最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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2009年 07月 23日 ( 1 )

裁判員の「常識」

 裁判員法が通りましたので、間もなく、重大な刑事事件について、素人裁判員6人と専門裁判官3人による合議体で、公判審理と評決が行われることになります。
 すでに多くの「模擬裁判」が行われていますが、裁判員に選ばれる可能性のある一般市民にとっては、全く新しい体験となりますので、果してどうなるのか、予測がつかない状態にあります。専門裁判官の硬直した法律判断に対して、素人の市民的な「常識」を反映させるものといわれるのですが、果たして市民の「常識」とは何をいうのか、どんな役割を果すのか、肝心の点がはっきりしないままの出発となりそうです。
  裁判員は、具体的な事件に関する「事実の認定」に加わるだけでなく、「法令の適用」(事実を法律にあてはめること)、さらには「量刑」(死刑を含む刑の重さを決めること)にも関与しますので、実は大変なことをしなければなりません。そんなことが「常識」でできることなのか、たとえば、「故意と過失」、「正当防衛と緊急避難」、「責任能力」、「正犯と共犯」などといった法律概念を、専門家の「やさしい説明」を受けただけで、市民が「常識」で理解し、判断できるのかといった問題があります。
  そのほか、「無罪推定の原則」、「疑わしきは被告人の利益に」、「責任主義」といった刑事裁判の大原則は、実は「常識」を越えたものであり、そのことをしっかりと理解しておかないと、「常識」がかえって「冤罪」を生むという結果に至るおそれがあります。そして現に、ある模擬裁判では、責任能力が争われた殺人事件で、数人の裁判員から「人を殺したのに無罪になるのは納得できない」という意見が表明されたといわれていますので、「常識」を洗練させる必要があります。裁判員法の導入によって、有罪率99.9%が変るのかどうかに注目すべきでしょう。
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by nakayama_kenichi | 2009-07-23 12:32