若狭の賢者の展示会と講演会
2008年 07月 14日
展示室の中には、帯刀する父満昭(若狭彦神社宮司)の横にうずくまる幼い長昭少年を撮った古い写真をはじめ、長昭翁の直筆になる掛軸や額、達筆の手紙類、講義録や経典類、それに長昭翁の住まいであった「仙崖荘」の木彫りの表札など、貴重な遺品が並べられ、なかでも等身大の写真などが目を惹きました。
一方、講演会の方は、門人関係者を中心とした少数にとどまるであろうとの当初の予想に反して、130名ほどの多くの聴講者で会場は一杯となり、若狭の賢者に対する関心と影響の大きさに驚きました。私は、自己紹介のなかで、長昭翁が私の亡妻の祖父に当たるという関係に触れ、乾家の家系図も示しながら、とくに尊父の満昭翁も仏学を修めて大乗の法を説いた若狭の賢者であったことに触れた後、長昭翁の略歴と人柄をややくわしく紹介しました。
とくに意識して話しましたのは、長昭翁がすでに6歳にして父にしたがって漢学を学び、その後は仏学をも修めて古今東西の哲学を研究し、特定の宗派にとらわれることなく、とくに仏教哲学に造詣が深かったといわれていたこと、そして仙崖荘における講義録を実際に読んでみると、その内容が難解であるにもかかわらず、なぜそれが当時の村人達を惹き付ける魅力をもっていたのかという秘密を解明したいという点でした。そのために、今後は、長昭翁の講義録を「読む会」を開いて、私も出席することを約束して、講演を終わりました。