最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

2009年 05月 21日 ( 2 )

裁判員法の施行

 5月21日から、裁判員法が施行されるということで、新聞には関係記事が目につきます。
しかし、5年間も準備期間があり、法務省や最高裁が懸命に旗を振って宣伝と普及に努力したにもかかわらず、裁判員として参加することになっている一般市民の関心はきわめて低く、当局者もどうなるのかやって見なければわからないといいつつ、ともかくも施行されるというきわめて異例な出発となりました。
 その最大の原因は、法務省も最高裁も、現在の「裁判官裁判」とそれを支える検察と警察の捜査活動を基本的に妥当なものであると評価した上で、これに市民が参加することで刑事司法に対する国民の信頼が得られるというのみで、現状への自己批判が全く見られないところにあります。最高裁は最初から「陪審制」には批判的であり、法務省も「代用監獄」における密室取調べを改革する意思を全く持ち合わせていないのが現実です。したがって、新しい裁判員法が「冤罪の防止」を目的とするとはいっさい公言されていないことを見抜く必要があります。
 その証拠に、裁判員法に対する批判(裁判員の守秘義務、取調べ全過程の録画、公判前手続の公開など)には一切耳をかさず、むしろ法相は死刑制度によって社会の秩序が保たれていると公言し、裁判員による死刑判決の悩みにも理解を示そうとしないのです。
 新聞も、リベラルな「韓国の国民参与法」に触れてはいますが、これに倣えと直言する姿勢は見られず、部分的な問題を指摘して次の改革を要望するにとどまっています(朝日5日21日社説)。まして、「お上任せ」の裁判から脱却などというのは論外でしょう(毎日5月21日社説)。
c0067324_16115693.jpg

[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-05-21 20:55

兄との惜別

 5月18日の午後、郷里から、兄が危篤の報が入り、急いで郷里の余呉町まで駆けつけましたが、兄はすでに死去した後でした(享年86歳)。
 それ以後、親類縁者をはじめ、近隣の人々が集まって、伝統的な弔いの行事が3-4日にわたって続きました。今は、葬儀屋にも依頼しますが、基本的には村の慣習にしたがった村落共同体の相互扶助の行事のひとつとして、いまだに維持されています。兄の家は田舎の旧家に属しますが、今回は故人の意向も汲んで、自宅葬ではなく、近くの菩提寺の本堂と境内を借りて、通夜と告別式がかなり盛大にとりおこなわれました。
  私と兄とは、5歳違いですが、父が敗戦後間もない時期に若くて亡くなりましたので、母を助け、2人の小さな弟をかかえて、苦労した思い出があります。当時、兄は早稲田大学の専門部、私は旧制静岡高校に在学中でしたが、学業を放棄する寸前まで至った苦しい時期でした。兄の長男としての責任と弱音をはかない体力と気力が常に牽引力だったことを述懐しています。親代わりとして、立派に弟たちを育て上げたのです。
 兄は、銀行マンとして働き、また定年後は自治体の役員や寺院の総代などをして地域社会に貢献しましたが、私としては、むしろ子どもの頃、一時在住していた大阪の長屋のレンガ敷きの道路で、当時はハイカラな野球のキャッチボールをした思い出のほうが鮮明に残っています。兄は体格もよく、中学野球の選手となり、晩年はゴルフと酒(これらは私とは無縁)に浸っていました。お棺の中には、ワインをみんなで少しづつ顔や口に浸して、最後のお別れをしました。
[PR]
by nakayama_kenichi | 2009-05-21 10:27