最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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 香川大学教授だった山下邦也さんは、63歳の定年退職直後の2004年7月11日に、惜しくも逝去されたが、その遺稿となる論文集『オランダの安楽死』がこのたび刊行の運びとなった(成分堂、2006年)。私が書いた本書の「はしがき」から、その経緯を記しておく。
 「私自身は、山下氏の直接の指導教授ではなかったが、京大の宮内裕、平場安治の両教授が亡くなられた後、刑法読書会などの研究会を通じて、研究上の交流を続ける過程で、師弟関係に似た親交関係が生まれた。その中で、私は山下氏がオランダに興味があることを知り、安楽死の研究をしてはどうかと勧めたことがあったと記憶する。山下氏は、その期待に見事に応えてくれて、1990年以降、オランダの安楽死という問題領域について、相次いで翻訳・紹介を含む分厚い本格的な論稿を、文字通り矢継ぎ早に公表されることになった。オランダ人専門家のペーター・タック教授との公私にわたる親交には、私も恩恵に浴することになり、有意義な国際交流の機会を味わうことができた。
 私は、山下氏が亡くなる数年前から、これまでの業績を一冊の論文集にまとめるように勧め、山下氏もその気になって準備していたようであるが、生来の慎重さと遠慮深さのため実現に至らないうちに終わってしまったのはきわめて残念である。
 しかし、私としては「オランダの安楽死」に関する山下氏の生前の業績は、是非ともまとめて公刊する必要があると考えるようになり、出版社の成文堂にお願いし、「遺稿集」という形で公刊するという企画を立て、ここにようやく実現することができた」。
 私は、今、できたばかりの本書を手にして、山下さんの思い出を偲ぶとともに、自分の著書が出来たとき以上に嬉しい気持ちで一杯である。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-03-30 23:16

罰金刑新設法案の評価

 公務執行妨害罪や窃盗罪に「罰金刑」を新設しようとする法案が出ていることについては、先にも触れましたが、そこでは立法当局者がこのような改正さえも決して「寛刑化」の趣旨ではないと説明するために、従来は起訴猶予として刑事罰を免れていた者に「罰金刑」を科すという方向で「きびしい」効果を期待するものであると説明していたことを指摘しました。
 ところが、最近、松宮教授は、そのように運用された場合にも、とくに「ひったくり」行為などでは、起訴猶予に伴う負担よりも、略式手続で小額の罰金を払って済む方が、実質的にはむしろ軽いのではないかというコメントを付されており、このような改正まで「重罰化」として評価することには建前上も無理があると指摘されているのが注目されます。
 たしかに、法定刑に罰金を加えることまで「重罰化」で説明することは、ある意味で滑稽にも見えますが、それは「国民の規範意識の弱体化」を極度に恐れる立法当局者の本音を表わしているように思われます。 罰金刑新設の対象を公務妨害罪と窃盗罪のみに限定し、横領罪や詐欺罪などには広げなかった点にも、罰金刑の新設が「寛刑化」の印象を与え、自由刑の科刑に影響しないようにという強い配慮が伺われるのです。
 しかし、同時に、今回の改正がもたらす現実的な効果についても、慎重な対応が必要だと思われます。軽い窃盗である「ひったくり」に対する罰金の評価を別としても、公務妨害罪に対する罰金刑が従来の起訴猶予事案に適用されるという場合には、もはや「寛刑化」の余地に乏しいといわざるを得ないでしょう。かつての「財産刑小委員会」の審議の際に、罰金刑新設への消極論の理由として「起訴猶予事案が起訴されるおそれ」という点があげられていたことを想起しながら、この点の検討を続ける必要があると思っています。
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by nakayama_kenichi | 2006-03-28 11:16

最後の受講生の卒業

 3月は卒業のシーズンですが、最近1人の女子学生から、立命館大學の卒業式を済ませ、4月から社会人として就職するという知らせが届きました。この学生とその仲間は、立命館大學で私の講義を聴講した最後のクラスに属し、これで私の講義の直接の受講生はいなくなったことになります。彼女達の卒業式には行けませんでしたが、祝福と励ましのメールを送りました。
 私の立命館大學での最終講義は、2002年1月で、その記録は録画されたものを保存してあります。しかし、私はその後も、2003年の9月と2004年の9月の2回にわたって、立命館大學のエクステンションセンターで、刑法の集中講義をしており、その記録もビデオに残っています。しかも、これらの講義録は、その直後の私の著書(新版・口述刑法総論、2003年、新版・口述刑法各論、2004年、成文堂)の実質的な基礎になっています。
 実は、これと同様な経験は、30年以上も前に私が京都大学に在籍中の1973年当時、録音テープによる講義という異常な状態の中で、いわば怪我の功名として生まれた「口述刑法各論」(1975年、成文堂)と、その後、早稲田大学の法職講座で行った集中講義の録音に手をいれて作った「口述刑法総論」(1978年、成文堂)という著作の場合にも当てはまるものでした。
 幸い、これらの著作は、予想を上回る多くの読者にめぐまれ、旧版の方はすでに絶版となってほとんど入手できませんが、新版の方は、今でも推薦者を介して、若い学生諸君の目に触れる状態が続いています。そして今、最後の受講生を送る機会に、初心に帰って、これらの著作の元になった講義を直接に聴講してくれた学生諸君との貴重な出会いがあったことをあらためて想起し、これらの皆さんの大學卒業後の活躍を心から祈念したいと思います。
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by nakayama_kenichi | 2006-03-24 14:35

わが青春のひもじさ

 先に引用した『青春の砦』(2幕)のパンフレット(1982年)の中に私自身が寄稿していた文章を、高等商船学校在学当時の思い出として、そのまま復元しておきます。
 「みんな食べざかりの若者なのに、食糧事情が悪く、体重が40キロを割ってきました。その上、訓練がきつく、疲れはてた毎日でした。ともかく食べることが第1の関心事で、煙突の煙の出方で今日の食事はなんだろうとあてっこしていましたよ。
 1ぱいの盛りきり御飯だけで、不思議に他人の御飯の方が多く見えた。それにハエが御飯の中に入っているとお代わりが出来たので喜んだものです。しかし、だんだんサツマイモが主食となり、茎まで食べました。砂糖や石けんもありませんでした。傷ができたらビタミンCの欠乏でなかなか治らなかった。みんな同じ生活だから辛抱出来たのだと思います。
 訓練で一番きつかったのは陸戦で、鉄砲かついで海岸を走るのです。足がのめって走れないし、倒れても鉄砲には砂がつけられない。あまりつらいので病気で休む生徒もいた。艦砲射撃で実弾の下をくぐった時は怖かった。
 海兵や陸士を避けて商船に来たのは、徴兵がいやなものやロマンを求めてであった。だから、水泳でも3分の1の生徒は泳げなかった。私の分隊の生徒も遠泳で死んだ。
 日々の生活は、時間に厳格で、冬、寒くても4時半には起きていた。起床ラッパの鳴る前に、すべての準備をしていなければ間に合わない。
 航海科と機関科の対立のようなものもあった。そうした中で、航海科は特にリベラルな人が多かった。しかし、現実は軍隊規律そのままで、理想との落差がありすぎたようだ。だから、おだやかなリベラルな先生とは一体化していったようだ。
 文科系の授業や信号教練などは楽しくよく勉強しろと言われた。卒業すれば武装していない輸送船に乗らなければならないので、「8月15日」は助かったと思った」。
 なお、当時の高等商船学校の生活記録としては、川崎景章著・折戸日記(1980年)が最も詳しいが、残念ながら非売品である。
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by nakayama_kenichi | 2006-03-21 22:32

鹿児島モデル

 過日の研究会の折に、2004年5月30日のNHK総合テレビのスペシャル番組で放映された「犯罪ー町の安全を取り戻せ」という題名のビデオを見る機会がありましたが、その中に、鹿児島市で試みられている少年犯罪の予防対策が取り上げられており、これが特別の興味を引きました。これを「鹿児島モデル」として紹介し、一般の関心を呼び起こしたいと思います。
 この番組では、犯罪が世界的に増加傾向にあるなかで、日本の増加率が先進国のなかではもっとも高いという憂慮すべき状態にあること、都市部よりもむしろ地方の方に増加傾向が高く、とくに新たに交通手段が整備され商店街の進出等で便利になったような場所ほど増加率が高いという傾向がみられることなどが、統計マップを示してで指摘されていました。
 ところが、不思議なことに、各地とも軒並みに増加しているなかにあって、鹿児島市だけは、ここ10年間、犯罪は増加せず、むしろ減少傾向を示しているというのです。そして、その理由のひとつとして、「校区公民館制度」というものがあり、小学校区を単位として、各小学校の敷地内に公民館が作られ、そこを中心として校区内の多くの市民が自由に教育・文化・スポーツなどの活動を少年と一緒になって、地域ぐるみで展開しているという実態があるというのです。とくに印象に残りましたのは、かつては不良少年で暴走族のリーダーだった中年の男性が、今やこの地域活動の中心メンバーとなって、少年への声かけ運動にいきいきと参加している姿、それから市長自身が、少年犯罪を取り締まるのではなく、犯罪を生まない家庭や社会を目指すべきだと謙虚に語っておられたことです。
 これとは対照的に、イギリスのロンドンでは無数の監視カメラが設置されたけれども、その効果は一時的なもので、犯罪予防効果は小さいという報告が出ているということです。
 この「鹿児島モデル」のその後の状況を是非ともフォローし、ひとつの芽として大切に育てて行きたいものです。
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by nakayama_kenichi | 2006-03-19 14:27

青春の砦

 これは、戦前の清水高等商船学校の航海科1期生だった小沢郁郎氏が、1979年に出版された書物(大谷直人・青春の砦、新潮社)の書名であるが、同時に、1982年に演劇 『青春の砦』(2幕)として上演されたという歴史的な産物である。因みに、この演劇のスタフは、原作:大谷直人、脚本・演出:瓜生正美、美術:松下朗、音楽:いずみたく、照明:横田元一郎、効果:山本泰敬、演出助手:後藤陽吉、舞台監督:細渕文雄、製作:土方与平、同:福島明夫、といった豪華な顔ぶれであった。
 私自身は、清水高等商船学校の航海科2期生であったので、著者とは1期あとに入校しているが、同様な体験をしているので、親近感が強い。その上に、偶然にも、著者がこの本や演劇のなかで中心的に語ろうとした第5分隊長の「吉野春生中尉」は、私自身が1年後に所属した第13分隊長その人であったという思い出が重なっている。
 著者は、すでに吉野中尉のリベラルな人間性に触れて、当時の海軍の鉄の規律のなかでの矛盾とささやかな抵抗にも触れているが、私ども2期生が入校した昭和19年4月以降の段階では、もはやこのような人間劇が展開される余地さえなかったように思われる。
 ただ、吉野中尉が第13分隊長の任期途中で急遽前線に駆り出され、結局は南方の海で戦死されたのは、海軍派と商船派の対立によるものではないかという噂を当時耳にしたことがあった。戦時中の軍隊教育の下では、またそこでは余計に、指導者の人間性と人柄が生徒に及ぼす影響が決定的であったように思われる。私もまた、短い期間ではあったが、吉野春生中尉の「稀有の人柄」に接した体験を心にあたためていたいと思う。なお、作中に出てくる「永友教授」というのは、おそらく国際法の「大友教授」のことであろう。私は、戦後しばらく親交があったが、いつの間にか音信が途絶えてしまった。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-03-16 12:26

皇室の台所

 ダワーの『敗北を抱きしめて』については、このブログでも何回か引用し、依然として関心はつきないのであるが、ここでは、1946年の「食糧メーデー」の記事の中で、私自身も知らなかった「皇室の台所」に触れた箇所があるので、天皇の対応を含めて、引用しておきたい。
 「5月12日には、世田谷区下馬の住民によって小規模ながら「米よこせ区民大会」が開催された。これが後に・・・「食糧メーデー」に発展していくものである。・・・小さなデモ隊は2つに分かれ、1つは世田谷区役所へ、もう1つのグループは皇居に向かって進んでいった。皇居では衛視とちょっとした押し問答の末、デモ隊は警察官と小競り合いになったが、ようやく中に入ることを許され・・・、宮内庁の代表に面会して自分達の要求を伝えた。・・・この前代未聞の侵入劇の際、皇居の台所を見た人々は、そこで当然のことながら、一般家庭の食卓ではとうてい目にすることのできない食物を目にしたのである」(上巻338-339頁)。
 「天皇裕仁のその後の反応は、予想通りのものだった。5月24日、日本の降伏を告げた画期的な放送以来はじめて、天皇はラジオをつうじて国民の団結連帯を訴えた。戦時中と同じく、天皇は国民の苦しみに心をいためていると語った。・・・それは、じつに紋切り型で、戦争と抑圧の20年間と何も変わらない言葉遣いであった」(上巻343頁)。
 この頃までは、天皇に対するジョークは大目に見られていたが、「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ臣民飢えて死ね」と書いた「プラカード事件」は起訴された。しかし、不敬罪ではなく名誉毀損罪とされ、恩赦によって公訴権が消滅した。
 因みに、『砕かれた神』(1977年)の著者の渡辺清は、GHQが公開した天皇家の膨大な財産に衝撃を受けたと語ったほか、田辺元も、天皇が皇室の保有する莫大な財産を「国家に下付」して貧しいものに還元すべきだったと述べていたことを想起すべきであろう(下巻95,307頁)。
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by nakayama_kenichi | 2006-03-13 14:23

長岡天満宮の梅

 私は、京都府長岡京市の梅が丘というところに、もう30年以上も前から住んでいますが、すぐ近くに「長岡天満宮」の社を囲んだ小高い丘陵地帯があります。正面の階段を登ると大鳥居があり、すぐに眼前に広がるかなり大きな池(八条ヶ池)の景色を眺めながら、見事なつつじの並木にすっぽりと包まれた参道を歩いて、天満宮の境内に入ります。そこには、すでに梅と桜の木が点在していますが、境内の奥には、特別な「梅林」があり、ここは狭いですが、梅の名所のひとつとなっています。今年は、寒い日が続いていたのですが、今日、久しぶりに「梅林」を見に行きました。梅はまだ3分から5分咲きというところでしたが、写生に来ている人も何人か見かけました。梅は、桜よりも、地味で清楚な感じがして深い味わいがあるものです。
 「梅が丘」の住宅地は、天満宮の境内を抜けた反対側にありますので、すぐに裏から境内に入ることができます。以前は、もっともっと竹薮が密集していたのですが、次第に住宅が増えて、竹薮が失われていくのが残念です。境内に接する森の一帯は市の管理する「公園」になっており、大きなグランドのほか、ゲートボール場、テニスコートなどがあります。私自身も、かつてはテニスをし、犬を連れてよく歩きましたが、今は時々散歩する程度になりました。
 天満宮は、菅原道真に由来するものですが、この境内の中にも、菅公に関わる記念碑が残っています。そのひとつに、菅公の歌を刻んだ碑がありますので、その歌を紹介しておきましょう。
            うみならず たたえる水の そこまでも
               きよき心は  月ぞてらさん
 これからは、3月は境内の「梅」、4月は八条ヶ池の土手の「桜」、5月は参道の「つつじ」、というように、花の季節が続きます。
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by nakayama_kenichi | 2006-03-09 16:26

マッカーサーとその後

 ダワーの『敗北を抱きしめて』の中には、天皇裕仁とともに、マッカーサーの役割についても、興味深い記述が含まれている。その中からいくつかの文章を引用しておこう。
 「勝者とその政策にたいする民衆の反応は、・・・誰も予測できなかったほど積極的であった。このことは、マッカーサー元帥個人に対して、また一般的にはGHQに対して日本人が見せた態度のなかに劇的に現われた。あらゆる階層の日本人が、それまで天皇にしか抱かなかった熱狂をもって、この最高司令官を受け入れ、ごく最近まで日本軍の指導者に示してきた敬意と服従を、GHQに向けるようになったのである。こうした行動様式は、「民主主義」とは新しい流行語にすぎず、古い日本的な従順さの上に新しい衣装をまとっただけではないかという懸念を裏づけるように思われた」(上巻285頁)。
 「マッカーサーは1951年4月16日、日本を離れ合衆国に向かったが、その様子はあたかも英雄の旅立ちであった。吉田首相はマッカーサーを訪問して元帥の偉大な貢献に感謝し、・・・天皇も、マッカーサーが公式の地位を失った以上、マッカーサーの方から挨拶にくるべきであるとする宮内庁の高官の助言を振り切って、みずから元帥の住居を訪ね、最後の心のこもった挨拶をした」(下巻373頁)。 
 「マッカーサーは、4月19日の聴聞会で、・・・日本人は、近代文明の尺度で測れば、12歳の少年といったところ(like a boy of twelve)でしょうと語った。・・・この瞬間から、かつての最高司令官は人々の記憶から排除されはじめた。もはや、マッカーサーの銅像は建たないことになり、「名誉都民」の話も決して具体化しなかった」(下巻374頁以下)。
 こうして、この老兵は日本人の意識から消え去った。しかしダワーは、この12歳発言こそ、日本が新しく出来た軍隊を含めたすべてにおいて、合衆国の保護国(a client state)であることを示唆するものであったというのである。
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by nakayama_kenichi | 2006-03-08 14:50

窃盗にも罰金刑の新設案

 窃盗罪や公務執行妨害罪には自由刑(懲役・禁錮)だけで、罰金刑は定められていませんが、これを改めて、罰金刑も科すことができるようにしようとする刑法の一部改正案が法制審議会を通過し、今国会に提案されようとしています。
 これは、殺人、傷害、強盗、強姦などの法定刑(自由刑)を大幅に引き上げた2005年(平成17年)の改正が「重罰化」といわれたのと比べて、むしろ刑を軽くするものだという印象を受けます。これは自然なことで、当時の新聞にも、軽い刑を新設することで軽微な事件を柔軟に処理しようとするものだという評価が見られました(共同通信2005年10月6日)。 法制審議会刑事法部会の議事録を見ますと、委員(法律専門家)の中にも、そのように考えた人もあったくらいです。
 ところが、この案を提案した当局(法務省刑事局)は、このような見方を断固拒否して、この改正は決して刑を軽くするというものでなく、むしろ凶悪重大犯罪のときの国民の規範意識の反映と同様な発想があるのだと繰り返し主張したのです。その秘密は、次のような説明に現われています。
 「公務妨害や窃盗について自由刑しかないという現在の実務では、軽い事案では相当程度の割合で起訴猶予(検察官が起訴をしない処分)という形で刑罰が科されないことがあるので、このような場合に罰金という制裁を科すことで対応しようとするものであり、万引きを甘く見るようなスタンスに立っているのではない」というのです。
 いわれて見ると、なるほど現状よりも重くする改正だということになりそうです。しかし、軽くなる場合もあることを認めて、過剰収容の状態にある「自由刑」を少しでも少なくし、「罰金刑」を活用しようというリベラルな思想が全くかえりみられないというのは、あまりにも硬直なアプローチではないでしょうか。私は、この問題について、今、論文を書いています。
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by nakayama_kenichi | 2006-03-05 18:26