最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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荒神橋と鴨川

 1月29日(日)は、刑法学会関西部会が午前10時から京大会館で開かれることになっていましたので、朝早くから外出し、市バス停の「荒神口」から歩いて会場まで行く途中に、荒神橋を渡るとき、少し時間がありましたので、鴨川の河原に降りて、川辺を散策し、快晴の朝の散策を楽しみました。
 天気は快晴で風もなく、遠くには雪の北山が展望され、空気は清浄で川辺は明るく輝いており、犬と散歩する人やジョギングする子ども達の姿も見られて、すっかり気分が爽快になりました。いつもは、付近の景色を見ながらこの橋を渡るだけなのですが、一歩川辺に降り立ってみると、自然との距離が近くなり、より新鮮な感覚を味あうことができることを実感しました。
 ところで、この「荒神橋」には、私が京大の学生時代に発生した「荒神橋事件」の歴史的な思いも交錯しています。もう記憶は遠くなり、すぐに思い当たる資料も手元にありませんので、おおまかな回想ですが、たしか昭和25年(1950年)頃に、京大生を主体としたデモ隊がこの荒神橋の上で、京都府警の警察官と衝突するという事件が発生したというものです。すでに、その前の1949年には、下山事件、三鷹事件、松川事件という怪事件が相次いで発生し、誘発された社会不安と反対運動を取り締まるために、占領軍の勧告を受けて、各都道府県にデモを規制するための「公安条例」が相次いで制定されるという暗い時代に入っていたのです。私自身は、結核にかかって帰郷していましたので、犠牲を免れましたが、、私の友人にも逮捕者が出たと聞きました・・・・・・。
 その後、私は「現代社会と治安法」(岩波新書、1970年)を書いて、戦後の反動期の治安法の動きもフォローしたことがありますが、大東亜戦争の惨禍から日本人は何を学んだのかということを繰り返し反省してみる必要があるという思いは今も変わっていません。
 しかし、それにしても、今は京大生のデモなど考えられないという状況の下では、荒神橋の思い出も忘れ去られてしまいそうな淋しさを感じつつ、橋を後にしました。
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by nakayama_kenichi | 2006-01-30 19:05
 2冊目は、マックス・ミュラー「愛は永遠に」(Deutsche Liebe),1856,相良守峯訳(角川文庫)である。1953年8月8日の古い日記には、時間の大部分をドイツ語とロシア語に取られるので、小説を読んでいる暇はないとしつつ、この本を読み始めたとあり、8月13日には読み終わったという記載がある。
 そして、「中世的な、而してドイツ的な恋愛に魅力を感ずる。恋愛に於いて、人間以上の力の存在を感ずるという事は本当だろうと思う」という感想が書かれている。
 それだけかと思ったら、日記の次の頁には本書から抜粋した「引用」文が一面に並べられた後、さらに以下のようなコメントがついている。「公女マリアは、キリスト教的な思想を基としつつ人間的な叡智の深さを持った純粋で敬虔な美しいひとである。ワーズワース、ホーマー、ゲーテ、ミケランジェロ、それにアーノルドの詩についての引用がある美しい小品である。人間的な奥深い魅力というものが、ここでは神や自然の永遠の美につながっている。憩いが其処にあるのだと云う。情熱的で激しい、而も瞬間的な青年期に特有な恋愛よりも、淡い、しかも純粋で献身的な、而も敬虔にして永遠性のある少年期の愛情を賛美している。この辺りには、ヘッセを思わせるものがある。人間が、神は別としても、自然を忘れる時、それは既に、泉の根元を忘れることになりはしないか。真理に対する敬虔さも要求せられる。積極性が傲慢になってはならない」・・・・・。
 私は、その後も、専門の法律書以外には、あまり小説など読むことなく過ぎてしまったが、今50年ぶりに、昔を回想しつつ、この美しい小品に目を奪われた。そして、自分自身の幼い頃の純情さにも思いをはせたい気持ちになった。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-01-28 20:55
 昨年5月のブログに「古い日記」というテーマで、1952年、1953年ごろに書いた古いノートの記述を辿ったことがあるが、その中に当時読んだ本として、亀井勝一郎の「愛の無常について」と、マックス・ミュラー「愛は永遠に」の2冊が記されていた。いずれも文庫本であるが、今回入手できたので、改めて読むことにした。
 どうして当時、亀井勝一郎の「愛の無常について」を読んだのか、もちろん記憶にないが、当時の日記の記述では、郷里から上洛する際に車中で読んだとあり、大変興味深く、失われていたものが戻ってくるような感じがしたという短い感想が付されている。
 今回、本書を読んでみて、50年以上もの時間差があるものの、昔を回顧しながら、改めて感じたことを書きとどめておきたい。
 第1は、戦後の大學の学生運動がすでに警察の介入を経験していた時期に、病気休学で前線から退いていた私にとって、亀井勝一郎氏の体験(共産主義者、愛国者、仏教徒)がひとつの示唆を与えてくれるという関係があったのではないかという点である。結果的には、私は著者と同じ道を歩まなかったが、一人の真摯な人間の生き方を本書から学んだといえようか。
 第2は、本書の内容であるが、その中には、今でも心に残り、心を揺さぶるような切実な問いかけが含まれている。それは、究極的に、人間の「愛の無常性」を訴えるものであるが、人間の生き方に対する示唆も豊富に含まれている。心に残ったその言葉のいくつかをあげておこう。「どんなに年をとっても、むしろ年をとるにつれて友情もまた成熟するものであり、友情あるところに私は枯れざる青春を見出す」。「あの時期、あの人に邂逅しなかったならば、今日の自分はありえなかったであろう」。「いま平静に読めば、醇乎たる思想であり美であるものさえ、濫用されスローガン化されると忽ち摩滅して一個の形骸となる」。「熟練とは一種の節度である」。「人間として許される最も永続的な幸福と快楽があるとすれば、それは読書である」。
 本書は、1949年(昭和24年)に刊行された古い本であるが、今でも一読に値するものといえよう(講談社文庫)。
 
 
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by nakayama_kenichi | 2006-01-27 12:04

巧言令色少なし仁

 これは、「論語」に出てくる格言で、言葉を飾って巧みに、口先でうまいことをいうだけで、そこには仁の心(いつくしみ、思いやりの心)が少ないということを説いたものです。
 最近の「ライブドア」騒ぎに対する小泉首相や自民党の幹部の対応を見ていますと、あの絶頂期の得意満面な高笑いと今回のとぼけた仏頂面との間に、対照的にしかし共通して流れているものが「巧言令色」そのものではないかという思いを深くせざるをえません。
 小泉改革といわれるものが、国民の一部に夢と希望のようなものを与えたことは事実でしょうが、それが基本的に誰の利益に奉仕するものであるのかを冷静に考えますと、それは巨大な政治献金と引き換えに「財界」の利益を保障しようとするものであるといわざるを得ません。小泉改革は、古い特権的な派閥や族議員の独占体制にメスを入れたかに見えますが、政官財の癒着構造はよりスマートな形を整え、よりゆるぎないものになりつつあります。郵政民営化もその例外ではなく、新しい郵政会社の幹部には財界人が顔を並べていることが、そのことを徴表しているように思われます。
 国民の甘い期待は、次々に裏切られることになり、気がついたら大変なことになるおそれがあります。表面的には華やかな消費文明の中に埋没しているうちに、憲法9条も危うくなり、新しい総動員体制に組み込まれるおそれも決して杞憂ではありません。一国の総理大臣が堂々と靖国神社に参拝してはばからないというのは、何といっても異常であります。これを「言葉」で巧みに合理化しようとするところに、無辜の戦争犠牲者に対する「思いやりの心」の無さが透けて見えてきます。それは、勝者にはエールを送るが、敗者になれば見捨てるという冷たい心情にも現われています。保守政治家の中でも、せめてもう少し正直で、慎重で、良心的な配慮の見られる後継者の登場を期待したいものです。
 
 
 
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by nakayama_kenichi | 2006-01-25 17:22

「堀越事件」の証言

 1月20日、いよいよ「堀越事件」(公務員の政治活動違反)について、学者証言をする日が来た。私は、これまでにも立て看板事件やビラ貼り事件などについて法廷で証言する機会が何回かあったが、東京地裁に出頭すのは初めての経験である。第104号法廷は弁護団席も傍聴人席も満員という緊張した雰囲気の中で、私は、午後3時10分から4時半過ぎまで、弁護団の質問に答える形で発言をし、できるだけ論点をもらすことのないように注意しながら、原則的な理論問題とともに本件の具体的な適用問題にも言及して証言を終えた。その直後の裁判所の対応が注目されたが、裁判長は、検察官からの質問がないことを確認し、裁判官の側からも質問を全くすることなく、そのまま閉廷となった。この点からも、本件の裁判の今後の予測はなお不透明であるといえよう。
 私は、この事件に関して、昨年始めに弁護団から依頼を受け、すでに5月段階で「公務員の政治活動に対する罰則の適用について」と題する「意見書」を作成し、そこでは人事院規則14-7の問題点と本罪の保護法益論を中心的に論じた。しかし、その後の検討から、新たに本件に特有の問題として、政党機関紙の郵便受けへの「投函行為」時には相手方が不在であり、行為の「外形」から見てもそれが「公務員の政治活動」であることは一般に認知できないような場合にも、「公務の中立性に対する国民の信頼」を動揺させるおそれがあるのか(本罪の「法益侵害」があるのか)、また勤務場所の外で、勤務時間外に、職務を離れた一人の「市民」として政党機関紙を配布するという行為まで一律に処罰することは、さきの「公務の中立性に対する国民の信頼」の動揺という観点からも、疑問でないかという趣旨の「意見書(その2)」を今年の1月に急いで作成し提出していたので、当日は、これらの意見書の趣旨を改めで口頭で説明し敷衍するという方法をとった。
 この事件の審理に当たっては、憲法(3人)、アメリカ法、刑法、刑訴法、国際法の7人の学者証言のほかにも、全部で13人の専門家の意見書の提出が予定されている点でも異例であるが、しかもそれらのすべてが現行の立法とその解釈・適用に基本的な見直しを求めるものであって、逆に国公法による本件の処罰を肯定する趣旨の証言や意見書はひとつも提出されていないという点でも、きわめて異例であることに注目しなければならない。
 裁判所の勇気のある決断を望みたいところである。
 なお、私の「意見書」の内容は近く公表する予定である。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-01-21 11:05

昔の「成績簿」

 私がかつて在学し卒業した学校(小学校、中学校、高等商船学校、旧制高校、旧制大學)の「成績簿」が揃って残されている。これらは、古い時代の学業成績簿として、歴史的な意義があると思われるるので、いずれその内容を公表したいと考えているが、今日のところは、その一般的な特色を書きとどめておくことにする。 
 小学校6年間は、もちろん戦前の昭和10年代であるが、3年までは甲、乙、丙、4年からは10点満点で表記されていた。国語、算数、国史、地理などの学業成績のほか、身体の状況も詳しく記録されており、発育、栄養ともに乙と評価されている。
 中学校5年間は、100点満点の表記だが、5学年のみは優、良、可の表記に変わったほか、5学年では、修身、修練という科目が増えているのは、戦時体制に対応した変化の現われと思われる。しかし、基本的には、いわゆる「英数国漢」が中核的な受験科目であった。
 高等商船学校の1年半(敗戦まで)は、英語や数学、物理、化学のほか、航海法規、気象学、さらに兵学、乗船実習などの科目が並んでおり、よくついて行けたなあと思う。
 旧制高校3年間は、戦後の解放期に当たるが、文科1類なので、英語とドイツ語のほかは、古典、哲学、歴史、社会など、科目数も少ない。学生は語学以外の講義にはあまり出ず、成績を度外視する風潮が顕著であったことを反映してか、おおまかな評価となっている。
 旧制大学3年間(休学のため4年)は、卒業までに24科目(外国法3科目を含む)が必要であったが、1年次に8科目とったものの、病気休学したため、講義を聞かないで試験だけ受けるという便法で、ようやく24科目に達するという危ない橋を渡った。しかし、結果的にはこれが大學への就職の決定的な証拠となったのである。
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by nakayama_kenichi | 2006-01-17 21:37
 国家公務員法と地方公務員法とでは、同じ公務員でありながら、「公務員の政治活動の禁止」について、前者だけに「罰則」規定があり、後者にはないという重大な不統一があることについては、すでに指摘されており、このブログでも触れたことがある。
 しかし、問題はそれにとどまらず、両法の「罰則」を比較して見て、さらにいくつかの無視し得ない相違点があることに気づいたので、大方の注意を喚起しておきたい。
 第1は、罰則規定の数の点で、国公法の方が突出して多いということである。地公法が全部で8個であるのに対して、国公法の方は何とその8倍にも当たる33個にも及ぶ膨大なものである。これらはみな「犯罪行為」とされているのであって、国公法の方が、いかに軽微な形式犯にも広く刑罰を科しているかを物語っているといえよう。
 第2は、とくに「政治的行為の制限」について、地公法がこれを罰則から除外しているのに、国公法はこれにも罰則を定めているほか、その内容を「人事院規則」に包括委任しているので、人事院規則の規定をこれに加えると、この上にさらに17個の「犯罪構成要件」が加わることになるという点である。これらを合計すれば、国公法は実に50個にも及ぶ「犯罪行為」を定めた、異常に肥大化した「刑罰法規」でもあることを意味する。
 第3は、地公法にも共通する点であるが、法定刑が「1年以下の懲役又は3万円以下の罰金」または「3年以下の懲役又は10万円以下の罰金」とかなり重く、刑法犯には軽微な「軽犯罪法」(拘留又は科料)があるのと比べても、法定刑が重すぎるという点である。
 この点では、罰則の数を大幅に制限し、政治的行為に対する罰則を除外した地公法の良識ある立法政策を改めて積極的に評価することによって、国公法のような「犯罪化」の方向への揺り戻しの動きを何としても食い止めなければならない。
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by nakayama_kenichi | 2006-01-15 22:38
 心神喪失者等医療観察法が2005年7月に施行されてから、約6ヶ月を経過した。まだ施行後間もない段階なので、その実績を評価するには材料が十分とはいえないが、すでにいくつかのデータや情報が存在するので、これらを紹介し、そこからうかがえる問題点を指摘しておきたい。
 第1は、指定入院医療機関の状況である。法施行時には武蔵病院(東京)と花巻病院(岩手)の2カ所しかない状態で見切り発車したことが重大な足かせになっている。厚労省は急遽、東尾張病院(名古屋)に医療観察法病棟(15床)を作り急場を凌いだが、いずれ満杯になるおそれがつきまとっている。しかも、この種の施設を増やそうとしても、十分なスタフが集まらないという皮肉な現象が生じている。
 第2は、本法による申立てと決定の状況である。2005年12月16日現在の集計では、検察官による申立て件数は、全部で122件に及び、予想されたよりも多い。裁判所による審判の結果は、入院32件、通院16件、不処遇5件、却下3件の計56件となっている。予想された入院決定に比べて、通院及びそれ以外の決定が意外に多いという結果は、とくに付添人(弁護士)の活動によるところが大きいものと思われる。
 第3は、入院決定を受けた者の入院先である。武蔵病院が20人、花巻病院が9人、東尾張病院が3人で、計32人となっているが、この数は年末までにかなり増えており、武蔵病院では回復期の病床がすでに満床になっているという情報もある。
 本法の施行は決して順調とはいえず、一般の精神医療との間に多くの矛盾点を生み出しており、それは本法の見直しの必要性を強く示唆するものであるが、しかし他方では、とくに本法が予想しなかったところで、たとえば「鑑定入院中の医療こそが重要ではないか」という問題意識の中で、本法を対象者のための「医療法」として充実して行く方向が模索されるという展望も生まれていることに注目すべできである。
 
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by nakayama_kenichi | 2006-01-14 11:59

2006年1月9日

 今日は1月9日で、1927年1月9日から数えて79歳の誕生日を迎えた。年をとったものだなあと、自分で自分の年に驚くほど、月日の経過は実に早いものである。
 大正15年は12月25日までしかなく、昭和元年は12月26日から31日までしかなかったので、昭和2年1月9日というのは、昭和の時代が始まったばかりの頃であった。私は、滋賀県の最北端の余呉村という片田舎に生まれたが、母によるとその年はことのほか雪が深く、しかもかなり難産であったらしい。次男であるのに「研一」という名がなぜついたのか(長男は「恭三」という)は、とうとう親からも聞き逃してしまった。ただ、名前に「研」の字がついたのは、研究を職とするようになったことと関係があるようで、嬉しい気がする。
 父は、敗戦直後の昭和22年4月4日、心臓疾患のため、55歳の若さで亡くなったが、当時私は旧制高校の2年生であった。母はその後約30年間苦労した末に昭和54年12月22日、脳出血のため、77歳で亡くなったが、当時私は在外研究のためワルシャワにいた。親の看病もできなかったことに悔いが残っているが、その私自身がいつの間にかもう親の年齢を越えてしまっていることにあらためて気づかされることになった。
 問題は、命のある限り、今後をどのように生きていくのかという点にある。幸い、私には研究活動の余地がまだ残されているので、それを続ける以外に方法はなさそうである。この道には際限がなく、繰り返すなかで日々新しい発見があるので、やめるわけにはにいかないということなのかもしれない。今日の午後は、東京で「堀越事件」の弁護団との打ち合わせがあり、13日までに「意見書(その2)」を書き上げる約束をして、今年の初仕事を引き受けることになった。
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by nakayama_kenichi | 2006-01-09 20:49
 すでに述べたように、国家公務員法102条は政治的行為を禁止し、その内容を人事院規則14-7に包括的に委任している。そして、「猿払事件」の最高裁判決は、郵政事務官が地区労組協議会の決定に従って日曜日に選挙用ポスターを掲示し配布したという行為について、1審と控訴審の無罪判決を破棄して有罪とした(最大判昭49・11・6)。しかしこの判決には4名の裁判官の反対意見があり、学説もほとんどが批判的な対応を示した。主要な憲法学説のほか、刑法では当時の藤木英雄教授が、「勤務時間内か時間外か、庁舎の内か外か、公務員であることを離れた純然たる一介の私人として行為したか、それとも明らかに公務員であることがわかるような形で行為したか・・・・・の如何を問わず、一律に人事院規則所定の行為を禁止し、その違反に刑事罰をもって臨むという規定の仕方が適切を欠く」と明言されていたのが注目される。
 ところで、今問題になっている「堀越事件」では、社会保険庁の職員が職場の組織とは関係なく、勤務時間外の休日に自宅近くのマンションの郵便受けに政党機関誌を投函したという事案が問題になっており、そこでは「公務員の政治活動であることが分からないような形で行為した」という特色が見られる。配布の相手方にも辺りの人にも「公務員の政治活動」と分からない「外観」をもった行為に果たして「公務員の政治的中立性に対する国民の信頼」を害する危険があるのかという点が問われているといえよう。
 因みに、最高裁は、警察官が電話を盗聴した事件で、警察官が「終始何人に対しても警察官による行為でないことを装う行動をとっていた」ことを理由として、公務員の職権濫用罪には当たらないとしていたことを想起すべきである(最決平元・3・14)。
 なお、この問題については、別に論文を書くつもりである。
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by nakayama_kenichi | 2006-01-06 22:45