最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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民権塾の創設に向けて

 私が客員として所属しています伊賀・笠松法律事務所の伊賀興一弁護士の提案に賛同して、新たに「民権塾」というものを創設する方向に動き始めます。以下は、第1回の勉強会の内容とその趣旨です。
    「この国の自由と民権の源流を探る勉強会」
    -植木枝盛の平和と民権の思想と今の日本ー 
      2005年5月14日(土)午後1時  講師 後藤正人(和歌山大学教授)
        いきいきエイジングセンター(大阪市北区菅原町10-25、地下鉄堺筋線・
                          谷町線{南森町}下車4号出口徒歩6分)
 この国の行方に、光明が見出せない状況になって久しいと感じてきました。決して政権は理路整然と国を運営できているわけではないのに、生活者、市民の側の自信が事実上失われているような気がしてなりません。
 さまざまな分野で、彼我の力関係や突っ込みの強弱が反映するのは当然のこととはいえ、自衛隊の海外派兵の恒常化、憲法改悪の具体化、刑事法の分野における処罰の早期化、重罰化、福祉の措置から契約方式への変更など、このような動きを食い止めるという消極的立場ではなく、こうした支配を許さない、自信に満ちた「自由と民権の思想」を、縦軸と横軸双方から一緒に考える機会として、上記の勉強会を企画しました。
 
 私もすでに年ですが、何かしなければという気持ちと発想の転換の必要性を痛感しています。 先人の業績に学び、勉強し直したいと考えています。 
  
                            
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by nakayama_kenichi | 2005-04-12 14:20

瀧川ゼミ生の会

 私が京都大学在学時代に所属していました「瀧川ゼミ」生の会が、卒業以来始めて、実に50年ぶりに、2004年12月12日、京大会館で行われました。20名近くのゼミ生のうち、所在を確認することができたのは、その後の追跡で15名に達しましたが、当日は準備の不十分さのほか、体調のすぐれない人もあって、出席は5名にとどまりました。それでも、瀧川先生の次女に当たられる熊谷栄子様も出席され、6人で昼食をともにしながら、なつかしい昔話に時の経つのを忘れました・・・・・・。
 私どもは1953年の卒業ですが、この年は旧制大學の最終期生と新制大學の一期生とが重なったため、卒業生の数が倍に膨れ上がり、未曾有の就職難だったことを思い出します。ゼミ生は卒業して分散しましたが、私のほか何人かは大學院に残りました。瀧川先生は翌年から学長になられましたので、瀧川ゼミも実は1年のみで、私どもの学年が最後となっています。
 当日の出席者からは、この会を是非続けたいという強い希望が出ましたので、とりあえず次回は、2005年12月の第2日曜日(12月11日)に開催することを全員で確認して散会しました。そこには、いつまで生きられるか分からない世代の思い入れがあるといってよいでしょう。
 私自身は、その後も瀧川先生を指導教授として、刑法の勉強を始めることになるのですが、瀧川先生の思い出については、また次の機会に書くことにします。
 第2回目の瀧川ゼミの会について、この欄で報告する機会があることを心から願っています。
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by nakayama_kenichi | 2005-04-11 18:23

河野私案について

 今回の自公両党の委員会案は、いわれる通り、町野案というよりも、河野私案というべきものだといってよいでしょう。
 その特色は、ドナーが移植先として自分の親族を指定できるようにしようとする点にありますが、これはすでに批判されていますように、臓器の匿名性とその分配の公平性という原則に反するもので、現行法2条4項の「移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない」とする規定の趣旨に反することになります。またそれは、相手方の特定を通じて、臓器売買を誘発するおそれもあるというべきでしょう。
 さらに、その範囲でのみ自己決定権を尊重しながら、それ以外の場面では自己決定がなくとも臓器提供を認めるという点で、論理が逆転しているように思われます。
 まずは、ドナーカードの普及をという批判こそ筋が通っているというべきでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2005-04-10 22:15

国会における文書の朗読

 衆院および参院の規則を表示して頂き、有難うございました。
 ただし書きにある「引証又は報告のためにする簡単な文書」とは、正確を期するためにその部分を朗読するような場合を意味し、これまでの大臣の答弁はかなり長い文書の朗読であるため、このただし書には当たらないと思われます。
 因みに、国会での質問の趣旨はあらかじめ通知されているとのことですので、答弁の内容も用意されているでしょうから、学生の試験の解答よりもやさしいはずで、大臣がなぜ自分の言葉で説明できないのか理解に苦しむところです。
 なお、法案を審議する国会の委員会が定足数を割ったために審議が中断し、辺りの議員を探しまわるというのも、めずらしくない風景のようですから、国権の最高機関としての権威はどこに行ったのかと言いたくもなります。
 ただし、国会に法案が提出される前に、法務大臣のl諮問に応じて調査・審議する「法制審議会」の方は非公開で、議事録も発言者は匿名になっているのと比較しますと、国会の審議は公開されていますので、マスコミによるアクセスをもっと期待したいところです。
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by nakayama_kenichi | 2005-04-10 21:58

臓器移植法の改正案

 現行の臓器移植法は、難産の末に、1997年6月17日に成立し、附帯決議による1か月の猶予期間を経て、同年10月16日から施行されたものです。現在まで7年半ほど経過していますが、その間の脳死移植は37例を数えています(年に約5例)。
 施行後3年の見直しが予定されていましたので、これまでにも改正をめぐる論議がなされてきましたが、問題の複雑性もあって、なかなかまとまらない状態が続いていたのです。
 ところが、最近の報道では、自公両党が検討を進めてきた改正案がまとまり、「脳死を人の死」と定義した上で、本人の同意がなくても遺族の同意があれば臓器の提供を認める内容の改正案を来月にも議員立法として国会に提出することになったとのことです(毎日4月6日)。
 現在は、政府与党が意思決定をすれば、法案が難なく国会を通過してしまうという危ない状態にありますので、この改正案も難なく通ってしまうおそれがあります。
 しかし、この改正案には、このような形で簡単に処理してしまうにはあまりにも重大な問題が含まれています。世論も、子供のl臓器移植を認める方向に提供要件を緩和することには賛成が多いとしても、「脳死は人の死か」という問題については依然として慎重な意見が多く、臓器移植法の成立時とそれほどの変化は見られないようです。
 小児科学界では臓器提供可能年齢の引き下げ提案がなされ、また虐待児が対象になる危険も指摘されているほか、脳死判定が本当に正確に行えるのか、脳死移植の際に麻酔剤が用いられていることの意味を問うなど、基本的な疑問点が解消されているとはとても思えないのです。
 少なくとも、これまでの論議を冷静かつ慎重に再検討することの必要性を指摘しておきたいと思います(私自身がこの問題をまとめたのとして、「臓器移植と脳死ー日本法の特色と背景」成文堂2001年、がありますので、参照願います)。
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by nakayama_kenichi | 2005-04-08 22:31
 最近の報道では、地方公務員の政治活動にも国家公務員と同様に罰則規定を設けるよう求める動きが自民党の中にあり、プロジェクトチームが改正要綱までまとめたといわれています(朝日2005年4月7日)。
 私は、すでにこの欄で、国家公務員法102条と人事院規則14-7が国家公務員の政治活動の違反行為に対して罰則を規定しているのは問題であることを指摘し、それは地方公務員法に罰則がないのとはアンバランスとなっているが、むしろそれは地方公務員法を制定した当時の国会の方の「良識」を評価すべきであるとしました。
 ところが、今回の自民党内の動きは、国家公務員法と地方公務員法とのアンバランスを、地方公務員法の方を改正して国家公務員法なみにすることによって解消しようとするのです。しかし、これは驚くべき時代錯誤であるといわなければなりません。
 詳しくは、今執筆している論文にゆずりますが、現行の国家公務員法の規定には、その制定時に当時の占領軍当局の強い圧力の下でようやく成立したという歴史的な経緯があるほか、公務員の政治活動に対して「刑罰」を科すという立法例は、他の諸外国ではほとんど見られない異例のものとなっている「国際基準」に逆行するという疑問がつきまとっています。
 資金集めのことが問題であれば、選挙法や政治資金規正法の方で手当てすべきものであって、これを公務員の服務規律の問題と混同すべきではないと思われます。むしろ、うやむやになっている橋本前首相の「ヤミ献金」問題の追及こそ、焦眉の課題であるというべきでしょう(朝日社説2005年4月8日)。
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by nakayama_kenichi | 2005-04-08 15:24

法務大臣の規則違反

 最近の朝日新聞の中から得た情報では、南野法務大臣が所管の司法制度改革や東京地検特捜部の問題になると、官僚が作った原稿を延々と棒読みしていると伝え、しかも衆院規則133条と参院規則103条によると、国会では文書を朗読してはいけないことになっているというのである。
 これくらいのことに驚いてはいけないというのかも知れないが、国会議員、なかでも大臣までが「規則違反」を、おそらくは十分そのことを知りながら犯していて、本人も辺りも知らぬままというのjは、何ともおかしすぎるといわざるを得ない。これが下々のことなら問題となるのに、国会では平気で許されているというのでは、しかもそれが「法務大臣」の行動であるとは、いかにも示しがつかないのではなかろうか。編集子も、法相が規則を破るというのでは、冗談では済まないと指摘している。どうして、わが国では、こんな明白なことが大きな問題にならないのであろうか。
 私自身も、かつて心神喪失者等医療観察法案の国会審議の際、衆院と参院の法務委員会の議事録を総点検したことがあったが、担当大臣の答弁の中にほとんど同じ言葉が整然と繰り返されている部分がかなり多かったことを不思議に思ったことがある。これもおそらくは原稿の棒読みではないかと思われるのである。
 官僚の作った作文が「原案」となり、それが審議会を通過し、国会もまた難なく通過していくというのでは、形式だけの議会制民主主義に変質してしまっているといわざるを得ない。戦後民主主義の「原点」の復権を真剣に考えなければならないと思われる。
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by nakayama_kenichi | 2005-04-05 22:25

憲法9条の会

 昨日の4月1日の朝日の夕刊一面に、吉永小百合さんの「人脈記」が出ており、その中に憲法9条の会のことが触れられているので、引用したくなった。その部分は以下のようなものである。
 
 04年11月、吉永は「映画人9条の会」結成に参加する。
 「イラク戦争支持とか専制攻撃がどうとか・・・・。ここはみんなで考えて、声に出さないと大変なことになるという危機感が強いんです。憲法9条は読めば読むほどすばらしい。一人一人の命を守るという原点に世界が帰ってくれたら。まあ私なんか、そんな力はないんですけど」

 私も全く同感である。テレビはタレントのお笑いと健康ブームで天下太平に見えるが、イラクへの自衛隊の派遣は既成事実化し、憲法9条は危機に瀕している。憲法改正への動きも進んでいる。日の丸国旗への忠誠が強制されつつある。このままでは、この国はどこに行くのかという底知れない危機感が存在する。
 私も、微力ながら憲法9条の会に参加して、人の命を守るという「原点」に立ち帰りたいと心から希求する。
 
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by nakayama_kenichi | 2005-04-02 14:21

4月1日

 今年も、今日から4月です。
 4月といえば、学校の新学年、新学期のことが何よりも頭に浮かびます。
 私は、小学校、旧制中学校、高等商船学校、旧制高校、旧制大學、旧制大学院という順序で、学年を経るごとに、4月の新入生の喜びと進級の希望を毎年繰り返しながら、長い学生生活を経験しました。
 その中でも、一番嬉しかったのは、夢に憧れた旧制高校の「白線帽」をかぶって登校したときのことです。それは、昭和24年のことですが、残念ながら4月ではなく、9月入学になったのです。その理由は、折角の合格通知にもかかわらず、占領軍の指示で入学一時停止の措置がとられたためで、不安な気持ちのままに入学時期が遅れてしまいました。それは旧日本軍関係者の審査ということでしたが、今でもその折の事情ははっきり分かりません。
 私は、昭和24年の4月から9月まで、郷里で母と農作業に汗を流しましたが、ようやく9月からの入学通知が来て、旧制静岡高校の校門をくぐることができました。まだテレビもなく、食糧難が続いていましたが、戦後の解放的な雰囲気の中で、自由を満喫することができました。当時は、文部省自身が新憲法の普及運動に熱心であり(今では考えられません)、私たちも、県下の中学校や女学校を回って、憲法の普及運動に取り組んだのです。
 私は、学生生活を終わってからも、大學に残ることになりましたので、今度は教員として毎年4月に新入生を迎えるという新鮮な気分をずっと長く経験することになりました。4月の大學の雰囲気はいつまでも忘れ難いものとして残っています。そして、定年で大學を去ってからも、その思いは依然として続いているのです。
 新入生おめでとう。しっかり勉強して下さい。
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by nakayama_kenichi | 2005-04-01 20:24