最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

<   2005年 03月 ( 16 )   > この月の画像一覧

私の戦前体験

 最近では、戦前(1945年以前)を体験したことのある人が次第に少なくなってきましたので、私自身の体験のいくつかを紹介しておくことにします。
 私は、日本軍の敗戦を清水高等商船学校2年生(19歳)の8月15日に、清水の海岸で迎えました。予備役ですが、海軍の兵籍に編入されており、もう半年も経てば海軍予備少尉として輸送船に乗船して南方に派遣され、命を失っていた可能性があります。
 太平洋戦争(大東亜戦争と呼ばれた)が開始された1940年には、旧制中学の3年生(14歳)で、ハワイ沖の開戦の映像を体育館で見た記憶があります。所属していた野球部も解散となり、文科系の徴兵猶予も撤廃される中で、本当に「やむを得ず」予備役の高等商船学校に入学することにしました。東京と神戸にあった高等商船学校が清水に統合され、全く未知の清水に入学しました(17歳)。しかし、実は1メートルも泳げず、海は怖かったのです。
 1944年4月から1945年8月までの期間、清水で海軍式の猛訓練をうけましたが、逃亡者も出るなかで、よく耐えられたものと思います。しかし、海軍の方が陸軍よりもややリベラルで、しかも商船学校は予備役なので、救われたところもあります。
 広島の原爆については、新型爆弾であるとしか知らされず、昼夜を問わない空襲や艦砲射撃に対しては、真夏に白い毛布をかぶって防空壕に避難する以外には、もはや対抗する手段もなく、最後は海岸に「蛸壺」を掘って、上陸する敵の船に体当たりする「自爆」の訓練をやらされていたのです。
 1945年8月15日は、この無謀な戦争が終結した日で、終生忘れることはできません。みんな「ようやく助かった」と思ったのです。もう二度と戦争をしないという誓いこそ、戦争を経験した者の一人として、守り伝えていきたいと思います。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-30 12:28

30年前のリュブリアーナ

 少し前になりますが、2004年11月25日に、私は京大の高山佳奈子助教授のところで、スロベニア共和国のリュブリアーナ大學から来日されていたMatjaz Ambroz氏と面会し懇談しました。その折、1976年に私がリュブリアーナ大學を訪問した際の写真をお見せしたところ、そこに写っている若い女性が、実は彼の指導教授で今や定年前のAlenka Sekihさんであることが判明し、お互いにびっくりしました。実に、奇遇というほかありません。
 私は、さっそく当時のリュブリアーナ訪問の記録を探し出して確かめました。それは、「ポーランドの法と社会」という著書(1978年、成文堂)の中に「東欧5ヶ国訪問記」としてまとめてありますが、ここでは、そのほんの一部を引用しておきます。
 「リュブリアーナは小じんまりした実に美しい町で、北はアルプスに近い山間の湖、南はアドリア海沿岸の保養地にも近く魅力に富んでいる。滞在中、小さな湖(Bled)までバスで出かけたが、雪と氷でおおわれた湖面で子供達がスケートを楽しんでおり、湖の中の島まで氷の上を歩いて散歩ができて爽快であった・・・・・・・」。
 来日したAmbroz氏とはすぐに意気投合し、母国のSelih教授への熱いメッセージを伝えました。彼女からもすぐにメールが届き、遠い国に住む旧友との間に30年ぶりのコンタクトが実現したのです。
 京大の高山さんは、すでにリュブリアーナ大學を訪問されていますので、私の後継者として、今後も交流の輪を広げていってほしいと思います。
 そして、私も、もしできたら、もう一度、あの美しいリュブリアーナの町を訪問することができればなあという夢をひそかに抱いています。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-28 22:39

研究会と私

 私の研究生活もいつの間にか長くなりましたが、自分で机に向かって本を読み、原稿を書くといった基本的な仕事のほかに、専門や問題関心を同じくする他の研究者と一緒に、研究会という形で接触し、情報や意見を交換し、討論するというチャンスを積極的に利用することが非常に重要ではないかと感じています。私と研究会とのかかわりをまとめておきます。
 身近な研究会としては、まず「刑法読書会」がありますが、これは佐伯先生が提唱され、平場、宮内先生のほか、われわれの世代が助手、院生として参加したもので、外国文献の読書会として、現在まで50年近くも続いています(月例研究会と夏合宿)。「刑法学会関西部会」も、最初は月例研究会でしたが、途中から年2回の学会形式として定着しました。「刑事判例研究会」も歴史は古く、現在まで月例研究会として継続しています。「刑事法学の動き」は文献の合評会として、判例研究会の後に開催し、これも長い歴史があります。大阪では「刑事訴訟法研究会」が月例研究会として長く続いていますが、私も耳学問として参加しています。したがって、以上の研究会に休まず出席しようとすれば、土曜日はほとんどつぶれてしまうという忙しさを覚悟しなければなりません。
 以上のlほか、かつては、少年法や監獄法の研究会、それに脳死・移植問題の研究会などもありましたが、現在では「関西医療フォーラム」という専門を超えた研究会が継続中です。
 それから、東京の研究者との交流で一番印象的だったのは、かつての刑法改正問題の時期(昭和40年代)に、平野、平場両先生を中心に形成された「刑法研究会」が何年か継続し、ほとんど毎月上京して、熱心に刑法改正問題を論議し、共同で著書も出版するという貴重な経験をした思い出があります。
 研究会の意義はこのように重要なのですが、最近は、大学の業務が忙しくなりすぎて、現役の教授陣が研究会に出席する余裕がなく、研究会が低調になるおそれがあることを憂慮しなければなりません。若い院生の奮起に期待したいものです。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-26 16:00

 国家公務員法102条と人事院規則14-7は、公務員の政治的行為を禁止するとともに、その違反に対して、3年以下の懲役または10万円以下の罰金を科している。人事院規則に違反する行為は、本来は公務員の服務規律違反として懲戒処分の対象になるものであるが、人事院規則違反を理由とする懲戒処分が争われた例はきわめて少ない。
 ところが、その全く同じ行為が「犯罪」として処罰されることになっているので、警察の捜査の対象となり、起訴される可能性があり、実際にはこの方の適用事例が多く、これまで深刻に争われてきたのである。
 しかし、そもそも同じ行為が懲戒処分にも刑罰にも当たるというのは、おかしいのではないかという根本的な疑問がある。せめて、軽い方が懲戒処分に、重い方は刑罰に当たるという区別をするというのであれば、その限界の不明確さという問題は残るものの、まだ分からないわけではない。しかし、猿払事件の最高裁判決(昭49)は、その区別すら認めない一律処罰の合憲性に固執しているのである。
 では、その「保護法益」は何かといえば、それは公務員の政治的中立性に対する国民の信頼であって、それは「国民全体の共同利益」であるというのである。しかし、その実体はきわめて抽象的なものであって、「法益の侵害」の存否と程度を具体的に確定することは不可能である。むしろ、その背景には公務員の「忠誠義務違反」が予定されているようにさえ思われる。
 公務員が賄賂を収受したり、職権を濫用して人を逮捕したりする行為が「犯罪」であることには全く異論がないとしても、公務員が休日に選挙ビラを配布するような行為も「犯罪」として処罰するというわが国の現在の法状況には、もっともっと疑問を提起し続けなければならない。
 現に川口教授のコメントによれば、ドイツでは公務員の政治的行為の規制からは刑罰は一切排除されており、懲戒処分についてもヨーロッパ人権裁判所による制限的な運用が定着しているといわれているので、わが国の法制は国際基準の観点からも再検討を迫られているというべきであろう。
 
 
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-26 14:39

 私どもの世代が研究者になったときは、原稿は全部「手書き」でした。私自身も、最初の論文は、コクヨの400字つめ原稿用紙に鉛筆で下書きし、ペンとインクで清書した記憶があります。しかし、手書きの原稿は、印刷されれば散逸してしまい、自筆で書いたものはほとんど残っていません。ただし、おそらく手書き原稿の最後になったと思われるもので、今でも残っているのは、「刑法総論」(1982年)と「刑法各論」(1984年)の2冊の原稿であり、これらは手書きの原稿の校正段階のものを成文堂の好意で装丁つきの6冊分にまとめてもらった大部なもので(おそらく6000枚程度)、今でも大切に保存しています。
 その後、ワープロの時代に移るのですが、私は不器用なくせに、たまたま入った印税をはたいて、たしか当時はまだ80万円もする大きな機械を購入しました。最初は、原稿用紙でなく機械に向かって考えることの不自然さに当惑していましたが、やがて慣れて、それ以後は軽い小型のワープロを実に長い間愛用して、失敗を経験しながらも、多くの原稿を量産しました。
 ところが、若手の上田寛教授から、パソコンを勧められ、最初は抵抗していたのですが、試みに小型のものを購入しました。しかし、最初はもっぱらメール用に限定し、原稿は依然として慣れたワープロで書いていました。しかしそのうち、書いた原稿がそのまま送信できろというメリットに誘惑され、つい最近になって、とうとうパソコンを用いて直接に原稿を書くという第3段階に入ることになったのです。
 そして、今度は川口教授に誘われて、このexblogを始めたのですが、もうワープロを使わず、パソコンを使って原稿を書くという体制に基本的に移行したようです。
 しかし、同時に私どもの世代は、決してかつての手書き時代の素朴な創造の喜びと原稿用紙にしみこんだ手垢にまみれた苦労を忘れてはおりません。そして、今でも私自身は、せめて年賀状だけは、印刷にすることなく、はがきの裏も表も、肉筆で自筆することだけは絶対に継続するという覚悟を決めています。自筆で字を書くとうのは、やはり人間本来の楽しい営みではないでしょうか。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-23 10:12
 2005年3月1日の日付けで、「心神喪失者等医療観察法の性格」と題する本を出版しました。論文集としては、これで第10巻になります。第1巻は1985年に出版していますので、20年を経過していますが、長くて短い研究者の歩みの中で生まれたものです。
 いずれも「成文堂」という出版社から刊行したものですが、すでに故人となられた先代社長の阿部義任氏との出会いを機縁として、「刑法総論の基本問題」(1974年)の出版以来現在まで良好な関係が続いています。この「機縁」については、またの機会に触れます。
 本書の主題である「心神喪失者等医療観察法」は2003年7月に成立したもので、2年以内に施行とされていますので、2005年7月には施行予定となっています。
 本書の副題が、「医療の必要性」と「再犯のおそれ」のジレンマとなっている通り、本法の性格をめぐっては、立法過程を通じて多くの議論が展開されました。それはとくに、法案審議の途中で「再犯のおそれ」が処分の要件から削除されるというハプニングが生じたことに由来します。
 本書は、この問題に焦点をあてて、私がこれまでに書いたいくつかの関連する論文を1冊にまとめたものです。すでに、この欄にも、この問題についていくつか質問が出されていますので、本書の内容を参照頂ければ幸いです。
 なお、私は別に、この法案の国会審議の際の議事録を全部フォローして「判例時報」に連載したものがありますが、これは次の機会にまとめたいと考えています。
 また、本法の施行後の運用状況についても、フォローするつもりです。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-19 20:43

 石井徹哉さんから再質問がありましたので、簡単にお答えしておきます。
 心神喪失者等医療観察法はまだ施行前ですので、どうなるかは予測の問題ですが、おそらくは検察段階段での責任能力の基準と判断が急に大きく変わることはないと思われます。責任非難が可能と判断される限り、起訴されるとしますと、医療可能性は刑罰の執行過程で考慮されるほかないことになります。処罰の必要性がないとして不起訴になれば、本法の適用可能性があると思われます。
 しかし、検察官も裁判所も、責任能力の生物学的基礎を無視することはできないでしょうから、鑑定人や精神保健審判員の医学的判断を無視して「法的責任」を追求することはできないし、そうすべきものでもないというべきでしょう。ただ、最初のうちは、明かな精神障害で責任無能力がはっきりしているようなケースが、比較的短期間の治療効果という観点からも本法の対象とされるのではないかと予測されます。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-18 22:00
 去る3月13日(日)、関大の日曜答案練習会(今は「関大エクステンション・リードセンター」の主催)に刑法各論の問題の解説のため、出講しました。毎年今頃の時期にずっと続けているのですが、ふと何時ごろからかなあと考えましたら、これがいかにも古いことに気がつきました。
 事務室の人に聞いても、古いことは分からないといわれ、帰宅してから古い手帳を調べますと、1969年2月9日(日)に「関大法職」というメモが見つかりました。仮にこれが一番古いとしますと、実に35年ほども前からということになります。当時関大には、まだ植田先生や中先生がおられたことを思い出します。私は、頼まれたことは原則として断らないことにしていましたので、長期に外国出張していた期間を除いて、関大答練にはほとんど休まず出ていたと思いますので、随分と長くお付き合いしていることになります。
 その頃は、司法試験の答案練習会は、関西では関大の日曜答案練習会くらいしかない時代で、受講生も大教室に満員の盛況であったという記憶があります。そのことを思うと、最近はほかにも同種の答案練習会ができたり、時代状況の変化もあってか、このところ受講生は必ずしもも多くはなく、少し淋しい感じがしています。
 あまりにも長くなりすぎ、私も年をとりましたので、引退して、来年からは若い現役の人と交替したいと考えています。
 関大の日曜答案練習会で勉強された方々、今も勉強されている方々の本願成就を祈念するともに、伝統ある関大日曜答案練習会の今後の発展を祈ります。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-17 21:42
 心神喪失者法の性格に関連して、石井さんから質問がありましたので、お答えしておきます。
 責任能力に関する従来の判断からすれば、これまで責任能力ありとして刑事手続に乗せられていた者が本法の対象に含まれるのではないか、そうすると医療の必要性という枠組みは崩れるのではないかというご趣旨だろうと思います。
 たしかに、刑事手続か医療処分かという区別に際して、限界部分を本法の方に取り込むということになればその可能性が出でくるでしょうが、国会審議でも、精神病質者は対象にしないという答弁があり、また実際にも、1年半という比較的短期間で回転するという構想が出されていますので、それを信用するとすれば、医療の必要性を基準とした治療効果を目標とした運用が目指されているように思えるのです。
 もっとも、現実はきびしく、社会復帰を唱えても受け皿の不足から退院が困難になるおそれは十分にあり、理想通りには行かないと思われます。
 ただ、制度の出発点としては、日精協が望んでいたような、処遇困難者の長期入院施設というイメージとは異なり、その点では日精協の期待には沿わないものになりそうです。
 むしろ、医療の必要性を徹底して、入院よりも通院に重点をおいた観察法として純化する方向も考えらえれるわけで、身柄拘束と強制の要素を最小限にし、人権の保障と権利侵害からの救済を充実させる方向を展望すべきではないかと思われるのです。日弁連はその方向を目指しているようですので、注目して下さい。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-15 21:51
 口述刑法総論の方は、すでに2005年3月10日に「補訂版」を刊行しましたが、その折に、読者から要望のありました「自習問題の解答のポイント」を薄い小冊子として本に挿入しました。
 各論の「補訂版」も現在準備中ですが、「自習問題の解答のポイント」の小冊子はできた様子なので、これまで総論と各論の初版を購入された方にも無料で差し上げることにしました。この前は、本屋をのぞいて下さいと書きましたが、これは私のミスで、できれば連絡は出版社の成文堂までお願いします(03-3203-9201)。成文堂のホームページもご覧下さい。
 最近は、刑法典の犯罪と刑罰がいとも簡単に改正されてしまいますので、本の執筆者も出版社も、改訂に追われて大変です。改正が本当に必要なのか、その手続に問題はないのか、といった点をしっかりと検討する必要があるのでないかと思います。
 私への質問は、メールでも、またこの欄へのコメントでも結構です。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2005-03-15 12:12