「ほっ」と。キャンペーン

最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
カレンダー

<   2005年 06月 ( 17 )   > この月の画像一覧

昭和1桁世代

 私は昭和2年(1927年)生まれなので、昭和1桁世代の中でも一番古い方に属する。私どもの世代は、戦争末期に軍とかかわった者が多く、当時の大學のキャンパスには陸士や海兵の軍服を着た学生も稀ではなかった。私も、高等商船学校で海軍の兵籍に編入されていた。
 病気休学した後、大學に残って刑法学会に入った私は、貧乏でなかなか東京まで出かけることもままならなかったが、すでに頭角をあらわしていた東大の藤木、早大の西原、慶大の宮沢らの同世代の学者の存在を意識し、その仕事ぶりに注目していた。その後、私どもは同世代を意識した親密な交流を始めるのであるが、そこには3つの契機があった。
 第1は、「法律学の未来像ー昭和生まれの学者による座談会」(書斎の窓、131,132号、有斐閣、昭和40年)であり、藤木英雄(東大助教授)、西原春夫(早大助教授)、田宮裕(北大助教授)、中山研一(京大助教授)の若い4名が、それぞれの未来像を語り合っている。
 第2は、「刑事政策講座」(1-3巻、成文堂、昭和46年)であり、藤木、西原、中山のほか、宮沢浩一(慶大教授)を加えた4人の共同編集となっている。序文には、刊行の趣旨として、世界的な動向を踏まえつつ、わが国の刑事政策の現状を認識・評価し、将来を展望しようとするものであるとうたわれている。
 第3は、「現代刑法講座」(1-5巻、成文堂、昭和52年)であり、さきの刑事政策講座と同じ4名の共同編集となっている。その序文には、学界の中で年齢的にほぼ真中の世代に属する私どもが、かつての学会の「講座」に範型を求めた新しい「現代刑法講座」の出版を企画するものであるとうたわれている。
 とくに、後者の2著は、4名の共同編集作業として、思い出深いものがあるが、第1の座談会については、20年後か30年後にフォローアップ・スタディをしたいと言われていた藤木教授自身が最も早く亡くなられ、田宮教授もすでに他界されてしまい、フォローアップ・スタディができないのが、何としても残念である。
 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-27 18:54

研究会の効用

 私は、大學に残って研究者を目指しましたので、自分で研究を進めて行く上で、とくに同じ専門に属する研究者の間で組織される「研究会」に積極的に参加して勉強してきました。研究者は、最終的には自分の仕事に独立して責任をもつという意味で、孤独な存在ですが、他の研究者仲間と交流して論争し合い啓発し合うという人間的な共同作業に深くかかわることによって、いわば研究を通じて互いの人格にも触れ合うという貴重な体験をすることができます。
 しかし、そのためには、自分の研究を促進するために研究会をもっとも良く活用する方法を会得することが必要だと思います。私は、これまでの経験から、以下の3つの点が重要ではないかと考えています。
 第1は、研究会にはできるだけ休まずに出席すること。そのためには、体調の管理を含めて、精神的な前向きの姿勢が必要になります。開始時間に遅れることも禁物で、「定刻主義者」でありたいものです。
 第2は、研究会ではできるだけ質問し発言すること。これは、かなり難しいことですが、他の人の報告を聞くときに、質問しようと思いながら聞くという習慣を身につければ、報告が終わると同時に質問をすることができるようになるでしょう。
 第3は、研究会ではできるだけ報告すること。これも大変なことですが、自分の研究したことを相手に伝え、説明し、質問に答えるというもっとも重要な訓練になることは疑いありません。
 あとは、これを繰り返し行うことによって、相乗効果が得られるでしょう。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-25 22:33

刑法読書会のこと

 前回に佐伯千仭先生のことを書きましたが、先生は『刑法読書会』という研究会の発案者であり推進者でもあります。その発足は昭和30年(1955年)秋頃のことで、佐伯先生は当時を次のように回想されています。「戦後しばらく離れていた教授生活に戻ってみると、研究室に残って勉強している若い大学院の学生諸君が、何にどこからどう手をつけたらよいのかと研究に些かとまどっているように感じたことと、またひとりで外国書ー殊にドイツ書ーを読むのがいかにも頼りなげであったので、その歩き出しのお手伝いをしようという気持だった。そこで京大と立命館の大學院の諸君を主なメンバーとして、平場、宮内教授と一緒にこの「刑法読書会」を始めたのである」(泉ハウス・刑法読書会20周年記念文集『梁山泊のひとびと』1978年,2頁)。
 私自身は当時京大の助手でしたが、刑法読書会には仲間の院生とともに最初から積極的に参加し、月例研究会では、佐伯、平場、宮内の3先生に中先生を加えた豪華な教授陣に厳しく暖かい助言を頂いた若き日の熱い思いが今でも忘れられません。 
 刑法読書会は、その後も継続し、30周年には再び文集を発行して、連続記録をきざむことになりました(泉ハウス・刑法読書会30周年記念文集『続・梁山泊のひとびと』1989年)。 
 その間、宮内、平場、中の3先生のほか泉先生も亡くなられましたが、佐伯先生は読書会の象徴としてなおご健在であり、月例研究会は現在まで中断することなく続いています。今年も、8月には恒例の夏合宿が計画されていますが、信州の蓼科で佐伯先生とともに山登りをした頃のことがなつかしく思い出されます。
 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-24 17:47

法の論理と人間性

 ある読者からの便りの中に、佐伯千仭先生が1987年に「法律家を志す若い人達に」と題して話された講演の内容に触れたものがありましたので(佐伯『刑事法と人権感覚』法律文化社1994年、333頁以下)、その講演集の中から心にずっしりと残る文章を引用しておきます。
 「若い研究者の中には、判例一辺倒で判例を一応整理して、判例はこの通りだというと、それでもう問題が終わってしまう場合があるのですね。しかし実践的な法曹というのは、判例にただ随順、従順であるだけでは勤まらないのです。場合によってはやはり判例と戦うという勇気、判例を変えようという気力をもっていないといけないのではないかと思う。・・・・もちろん判例は尊重しなくちゃならんし、判例の壁は厚い。判例に抵抗したところで一敗地にまみれるということの方が多いのだけれども、それでもこう腹の底から納得できないような判例がある場合には、やっぱり法曹は抵抗しなくちゃいかんと思う」。
 「裁判官、検察官、弁護士というものは、やはりそういうように本当に人間というものを自分の心の土台において、たえずゆれ動く心を持ちつづけるということが本当に大事じゃないでしょうか。・・・・裁判というものはこのように揺れ動いている人間のやることなのです。本当の法の論理というものは、そういうように人の心の底にある人間性を揺り動かすようなものでなければならず、そういう論理があるはずだと思います」。
 「その時に判例がもう決まっているからと簡単にあきらめてはいけない。被告人を弁護する弁護人としてはそういう態度は許されない。正義が踏むにじられていると思ったら主張が通らなくても死ぬまで闘わねばならない」。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-22 20:54
 私の著書『現代社会と治安法』(岩波新書1970年)をコメントで取り上げて頂きましたので、読み返して見ましたら、戦後当初の文部省が憲法普及運動に使った書物からの引用部分が出てきましたので、これを再現しておきます。
 「・・・・戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。・・・・そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。・・
・・しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりもさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことをきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。」
 初心忘るべからず、とはこのことでしょう。私自身も、旧制高校の時代にこの憲法普及運動に加わって、静岡県下の中学校や女学校を回ったことがあります。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-20 19:25
 すでに度々触れているように、心神喪失者等医療観察法は、7月15日までの施行を目前にして足踏みしている。この問題については、6月8日の衆議院法務委員会で若干の質疑が行われているので、とりあえず最近の情報として確認しておきたい。
 この法務委員会では、本法の施行直前の準備状況について、とくに拠点となる指定入院機関の整備状況に質問が集中したが、塩田政府参考人(厚労省社会・援護局障害保健福祉部長)の答弁は、全国で24ヶ所700床の予定のうち、現時点では国立が3ヶ所、都道府県立が1ヶ所の99床分の整備にとどまっていることを認めた上で、しかし法の施行自体には支障はないと考えているとしつつ、仮に本来の指定医療機関の整備に不足が生じる場合があるとすれば、何らかの代替的な対応について検討することが不可避ではないかと考えているというものであった。しかし、その代替的な対策とは何かという質問に対しては、その具体的な内容を明らかにすることなく、関係者の意見を聞いたうえで英知を集めて対応を検討するという答弁に終始した。
 また、法施行時点での目標とその具体的な数値、当初の予定がいつまでに達成されるかという年限についても今は明らかにできないのかという質問に対しても、南野法相はただ7月15日を目途として準備しているという答弁にとどまっている。
 しかし、これでは法の施行後に指定医療機関に深刻な不足が生じることはむしろ明白であり、そのことを認識しながら施行に踏み切ることは無謀であり、無責任であるというべきである。
 さらに、鑑定入院中の医療に関する規定が本法には欠けているという批判が出ていることを承知の上で、その問題に触れることなく、それは精神医療の課題のひとつとして認識しているという答弁ですまされていることは驚きのほかはない。
 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-19 10:29

同時に2つ以上の仕事を

 私の主要な仕事は原稿を書くことですが、2つ以上の仕事を同時並行的に行うことに慣れてしまいましたので、その効用について述べておきたいと思います。
 もっとも、私自身も最初は1つの原稿が終わってから次の原稿へという単線運転だったのですが、次第に仕事が増えたため、複線から複々線へと拡大して行った経過があります。
 1つの仕事ですと、それだけに集中できて、一見能率が上がるように見えますが、しかし実際の原稿執筆は決してスムーズなものではなく、完成するまでには、山あり谷ありで中断や再考を余儀なくされることもしばしばあるものです。
 仕事が2つ以上あれば、頭を切り替えて、発想を転換することが可能になります。それぞれの仕事の到達点と進捗状況を見渡しながら、いつも新鮮な気持ちで、ひとつひとつに目標を立てて対応し、大切に育て上げながら、結果的に締め切りに間に合わせることができればしめたものです。常に多くの仕事を手がけていれば、いつの間にか、その成果は着実に蓄積されて行くことになるでしょう。
 もっとも、そのためには時間をできるだけ有効に活用することが必要ですが、これも単に時間の長短だけも問題ではなく、むしろポイントとなる時期に集中力を発揮できるかどうかにかかっているように思われます。自分に見合った方法とスタイルをいかに開発し、レベルアップを図っていくかが課題となるでしょう。
 私の研究生活はすでに50年近くにもなりましたので、ときどき、これまで経験したことの中から、自己反省の点を含めて、思いついたことを書きしるして、とくに若い人たちの参考に供したいと考えています。
 
 
 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-15 21:30

another story

私は今、ある刑事事件の裁判記録をまとめる作業を少しづつ進めている。これは、神戸地裁、大阪高裁、最高裁に係属した事件であり、1審以来の有罪判決が最高裁で上告棄却となったものである(最高裁第3小法廷決定平成16年9月21日)。しかし、この事件が判例集にも掲載されないままに消えて行くのは淋しいと思い、どこかに記録しておきたいと考えるようになった。それに、この事件は、私自身も上告審段階から弁護人の一人として参加し、上告趣意書の執筆にも加わったという個人的な関係もある。
 これは、暴力団組員による建造物損壊事件で、3名が共謀共同正犯として起訴され、うち2名は自白して有罪を認めたが、あとひとりの被告人は最後まで争い、いわゆる「共犯者の自白」によって有罪とされたというものである。
 この事件には、「共謀共同正犯」の成立要件をめぐる判例の動向を刑法理論上どのように評価すべきかという周知の論争問題がからんでおり、私自身はかなり詳細な判例の分析を試みたのであるが、問題はむしろその前提として、共謀共同正犯の要件に当たると判断されるべき「事実的な前提」が果たして存在したのかという事実認定の判断の仕方にかかっている。
 「共犯者の自白」のうち、被告人が実行犯に現場で指示したという供述は信用性なしとして排除されたが、被告人が「共謀」の場に同席していたとする供述の方は信用性があるとした上で、同席していたとすれば会話の内容を聞いたはずだという理由で、被告人に「共謀共同正犯」が認められたのである。しかし、共犯者間の供述が矛盾し、また捜査段階と公判廷での供述が矛盾したときに、そのいずれを採用するのが合理的かは、「別の可能性」(another story)を十分に検討した上で、その合理的な疑いが払拭できない限り、有罪を認定することはできないというべきであろう。組の事件であるという事情もあってか、「別の可能性」があるのに有罪を推定するという傾向があるように思えてならないのである。
 なお、この事件については、2005年1月の「刑事判例研究会」で報告したことがある。
 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-15 12:18

人権と特権の区別

 「人権」とは、人間が人間としてもつ固有の権利であり、憲法11条は、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」と定めています。
 一方、「特権」とは、特定の(身分や階級に属する)人に特別に与えられる優越的な権利であり、憲法14条は「①すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。②華族その他の貴族の制度は、これを認めない。③栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する」と定めています。
 このうち現在重要なのは、基本的人権の保障と特権の排除をうたった憲法の根本原則が次第に形骸化して、日本社会にも次第に「格差」が顕在化するようになりつつあるということです。その結果として、市民の平等な人権の保障というよりも、むしろ一部の階層の「特権」の復活と助長が目立ってきています。「人権」は、市民間の連帯的な関係として相互の調整が可能ですが、「特権」は上下の関係として常に上位者の優越的な利益が保障されるという不公正を内在しているのです。
 議員年金制度のほか、権力と癒着した労働組合の既得権でさえも容易には解消されない反面、弱者を救済するための社会保障制度は切り詰められる傾向にあります。しかも、国の行政の官僚的な手法を司法がチェックする姿勢がないとしますと、法が国家に対する市民の権利を保障するものであるとする憲法の根本思想が危殆に瀕することになるでしょう。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-14 13:49

「教官」という言葉

 広辞苑で「教官」というところを引きますと、「教育をつかさどる官吏」とあり、文部教官・司法研修所教官などがその例としてあげられています。現に、私自身は国立大学に在職していた当時、たしかに「教官」という呼び方が一般的であったことを思い出します。
 しかし、その後、公立大学に移りましたとき、教授はすべて「教員」と呼ばれていることを知り、そのとき初めて、「教官」という呼び名の不思議さを実感したことをはっきり覚えています。私立大学の教授が「教員」と呼ばれていることはもちろんです。
 ところで「官吏」とは、旧憲法下で国家に対し忠実に無定量の勤務に服した者をいうとされ、戦後は国家公務員・地方公務員と呼ばれるようになりました。しかし、戦前の官吏制度が廃止されたにもかかわらず、組織上の名称である各省名を冠した官名(事務官・技官・教官)はその後もなお用いられているというのが現状です。
 司法研修所や刑務所のように、国立だけであれば(しかし刑務所も民営化の可能性がある)、まだ問題がないように見えますが、大學のように国立・公立・私立と分かれているところでは、「教官」という呼び名はやはり不自然なように思われてならないのです。それに、地方公務員であっても、高校や中学の先生が「教官」と呼ばれていることは聞いたことがありません。
 国立大学も公立大学も法人化されましたので、この機会に「教官」という呼び名は使わないということにならないものでしょうか。なお、いわゆる「叙勲」についても、国立大学の教官と私立大學の教員の間には一定の差があるとも聞いており、そうであればこの点も当然改められるべきものでしょう(もっとも、私自身は叙勲を辞退しましたので、詳しいことは分かりません)。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-06-10 22:26