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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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2010年 04月 16日 ( 1 )

母の余呉小学校卒業写真

 4月10日、大阪の桐畑(芳則)弁護士の車に乗せてもらって、湖北の余呉町川並地区に在住の昔のクラスメートの桐畑(長雄)君のところに出かけ、3人で、余呉湖畔の余呉湖荘で昼食を一緒にして、楽しい懇談をする機会がありました。晴天下の桜満開の余呉湖には、子供の頃からの思い出の跡が残されており、深い郷愁を覚えました。
 桐畑長雄君は、余呉小学校、虎姫中学校の同級生ですが、滋賀師範学校卒業後、郷里の中学校で教鞭をとり、定年後は、余呉町の郷土史の調査・発掘に全力を尽くし、多くの資料を蒐集して、『江州余呉湖の羽衣伝説』(2003年)の著書もある郷土の篤志家です。
 一方、桐畑芳則君は、大阪市大法学部を出て、司法試験に挑戦して見事合格し、もう十数年の実務経験のある弁護士です。私のゼミ生の結婚式の披露宴の際に偶然にも同郷であることが分かり、以後お付き合いをしていますが、かつての司法試験受験期には関大の日曜答案練習会で私の講義を聴いたこともあると聞きました。
 今回の余呉訪問でも、桐畑長雄君から郷土史にかかわる多くの資料とその説明を聞くことに多くの時間を割くことになりましたが、その中でも、『卒業写真集よご』(平4)の中に、しかも第1期生の「明治42年度卒業者」の欄に、何と私の母親(中山美津江)の名と写真があることを発見して驚きました。100年以上も前の古い集合写真なので、なかなか特定は難しいのですが、おうよその予測はつきました。この同じ写真集に、私の亡兄も私自身も私の2人の弟も余呉小学校の卒業生として全部掲載されているという貴重な資料です。
 なお、私の実家は余呉湖畔から少し離れた「中之郷」という在所ですが、「川並」在住の桐畑長雄君の祖父の桐畑嘉伝治さん(嘉永元年生)の当時の「日記」(12冊)には、「明治22年8月12日に、中山吉兵衛実母病気につき兄桐畑善四郎とともに見舞いに参った」という記事があり、両家は親戚付き合いであったことが伺われます。郷土の親友は、今なお古文書の蒐集と解読に興味が尽きない様子でした。
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     母は前から2列目の右から2人目と思われます。
    
c0067324_1149389.jpg

   
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by nakayama_kenichi | 2010-04-16 11:31