中山研一の刑法学ブログ
2011-08-08T11:35:02+09:00
nakayama_kenichi
最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。
Excite Blog
( 遺影 )
http://knakayam.exblog.jp/16698274/
2011-08-07T20:06:00+09:00
2011-08-08T11:35:02+09:00
2011-08-07T20:06:49+09:00
nakayama_kenichi
未分類
皆さまご了知のことと存じ上げますが
父 中山研一は その後病状好転することなく 7月31日夜に永眠いたしました
肺がんでした
病に臥してなお 原稿を書きたい 勉強したい もう一度家へ帰りたい と願っておりましたが
叶いませんでした
このブログも気にかけておりましたので 当人になり代わりお知らせいたします
長きに亘りご愛読賜りましたこと 厚く御礼申し上げます
長男 一郎
長女 葉子
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80肩から背中の激痛へ
http://knakayam.exblog.jp/16381758/
2011-05-26T16:26:38+09:00
2011-05-26T16:27:15+09:00
2011-05-26T16:27:15+09:00
nakayama_kenichi
未分類
5月2日に桂病院の泌尿器科に行きましたが、前立腺の値(PSA)が低いので、転移はまずあるまいとの診断でしたが、5月14日に整形外科の外来受診の際に、骨のRI検査(アイソトープ)の検査を薦められ、5月17日にその検査を受けました。その結果が5月25日に分かることになっています。
これだけなら、普通の通院診療なのですが、その間に、5月16日の夕方くらいから、突然、背中が痛くなりはじめ、急遽痛み止めを飲みましたが、ほとんど効果がなく、体を動かすと痛みが走り、いったん横になったら起き上がるのに背中全体に広がる激痛にじっと耐えながら、ようやく歩けるようになるというという超重症状態に陥ったのです。
原因が分からないだけに、心理的にも不安が強く、文字通り辛うじて痛みが鎮まるのを願いつつ、18日には大津日赤病院の整形外科も受診しましたが、25日の結果待ちということで、それまでは痛みの回避と受忍という状態が続きそうです。
5月22日に、大阪で開業している長男に来てもらって、応急のより強い痛み止めを送ってもらい、痛みの症状は、一時的に大分緩和されてきましたので、とりあえず、このブログで皆さんに報告している次第です。25日の検査結果次第では、少なくとも、背骨を含む内臓や骨の障害とその治療は免れ難いよう思われます。
睡魔にも襲われて、どうとう「原稿」を書けないという最悪の状態に陥りました。
しばらく「ブログ」を中断せざるをえませんので、悪しからずお許しください。
結果は、お知らせするつもりです。]]>
竜頭蛇尾
http://knakayam.exblog.jp/16349255/
2011-05-19T11:22:00+09:00
2011-05-19T18:05:52+09:00
2011-05-19T11:22:51+09:00
nakayama_kenichi
未分類
そして、この問題を検討してきた「検察のあり方会議」(座長・千葉元法相)が「提言」をまとめて江田法相に提出しました(3月31日)。しかし、この「検察の再生に向けて」と題する提言は、取調べの録音・録画について「より一層、その範囲を拡大すべきである」との方向を示したのみで、肝心の取調べ全過程の録音・録画の制度化は明言されないまま、新しい検討の場に先送りされることになってしまいました。
江田法相は、取調べに一部の可視化にとどまらず、「全過程」でも試行するよう笠間検事総長に指示し、検事総長も全過程の試行に踏み切ることを明らかにしたといわれています(4月23日朝日新聞)。ところが、同時に現場では根強い反発と抵抗が存在することが公然と語られていますので、法相が検事総長に対して求めたとわれる「1ヶ月以内に体勢を整えて実施し、1年後をめどに有効性や問題点を検証する」という指示が実際に行われるという保障があるとはいえない状態です。
「全過程の録音・録画」の試行が、検察内部で実際に行われるかを注視しなければなりませんが、それが不可能であれば、立法化のために「法制審議会」に検討の場を移すことが考えられますが、ここにも法務・検察の主導権が及んでいる現状のもとでは、文明国の「国際水準」に合わせるという改革もまた、残念ながら竜頭蛇尾に終わってしまうおそれが大きいように思われます。それでは「密室取調べ」が誤判を生むという構造が続くことになります。]]>
「君が代」起立条例案
http://knakayam.exblog.jp/16332388/
2011-05-15T20:05:00+09:00
2011-05-19T15:49:01+09:00
2011-05-15T20:06:24+09:00
nakayama_kenichi
未分類
入学・卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱は、1989年の学習指導要領改訂で義務づけられたものですが、君が代の起立斉唱については、とくに東京都教育委員会が学校側に文書で厳しく通達し、これにしたがわない教員を大量に戒告などの処分にしてきたことで有名ですが、その動きは各地に広がり、大阪にも波及していました。
しかし、処分を覚悟であえて起立しない教員がそれでも絶えることはなく、処分取消しを求める訴訟も続出しているのが現状です。それはなぜでしょうか。それは、戦後すでに60年を経過したとはいえ、戦前は日の丸と君が代が大日本帝国主義の侵略戦争の時代に、まさに戦争を讃美し国民を総動員する神聖な「日本国体の象徴」として文字通り強制されていたという厳然たる歴史的事実があったからです。私自身も、いまだに当時のことが忘れられません。
戦後、天皇の人間宣言はありましたが、日の丸と君が代は全くそのままなので、日本の歴史を教える先生がとまどうのは、むしろ当然といってよいでしょう。訴訟では、最高裁判所の多数意見は「思想・良心の自由」に反しないとしましたが、少数意見も付されており、学会にも反対意見が多いのです。処分による威嚇によって強制して得られる「愛国心」の涵養とは、教育の理念にそぐわない非人間的で卑屈な服従にほかならないでしょう。
大阪維新の会がこの条例化を推進するとは、その「正体」見たりということでしょうか。それは、「強制しないように」という天皇の意思にも反することになることを知るべきでしょう。 ]]>
やむを得ない嫌な検査
http://knakayam.exblog.jp/16319480/
2011-05-12T20:39:00+09:00
2011-05-12T20:41:35+09:00
2011-05-12T20:39:46+09:00
nakayama_kenichi
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前日夜から準備をし、当日は朝から絶食で、大腸の内部をきれいにするために、薬剤の入った2リットルの水を2時間かけて飲まなければなりません。これは大変な作業で、1時間経過した頃から排便が始まり、次第に回数が増えて、一方で大量の水を飲みつつ、他方では排便(排水)で腸を洗うという忙しい作業が続きます。その間は、単なる空腹感を越えた落ち着きのない不安定で何とも気持の悪いものです。
昼ころには、一応落ち着いた状態になり、午後からタクシーで病院に行って、外来患者として、内視鏡の検査を受けることになりましたが、これは一昨年と同様な経験であることを思い出しました。1時間くらいかかって検査が終わりましたが、すっきりした空腹感は全くなく、かえって下腹部が空気で膨張し、気分の悪い状態が改善されずに残りました。
すぐに何か食べられるという期待感は見事に裏切られて、徐々にガスが排泄するのを待ちつつ、検査終了後の事務的な手続を済ませて、食欲もないままにともかく帰宅するということで、一日がかりの日帰り検査がどうにか終わりました。
結果はまた、18日に聞きに行かねばなりませんが、検査した医師からは小さいものは処理しておいたとのことですので、今回はまあ何とか無事に終わりそうです。それにしても、通院の日帰りコースはもうご免こうむりたいというのが率直な感想です。]]>
母の日
http://knakayam.exblog.jp/16304584/
2011-05-09T17:09:00+09:00
2011-05-09T17:14:18+09:00
2011-05-09T17:09:45+09:00
nakayama_kenichi
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その老婦人の娘さん(お医者さん)が、ピアノを弾かれ、懐かしい童謡のいくつかを集まった入居者がみんなで唱和して歌うという趣向でした。「この道」「故郷」「春が来た」「出船」「花」「荒城の月」など、いずれも長年の月日を経てきた昔なつかしい曲目でした。
このマンションの入居者は、すでにほとんどが自分の母を亡くしており、自らが人の「母」か「祖母」になっているわけですが、この機会に、今は亡き自分たちの母を思う日として心に刻むことに意味があるように感じました。
私事にわたりますが、私の母は明治32年の生まれで、雪深い湖北の寒村で育ち、家つきの長女として養子と結婚して、5人の子を産み、戦前、戦中、戦後の苦難な時代に耐えて、家事のほか、田畑の仕事にも黙々と従事していました。父が早く亡くなりましたので、生活も楽ではなかったのですが、子供たちもその事情を心得て、母に協力し、仕事を手伝ったものです。自分が女学校にも行かない身では、教育ママなどになるはずがなく、子供は協力しながら自立せざるを得なかったのですが、それが結果的には良かったように思います。
この機会に、母が77歳で亡くなるまで、長年の苦労に報いるために何も特別のことをしてこなかった自分たちの至らなさを反省するともに、この世で一人しかいない母親がおおらかで陰日なたのない愛情を子供たちに注いでいてくれたことに、改めて思いを致す「母の日」になりました。]]>
原発推進論者の本音
http://knakayam.exblog.jp/16290967/
2011-05-06T20:23:00+09:00
2011-05-06T20:47:59+09:00
2011-05-06T20:24:28+09:00
nakayama_kenichi
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つまり、日本の原発は、自民党と財界・電力業界との癒着の上に出来上がったものであるというのが歴史的事実なのです。民主党政権が不評だから自民党に復帰するというのでは、この歴史を繰り返すということになるのは必定です。
また、この政策会議の参与となった、元東電の副社長で日本経団連が支援する「財界候補」として参議院議員に当選した加納時雄氏の談話によりますと、福島の現状については、東電出身、元国会議員として二重の責任を感じると言いながら、謝罪の言葉はなく、原子力を選択したことは間違っていなかったとし、原発は地元の強い要望で出来たもので、地域の雇用や所得が上ったことは事実だと言われるのです。
しかし、これは立地自治体に対する手厚い補助金との関連で、東京の電力をまかなうために福島から原発の危険を買収した結果であるとも十分考えられるところです。そして、このような構図は、福島原発以外にも共通に見られるもので、基地問題の中に典型的に現れているものと同根の懐柔政策だと思われます。
原発の被災者からは、東電幹部は福島に住めという声が出てくるのは当然でしょう。
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バラを乗せた小さい車
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憲法9条の正しさ
http://knakayam.exblog.jp/16276741/
2011-05-03T19:58:00+09:00
2011-05-03T20:10:56+09:00
2011-05-03T19:59:32+09:00
nakayama_kenichi
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マスコミも、1年に一度の憲法記念日を「国民が平和憲法の意義を考える日」として、憲法の成立史やその重要性を国民に訴えるという積極的姿勢は、次第に弱くなりつつあり、一般市民の間にも、これまたゴールデンウイークの休日の1つ以上の特別の意義を感じなくなってきている傾向が見られます。
5月3日の朝日新聞によりますと、世論調査の結果として、憲法9条の改正に反対が59%、賛成が30%で、前回の調査(2010年4月)に比べて(67%と24%)、その差がやや縮んだと報じられています。その理由はおそらく、自衛隊や安保条約による米軍基地の存在や極東における軍事力の均衡といった現実論から来るもので、なかでも、最近目立つようになった「日米同盟論」の影響が大きいと思われます。この「日米同盟論」からは、日本はアメリカの戦争に協力するために、軍事基地を提供し、自衛隊を派遣するのも当たり前だということになりかねません。
政権交代にもかかわらず、この「日米同盟論」はそのまま引き継がれ、むしろ当然の前提として語られていますが、それこそが、憲法9条の「文言」にも「精神」にも全く反するものであることは、立法の時に確認されていたことを決して忘れてはならないと思います。
「みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりもさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」(憲法が公布された翌年の昭和22年に、全国の中学1年生に配られた小冊子「あたらしい憲法のはなし」)。(5月3日朝日新聞の「声」欄より)。]]>
メーデーの今昔
http://knakayam.exblog.jp/16265518/
2011-05-01T10:25:00+09:00
2011-05-01T10:31:35+09:00
2011-05-01T10:26:06+09:00
nakayama_kenichi
未分類
しかし、かつては、メーデーは労働者・勤労者が資本家・雇用主に対して、働く者の権利を主張し、その団結を自覚し連帯を社会的に示威するという特別な意味のある日として意識され、実際にも街頭デモをはじめとするさまざまな行事が行われてきていたのです。
その中核となるのは、労働組合ですが、大學や高校の学生もこれに参加するというのが、恒例となっていたのです。しかし、最近では、労働組合が分裂して、形だけの中央集会を年中行事として行うだけで、学生の参加はなく、大學のキャンパスは閑散としています。
私自身の経験を振り返ってみますと、1945年(昭和20年)8月の敗戦の翌年に旧制高校に入学した頃の思い出として、5月1日のメーデーのデモ行進に、白線帽をかぶり、苞場の下駄を履いて、級友と肩を組んで参加していたときの写真が残っています。当時は、敗戦直後の時期で、占領軍による規制もなく、むしろ奨励されていたように思われます。
旧制大學に入学した1928年(昭和23年)頃にも、まだこの伝統は続いていましたが、1930年(昭和25年)頃から占領政策の転換によって、次第に統制と抑圧が強くなり、一方では運動が過激化し(血のメーデー事件)、他方では分散化して結集力が弱くなって行きました。
ただ、京都大学には教職員組合があり、たしか1975年(昭和50年)頃に、何年か職員組合の役員として、メーデーの街頭デモ行進に参加したことがあったことを思い出します。ただし、当時の学生運動の分裂から苦い経験を味わったことも事実です。
結論としては、何事も「初心に帰れ」といいたいのが現在の心境です。]]>
日本人の国民性
http://knakayam.exblog.jp/16253947/
2011-04-28T20:05:52+09:00
2011-04-28T20:06:28+09:00
2011-04-28T20:06:28+09:00
nakayama_kenichi
未分類
日本人は、死刑は極悪非道な罪を贖うにふさわしい(時として)唯一の方法であり、死刑の廃止は治安上も人権尊重の思想上も絶対に許されないと考え、この確信は「切腹」の感性に歴史的な根拠を有しており、他文明の普遍的主張には無関心である上に、最近では犯罪被害者による償いの要求としても現れているというものです。
しかし、このような考え方を「日本人の国民性」として、一般化することには問題があるように思われます。現に、その一例として、古く戦前の、しかも戦時の非常事態のなかで、著名な佐伯千仭博士が日本人の伝統的な国民性を以下のように特色付けられていたことを指摘しておきたいと思います。
「①極めて進取的・開放的で外国文化を取り入れるが、他面著しく保守的で自己固有のものを失わない。②一面極めて武断的でありながら、しかも刑罰は一般に頗る寛大である。③潔癖でしばしば激情的な面があるが、しかもそれは執拗、固執、執着的でなく、結局極めて淡白である。④実際的・現実的であって理屈にこだわらないが、しかも他面で常道理の一貫性を求めてやまない。⑤上下の関係が信頼の深い感情によって結ばれ、わが刑事裁判の伝統的慎重性がそれに由来する」(「刑事法より見たる日本的伝統」法学論叢50巻5=6号、昭和19年)。
ここでは、「寛大性」と「淡白性」が注目すべき点であり、平安期の350年にわたる死刑の執行停止(モラトリアム)の歴史的事実も想起されているのです。]]>
体感治安と重罰思想
http://knakayam.exblog.jp/16242685/
2011-04-26T09:39:00+09:00
2011-04-26T21:32:40+09:00
2011-04-26T09:40:19+09:00
nakayama_kenichi
未分類
これが素朴な応報感情にとどまるのであれば、理性的な状況判断によって縮小論ないし廃止論に変化する可能性もあるということになりますが、その方向に転換するための何らかの契機(「外圧」)がなければ、現状維持にとどまる公算の方が大きいように思われます。
しかも、現代社会は、社会不安を体感治安として受け止めて、むしろ犯罪に対する重罰化を求めるように個人に働く要因を含んでいます。この点について、岩間一雄氏(岡山大学名誉教授)は、現実の犯罪件数が必ずしも増大していないのに、社会の体感治安が悪化して行く根底には、社会が流動化し、社会的不平等が個人化し、犯罪を個人の異常心理に置き換えて、この不安に対処するために、危険を抑圧し厳罰化して行こうとする体制側の政策を後押しするという方向に流れる心理があると分析されています。
本来、犯罪は劣悪な環境の産物であり、これを社会として受け止める共同性、連帯性、統合性が受け皿となるべきなのに、これが不安感として流動化し、「社会の個人化」が進んで、孤立した個人がリスクを処理するというシステムの中に置かれているところに、問題の本質があるといわれるのです。したがって、現状を転換するためには、「私」を「私たち」に飛躍させ、ばらばらな個人社会を連帯的な「市民社会」へと結合し直すことが求められているといわれています(「日本の思想と死刑制度」、「人権21・調査と研究」209号、2010/12、50頁以下)。
そして、現に、今度の大震災援助のボランティア活動などは、そのような社会連帯活動の例として挙げられるでしょう。それは、人権と寛容の精神を生み出すものと期待されるのです。
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琵琶湖大津館の庭のチューリップ
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死刑と向き合う裁判員のために(3)
http://knakayam.exblog.jp/16228823/
2011-04-23T09:14:00+09:00
2011-04-23T09:20:31+09:00
2011-04-23T09:15:05+09:00
nakayama_kenichi
未分類
7.韓国の国民参与裁判と死刑 これは、韓国清州大学教授の論稿ですが、韓国では死刑制度は存置されているものの、1997年に、存置論と廃止論の妥協の産物として、死刑の執行が停止され(死刑モラトリアム)、その状態がすでに10年以上も定着し、現政府が保守政権にもかかわらず、その政策は今後もほとんど変わらないであろうといわれています。2008年から国民参与裁判制度が導入されましたが、選択制の陪審制度の下で、陪審裁判の無罪率が高いほか(8.8%)、取調べの全面的な録音・録画が行われていることも参照に値するところです。
8.国際連合と死刑廃止 これは、アイルランド大学教授の論稿ですが、国際連合が内部の様々な機関や委員会を通じて、一貫して死刑の縮小と執行停止(モラトリアム)から廃止に向けて、さまざまな活動を続けてきた経緯を、実に丹念にフォローしたものです。日本政府がその国際的な活動に全く背を向けているのは淋しいことです。
以上のほかにも、有益な指摘が多く含まれていますが、私としては、本書の叙述じたいが一般市民にはなお難しく、もっとやさしくできないかという感想を持ちました。]]>
死刑と向き合う裁判員のために(2)
http://knakayam.exblog.jp/16220835/
2011-04-21T13:20:00+09:00
2011-04-21T13:26:20+09:00
2011-04-21T13:21:20+09:00
nakayama_kenichi
未分類
5.誤判と死刑 刑法の専門家の中にも、「誤判の場合に取り返しがつかない」という死刑反対の論拠は疑問であるとし、誤判の可能性が全くないような場合、たとえば無差別大量殺人が多衆が目撃する中で行われ、犯人が現行犯逮捕されたような場合には、死刑を認めざるを得ないのではないかという存置論が紹介されています。しかし、これに対しては、たとえそのような一見明白な殺人行為の場合であっても、誤判のおそれが全くないとはいえず、たとえば裁判の中で、犯人が精神異常によって責任能力が疑われる可能性も否定できない以上、最初から誤判の可能性が全くない事例があるという問題の立て方が間違っていると答えられています。
たしかに、誤判と冤罪の数は実際には少ないのですが、これを「やむを得ない例外」として認めのではなく、むしろ逆に、未来永劫にわたって誤判が絶対に存在しないという証明ができない以上、死刑を制度として存置することは正しくないといわれるのです。(続)
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死刑と向き合う裁判員のために(1)
http://knakayam.exblog.jp/16211419/
2011-04-19T09:32:00+09:00
2011-04-19T09:45:02+09:00
2011-04-19T09:32:38+09:00
nakayama_kenichi
未分類
1.本書の問題意識 本書は、新しい裁判員裁判で死刑事件が扱われた場合に、裁判員となり得る誰もが当面すべき死刑の問題について、少なくともこれだけは知っておいてほしいことをまとめたもので、その立場は、死刑はできるだけ避け、できれば廃止したいという方向で一貫しています。したがって、多くの死刑存置論者にとっては、反論もあり得ることが十分に予定されています。むしろ日本では、今こそ死刑の論議を起すことが求められているのです。
2.国民の健全な社会常識 裁判員裁判は、これまでの職業裁判官による専門的な法律的判断の中に一般市民にも理解可能な「市民感覚」を反映させようとするものですが、事実の認定はともかく、法定の刑罰のうち「死刑」を適用すべきかという問題に当面した場合には、世論調査における圧倒的な死刑存置論が背景となって、むしろ死刑判決が出やすいのではないかと指摘されています。現に、最近、少年にも死刑判決が下されました。しかし、少なくとも、死刑には全員一致の評決を必要とすべきではないでしょうか(アメリカの陪審のように)。
3.死刑に関する世論 死刑に関する世論調査では、圧倒的に存置論が多いのですが、質問の方法に問題があるほか、賛否の判断に必要な知識が不足しているのに無自覚であることにも問題があるので、まずは死刑をめぐる問題(制度とその運用の実態)についての情報公開とその知識の普及が必要であるといわれています。そして、正確な知識を前提とすれば、賛否の結論も変わり得ることが示されています。当局による死刑に関する情報の秘匿が市民の関心の低さにも影響しているように思われるのです。(続)
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89歳の健康の秘訣
http://knakayam.exblog.jp/16199599/
2011-04-16T20:14:00+09:00
2011-04-16T20:44:24+09:00
2011-04-16T20:14:49+09:00
nakayama_kenichi
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昨年の秋にお会いしてから、久しぶりになりますが、昼食のお弁当をご馳走になりながら、楽しく有意義なコミュニケーションの機会を得ました。お部屋には、阿弥陀如来の3体の磨崖仏の大きな絵をはじめ、甲冑文字で書かれた詩文など、多くの貴重な作品の数々が飾られており、さりげない世間話のなかにも、女流画家としての天真爛漫な風格と謙虚で個性的な人間像を感じ取ることができました。また、今回の東日本大震災については、かつての自分の苦難な体験を想起しつつ、とくに政治家の無策ぶりに対する強い批判が繰り返されていました。
今回は、この89歳の老画家が、今でもなお心身ともに健康であることの秘密ないし秘訣として実感した3つの点を挙げておきたいと思います。
第1は、精神的な側面ですが、話が専門の絵や書のことに及んだ途端に、目が輝き、情熱が湧いてくるように思われたことです。絵を描くことは、その中に魂を入れることであるといわれたことが印象に残っています。私も、この1点に共鳴しました。
第2は、肉体的な側面ですが、まず平凡なこととして、食欲の旺盛なことに、あらためて感心しました。それは、ゆっくりと時間をかけて、楽しみながら全部を残さず食べるという習慣です。
第3は、今回発見した重要な点ですが、この老婦人は一軒家の2階部分に住み、少し曲がった急な階段を日に何回となく上り下りする必要があるので、実はそれこそが健康の最大の秘訣になっているということです。足腰がこれによって毎日鍛えられて、今でも戸外を平気で歩けるというわけです。老人にとって、階段は危ないとばかり思っていましたが、そのプラスの効用をあらためて確認した次第です。
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三井寺の疎水の桜
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