最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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2007年 02月 03日 ( 1 )

雪の中の若狭

 2月1日から一泊2日の日程でまた福井県の若狭町まで出かけてきました。今回は、家内の祖父の「乾長昭」氏の門人(の子孫)数名の方と遺品の収集や「仙崖荘」の保存方法などを相談するというこれまでの案件のほかに、近隣の小浜市竜前村におられる郷土史家「赤崎全二」氏(90歳)に面会して話を聞くというのが主要な目的でした。
 公民館の部屋には、とても90歳の老人とは思えない矍鑠たる御人が待機されていて、「若狭彦神社に伴う歴史関係書」と題する文書をわれわれに配布された後、2時間近くも休みなく熱弁をふるわれたのです。これには、一同たまげてしまいました。その話の内容はきわめて豊富で、小浜の神宮寺(神仏習合)から奈良に送る「お水送り」の行事の説明から始まって、蓬莱寺に安置されている薬師如来像の由来と「応病与薬」の効能、廃仏棄釈に耐えた梵鐘の話、若狭彦神社と若狭姫神社との一対をなす若狭一の宮神社の由来とその幟字の解説にまで至り、そして最後に第35代の若狭彦神社の宮司であった「乾満昭」氏の顕彰碑の話にまで及びました。この乾満昭氏はさきの乾長昭氏の実父に当たる人なので、この最後の点が一緒に出かけた門人たちの最大の関心事だったのです。
 翌2日は、天候が一転して雪が降りしきるなかを、90歳の赤坂氏がわれわれを案内して、昨日の話に出た場所を実地に見学してまわるということになりました。薬師如来像を特別に見せてもらった後、梵鐘を鳴らし、乾満昭氏の顕彰碑を見た後、雪に覆われた若狭彦神社と若狭姫神社に参詣し、社務所で、現在の宮司さんと面会し、話を聞くこともできました。すべて赤崎氏の周到な準備によるもので、その力量とエネルギーには、全く心底から驚嘆しました。
 再会を約束して別れましたが、また機会があれば会ってみたい魅力に満ちた御人でした。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-02-03 22:00