最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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<   2005年 06月 ( 17 )   > この月の画像一覧

 わが国の精神病院の入院者数が33万人を越えていて、諸外国に比べて著しく高いことは、すでに周知の事実である。これは刑務所人口が6万人程度であることから見ても、桁違いの過剰さをあらわしている。しかも、最近では在院期間1年未満の者が増える一方で、10年以上の長期在院者が実に30%近くにも及ぶという2極化現象が進み、こうした長期の高齢化した患者層の社会復帰の推進が大きな課題となっている。
 こうした中で、国は精神保健福祉対策本部の中間報告(2003年)で、入院医療中心から地域生活中心へという方針を打ち出し、条件が整えば10年間に7万2千人の地域移行という目標を設定した。これは、きわめてモデストな提案であるにもかかわらず、民間精神病院の団体である「日本精神科病院協会」はこれに敏感な反応を示した。すでに「日精協」の全国集会(2002年11月)は、その声明の中で、7万2千人の社会的入院の解消という提案は国民に精神科病院の現状を誤解させるものであって断じて容認きないと真っ向から批判し、来賓として講演した武見敬三参院議員も、この平均在院日数の短縮の圧力は病床の削減に連動したものであり、官僚による机上の空論にすぎないと断じていたのである。
 しかし、その後の日精協の対応は冷静さを取り戻したらしく、仙波恒雄会長によれが、日精協で行ったマスタープラン調査でも、3年以上の長期入院患者のうち条件が整えば退院可能と考えられるものは、約4万6千人で、これに1年以内のものを含めると、7万2千人という数値と大体一致したものになるというのである(ジュリスト増刊、2004.3、210頁)。
 しかし、それでもなお、病床数はその国の精神医療の取組や統計の取り方によって異なるので国際比較には注意を要するとして、1970年代の諸外国における脱施設化運動を相対化する傾向が残っている。過去の政策の所産である歴史的な長期在院者群ともいえる日本特有の問題の分析にもっと目を向けるべきであろう。
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by nakayama_kenichi | 2005-06-10 11:18

30年前の写真

 京大の高山佳奈子さんから、先週パリで開かれた国際刑法学会の理事会で、スロヴェニア共和国(旧ユーゴ)のアレンカ・シェリフ女史に会ったとうメールが、そのときの女史の写真とともに送られてきました。これには、以下のようなエピソードがあります。
 私は、かつて外国留学中の1976年3月11日に列車でハンガリーのブタペストを出発してスロヴェニア共和国の首都リュブリアーナに入りましたが、出迎えて下さったのが当時リュブリアーナ大学のドツェントだった若いシェリフ女史でした。リュブリアーナは小じんまりとした実に美しい町で、小さな湖は雪と氷におおわれていました。3月15日にベオグラードに出発するまでの数日間、私はこの町に滞在し、大學の刑事法研究室に通いました(この旅行記録は、拙著「ポーランドの法と社会」成文堂1978年、136頁以下に収録されています)。
 その後、いつの間にか関係は途絶えていましたが、昨年(2004年)の11月25日に、京大の高山さんのところに留学してきていたマティアス・アンブロシ氏にお会いする機会があり、その折に、もしかしてと思って見せた昔の写真によって、実は彼がシェリフ先生の直系の弟子であることが判明してびっくり仰天したということがありました。
 早速、シェリフ女史にメールを送って、偶然に交流を再開する機会を得たことを喜び合いました。私は、もうすっかり年をとりましたが、彼女はまだスロヴェニアの刑法学者の重鎮的な存在だと思います。今度送られてきた写真を見ても、30年前とあまり変わらないほどの若々しさが見られます。
 スロヴェニアと日本の若い有能な研究者が、私たちが開いた交流の輪を広げていってくれる
ことを祈らずにはおれません。
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by nakayama_kenichi | 2005-06-07 14:28

靖国問題に一言

 靖国神社は、殉国の英霊を慰霊し顕彰することを目的としていますが、私どもの戦前を体験した世代にとっては、何よりも大東亜戦争へと国民を鼓舞する精神的な支柱であったことを忘れることができません。戦後はその思想的な「清算」が必要であったのに、それをあいまいにしたままに、靖国神社によるA級戦犯の合祀を認めてしまったところに問題があります。当の靖国神社は、今でも、東京裁判が勝者による一方的な裁きだったとする戦争肯定論の立場からA級戦犯の合祀に問題はないと堂々と主張していることを確認しておく必要があります。小泉首相が公式参拝を繰返すことは、彼の個人的な見解や弁明とは関係なく、靖国神社のこの思想を公認する効果をもたらすものというべきでしょう。
 国会の質問では、小泉首相の個人的な信条や見解を取り上げてこれを批判するにとどまっており、もどかしい思いがします。むしろ大事なのは、客観的な歴史的事実を確認させ、靖国神社の思想を明らかにしてこれとの対決を迫ることであり、その際、政府が1980年の統一見解として、首相らが公的な資格で行う参拝は「違憲の疑いを否定できない」として「公式参拝」を自粛する方針を打ち出していたこと、1985年に公式参拝に踏み切った中曽根首相も結局はA級戦犯の合祀を批判した中国との関係に配慮して参拝を打ち切ったこと、さらに小泉首相自身が2001年に最初に参拝した際の談話から出た新しい国立の戦没者追悼施設を作る構想の成行きなど、事実に基づいて責任ある決断を迫ることが必要だと思われます。
 靖国神社の見解や特定のA級戦犯遺族の意向にしたがうというのでは、侵略戦争だったという戦後の歴史的認識を根底から否定することになることを銘記すべきでしょう。
 
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by nakayama_kenichi | 2005-06-06 14:49

難解な臓器移植法案

 自・公有志案(河野案)と呼ばれる法案の特色は、臓器摘出の要件を本人の意思表示がなくても家族の承諾で足りるとするものであることは明らかであるが、脳死判定に家族の拒否権をみとめるという点になると、その条文は以下のように、きわめて複雑なものとなっている。
 第6条3項
 「臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。
 1 当該者が第1項第1号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がいないとき。
 2 当該者が第1項第1号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。」
 この条文は、一読しただけではとてもその意味が分からない「悪文」の典型である。私自身も、現行法の規定と比較しながら考えて見たが、どうもうまく分からない。とくに第2号が難解である。その意味の分かる人には教えてほしいが、提案者や条文の作成者(法制局)は、例をあげて説明すべき義務があるというべきである。
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by nakayama_kenichi | 2005-06-05 09:30

中・中山論争について

 中義勝先生のことを思い出しましたが、いつ亡くなられたか分からず、お弟子さんの武田誠氏に尋ねて、1993年10月28日であることが分かりました。もう12年も前のことかと、今更ながら月日の経つのが早いことに驚かされます。先生は大正10年のお生まれなので今おられれば84歳、まだまだお元気でおられればと惜しい限りです。
 中先生は、私が刑法解釈論を勉強する際に、多くの質問に丁寧に答えて下さった貴重な恩人です。とくに、平野・平場両先生の「刑法研究会」で上京した際には、ほとんど毎月、新幹線の中で行きも帰りも質問を続けて時の経つのを忘れる位に楽しかったことを思い出します。先生も、嫌な顔もせずに、ただしビールを飲みながら付き合って下さいました。今頃は苦笑されていることでしょう。
 その成果が、後に法律雑誌上で、とくに「故意と主観的違法要素」、「間接正犯の実行の着手」、「不能犯論」などをテーマとする一連の論争として現われました。私は後にこれらを論文集にまとめましたが(刑法の論争問題、1991年、成文堂)、その序文で以下のように書いています。
 「中教授は、関西における傑出したドグマティカーとして知られる大先輩であり、これまで長期にわたり多大のご教示を受けてきたが、その胸をお借りしての論争は、学問的な情熱をかき立てるに十分であって、私個人にとっても大変有意義なものであった。ただし、結果的には、双方とも容易に妥協しない「確信犯」であることを確かめ合うような結果になったようであるが・・・」。
 その後も中先生の驥尾に付しているつもりですが、先生の学問的情熱は伝えられても、あの和魂漢才と独特のユーモアには脱帽するほかありません。
 
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by nakayama_kenichi | 2005-06-03 22:14

心神喪失者法の施行前

 心神喪失者等医療観察法は、2005年7月15日までに施行されることになっているが、肝心の指定入院医療機関の建設が進まず、現時点で確保できそうなのは3カ所しかなく、報道では、自治体病院を「代用病院」にしようとする動きまで出てきている。
 このまま施行してしまえば、遅れは施行後に補うといってもその保障がなく、法が掲げている「高度で手厚い医療」の実施が危うくなり、禍根を残すおそれが大きい。
 このことは、本法の支持者による次のような期待を裏切ることにもなるであろう。
 山上皓氏「当初計画しているものができれば、日本の精神医療が欧米並みになるのはそれほど遠いことではない・・・。(しかし)それには、各地に設備と人をきちんとつくっていかなければいけないのであって、センターを2つつくったくらいでは社会復帰はできませんし、その地元に帰ることはできませんから、そういうことを含めると早急に全国に整備していくべきだ・・・」。
 松下正明氏「入院治療という場だけを考えてみると、従来の精神医療よりも、はるかに恵まれた環境で触法患者が治療を受けることになります。いまは、48人の患者に医師1人という特例があります。内科や一般科は16対1です。それが、今度は8対1になります。4人に1人です。1病棟30人にすると、4人の医者、原案でいくと看護師が30人、プラスしてソーシャルワーカーや心理士が入りますから、それは非常に恵まれた環境になります・・・」。(以上は、座談会・心神喪失者等医療観察法の成立、ジュリスト2003.11.15、32頁から)。
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by nakayama_kenichi | 2005-06-03 14:52

刑法と教育勅語

 刑法各論の講義の中で、「教育勅語」に出合うことがあります。それは、戦前の大正時代の判例の中に、校長に恨みを抱いていた小学校教員が、校長を失脚させるために、同校長が管理する教育勅語の謄本等を持ち出し、これを自分の受け持ちの教室の天井裏に隠したというケースが出てくるからです。
 原審は、不法領得の意思(権利者を排除して他人の物を自己の所有物としてその経済的用法に従って利用または処分する意思)がないとして、警察犯処罰令2条5号の罪(他人の業務に対する悪戯・妨害ー戦後の軽犯罪法1条31号)に当たるとしたのに対して、検察官は刑法235条(窃盗罪)および233条(業務妨害罪)を適用すべきだとして上告しました。しかし、大審院(戦後の最高裁に当たる)は、原審判決を支持して、窃盗罪の成立を否定したという著名な判例であります(大審院大正4年5月21日判決)。
 これは、戦前における「教育勅語」の絶対的な権威を考えますと、大変勇気のある大審院判決であったといえるでしょう。今はもう「教育勅語」を知らない世代が支配的となったと思いますが、私自身の体験からは、今でも鮮やかに思い出す光景があります。それは、文部省から各学校に下賜された「教育勅語」の謄本が、学校の正門わきの「奉安殿」に天皇のご真影とともに安置され、教職員も生徒も登校時と下校時に最敬礼をして通るというのが日課であり、紀元節や天長節や明治節の日には校長先生が恭しく「教育勅語」を読み上げるのを直立不動で拝聴し、暗誦させられたという少年時代の思い出です。「朕思うに、わが皇祖皇宗・・・・・」という文章はもう忘れていましたが、パソコンで検索をし、軍人勅諭とともに、改めてその内容を確かめています。
 若い世代の方々にも、一度参照されることをお勧めします。
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by nakayama_kenichi | 2005-06-01 19:18