでいます。9月に入って、ようやく感じるようになった涼風が佐伯先生の訃報を運んでくるとは思いもよらないことでした。
 急いでブグログの記事を参照しましたら、私自身は何と今年の2月3日に、井戸田さんと一緒に佐伯先生宅を訪問しており、お元気なご様子を書きとめていることが判明しました。真っ先に、その折のことを思い出し、記憶を反芻しています。
 石川さんとの電話でも、近いうちにまたご機嫌を伺う機会があればと話していましただけに、亡くなられてしまわれたことは、本当に残念であり、悔やまれてなりません。
 佐伯先生は、98歳のご高齢にもかかわらず、最近までほとんど変わらない体力と気力を維持され続けてこられたのは、まことに驚異的というほかありません。20歳も若い私自身がすでに老境に入っていることを思いますと、すでに戦前の時期から始まって戦後に続く長い時代を刑法理論家および実務家として真摯に生き抜いてこられた先生の一貫した姿勢には頭が下がる思いがします。地位でも名誉でもなく、その実力と人柄こそが学界および実務界に浸透する影響力の大きさを示すものとなっているのです。
 私自身も、佐伯先生から教えて頂いたことを、今一度確認しつつ、何とか先生の驥尾に付して行きたいと念願しています。先生、どうか安らかにお休み下さい。
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by nakayama_kenichi | 2006-09-02 11:58