最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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2008年 07月 27日 ( 2 )

責任無能力者の故意

 これは「刑法学ブログ」ですので、すこしむずかしい専門的なことも書いておきます。
 心身喪失者等医療観察法は、心身喪失等の状態で、殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつ、傷害といった重大な他害行為(「対象行為」)を行った者に適用されることになっていますが、行為者が幻聴妄想等に基づいてこれらの行為を行ったときは、自分がやったといわれる行為については何も憶えていないとか、場合によっては、自分の身に降りかかる侵害を払いのけるためにやったと思い込んでいるような場合があり得ます。
 これらの場合には、行為者には責任能力がないので刑罰は科されませんが、そのまま医療観察法上の「対象行為」があったと判断してのよいのかという問題が生じます。
 従来は、行為者が現にこれらの重大な他害行為を実際におこなっているのだから、それだけで「対象行為」があったと判断して、医療観本法による指定入院機関への入院や通院等の処分をすることが可能だと考えられてきたといってよいでしょう。
 しかし、これらの罪はすべて「故意犯」ですから、行為者が事実を認識していなければ「対象行為」があったとは判断できないのではないかという主張が出されました。
 そこで、最近の最高裁判例(最決平20・6.18)は、行為者が幻聴・妄想によって認識した内容ではなく、外部的行為を客観的に考察し、心身喪失等の状態にない一般の者による認識を基準として判断すれば、「対象行為」の存在を認定できると判断したのです。
 その結論自体は妥当としましても、「責任無能力者の故意」を一般人を基準として認めることには疑問があるというべきでしょう。詳しくは、判例批評で扱うことにします。
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by nakayama_kenichi | 2008-07-27 16:43

仙崖荘の名の由来

 若狭の賢者といわれた乾長昭翁ガ郷里の若狭に移り住んで、門人達に四書、とくに論語などを講じられていた寓居は、「仙崖荘」と名づけられていました。昭和の初期に建てられたものといわれていますので、80年も以前のことで、修復も無理となり、建物を壊して、石碑を建てるようになった経緯については、このブログでも紹介してきました。
 そして、この7月13日には「乾長昭翁の生涯」という講演も無事に済ませたのですが、その夜、例の91歳の赤崎翁から、「仙崖荘」の名の由来について、それは、「仙涯和尚」(仙涯義梵 1750-1837年)からきているのではないかと聞きましたので、少し、仙涯和尚について調べてみました。参考文献として、堀和久著『死にとうない―仙涯和尚伝』(新潮文庫、平成8年)を読みましたが、そこには筑前博多の名刹である聖福寺の住職になって、庶民とともに生きた仙涯和尚の実に波乱に富む生涯がいきいきと描かれていて、洒脱なユーモアの影に秘められたきびしい修行の長い道程に感動しました。
 たしかに、悟りを開くための厳しい自己練磨と、弟子達への暖かい思いやりという点では共通するものが見られますが、しかし、結論としては、乾長昭翁の生涯とはかなり違うところもありますので、「仙崖荘」の名の由来を直ちに仙涯和尚に求めることには躊躇を感じました。これは、乾長昭翁自身も語られなかった「秘密」で、むしろ仙人の住む崖の上に立つ寓居という一般的な意味ではなかったかというのが私の感想です。
 なお、仙涯和尚の本の中では、「おごるなよ 月の丸さも、ただ一夜」とたしなめられた句が心に残りました。
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by nakayama_kenichi | 2008-07-27 16:39